明朝。斎藤と永倉に見送られ、たち四人は会津を発つことになった。

「再会が叶ったら、副長によろしく伝えてくれ。あんたたちの無事を祈っている」
「はい。会津公や会津藩の方々によろしくお伝えください。……斎藤さんも永倉さんも、どうかご無事で」
「今まで本当にお世話になりました。……何もできなくて、すいません」

 頭を下げる相馬と野村の頭を、永倉ががっしりと掴んだ。

「しみったれた顔してんじゃねえよ。千鶴ちゃんとのこと、頼んだからな」
「はい!」

 二人はしっかりと頷いた。

「またお会いしましょう、斎藤さん、永倉さん」
「ああ、そうだな」
「またな」

 それぞれの別れの言葉を聞いて、斎藤と永倉は笑みを浮かべる。は既に昨晩話をしていたので、今更二人と話すことはなかった。

「じゃあ、二人とも元気でな」

 そんな簡単な言葉を別れの挨拶とした。二人は笑顔で頷いた。
 そうして会津を離れ、北上する。自分たちの戦いをするために、まずは土方と合流しなくては。


  ◆◆◆


 慶応四年九月。仙台でようやく土方に追いついた。仙台城に向かうと、ちょうど土方が出てくるところだった。

「仙台藩との交渉が、頓挫した……?」

 唖然とした表情で相馬が言う。土方は眉を寄せて頷いた。

「ああ。どうも、新政府軍の勢いに腰が引けちまったらしい」
「そんな……それでは、会津藩は……!」

 残してきた斎藤と永倉の顔が脳裏を過ぎる。会津と共に戦う彼らは、仙台に見捨てられてしまったということだ。

「くそっ、何なんだよ! どいつもこいつも、旗色が悪くなるとすぐに手の平返しやがって!」

 野村が地面を蹴る。

「声がでけえぞ、野村。……気持ちはわからなくもねえがな。交渉が物別れに終わっちまった以上、これ以上の長居は無駄だ。宿に戻るぞ」

 土方の後について、宿に向かう。土方が追加でと千鶴、相馬と野村の部屋を取ってくれた。そして、土方の部屋に集まった。

「先にお詫びしておきます。俺はあなたから近藤局長の助命嘆願を命じられていましたが……力及ばず、果たせませんでした」

 相馬が俯いたまま報告する。

「近藤局長は……局長はっ……!」

 野村が膝の上で拳を強く握る。

「近藤さんは、四月の末、板橋の刑場にて斬首に処されました」

 真っ直ぐに土方を見て、告げたのはだった。三人は俯いたまま顔を上げない。

「そうか……近藤さんは、腹も切らせてもらえなかったか」

 土方が視線を逸らした。それは、近藤救出のために奔走した人間の言葉にしては、あまりにも簡潔だった。実感がないのか、予想をしていたのか。悲しみはあるだろうに、自分たちがいるから泣けないのだろうなとは思った。

「……こちらの刀を、お納めください。局長からお預かりした物です」

 相馬が脇に置いた刀を両手で持って、差し出した。

「近藤さんから?」
「はい。――井上真改。新選組の再起を願って入手したものです」
「……」

 土方はしばしその刀を見て、また視線を逸らした。

「……そいつは、おまえがもうしばらく預かっててくれ」
「え? ですが……」

 困惑する相馬を見て、土方が苦笑する。

「新選組は俺と近藤さんの二人で大きくしてきたものだからな。真を改めるなんて言われても……すぐには心の整理がつけられそうにねえんだ」

 それはそうだろうとも思った。近藤の死を知らされて、すぐに真を改めろと言われてもそれはきっと難しい。流山から市川に行く途中で土方の心情を聞いているは、余計にそう思った。

