慶応四年八月。会津で新選組の皆との再会を果たした。だが、そこに土方はいなかった。出迎えてくれたのは斎藤だ。
「土方副長は、仙台へ発った後でしたか……」
「そうだ。一足違いだったな」
斎藤が頷く。
「会津では厳しい戦いが続いていると聞いていますけど……斎藤さんは、なぜここに?」
「副長たちは、会津と共闘してくださるよう仙台藩を説得に向かっている。その間、時間を稼がねばならぬと思ってな。何より、大恩ある会津公を見捨てることなどできるはずがない」
斎藤らしい回答に、思わず笑みが零れる。義のためなら命を捨てることも躊躇わないと、以前は聞いている。
「なんだなんだ、懐かしい顔がいるじゃねえか!」
急に元気な声が近付いて来て、たちは目を丸くした。
「永倉さん! どうしてここに!?」
江戸で別れた永倉がそこにいた。斎藤の隣に並んで、笑みを浮かべる。
「言っただろ、俺たちも薩長の連中と戦うって。靖兵隊ってのを組んで戦ってたんだが、途中からなんだかんだ土方さんたちと合流することになってな」
「そうだったんですか。ご無事でよかったです」
千鶴が笑みを浮かべた。
「ところで、あんたたちは局長の供をしていたと聞いているが……」
斎藤が言った。四人の顔が曇った。
「……申し訳ありません。力及ばず、局長をお守りすることができませんでした」
相馬と野村が頭を下げる。
「じゃあ、近藤さんは……」
がずっと持っていた瓦版を永倉に手渡した。永倉はそれに目を通すと、顔をくしゃりと歪めた。
「そうか……」
それだけ言って、黙り込んでしまった。斎藤も目を伏せる。
「その話は、副長に一刻も早くお伝えせねばなるまい。あんたたちは明朝、ここを発て。明日には新政府軍との戦が始まる」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 俺たちも戦いますって! 会津の殿様に恩があるのは、俺たちだって同じだし――」
斎藤の言葉に野村が叫ぶ。
「あんたの気概は、会津公の御為に命を捨てるほどのものか?」
「当たり前じゃないっすか! 俺たちは新選組隊士なんですから!」
斎藤はその答えを聞き、首を振った。
「ここは、会津を死地と定めた者が戦う場所だ」
斎藤はそうと決めているということだ。会津のため、義のため、命を捨てる覚悟でここにいる。
「新選組は……誠の旗は武士の道標。その旗を背負うのはまだ早い。己の道標を見つける為、副長の元へ行け」
「……己の道標」
相馬と野村が肩を落とす。
「まあ、俺もこの後米沢に行くことになってるんだ。今夜だけ、皆で懐かしい話でもしようぜ。……近藤さんの話もしてえしな」
永倉が元気を取り戻したように言った。
二人に案内され、陣の中の宿舎で休息を取る。久しぶりに追手を気にせず休めることになった。休む前にいろんな話をした。近藤が相馬に刀を託したこと、原田と沖田に会ったこと、藤堂や山南と共に綱道と対峙したこと。斎藤と永倉は四人の話を黙って聞いてくれた。
それから四人は宿舎を自由に使っていいと言われ、千鶴が作ってくれた食事を取って眠りについた。
夜になって、は目を覚ました。三人が眠っているのを見てから、音を立てないようにして宿舎を出る。陣の外に出てしばらく歩き、木に背を預けて座り込んだ。東北の夏は涼しく、夜になれば少し肌寒いくらいだった。虫が鳴くのを聞いて、目を閉じる。
ガサリ、と音がしては閉じた目を開ける。
「一人か。これは好都合だぜ」
三木だった。洋装を身にまとっている。
「何の用? 会津藩の陣の近くだけど、ここ」
立ち上がりながらが問う。ハッ、と三木が笑う。
「何の用か、だと?」
三木が手を上げる。森の中から数人の新政府軍の兵が現れた。新式の銃を持っている。
「オレはおまえらがしたことを忘れねえ。兄貴を殺したこと、仲間を殺したこと……おまえらの首を土方の前に叩きつけてやる。動くなよ、蜂の巣にされたくなかったらな」
は気だるげに刀を抜く。銃声が鳴り、銃弾が頬を掠ったがは気にしなかった。一つ呼吸をして、地面を蹴った。一瞬で間合いを詰め、三木の隣にいた兵士を斬る。
