白河を離れ会津を目指す道中、森の中で新政府軍に遭遇した。太陽はまだ高かったが、彼らは髪が白く、赤い狂気に染まった目でこちらに襲い掛かって来た。
「こいつらが、新型の羅刹!?」
三人が刀を抜く。
「首を落とすか心臓を突けば死ぬ! 二人でかかれ!」
「はい!」
「おう!」
の声に相馬と野村が返事をする。二人は羅刹と直接戦ったことはない。二人がかりが良いだろうとは判断した。駆け出す二人を見送り、は千鶴の傍まで下がった。
「千鶴、離れるなよ」
「うん!」
千鶴を庇いながら襲い掛かる羅刹を殺していく。千鶴に血が飛ばないように注意を払いながら戦っていると、千鶴がの服を引いた。
「ちゃん! 後ろ!」
振り返ると、羅刹が二人刀を振りかぶっていた。舌打ちして千鶴の前に出た。二人を一度に相手にできるか――そう思っていると、急に羅刹二人の首が飛んだ。は驚いて目を見開いた。
「なんだ、誰が戦ってんのかと思ったら、おまえらかよ」
倒れる羅刹の後ろに立っていたのは、見慣れた顔だった。
「平助君!」
「平助、おまえなんでこんなところにいるんだ」
「そりゃこっちの台詞! 全然追いついて来ねえから、何かあったのかってみんなで心配してたんだぜ」
そう言いながら、二人は千鶴を背にして構えた。
粗方羅刹を倒し終わり、息を吐く。立っているのは仲間たちだけ。
「う、うう……」
声がして、また構える。相馬と野村が斬ったはずの羅刹だった。
「まだ生きてたのか」
野村が刀を構え、瀕死の羅刹に近付いた。
「た、助けて、くれ……」
「待て、野村。何か言っている」
野村の肩を掴み、相馬が言った。羅刹は血を吐きながら、たちを見た。
「二本松城で、羅刹の研究が、行われている……助けてくれ……」
千鶴がはっとして羅刹に一歩近づいた。
「あの、もしかして二本松城には……雪村綱道がいるのですか? 剃髪の四十代程の男性です」
羅刹は虚ろな目を千鶴に向けた。
「ああ……そんな奴だった……俺たちに無理やり薬を飲ませて……兵士を増やすんだって……仲間も皆やられちまった……」
千鶴が口元を押さえる。がその肩を支えた。
「おまえは何者だ? 新政府軍に属しているのではないのか?」
相馬が問う。
「俺は、ただの町人だ……死にたくねえ……死にたく、ねえよ……」
そう言って羅刹は動かなくなった。さらりと指先から砂になっていく。そうして風が吹き、羅刹は跡形もなく消え去った。
「砂になった……?」
「寿命が来たんだろ。羅刹の命の源はその人の寿命らしいからな」
藤堂が言った。が目を伏せる。いつかやってくる自身の最後を見ても、藤堂はいつも通りだった。
ようやく静かになり、刀の血を拭って鞘に納めた。
「ところで、藤堂さんはどうしてこんなところに?」
野村が問いかけた。まだ日は沈んでいない。羅刹である藤堂が活動する時間帯ではないはずだ。藤堂が真剣な表情で頷いた。
「山南さん見なかったか?」
「山南さん? 見てないけど……何かあったの?」
「いなくなったんだ。羅刹隊と一緒にな」
「……なんだって?」
会津に先行していた羅刹隊は、斎藤たちが追いつくと同時に会津の本陣へと入った。苦しい戦いを続けている会津に加勢しながら戦っていたが、宇都宮で怪我をして療養していた土方が追いつき、やはり戦線に出ることを禁じられた。それからしばらく夜間の諜報活動に転じて動いていたが、数日前に急に羅刹隊が藤堂を残して消えた。山南がどこかへ隊士たちを連れて行ったのだ。土方は藤堂に山南を探すように指示を出した。
「それは、山南総長が新選組を裏切ったと……そういうことですか?」
相馬が問う。夜間の諜報活動中に綱道が二本松城にいることを知った。新選組にいては研究はおろか戦うこともできない。そうして山南は新選組を去ったのだと。藤堂は困ったように頭を掻いた。
「わかんねえ……でも、状況だけ見るとそうなってるのは事実だ」
「そんな……」
千鶴が眉を顰めた。
「じゃあ、次の行先は二本松城ってことでいいな」
が言った。視線が集まる。
「山南さんがいなければそれでよし。どのみち雪村先生は止めなきゃならないしな」
千鶴に視線を向けると、千鶴は頷いた。そして千鶴は皆を見る。
