翌日になり、土方が予想した通り箱館総攻撃が始まった。箱館湾でも攻撃が始まり、旧幕府軍の艦が新政府軍の砲撃に応戦していたが、一艦轟沈させたところで、座礁。乗組員が弁天台場に合流していた。
「くっそ、遠くからバカバカ撃ちやがって!」
弁天台場は海を埋め立てて造った要塞で、元々は外国船の襲来に備え、幕府が設置していた砲台だ。遠洋からの砲撃にこちらも砲撃で応戦するが、新型の新政府軍の艦の砲台の方が性能が良かった。
五稜郭へ援軍要請は出した。このまま箱館への攻撃が進めば、弁天台場が孤立すると。
「どうしますか?」
兵士に問われ、が振り返る。
「どうしますか、だ? 何を聞いてるんだそれは」
が問いかけて来た兵士を睨みつける。
「敵がいる。おれたちは生きてる。戦う以外に何がある」
「しかし……」
「さん!」
別の方面から兵士が駆けて来る。
「新政府軍が箱館山を占拠したとのこと! こちらに向かっています!」
が舌打ちする。
「怯むな! 戦え! じきに援軍が来る!」
が声をかける。土方なら援軍要請を聞いたらすぐに出陣するはずだ。弁天台場を落とされることの意味を土方は理解している。
「死ぬ覚悟の出来てる馬鹿はおれと来い! 出るぞ!」
そう言ってが刀を抜く。箱館山はすぐそこだった。弁天台場は山の麓にある。
「さん!? 刀では無謀です! 死にに行くだけですよ!?」
後ろから兵士に肩を押さえつけられる。
「無謀だったらなんだ」
その手を振り払い、は叫ぶ。
「いいか、おまえら! 知らねえなら覚えておけ!」
弁天台場にいる全員に聞こえるよう、声を張り上げる。
「たとえ傷つこうが! 仲間を失おうが! 刀が折れようが! 最後まで戦い抜く!」
そう言った人がいた。
「それが新選組だ!」
そう信じた自分がいる。
「生きてるうちから死んだようなこと言うやつは勝手に死んでろ。おれは生きてるから戦う。それだけだ」
そう言っては弁天台場から箱館山へと向かう。
「添役! お供します!」
兵士の一人が駆け寄って来る。
「俺も!」
「俺も行きます!」
「最後まで諦めません!」
刀を持つ兵士。銃を持つ兵士。何人もの兵士が、「自分も」と名乗りを上げる。の声が、かつて土方が言った言葉が、兵士たちの心に届く。誠の志が、波のように広がっていく。皆の覚悟に、は笑った。
山の上に砲台が見える。山の向こう側から上陸した新政府軍が、大声を上げて下りてくる。
「銃を扱えるやつは援護しろ! 刀しか使えねえやつは合間をぬって斬りこむぞ!」
「はい!」
弁天台場の指揮を箱館奉行の永井に任せ、たちは山から下りてくる新政府軍を迎え撃つ。
「ここは死んでも守り抜く!」
おお、という雄叫びが上がる。大丈夫。まだ士気は高い。だから、負けない。
新政府軍が山の中腹まで下りてくると銃を構えた。こちらの兵士も銃を構えて撃ち始める。銃の性能は互角。飛距離は同じ。向こうの一斉射撃にこちらの兵士が何人か撃ち抜かれて倒れた。だが、こちらの銃弾も当たっていた。はそれを機と見て、地面を蹴った。刀を持った兵士たちがそれに続く。山を登る。次の射撃で隣を走っていた兵士が撃たれた。は止まらない。もっと速く。銃弾が掠る。――もっと速く! 地面を蹴る。は、山の中腹に辿り着いた。
「う、撃て!」
隊列を乱された新政府軍がに照準を合わせる。だが、引き金を引くよりも早く、その首が飛ぶ。は刀を振るい続けた。味方の銃弾も届き始めている。刀を持った者たちも、が隊列を乱し始めたおかげで、到着している。間合いに入ってしまえばこちらの勝ちだ。
「第二陣! 構えろ!」
そんな声が聞こえて、山の上を見る。中腹より更に上。次の銃兵が構えていた。
「伏せろ!」
が叫ぶ。
「撃てー!」
引き金が引かれると同時に身を低くする。頭上を銃弾が掠めていく。だが、銃は連射式だ。弾込めの間はない。すぐに次の銃声が聞こえる。足、腕、腹に銃弾が貫通していく。血を吐いて、はまた地面を蹴る。死んだ仲間を置いて、は走る。
「な、なんであいつ動いてるんだ!?」
新政府軍の動揺が聞こえる。
「化け物……!」
兵士が銃を向けて、撃った。銃弾が頬を抉り、左耳が撃ち抜かれる。
次の銃撃よりも速く。引き金を引くよりも速く。一歩でも速く――は目の前の兵士の首を落としていた。の特攻に「化け物」だと言いながら逃げ出す兵士も出て来た。
「!」
右耳に声が聞こえる。耳を澄ます。聞き慣れた声だ。
