道場で、と野村が刀を持った部隊を相手に稽古をつけていた。
「やあー!」
木刀を振り上げて立ち向かって来る兵士の脇をすり抜け、は容赦なく背中に木刀を振り下ろした。
「次!」
次の兵士は手元を打って、簡単に木刀を取り落としてしまった。
「持つ手が緩すぎる。もっとしっかり持たないと打ち合いで落とすぞ」
「はい! ありがとうございます!」
「次!」
銃を扱う兵たちは別の部隊が見ている。大鳥がこうした訓練の場を設けたのだが、船の上で彼が言っていた通り刀を持つ兵たちはが面倒を見ることになっていた。
夕刻になり、何巡かの打ち合いが終わった。が半数の相手をしたため、軽く息が乱れていたが、深呼吸ひとつで呼吸は戻った。
「技術も必要だが、戦場で大事なのは諦めないことだ。根性とやる気があればなんとかなる!」
が前に立って拳を握って宣言した。野村が隣で噴き出したので、思いっきり蹴飛ばした。
「あの、添役。それは武士道の何かでしょうか?」
中程に並んでいる兵が、手を挙げて質問をする。
「おれは武士道はよくわかんないけど」
は腰に手を当てる。
「最初から命捨てるのと、結果的に死ぬのじゃ意味が違う。おまえらは命捨ててるのか? 違うだろ?」
頷く兵が多数だった。それに満足しては笑みを浮かべる。
「意味を取り違えるな。死にに行くやつは、ただ死んで終わるだけだ」
は笑みを返して真剣な表情で問う。
「死ぬ気でやれ。でも命は捨てるな。言いたいことはわかるか?」
「難しいですね……」
ひそひそと話す声が聞こえる。
「じゃあ、各自宿題だ。死ぬ覚悟と、命を捨てない覚悟ができたやつから、明日も稽古してやる。解散!」
兵たちが疲れただの厳しかっただの言いながら立ち去ろうとした時だった。
「さん! 俺にも稽古頼んます!」
木刀を持った腕をぐるぐると回しながら野村が笑顔で言う。
「おっ、手加減しなくてもいい相手が来たな」
も笑顔を返す。ようやく自分の稽古もできそうだ。
道場の中央に移動をする。どうやら陸軍奉行添役同士が打ち合うらしい、と帰ろうとした兵たちの多数がその場に残った。多くの観衆がいる中で、と野村は対峙する。
野村が強く床を蹴る。鋭い突きの攻撃。はその動きを見切って、僅かな動きで避けると、姿勢を低くして踏み込んだ。そして、腹に容赦ない一撃を加える。
二本目。野村が腹を痛そうにしながらも踏み込む。振り下ろされた木刀を受け流す。そのまま背後に回り込み、木刀を振り下ろした。
三本目、四本目、と打ち合いは続き、十本目に踏み込んで来たその軸足に足を引っかけて野村は顔面から床に突っ込んだ。
「勝てねえー!」
野村が起き上がって叫んだ。
「いやでもおまえ強くなったよ。散々おれにぼこぼこにされただけはあるな」
「それ褒めてんのか?」
「馬鹿野郎、最上級の褒め言葉だろうが」
入隊してからずっと、毎日のように一緒に素振りをし、打ち合いをした。野村と相馬に痣をいくつ作ったかわからない。
「さんの剣術は小狡いんだよなあ。最後足引っかけてくるし」
「おれはおまえらより筋力ないだから、小狡く立ち回らないと勝てないんだよ」
木刀で肩を叩きながらが言う。真正面から力勝負だけをしていたら、野村にも相馬にももう勝てない。だから、少ない動作で最大の技を打つしかないのだ。小狡くもなるというものだ。
道場から出て二人は歩く。
「そういやさんは見つかったのか? 誠の道標」
斎藤に言われたことだった。道標を見つけるために、副長の元へ行けと。
「おれは見つかってるよ」
は頷く。
「おれは最後まで、ここで戦う。それこそが、おれの道標だ」
腰に差した刀を握り、は正面を見据える。
「たとえ一度や二度負けようとも。仲間を失おうとも、刀が折れようとも。おれはここで、新選組として最後まで戦う」
だから、新選組隊士となった。最後の新入隊士として、恥ずかしくない戦いをしようと思っている。
「足掻いてやるよ。命をかけてな」
そう言い切る横顔を、野村は眩しそうに見つめた。
「それが、さんの道標か……」
「おまえは?」
「まだわかんねえ」
「そっか」
「でもさんの言うことはわかるぜ」
野村も頷く。
「命をかけて足掻く、か……」
そう呟いた。
◆◆◆
明治二年三月。ついに雪解けの季節がやってきた。
新政府軍は蝦夷地を制圧するべく艦隊を差し向けて来た。旧幕府軍の海軍は、蝦夷地攻略の際に旗艦だった開陽丸を失っている。次の戦でやってくる新政府軍の艦隊には、開陽丸を上回る新型の艦が加わっているとの噂だった。