「私は、父を止めたい。どうか、手を貸してください」
頭を下げる。皆が笑う。
「綱道さんを止められてないのは新選組の落ち度でもあるし、千鶴だけが気に病むことじゃねえよ」
「止めましょう、絶対に」
顔を上げ、千鶴は微笑んだ。
「よし、じゃあこのまま城に突入して――」
「何言ってんだこのばかちん」
が今にも走り出しそうな野村の頭を小突いた。
「平助がいるんだから、日が沈むまで待つぞ。その辺の木陰で休もう」
藤堂が目を丸くした。
「いや、別に大丈夫だけど……早く行かねえとだし」
「顔真っ白にして何言ってんだ。おまえはちょっと寝ろ」
文句を言いたげな藤堂もそれ以上は何も言わなかった。二本松城の方面を目指しながら、森の中の日の当たらないところに腰を落ち着けた。藤堂を千鶴たちに任せて、は少し離れて二本松城の方面を警戒していた。
「」
辺りが本格的に薄暗くなってきた頃。声がかかって、は振り返った。
「平助、もういいのか?」
「おう、暗くなってきたしな。さっき千鶴に膝借りて寝たし」
「誰の許可得て千鶴の膝借りてんだ」
溜め息をついて、は視線を戻す。藤堂がに背を合わせるようにして座り込んだ。
「総司のこと、聞いたよ」
「……」
雪村の里を出てまだ数日も経っていない。この手が、脳が、まだ師を殺した感触を覚えている。
「総司は、本当におまえのことが大事だったんだな」
「え……?」
が少しだけ振り返る。背を合わせているから、藤堂の表情は見えない。
「オレはさ、総司が死ぬなら絶対戦場だって思ってたんだ。オレだけじゃない。みんながそう思ってた。総司だってそう信じてたはずだ。なのに、あいつは病気になって……江戸に置いて行かれて……一人で寂しく布団の上で死ぬはずだった」
藤堂がに背を預ける。重みが背を伝わる。温かくて、心臓の音がして。羅刹は人間ではないのだと、そうわかっているのに、藤堂はそこで生きているのだと実感する。
「……総司さんが土方さんを追ってたのは、たぶんおれのせいなんだよ」
がぽつりと言う。
「おれが、最後まで戦えって言った。自分の敵と、最後まで戦えって……それこそがおれの知ってる沖田総司だったから……だから――」
土方は敵じゃないけど、きっと土方を恨もうとする自身と戦うために、沖田はやってきた。血を吐いて、足を引きずって。
背の重みがなくなり、は振り返ろうとした。その前に、藤堂がの頭を掴んで振り向かせた。
「ありがとな、」
藤堂が笑って、は目を丸くした。
「総司を最後まで戦わせてくれて。敵じゃない、おまえの手で死ねて、あいつは幸せだったと思う。だから、ありがとう」
沖田を殺したことで、誰かに礼を言われることがあるとは思わなかった。だって、藤堂だって生きて再会したかったはずだ。自分より付き合いが長い沖田と、もう一度会いたかったはずだ。それなのに、沖田を含めて、誰も、を責めはしない。
「総司、最後になんて言ってた?」
藤堂がの頭を撫でながら問う。
「……強くなったね、って」
目を伏せて、が呟く。
「よく追いついて来たね、って……」
「もう立派な一番組の隊士だ、って?」
沖田の言葉を予想して藤堂が続ける。が頷いた。
「はは、総司なりの最大の褒め言葉じゃねえか。あいつは一番でなきゃ気がすまなかった。誰よりも一番でいたかった。……その一番の場所におまえが並ぶのをずっと待ってて、そして追いついたことを喜んだんだ」
知っている。沖田がそういう人物であったことを、自分は短い付き合いでもよくわかっていた。いつか並ぶのだと、追いつくのだと、そう宣言したあの日のことも覚えている。沖田は追いついて来いと言って、自分は最後の最後にその場所に追いつけたのだ。
「……辛いこと任せちまってごめんな」
そうは言っても、にとって辛い出来事であったことに変わりはない。だから藤堂はの頭を優しく撫でる。は何度も頷きながら、ただ唇を噛んだ。
太陽が沈み、辺りが暗くなった。移動を始める。二本松城の城門を視界に入れ、五人は息を潜める。見張りはいなかった。羅刹の研究が行われているにしてはやけに静かだ。
「正面から?」
藤堂がに目を向ける。
「でいいんじゃないか。入ってきてくださいって言ってるようなもんだろ」