「……わかりました」

 相馬はそう言って、刀をまた脇に置いて。

「それから、他にも言わなきゃならないことがあるんです。俺たち、江戸で原田さんに会ったんですけど……」
「原田に?」

 野村の言葉に、土方が驚く。

「はい。彰義隊の手助けをしていたと伺ったのですが、その後、我々を江戸から逃がすために、囮となって……」

 相馬が言葉を続けた。

「その後、沖田さんも来て、一緒に白河のあたりまで……」
「総司だと? あいつ、千駄ケ谷で療養してるんじゃなかったのか」

 相馬と野村は言いにくそうに顔を見合わせた。

「沖田さん、ぼろぼろの体で……とても戦える体ではなく……その……」
「南雲薫と刺し違えて……」
「おまえら、物事は正確に報告しろ」

 が溜め息をついて言った。

さん、でも……」

 野村が渋る。は土方を真っ直ぐに見た。

「総司さんは、おれが殺しました」
ちゃん!」

 千鶴が声をあげる。土方が眉を寄せた。

「……おまえこそ、物事は正確に報告しろよ。他にも言うことがあるんじゃねえのか?」

 目を逸らす。

「……南雲薫と一緒に刺し殺しました。総司さんが、体を張って鬼になったあいつを止めてくれたので」

 情報が少し追加されただけで、結局自分が殺したことに変わりはない。土方は、そうか、と呟いた。

「戦って死ねたんだ、本望だったろうよ。ありがとうな、

 藤堂も言っていた。戦って死ねたのならよかったと。まさか同じく感謝の言葉を言われるとは思わず、は目を丸くする。そして、居た堪れなくなって視線を逸らした。

「……いえ。土方さんによろしく、って言ってました」

 ぼそぼそとは呟いた。

「平助君と山南さんは、二本松城で羅刹の寿命が来てしまって……父を止めるため、手を貸してくれました」
「……」
「こんな報告ばかりで、すみません……」

 四人は皆、土方と目が合わせられないでいた。そんな様子を見て、土方は笑みを浮かべた。

「いや、おまえたちが無事だっただけで吉報だ。ご苦労だったな」

 同時に顔を上げる。土方の優しい労いの言葉に、少しだけ救われた気がした。そして、土方は表情を引き締める。

「俺たちは、これから蝦夷地を目指すつもりだ」
「蝦夷地!?」

 仙台から更に北上した海の向こうだ。仙台城では土方だけではなく、他にも同志が一緒に仙台藩との交渉に臨んでいたという。そこで交渉が決裂し、北へ移行という話になったようだ。

「蝦夷で負けちまったら、後はねえ。おまえらがこれ以上、俺たちに付き合う必要は――」
「ついて行くに決まってるじゃないですか!」
「ついて行くに決まってますって!」

 相馬と野村が同時に叫んだ。

「おまえら……」
「水臭いっすよ、土方副長! 俺たちが何のためにここまで来たと思ってるんですか!」
「我々は命などとうに捨てています。新選組隊士ですから」

 驚愕する土方に、野村と相馬が笑みを浮かべた。土方が苦笑する。

「ったく、おまえらは……今、戦いから降りちまえば、静かに生きていくこともできるのによ」

 そんな生き方は望んでいないと、二人は真剣な表情で土方を見つめる。土方は短く息を吐いた。

「雪村、おまえはどうするんだ?」

 千鶴は戦えない。これ以上、戦いについてこなくてもよいと。だが、千鶴は頭を下げた。

「……私も、共に行かせてください。みんなと一緒に、見つけたいものがあるんです。お願いします」
「土方副長、俺からもお願いします!」
「お、俺からも! ここで先輩だけ江戸にとんぼ返りなんて、あんまりだろ!」
「誰も置いて行くとは言ってねえだろ」

 土方が溜め息をついた。

「それにしても、おまえは向こう見ずっつうか、命知らずっつうか……」
「……たぶん、皆さん方の影響だと思います」

 顔を上げて、千鶴は微笑む。土方は最後にを見た。

「おまえは言わなくても来るんだろ?」
「わかってるじゃないですか」

 が笑う。

「言ったでしょ。おれは、新選組の行く末が見たい。それが、おれのやりたいことだから」
「上等だ」

 そう言って、皆が笑顔になったところでその場は解散となった。会津から仙台への道中は、今まで以上に休みなしでの移動だった。疲れた体を部屋で休める。
 が数刻仮眠を取ると、まだ眠っている千鶴を置いて部屋を出た。再び土方の部屋へと戻って来る。

