蝦夷地の寒い冬がやってきた。雪に覆われたこの土地に、春まで新政府軍も本格的に仕掛けてくることはないだろう。
そんな中で「選挙」が行われることとなった。皆の投票によって人事が決まる、西洋のやり方らしい。それに合わせて、千鶴の筒袖が用意された。千鶴の部屋で着替えるのを手伝い、二人は会場へと向かう。
「ほーら、見ろ野郎ども!」
「おかしくないかな……?」
千鶴には隊士たちとは意匠の違う筒袖が用意されていた。この数日で服飾を得意とする部隊が作り上げたものだ。男物ではあるが、たちが来ている兵士のものよりは少し可愛らしい。
「へえ、似合ってるじゃないですか」
「はい、とてもよくお似合いです」
こうして四人で投票の結果と役付けが発表されるところを聞いた。土方が「陸軍奉行並」、相馬が「五稜郭詰陸軍奉行添役」、野村とが「陸軍奉行添役」に決まった。
「土方副長――いえ、陸軍奉行並、これはどういうことなんでしょうか?」
相馬が土方の元に駆け寄った。
「なんだ、雪村が小姓役じゃ不満か?」
土方はこの結果がわかっていた、というよりは土方の計らいのようだった。
「不満というわけではありませんが、雪村先輩が俺の下だなんて……」
「順当な抜擢だよ。相馬君、すごく頑張ってるもの」
「そうでしょうか……」
相馬が眉を寄せる。千鶴を先輩と呼び続けて来たのに、今更上下関係が変わることに戸惑いがあるようだ。
「そうそう! 今までの働きが認められたってことなんだから、素直に喜んどこうぜ!」
野村が相馬の肩を叩く。
「って、なーに暗い顔してんだよ陸軍奉行添役!」
は複雑そうな顔をしていた。
「いや……おれ女だし、ずっと見習い隊士だったから、ちゃんとした役職就くのかってびっくりして……」
女であることは今もほとんどの隊士には隠している。それに、どんなに強くなっても自分は見習い隊士だった。
「それだけおまえの働きが認められたってことだ」
土方がの背を叩く。
「選挙ってやつは公平だ。見てるやつはちゃんとおまえのことを見て票を入れたんだ。びしっとしろ」
「はい……」
の表情は変わらなかった。
「おれ、やっぱり新選組の平隊士とかがいいなあ……」
「なんだよさん! 喜んどけって! なあ、相馬!」
「ええ、そうです。さんの実力は、皆がわかっていることですから」
評価してもらえるのは素直に嬉しい。だが、立派な肩書がつくことに違和感があるのも確かだった。新選組の隊士になったはずなのに、すぐに名前が変わってしまったのも残念だ。
「つうか、おまえらはしゃぎ過ぎだぞ。浮かれて騒ぐのは、部屋に戻ってからにしろ」
呆れた声で土方が言う。
「今日ぐらいはいいじゃないか。折角のおめでたい日なんだから」
大鳥が言った。大鳥は「陸軍奉行」に決まった。
「そうだな。折角だから、西洋の酒の一本でも開けて祝杯といくか!」
蝦夷共和国「総裁」の榎本武揚だった。と千鶴もすでに握手を交わしている。
「俺は遠慮しとくぜ。西洋の酒はどうも口に合わねえからな」
「西洋のお酒だけですか?」
そう言って話に加わってきたのは伊庭だった。
「八兄!」
遊撃隊は確かに同じ黒船に乗ってはいたが、伊庭や本山はいなかった。遊撃隊の人間に聞くと、後から合流するはずとのことで、詳しいことはわからずじまいだったのだ。
「おい、八郎……どういう意味だ、そりゃ?」
「いえ、他意はありませんけど」
伊庭は肩を竦めた。
「久しぶりですね、千鶴ちゃんにちゃん。元気そうで、ほっとしました」
「伊庭さんこそ……」
そう言って、千鶴は表情を曇らせた。
「……八兄、左腕どうしたんだ?」
左の袖の先がなかった。
「ああ、これですか。小田原藩との戦いで少々」
「少々じゃねえだろ! 手首から先すっぱりないじゃねえか!」