新政府軍の船は宮古湾に停泊するという。蝦夷共和国はその旗艦を奪い取る作戦を立て始めた。目標は敵の旗艦「甲鉄」を奪い取ること。作戦はこうだった。こちらの海軍の「回天」「蟠竜」「高雄」の三艦が外国旗を掲げて宮古湾へ突入し、攻撃開始と同時に日章旗に改めて「甲鉄」に接舷、陸兵が斬りこんで占拠するというものだ。「甲鉄」への接舷は「蟠竜」と「高雄」の小型艦二隻で実行、大型の艦で接舷が難しい「回天」はその援護に当たる。
「よし! そんじゃてめえら、そろそろ出発するぞ!」
土方が声をかけた。
「敵の甲鉄を奪えば、戦況をひっくり返せるだろうし、今後の交渉も有利になるはずだ。新政府軍のやつらに目に物を見せてやろうぜ!」
「はい!」
作戦には土方の他に、相馬、野村が同行することになった。回天に乗り込み、援護を行う。
「三人とも、くれぐれも気を付けてね。無事を祈ってるから」
箱館に残る千鶴が心配そうに言った。
「はい、もちろんです」
「先輩は本当、心配性だな。俺たちが新政府軍ごときに殺されるはずねえじゃねえか。まあ、ぶんどった船で戻って来るから、待っててくれよ!」
「千鶴、土方さんの心配もしてやれよ。まあ殺しても死なねえと思うけど、いてっ」
の頭にげんこつが落ちた。
「よし、行くぞ!」
兵士たちを率いて船着き場へと向かう。黒船同士の戦いは初めての経験だったが、きっとうまく行くだろうと誰もが楽観視していた。
黒船三艦は大綱を繋いで縦列で航行を続けていたが、途中で嵐に遭ってしまった。回天と高雄は合流できたが、蟠竜とははぐれてしまった。高雄は嵐で機関が故障したため、一時山田湾に入港し修理を行った。
その時、宮古湾に新政府軍の黒船が入港しているという確かな情報が入ってきた。
「蟠竜との合流は諦める。この機を逃せば、無駄足になるからな」
土方が船長と話し合う。
「高雄のみで甲鉄を奪取する。回天は当初の予定通り、他の船の牽制だ」
作戦が書き換えられ、艦は山田湾から外国旗を掲げて出航する。その途中で、高雄の機関がやはり直っていないとの報告が上がった。辛うじて航行が可能な状態だった。そしてまた新たな作戦に変わる。まず回天が甲鉄に接舷して先制攻撃をし、高雄が途中で参戦して残りの艦船を砲撃するというものだ。
「接舷するって? 大丈夫なのか、この船で……」
が土方からの指示を聞いて呟く。回天は構造上、船を横付けすることができない。どうやって甲鉄に飛び乗れというのか。
「さん」
野村に呼ばれて目を向ける。
「どうした?」
作戦が不安なのだろうか。やや俯いていた野村は、顔を上げて笑顔を見せた。
「いや、なんでもない!」
そう言って、野村はの隣にどかっと座った。
「なんだよ、怖気づいたのかよ? らしくねえことしてっと、また嵐が来るぜ?」
「縁起でもねえこと言ってんじゃねえよ!」
野村の頭にげんこつを落とす。
野村は宮古湾に近付くまでずっとの隣で話をし続けた。入隊した頃の話。小姓見習いに取り立ててもらった時の話。沖田との稽古でぼこぼこにされた話。京にいた頃の楽しかった思い出話ばかり話している。
「なあ、野村……おまえ、こんなにおしゃべりだったっけ?」
「はあ? さん、俺と何年付き合ってんだよ。今更かよ?」
笑顔だった。その笑顔に、なんだか胸騒ぎがした。
「野村。何考えてるか知らねえけど、変な考え起こすんじゃねえぞ」
「変なってなんだよ」
「……」
は答えられなかった。
「なあ、さん」
野村は笑顔を消す。
「さんは、命をかけて足掻くんだろ」
急にそんなことを真顔で問うものだから。
「ああ、そうだよ」
は野村から目を逸らし、正面を睨んだ。
「そして、諦めない。絶対に」
ふっと笑う声が聞こえて、隣に目を向ける。
「なんだよ……」
「いやあ、さん馬鹿だなあと思って」
「ああ!? おまえにだけは言われたくねえよ!」
「あっはっは! そうだよ、俺も馬鹿だ!」
大口を開けて笑った野村は、をもう一度見た。
「馬鹿な俺にずっと付き合ってくれてありがとうな、さん」
清々しい程の笑みだった。
が何か言う前に、館内放送が入った。宮古湾に到着したので、兵士は甲板に集まれとのことだった。野村はには声をかけず、先に立ち上がり走って行った。その背に手を伸ばしかけて、もその後を追いかけた。
甲板に兵士が集まる。思っていた通り横付けができなかった回天は、船首を甲鉄に突っ込んで乗り上げる形になった。艦が傾く。