雄叫びが山の下方から聞こえた。先程まで少ない兵士の死体しかいなかったところに、数十名の仲間たちがいた。
「ほーら来た。こわい援軍」
は笑みを浮かべた。味方の銃撃に巻き込まれないように、は一旦山を下りる。隊列は充分乱した。敵の次の銃撃までの時間はあるだろう。途中でいつものように血を吐いた。今日のこれは、羅刹化の反動だけではない。血塗れで歩いて来るを見て、土方は眉を寄せながら息を吐いていた。
「生きてたか」
「死んでると思いました?」
そう言って首を傾げた。声が変だ。左耳に手を当てる。何も聞こえない……耳が死んでいた。でもそれで死ぬわけじゃないからどうでもよかった。
「おまえはもういい、下がってろ。こんなところで死ぬんじゃ――」
「土方副長」
が呆れた顔を向ける。
「いつまで寝ぼけたこと言ってるんですか。おれは新選組の隊士ですよ」
死に装束は既に着たのだと。覚悟をなめていると痛い目を見るぞと。そう言ったのに。
は笑う。――きっと、それが土方歳三なのだろう。
「おれは、おれをおれにしてくれた新選組のために、己の誠のために、最後まで戦います」
土方の隣に立ち、再び山を見据える。
諦めずに最後まで戦う。最後の最後まで足掻く。皆が来れなかったこの場所で、自分は戦い続けると誓ったのだから。
「ったく、おまえは……」
呆れた声。
「新選組なら、みっともねえ死に方するんじゃねえぞ」
「かっこつけて死ぬから見ててくださいよ」
は笑う。
「だから、命令をください」
そんなこと言ったことはなかったけれど。
「おれは、新選組の剣だから」
新選組の剣を、預けられているから。
「新選組の剣、か」
土方はそう呟くと、息を吐いた。
「どっちかっつうと、おまえは剣より狼って感じがするが。頭の色もそれっぽいだろ」
そう言いながら、の灰の髪をぐしゃぐしゃと撫ぜた。が抗議の目を隣に向ける。
「はあ!? 番犬ってこと!? おれはもう千鶴の番犬じゃなくて……!」
「剣は考えねえが、おまえはちゃんと自分の頭で考えて噛みつけるだろ」
言葉が止まる。
土方が笑う。遅れて、も笑った。
そうか、自分は――
「噛みついて来い」
――新選組の狼だったのか。
「いくぞ!」
「はい!」
と土方が走り出す。
血が流れていく感覚があった。傷は深い。でも気にしない。もう、これが最後の戦いだから。だから、動け。動け。――走れ!
ぐんと地面を蹴る力が強まり、は飛び出した。あっという間に、体勢を立て直している途中の新政府軍の隊列に突っ込んでいった。
「なんなんだ、あいつ……!?」
「何をしている! 相手は刀だぞ! 撃て!」
「撃たせねえよ!」
が銃身ごと敵の手を落とす。
「う、撃てー!」
照準が合うよりも速く。は自分に銃口を向けている兵士から、1人ずつ殺していく。考えろ。次の攻撃はどこか考えろ。
土方が追いついた。前線に出て来る頭がいるかと思ったが、心強いのは確かだった。自分は土方の隣で戦える。新選組の一員として戦える。
返り血なのか、自分の血なのかわからなくなった。体のどこを銃弾が通って行ったのかももうわからない。でもまだ、足も腕も動く。頭も動く。だから死なない。まだ戦える。
見てるか、野村。
見てるか、相馬。
見てるか、永倉さん。
見てるか、原田さん。
見てるか、平助。
見てるか、斎藤さん。
見てますか、山南さん。
見てますか、近藤さん。
なあ、見てるか、総司さん。
「見てるか、千鶴――!」
ここにいないことは知っているけど。
おれ、頑張って戦ってるよ。足掻いてるよ。
最後の新入隊士として、恥ずかしくない戦いをするよ。
皆の思いを、志を背負って、死ぬまで戦うよ。
最後の一太刀まで、最後の一瞬まで、戦うと誓うから。
儚く散ったりなんてしないと誓うから。
――おまえと共にいたいと願わなかったおれを、どうか許してくれ。
「見てるよ、ちゃん」
刀を振るっていると、左から声が聞こえた。
見ると、銃口がこちらを向いていて。そういえば左耳は死んでいるのだと気が付いて。
ドン、と体に衝撃があったのを最後に、音が聞こえなくなった。
何も聞こえない。でも、戦わなければ。動かなければ。
諦めるな。
諦めるな。
刀を握っている感覚がなくなった。でも、大和守秀国はそこにある。
足を動かし、自分を撃った敵兵を斬り捨てる。
土方の方を見る。何か言っているようだ。
視界がぐにゃりと歪む。足がもつれる。
地面に倒れる。
――そのまま、世界は暗闇になった。