風間との戦いの傷が治らない間は、稽古に口だけ出したり、土方の書類仕事の手伝いをしたりしていた。書類仕事は向いていないと思いながらも、読み書きは習っていたし、土方が寝る間を惜しんで仕事をするのは相変わらずなので、がお目付け役のようになっていた。本格的な新政府軍との戦いはまだ始まらない。武器の準備、兵士の稽古、やることはたくさんある。

「なあ、
「なんですかー?」

 書類に目を通しながらが返す。兵士たちの稽古が終わると、はこうして土方の部屋にいることが多い。

「おまえにとって、新選組はどうだった?」

 が顔を上げる。土方は窓の外に目を向けていた。の視線に気が付いて、土方が向かい側に座るに視線を戻す。

「俺たちは片田舎の道場主と百姓の息子、そしてそんな道場に居候していたやつらで始まった。人斬り集団だの壬生狼だのと陰口叩かれてきたが、幕府にも重用されるようになった。……まあ、それも過去の話になっちまったが」

 土方は椅子の背もたれに体重をかけて、天井を見上げた。

「たまに思うんだ。どこで間違っちまったのかって。どうしたら、近藤さんやあいつらもいたまま、京で名を上げられたんだろうって。この国のやつら全員が知るところに、近藤さんを持ち上げてやれたのかって」

 近藤の名は知られた。賊軍として斬首された新選組の局長として。
 たくさんの人が死んだ。たくさんの人と道が分かれた。それでも、土方はこうして今も戦いの最前線に立っている。どこで間違ったのかと、どこで道を違えてしまったのかと、きっと皆が思っている。

「おれにとっての新選組は何も変わらないですよ」

 再び書類に視線を落としながらが言う。

「おれにいろんなことを教えてくれた。おれに覚悟をくれた。新選組がいたから今のおれは、こうしてここにいる」
「おまえはいつもそればかりじゃねえか」
「違う答えが欲しいんですか?」

 は目を向けずに続ける。

「確かに最初の頃と比べたらいろいろ変わったし。今はもう元の新選組はないって言ってもいいのかもいしれない。おれも何度も考えました。どうしたら、京であのままみんなでわいわい楽しくやっていられたのかって」

 持っていた書類に集中できなくなったので、は机の上に放りだした。そして息を吐く。土方がに目を戻した。

「でも、きっと無理だったんです。黒船が来たのに合わせて、この国は海みたいになったんです」
「海?」
「そう、海。大きな波がうねってて、おれたちは新選組っていう船に乗ってた。薩長のやつらもそれぞれ船に乗ってて、みんな必死にどこかに行こうとしてた。嵐が来て船が壊れて、死んでいったやつもいれば、別の船に乗ったやつもいる。薩長のやつらは新政府軍っていう黒船を手に入れた」

 千鶴が先程持って来てくれた温くなった茶を一口飲んで、は土方に目を向ける。

「でもおれたち新選組が乗ってる船は変わらない。目指してる場所も変わらない。おれたちはいつだって『誠』って旗を掲げて、それを目指して船を進めてるんです。もう船はぼろぼろかもしれないけど、乗ってるやつらは馬鹿しかいないから、諦めずに船を進めてる」

 はふっと笑う。

「学がないおれなりの現状の解釈です。それなりにあってるでしょ?」

 土方も笑う。

「ああ、おまえらしくていいな」

 二人とも、『誠』を掲げた壊れかけの船に乗っている。

「そうだな……きっと、どうにもならねえことだったんだよな」

 時代の流れは変えられない。この海は、戻ることが許されない。だから、前に進むしかないのだ。それが間違っていたのか正しかったのか、その判断は後の世の人間が勝手にするだろう。自分たちは、今の自分たちにできることを精一杯やるしかないのだから。
 それから数日後のある日のことだった。稽古場の入口で千鶴がそわそわしながら立っていた。は首を傾げて駆け寄った。