「土方さん、ちょっと話があるんですけどいいですか?」

 入れ、と言われては部屋の襖を開ける。土方は笑っていた。

「おまえがこうして俺の部屋を訪ねてくる時は、何か考えてる時だな。今日は何だ?」

 は部屋の中に入って正座すると、真っ直ぐに土方を見た。

「おれ、新選組に入隊してもいいですか?」

 それは、近藤からの誘いに対する答えだった。近藤と別れる時はまだ考えていた。それでも、その後もたくさんの戦いがあって。たくさんの別れがあって、考えた。

「おれは、新選組の隊士のになりたい」

 そう思ったのだ。

「おれは、『新選組』として戦いたい」

 新選組のために戦うという気持ちは今も薄いけれど。同じ志を持っているから。同じ志を託されてきたから。それに応えるには、今のままでは駄目だった。本当の新選組の隊士にならなければならなかった。そうでなければ、心から託された思いに応えることは出来ないと思った。何より、自分はただの見習いから『一番組の隊士』と認められたのだから。

「ひとつ問う」

 土方が言った。

「おまえは武士になりてえわけじゃねえはずだ。じゃあ、おまえの『誠』は何だ」

 は真っ直ぐに見つめ返す。

「諦めない」

 が答える。

「諦めずに、最後まで戦うこと」

 死ぬ覚悟もある。殺す覚悟もある。命を捨てない覚悟もある。信じる志もある。――だから、あとは戦うだけだった。

「そうか」

 土方は立ち上がっての前まで歩いて来ると、膝をついた。そうして手を伸ばし、の頭に手を乗せた。

「おまえの入隊を許可する。たくさんの託されたものを背負って……最後まで、諦めずに戦ってみろ」
「はい!」

 土方はの頭から手を離すと、また立ち上がった。

「おまえに渡すものがある」

 部屋の隅の刀掛けに向かうのを見て、も立ち上がった。

「なんですか?」

 土方は刀掛けから一振りの刀を手にとった。土方の大小ではない。それをに差し出す。

「この刀をおまえにやる」

 真新しい刀だった。それしかわからない。ひとまず両手で受け取った。

「おれ、刀には詳しくないんですよ……なんて刀ですか?」
「大和守秀国」

 土方が腕を組む。

「会津藩お抱えの刀工の刀でな。おまえ用に打ってもらったのを、会津でようやく受け取った」

 土方は笑う。

「おまえの刀、身の丈に合ってねえなって近藤さんとずっと話してたんだ。それで、京にいた頃に頼んでたもんでな。この刀は若干軽く作られてるし、実戦向きだ。おまえにはちょうどいいはずだ」
「そんなちょうどいい刀がちょうどよく打てるものなんですか?」
「前に俺がおまえの丈を測ったの覚えてねえか?」
「え……あっ!? あの時!?」

 西本願寺にいた頃、風間たち鬼が攻めて来た後の話だ。土方に「ちょっとそこに立て」と突然言われて、腕やら足やら背丈やら、あちこち測られた。新しい隊服だろうかと思ったが特にそんなこともなく、すっかり忘れていた。新しい刀をに合わせて打つための測定だったのだと、今になって気が付く。