「よし、作戦成功だ! 斬りこむぞ!」
野村が先頭で刀を抜いた。
「待て、野村! おれが先行するからおまえは相馬と援護を――」
が野村の肩を掴む前に、振り払われた。
「いや。悪いが、ここは俺にやらせてもらうぜ」
「おい、野村!」
相馬も止めるが、野村は笑った。
「気付いちまったんだよ。ここが、俺の目指してた道標だってな!」
野村の表情は怖いくらいに澄み切っていて、二人は何も言うことが出来なかった。
先発隊が甲鉄の甲板へと降り立つ。
「ふん、この期に及んで刀での斬り合いとは時代錯誤な――撃て!」
艦に積まれていた大砲――ガトリングガンが火を噴いた。味方が次々に撃たれる。甲鉄の甲板は先発隊七人の体から噴きあがる血で真っ赤に染まった。
「く……そっ……!」
野村は血塗れの凄まじい形相のまま、かろうじて刀で身体を支えていた。
「だぁああああっ――!」
ガトリングガンに迫り、仲間を殺した敵兵を斬り捨てる。
次第に周囲の敵艦の戦闘準備が整っていく。回天が包囲され始めた。
「野村! その縄に掴まれ!」
相馬が甲鉄の甲板へと縄を下ろした。野村はふらつきながら船縁に体を預けていた。
「へへっ、駄目だ……もう……縄を掴む力すら、残ってねえや……」
が相馬の肩を叩いた。
「相馬、人を集めて縄を引け! おれが行く!」
「あ、はい!」
相馬が縄を持ち、がその縄を伝って甲鉄に降りようとした。だが、その縄は野村が投げた刀によって斬り落とされてしまった。
「野村……?」
「さんまでこっちに降りてきてどうすんだよ。ここであんたが死んじまったら、雪村先輩が悲しむだろうが……」
甲鉄のガトリングガンが回天の甲板に向けられた。
「相馬!」
が相馬の頭を掴んで下げる。銃弾がの腕を撃ち抜いた。
「さん!」
「問題ない」
歯を食いしばって痛みに耐える。
「野村!」
が叫ぶ。まだ甲板でふらついている野村は、残っている脇差を抜いた。
「――さん!」
野村が大声で叫ぶ。振り返らない。脇差を高く掲げた。
「後のことは任せたぜ!」
は言葉が出てこなかった。
回天が集中砲火を受け始めた。甲板にいた船長が、弾丸に貫かれて倒れる。の耳元を弾丸が掠める。それでも、は野村から目が離せないでいた。
「おのれ、死にぞこないめ! 奴らを逃がしてはならんぞ!」
甲鉄の兵士が叫ぶ。
「そうはいくかよ……新選組はな……敵に背を向けちゃいけねえんだ!」
集中砲火を受け始めた回天は、ゆっくりと甲板から離れ始めた。野村を甲鉄の甲板に置き去りにして。
野村はこちらを見向きもせず、脇差を握りしめて駆け出した。ガトリングガンが再び火を噴く。野村の体は宙を舞い、船縁から叩き落された。落ちる最中、不敵に笑った野村の表情が、やけにゆっくりと見えて――
「野村ぁああああッ――!」
相馬が叫ぶ。野村は波に飲まれ、見えなくなった。
回天が宮古湾から脱出を始める。敵の銃弾で回天の甲板も血塗れだった。死傷者がいる。自分の右腕からも血が流れていることに今更気が付く。
「……また、託されちまったな」
がぽつりと呟く。足元で相馬が膝をついて項垂れていた。血塗れの右手を、握りしめた。
はその後、相馬に手当を受けた。肩と二の腕に一発ずつ。銃弾は貫通しており、止血するだけでよかった。どうせ数日で治る。右腕を首から吊るした形になった。船室にいるのは落ち着かずに、甲板に向かう。真っ赤な血塗れの甲板の船首に、土方が一人立っていた。が近付き、隣に立つ。
「。おまえ、言ったよな。『おれたちの覚悟をなめてると痛い目見るのはそっちだ』って」
土方は船縁を両手で握りしめる。
「……こういうことか」
「……」
海面を見つめる。この冷たい海の底に、野村は一人でいる。
「野村、近藤さんを守れなかったって泣いてました」
江戸を脱出した日のことだった。近藤の元を離れてから、ずっと皆を励まし続けていた野村が、初めて泣いた。
「先に逝った局長に、胸を張って会いに行けるように……最後まで新選組として戦い抜いた、恥ずかしくない姿を見せてやるんだって、そう言ってました」
あれこそが、彼の道標だったのではないかと、今では思う。局長に、胸を張って会いに行く。それこそが、彼の理想とする死に方だったのではないかと。
「だから、泣くなんて許しませんよ」
「泣かねえよ」
互いに目は合わせなかった。
「……新選組として……立派な最期だった」
「はい」
冷たい潮風が傷口に染みたが、涙は出なかった。