「……あ?」
驚く三木の声を耳にしながら、は銃兵を全員切り捨てた。いつものように吐き出しそうになった血を全部飲みこんで、折れそうな膝も堪えて、三木の眼前に切っ先を突き付ける。三木は動けない。一瞬で起きた出来事にまだ頭が追いつかない。
「……これが、新選組の隠していた秘密か……、随分と大事にされていると思っていたが、こんな化け物を飼ってたってのか」
化け物。そうだ、自分は化け物だ。幼い頃に死にかけたところを、鬼の血で一命を取り留めた結果、半端な力を手に入れた化け物だ。だが、そんな今更な言葉はへの罵倒にはなりえない。の刀は揺るがない。
「いいぜ、殺せよ化け物。兄貴を殺したみたいにな! 化け物にとって、人間を殺すことなんて虫けらを殺すようなもんなんだろ!?」
ふっとは笑みを浮かべる。そして刀を下ろした。鞘に戻す。
「……ふざけてんのか? なんで斬らねえんだ」
三木が嫌悪感を滲ませて問う。
「相手しようと思ったけどやめた。おれに構って欲しかったら、命懸けでかかって来いよ。今の命捨ててるだけのおまえに構うだけ、時間の無駄だ」
そう言って背を向けようとした時、手が伸びてきては胸倉を掴まれた。
「オレの命なんざどうでもいい! 兄貴を殺したおまえを殺す! 命令を出した土方を殺す! 止めなかった幹部どもを殺す! オレの命はそのためにある! それでもおまえは、オレと戦う気はねえっていうのか!?」
「ああ、ないね」
はそう吐き捨てる。
「ふざけるな!」
拳で頬を殴られる。口の中が切れた味がした。
「兄貴が何をした!? てめえらと掲げるもんが違っただけで、なんで殺されなきゃならなかったんだ!? ああ!?」
がふっと笑った。
「兄貴、兄貴。兄貴兄貴兄貴兄貴ってか……」
右拳を固く握る。
「甘えてんじゃねえ!」
握った拳を三木の頬に叩きつける。三木がよろめいた。
「おまえは兄貴がいなきゃ生きられねえのかよ、ああ!? 兄貴はおまえに何も残さなかったのか!? 随分と寂しい兄弟だな!」
三木がギリと奥歯を噛む。
「おまえが……おまえがオレたち兄弟を語るんじゃねえ!」
三木が刀を抜いた。振り下ろされる刀を、は易々と避ける。何度斬りかかっても、には掠りもしない。
「おまえらが殺したんだ! オレの兄貴を! 騙して! 殺したんだ! おまえらが!」
三木の手元をが力いっぱい蹴りつけた。刀が飛ぶ。脇差を抜いた三木の腕もまた蹴り飛ばす。脇差も飛んで行った。
「くそがあ!」
三木が拳を握った。の頬に打ち込まれる。が一歩後退して、拳を握って踏み込んだ。三木の頬を殴る。鈍い音が響き、殴り合いが続いた。殴り、殴られ、蹴って、蹴られて。三木が体勢を崩したところで、が三木にとびかかった。押し倒して馬乗りになる。
「何も残さなかったのかよ。伊東さんは、あんたに、何も」
繰り返す。息を切らしながら、二人は見つめ合った。
「おれの師匠は、たくさんのことを残してくれた。剣術も、覚悟も、全部教えてくれたのはあの人だった。新選組のみんなだった」
は片手で胸元を握った。
「おれの中で、総司さんも隊士のみんなも生きてる! おまえの中に兄貴や仲間はいねえのか!」
三木は押し倒されたまま顔を歪めた。
「綺麗ごとばかり言いやがって。死んだら終わりだ! 何が残るってんだ!?」
「残るだろうが!」
三木に負けない程の大声でが怒鳴った。
「志が! 意志が! 残るんだよ! 生きてるやつらがそれを繋いでいくんだよ!」
涙が出そうなのを堪えた。脳裏を死んでいった皆の顔が過ぎる。両手で三木の胸倉を掴み、顔を近づけた。
「死んだ人たちがこの世に生きていた証が、おれやおまえなんだ! わかるか!? 伊東さんが生きた証がおまえなんだよ!」
「オレが、兄貴が生きた証……だと?」
怪訝そうな声で三木が呟く。
「そうだ。いろんなこと教わったんだろ? 剣術も、おれにはよくわかんねえ小難しいことも、全部伊東さんから教わったんじゃないのか? だからおまえはいつだっておれたちを見下してた。違うのか?」
三木は答えない。胸倉を掴んでいた腕を緩める。