「どうした、千鶴?」
「ごめんね稽古中に。土方さんが私たちのことを呼んでるの」
「土方さんが?」

 野村に声をかけてこの場を一旦任せ、は千鶴と共に土方が待っているという部屋へと向かった。
 部屋の中央に椅子が一つ。最初に目に入ったのはそれだった。

「おう。悪いな、忙しいところ」

 土方が壁際で写真家の田本と立っている。

「そうだなあ、雪村君は椅子に座って、君が脇に立つのがいいかな」
「はい……?」
「なんです、田本さん。写真でも撮るんですか?」
「そうだよ」
「は? なんで?」

 西洋の技術として伝わってきた写真は、京にいた頃から目にしたことはあった。まだ然程民衆には広まってはおらず、魂が抜かれるだの、妖怪が出てくるだのと噂が立ったものだが、それがただの精巧な写し絵であると理解している。

、おまえ家族と別れて来たって言ったろ」
「言いましたけど」
「写真の一枚くらい、家族に見せてやれってんだよ。ちゃんとやってるぞ、ってな」

 土方が笑う。はその真意を読み取るように、土方をじっと見た。

「土方さんも撮ったんですか?」

 が問うと、土方は頷く。既に彼の撮影は終わったのだという。は少し考えて、「わかりました」と頷いた。

「あの、土方さん、私は……?」
「おれがいるのに、千鶴がいないのはおかしいだろー!」
「ええ?」

 が千鶴の腕を引いて、中央の椅子へと向かう。

「いいからいいから! よっしゃ、田本さん、かっこよく撮ってくれよな!」
「見たままにしか撮れないから安心しろ」
「どういう意味ですか!」
「はい、動かないでよー」

 土方に文句を言うが、田本に遮られた。千鶴が椅子に座り、はその隣に立つ。まるで、いつもそうであったかのように、二人は共に写真に写る。
 田本は写真を二枚用意してくれた。一枚はが、もう一枚は千鶴が持つことになった。千鶴が少しだけ寂しそうな顔をしたのを、は見なかったことにした。

「土方さん」

 千鶴が先に仕事に戻り、その場に残ったは土方の方を振り返る。

「ありがとうございました。写真の提案してくれて」

 土方が意外そうな顔をした。

「なんだ、余計なお世話だとでも思っているかと思ったが」
「まあ、それは思ってますけど」

 は写真を見て、ふっと笑みを浮かべる。

「……千鶴との思い出がこうして残るから」

 が雪村千鶴と共にいた事実がここに残る。それは、素直に嬉しい。家族に送るつもりはなかった。これは、自分が大事に持っている。最後の時まで、千鶴は一緒に戦ってくれているのだと、そう感じることができるから。

「俺は実家に刀と一緒にこの写真を届けてもらうことにしている」

 土方が言った。その刀は、土方がずっと大事に使ってきた刀だった。名前は知らないが、よく見る刀だとも認識している。

「おまえの家族に一緒に届けさせてもいいんだぞ」

 は首を振った。

「おれはいいです」
「家族に何も伝えなくていいのか?」
「おれは土方さんと違ってちゃんとお別れして来ましたから」

 そう言って、はまた写真に目を戻す。

「それに……おれには、千鶴がいます」

 必ず生き残って江戸に帰るだろうと、信じている親友がいる。彼女が彼女の戦いを終えて帰るなら、きっと実家にも顔を出してくれるだろう。その報告に恥じない戦いをしようと思う。

「ねえ、土方さん」

 が土方を真っ直ぐに見つめる。

「最後まで、おれのこと見ててくれますか」

 最後の一太刀まで、思いを背負って戦うと決めた。皆の来ることのできなかった場所で戦うと決めた。この戦いが終わるまで、自分は戦い続けるのだろう。どんな最後を迎えるのかは、正直わかっている。生き長らえることはないだろう。自分の命は、次の春で終わる。だから、看取ってほしい。自分を新選組に迎え入れてくれて、自分をずっと見ていてくれて、最後の戦いで傍に置いてくれたこの人に。

「ったく」

 土方が苦笑する。生き残れと何度も言っているのに、はその言葉を一度だって聞き入れない。だって、浅葱の死に装束を来たのだ。それが似合うと、そう言われたのだ。行くつく先は、あの時既に決まっていた。

「見ててやるから、気合入れて生きやがれ」

 命は捨てるな、と。

「はい」

 は笑う。最後は土方が看取ってくれる。江戸には千鶴が戻るだろう。後のことは、もう、何も考えなくてよさそうだった。