「そんな……おれはその頃、まだこんなに戦いについて来る気なんてなかったのに」

 確かに自分の刀は親が伝手で買って来たもので、に合わせて打たれたものではない。使いにくいと今では思うことはないが、やや長いし重いとは思っていた。

「ていうか、お金……」
「馬鹿野郎。やる、っつってんだから素直に貰っとけ」
「でも……」
「なんだ、それとも俺と揃いの刀じゃ不満か?」

 はきょとんとする。

「揃いの?」
「俺が昔気に入って使ってた刀だ。今はもう持ってねえが……近藤さんも隊士に何本か作ってやってた」

 そう言って土方は満足気に笑う。

「これで、名実共に新選組の隊士だな」
「……」

 は刀を見つめる。これは、自分のために打たれた刀。近藤と土方からの贈り物だ。

「使わせてもらいます。ありがとうございます」

 は深々と頭を下げた。
 そのまま外に出た。腰に差す刀を変えてみる。古い刀を足元に置いて、新しい刀を抜く。

「軽っ!」

 すらりと現れた刀身は、今までの刀よりずっと抜きやすい。の腕の長さに合っているのだろう。そして、何より軽い。周囲い人がいないのを確認し、何度か素振りをする。

さん? 稽古ですか?」

 相馬が宿から出て来た。が新しい刀を月明かりに照らした。

「新しい刀。土方さんに貰ったんだ」
「土方副長から?」
「おれのために打ってくれるよう頼んだやつだって」

 相馬が興味を持って近付いてきた。

「おまえ、刃文がどうこうとかそういうのはわかる?」
「ええ、まあ。一通りは」
「おれ、そういうの全然わかんなくてさ」

 が刀を相馬に渡した。相馬が大事に受け取って、月明かりに照らしながら刀を確認する。

「……素晴らしい刀ですね」
「そうなのか?」
「ええ。刃文は互の目と小互の目。柾目肌の地鉄に沸も強く厚い。これは金筋じでしょうか……砂流しが幾重にもかかっていて――」
「待て待て、どこを見たらそんなことわかるんだ?」

 相馬の手元に顔を近づけて、は眉間に皺を寄せた。

「刃文はわかりますか?」
「刃のあたりのなみなみしてるやつだろ」
「なみ……ま、まあそれです。真っ直ぐなのが直刃、なみなみしているのは乱れ刃と大きく分類されて、乱れ刃の代表というと、のたれ、丁子、互の目などになります」
「これはそのうちの互の目ってやつってことか……なみなみにもいろいろあるんだな」

 ふうん、とは声を漏らす。

「じゃあ、じがね? とか、にえ? ってのは?」
「刀身は異なった鉄を合わせて鍛えて形作られます。その折り返し鍛錬によってできた文様を『鍛え肌』と呼ぶんです。このあたりですね。柾目というのは、木材の柾目のように見えるということです」

 棟側の辺りの鉄を指さして相馬は言った。木材のようだと言われればそのように見えなくもないとは思う。

「沸というのは、焼き入れによってできる刃文の要素の一つです。白い砂粒みたいなものが見えませんか?」
「……見える気がする」

 が目を凝らして刀を見る。

「これは誰の作刀ですか?」
「大和守秀国だって」

 相馬が頷いた。

「会津のお抱え刀工ですね。京にいた頃、局長が何度か会津に掛け合って注文打ちをしてもらっていました。でも、あの時出来上がった刀を見たことがありますが、ここまで美しい刀ではなかった」

 相馬が言うには、過去に見た大和守秀国の刀は直刃が多かったという。実戦刀は直刃が良いと言われているらしく、新選組が使うならと秀国はきっとそれを考えて打ったのだろう。だが、の刀はそれらとは少し違っていた。

「きっと、局長と副長が、さんに贈るために特別に注文したものなのでしょう。ただ斬るだけじゃない、刀としての美しさも兼ね揃えたものを」

 まだ新選組に入るつもりもなかった。ここまで戦いについて来るつもりもなかった。刀のことなんて興味がなかった。ただ斬る道具だとしか思ったことがなかった。だが、そんなに二人は素晴らしい刀を贈ろうと考えてくれた。それが、ただただ嬉しい。

「そっか。おまえ、ただの戦う道具じゃないんだな」

 相馬から刀を受け取って、は自身でまた月明かりに照らしてみる。波打つ刃文がきらきらと光る。

「……よろしくな、相棒」

 人と刀は巡り合わせ。何年も前に沖田が言っていた言葉が、ようやく理解できた気がした。

「よし、相馬! 手合わせだ!」
「えっ!? 新品の刀ですよ!?」
「馬鹿野郎、新品の刀で相手してやるんだから光栄に思え!」