「大切な人が死んだのは悲しいよ。おれにもわかる。でも、そこで足を止めるなら、おれの敵じゃない。おれのこと本気で殺したいなら、生きる覚悟を持ってからまた来い」
「生きる、覚悟?」
「いろんなものを背負って、諦めずに生きる覚悟。死ぬ覚悟じゃない。生きるのだって、覚悟が必要なんだ」
そう言って、は立ち上がった。三木から離れ、崩れた服を整える。
「沖田は死んだのか?」
三木が静かに問う。
「死んだ。おれが殺した」
「……は?」
三木が起き上がり、驚愕で目を見開いた。は目を合わせなかった。
「なんで……だって、おまえらあんなにいつも一緒にいて……」
左手を刀に添わせる。
「必要があったわけじゃない。でも、あの人が殺せと言ったから、おれは殺した。あの人を殺してでも、前に進む。あの人が生きた証を背負って、他のみんなが生きた証を背負って、おれはこの先も戦い続ける」
が三木に向き直る。
「それが、おれの覚悟だ」
風が吹いた。夏にしては冷たい風。でも、熱を持った頬を撫でてくれるような優しい風だった。
「……兄貴の思いを背負って、戦う覚悟、か」
呟いて、三木はゆっくりと立ち上がった。落ちている刀を拾って、鞘に戻す。そして深く息を吐き、真っ直ぐにを見た。
「おまえがそうなら、今のオレとやり合う気がねえっていうなら。癪だが合わせてやる。オレは、新政府軍としておまえら旧幕府軍を叩きのめす」
伊東が属するはずだった新政府軍の一員として、旧幕府軍と戦うと言う。がふっと笑った。
「ああ。それなら受けて立ってやる」
「途中で野垂れ死ぬんじゃねえぞ。おまえはオレが殺すんだからな」
そう言って三木は立ち去った。完全に足音が聞こえなくなって、は息を吐く。
「!」
が振り返る。斎藤がこちらに走って来ていた。
「先程銃声が聞こえたが、まさかあんた……」
「ああ、三木が来てたから、ちょっとな」
「三木だと?」
そして、足元で事切れている数人の新政府軍に目を向ける。
「殺したのか?」
「いや、帰った。また来るって」
真意を探るような間があった。斎藤は溜め息をつくと、に背を向けて歩き出す。
「ひとまず陣に戻れ。一人で出歩くな」
「はいはい」
切れた口元を拭いながら、斎藤の後を追う。
「!? どうしたんだその怪我!?」
陣に戻るなり、永倉に見つかった。が肩を竦めてみせる。
「三木が来ていたんだそうだ」
「三木だと!?」
「新政府軍の一員としておれらのこと殺しに来るってさ」
がそう答えると、斎藤と永倉は目を見合わせた。
「殺せなかったのか?」
斎藤が問う。は首を振った。
「殺さなかったんだ」
「……あんたも理解しているはずだ。殺せる敵を生かして帰した後にどうなるのか」
「ああ、わかってるよ」
もしかすると、仲間が三木に殺されることもあるかもしれない。その可能性を考えれば、あそこで殺しておくべきだった。それでも、は三木を殺す気にはならなかったのだ。三木をあのような復讐鬼にしたのは確かに自分たちなのに、ちゃんと覚悟を持って生きろと言った。おかしな話だ。
「なあ、手合わせしようよ」
が唐突に言った。
「なんだよ急に」
永倉が怪訝な顔をする。
「おれたち、明日の朝には仙台に向かうから。二人と会うのはきっとこれが最後だと思うんだ」
斎藤は会津に残り、永倉は米沢に向かう。そしてたちは仙台へ向かい土方と共に戦う。戦い続けることに違いはないけれど、きっともう会うことはないと思った。
「よかろう」
斎藤が言った。斎藤が先に歩き出す。と永倉が後を追った。広い場所にやってきて、斎藤が立ち止まる。は間合いを取って足を止める。
「しょうがねえな……俺が審判してやるよ」
永倉が溜め息をついて言った。が刀を抜く。斎藤は居合での勝負をするのだろう、刀は抜かない。
「そんじゃ、始め!」
息を吐き、が地面を強く蹴った。斎藤が刀を抜く。幾度となく見て来た居合抜きの刀を、鎬で受け流す。金属が擦れる音がする。切り返して斬りかかってくる斎藤の刀を、今度は刃で受け止めた。力での押し合いはしない。すぐに互いに後ろに跳び、そうして地面を蹴る。一合、二合と打ち合いは続く。五感を研ぎ澄ます。耳に痛いほどの金属音が響き、地面と靴が擦れる音でどこへ移動しようとしているのかがわかる。手元の動きで、視線で、どう刀を運ぼうとしているのかがわかる。斎藤の剣が見えるのだ。――殺せる。自分は、この新選組で組長を任されている男を、殺せる。