が詰め寄る。片腕で刀が持てないことは、山南の件があったからわかっていた。それでも伊庭は、戦いから退かずに蝦夷地にまでやってきたのだ。
「片腕でも戦えます。刀は持てなくても、戦い方は様々ですから」
「雪村さんやさんみたいな人が小田原にいたら、置いてくる説得もできたかもしれないんだけどなあ……」
「何か言いましたか、本山?」
呆れ顔で言う本山に、伊庭はにこりと笑ってみせた。本山は肩を竦めて見せる。伊庭は「歩兵頭並遊撃隊隊長」に就任していた。きっと、伊庭もここを最期の地として決めている。
「それより、ちゃん。君は、千鶴ちゃんのように小姓ではなく陸軍奉行添役に就いていましたが……」
「またその話か。いい加減諦めろよ」
は頭を掻く。
「八兄が片腕でも戦いたくてここに来たように、おれも女だけど戦いたくてここに来たんだ」
「……そうですか」
「えっ!?」
驚いた声がしてと伊庭が目を向ける。本山が目を丸くしていた。
「さん、君、女の子……!?」
そういえば知らないのだった。伊庭のせいで話題にせざるを得なかったので、は溜め息をつく。
「本山さん、絶対に誰にも言うなよ」
「言いませんよ。ねえ、本山?」
本山が眉を寄せた。
「さん、それ土方さんたちは知ってるのか……?」
「うん。新選組幹部の大半は知ってたし、大鳥さんと榎本さんも知ってる」
「はあ……なるほど、公認なんだ。じゃあ、言えることは何もないや……」
急に賑やかな音が鳴り始めて、たちは驚いて目を向けた。榎本が連れて来た西洋式の楽団が楽しそうに楽器を奏でている。
「見世物?」
「あれが西洋の音楽だそうですよ」
伊庭の言葉に、はふうんとだけ言った。榎本はこのまま晩餐会でもするつもりなのだろう。選挙も終わり、蝦夷共和国の始まりの日と言っていい。めでたい日だ。
伊庭と本山に別れを告げて、は広間を歩き回る。皆、笑顔だ。これから新政府軍との戦いが待っているのに、今この瞬間だけは誰もがそのことを忘れていた。大きな笑い声が聞こえて目を向ける。知らない兵士たちが笑っている。……少しだけ、寂しくなった。こんなに楽しいのに、誰もいない。近藤も、山南も、永倉も原田も藤堂も斎藤も、そして沖田も。自分を可愛がってくれた幹部たちは誰もいない。すべて納得してきた別れなのに、寂しさは消えなくて。この賑やかな中に彼らの声を探してしまう。壁に背をつけて、は会場を見渡した。声が足りない。俯いて、足元を見る。足を止めてしまった。ここまで、真っ直ぐ前だけを見て走り続けて来た。足を止めて、耳を傾けて、周囲にいたはずの人がいないことに改めて気が付く。寂しい。皆が楽しそうな声をあげるほど、寂しさがこみ上げる。
「ちゃん」
呼ばれて顔を上げる。千鶴が不安そうな顔での方に近付いてきた。
「大丈夫? 具合でも悪いの?」
千鶴だけは、ずっとここにいてくれた。自分の隣にいてくれた。たくさんの別れも共に経験してきた。それでも、彼女はその足でしっかりここに立っている。
「……なんでもないよ」
強いな、と思った。自分はきっと、雪村千鶴という人物について勘違いをしていた。もっと弱いと思っていた。だから、自分が守らなければならないと思っていたのだ、ずっと。でも、それは思い違いだったのだと新選組に来てから思うようになった。千鶴は強い。戦えない彼女が蝦夷地にまでついて来たのが、その証だ。目を瞑って笑みを浮かべると、は顔を上げた。
「千鶴、何か食べたか? 折角だし、榎本さんに西洋の酒味見させてもらおう!」
「えっ!? 私、お酒はちょっと……!」
千鶴の手を引いて、が駆けだす。千鶴が後からついてくるが、何か言いたいことを飲み込んでいるようにも思えた。それに気が付かないことにして、は千鶴と共に笑いの中へと入っていく。