「そこまで!」
ぴたり、と両者の動きが止まった。
「、おまえ……」
永倉が驚いた声で呟いた。両者の剣は、喉元で止められていた。斎藤の剣はの首に、そしての剣は斎藤の首に。が力を抜くと同時に、斎藤も体勢を戻した。
「……三木を殺すことはできたんだよ」
がぽつりと呟いた。
「でも、命捨てて全部諦めてる相手を殺すのは、おれは嫌だったから」
むしろ殺すのは容易だった。相手は自分の命など捨てているのだから。三木を殺すのは、死にたがりを殺すようで、なんだか腑に落ちなかった。敵ではあるが、彼は死に場所を求めているだけだった。だから、相手をする気にならなかったのだ。自分とは、立っている場所が違うから。
「そうか」
斎藤が刀を鞘に戻した。も刀を納める。
「あんたの判断は隊のことを考えれば間違いだった。だが、その意思は尊重したいと思う」
「……ありがとう」
は苦笑した。
「強くなったな、」
永倉が近付いてきた。
「まあ、ここに来るまでたくさん戦ってきたし……」
「剣術のことだけではない」
斎藤が首を振った。は首を傾げる。
「己の誠を見つけたか」
そういうことかと思い、は頷いた。
「うん、まあ。そんな大層なもんじゃないんだけど。……最後まで諦めずに戦うって、決めたんだ」
辛くても。苦しくても。しんどくても。何があっても。最後まで諦めないと決めた。諦めずに戦うと誓った。それが、自分の中の道標だ。ただ、それだけを胸に自分は走り続ける。
「そうか」
斎藤は納得したように頷いた。
「では、あんたは尚のこと副長の元へ行った方がいい。ここがあんたの死に場所ではないだろう」
「そうだな……」
頷く。自分の死に場所はここではない。もっと先、新選組の行く末を見るという自分のやりたいことを果たすには、ここで死ぬわけにはいかなかった。
「斎藤さん、覚えてるか? おれが総司さんに難題出されて悩んでた時に、斎藤さんが言った言葉。『己の命がないと成せることも成せない。でもその一方で命を捨てることを躊躇ってもいない』」
「ああ、言ったな」
「永倉さんは覚えてる? 『おまえは最初から命を投げ出してる方だ。自分の命を軽々しく扱う人間が、他人を守れるとは思えない』って」
「ああ、言った」
その時の自分には理解ができなかった。命がないといけないのに、命を捨てることを躊躇ってはいない。自分の命なんて軽々しく扱っているつもりもなかったし、それに何の意味があるのかもわからなかった。千鶴との約束のし直しだって、どこまで果たすつもりがあったのか今となってはわからない。
「鳥羽伏見の戦いから、実際に世話になった人たちが死んでいって。死んだ人間や戦えなくなった人間の志を継げるのは生きた人間だけだって斎藤さんに言われて。いろんな人が、おれにいろんなこと託していって」
近藤が死んだ。原田が死んだ。沖田が死んだ。山南が死んだ。藤堂が死んだ。
「だから、今ならわかる気がする」
志を継いで戦うと言う意味がわかってきた。死んでいった人たちの志を引き継いで、自分はここにいる。ここで、まだ生きている。新選組の明日を見るために。
「では、。あんたは、自分の命を懸けて何を成す」
斎藤と永倉がを真っ直ぐに見据えていた。は口元に笑みを浮かべた。
「あんたらの行けない場所で戦ってやるよ」
斎藤がここを死地として残るというなら、永倉が既に新選組を離れたというなら、この先に行って戦う自分は託される側だ。彼らが戦えないところで、自分は彼らの分まで戦うと誓う。二人は目を瞠ってから、ふっと笑った。
「……そうか」
斎藤が呟く。
「本当に、見違えたな」
永倉が噛み締めるように言った。
の両肩に手が置かれるのは同時だった。
「託したぞ」
「頼んだぜ」
二人からの思いが肩に乗る。はしっかりと頷く。
「ああ。任された」
この先も、戦い続けると誓う。諦めずに、自分はこの命ある限り、皆の思いを背負って走り続ける。