が頷いた。よし、と藤堂が言う。
「オレとが前、千鶴を挟んで、相馬と野村は後ろな。おまえら羅刹を殺すの慣れてないだろうから、二人でかかれよ」
「はい!」
相馬と野村が頷く。城門に近付き、と藤堂が門を蹴破った。視界に入るのは光るたくさんの赤。掛け声はなかった。皆が刀を抜く。そして羅刹兵たちの中を走り始めた。綱道がどこにいるかはわからない。だが、この守りについている羅刹の兵たちの先にいるのは間違いなかった。
「きゃあ!」
悲鳴が聞こえて、が振り返る。四人の剣戟を潜り抜けた羅刹が一人、千鶴を抱えていた。
「てめえ!」
が斬りかかるが、羅刹はの頭上を越える。そして近くの階段を駆け上って行った。同時に、上階から大勢の羅刹が下りてくる。
「平助!」
「わかってるよ! くそ、邪魔だ!」
羅刹化して戦っている藤堂でも、斬り捨てて階段を上るには敵の数が勝っていた。一人一人なんとか殺し、階段を遅れて駆け上る。
「すみません、藤堂さん、さん! 雪村先輩が……!」
「くっそお、あいつら数ばっかり集めやがって!」
相馬が背後から謝罪をし、野村が悪態を吐く。
「おまえらが悪いわけじゃねえよ! それより早く千鶴を見つけねえと!」
藤堂が背後に向かって叫ぶ。が先行して羅刹を斬り捨てながら駆け抜ける。広間のような部屋を見つけ、は広い場を求めて襖を蹴破った。大きな音を立てて襖が倒れる。
「ちゃん!」
「千鶴!」
部屋の奥に千鶴がいた。怪我はしていないようだった。隣には、綱道が立っている。
「さて、後はおまえたちを始末するだけか」
綱道が言うと同時に、背後の襖が開いて羅刹兵がなだれ込んで来た。
「まだいるのかよ!」
野村が叫ぶ。
「ええ、まだいるのですよ。なにせ、新選組の羅刹も含まれていますからね」
四人の動きが止まった。羅刹の列を割って現れたのは山南だ。既に刀を抜いており、羅刹化していた。
「山南さん……どういうことか説明してくれるか。なんであんたが綱道さんと一緒にいるんだ」
藤堂が低い声で問う。
「見てわかりませんか。私は新選組を裏切り、綱道さんと羅刹の研究のために手を組んだのです」
「嘘だ! 山南総長はそのような人ではない!」
「目を覚ましてください、山南総長!」
相馬と野村が叫ぶ。山南は微笑むだけで答えない。
「、相馬に野村。羅刹たちは任せた」
藤堂が目を向けずに言う。
「大丈夫か?」
が問う。藤堂が山南に刀を向けた。
「本当に裏切ったってんなら、オレが後始末つけなきゃならねえからな!」
藤堂が畳を蹴る。高い金属音が室内に響き、同時に羅刹が襲い掛かって来た。舌打ちして、たち三人は羅刹との戦いを始める。藤堂と山南の会話に耳を傾けようとしていたが、彼らは何も話しはしていないようだった。ただ、互いの刃を合わせている。
「ぐあっ!」
バキッと音がして、藤堂が襖の向こうに吹っ飛んだ。山南が振り上げた足を下ろす。
「平助!」
視界に入った羅刹を斬り伏せて、が今度は山南に斬りかかった。振り下ろした刃は山南の刀に止められる。何度も打ちこむ。何度も止められる。頬を刀が掠って、はそれでも後退することなく前へと踏み込んだ。山南の赤い双眸が一瞬だけ見開かれる。が刀を大きく横に薙ぐと同時に、山南が大きく背後へ跳んだ。
「君」
山南が体勢を直し、眼鏡を上げた。そして微笑む。
「君は、強くなりましたね」
が目を瞠ると同時。遠くでまた襖が壊れる音がした。
「おらあ!」
千鶴の背後に控えていた羅刹の首が飛んだ。そのまま首のない羅刹は蹴り飛ばされた。
「平助君!」
消えた藤堂が、別の襖から無傷で帰って来た。藤堂と山南以外の皆が驚いていた。まさか、と思いが山南に目を向ける。
「山南君! どういうことだね!?」
綱道が叫んだ。
「共に羅刹の研究をしようと……新選組ではもう研究はできないからと、そう言ったのは君ではないか!」
「ええ、確かに言いました。あなたがこの二本松城で羅刹の研究をしていることがわかったので、私も確認したいことがありましたからね」
山南は当たり前のようにそう言った。そうだ、確かに羅刹隊は夜間に諜報活動を行っていたと藤堂が言っていた。
「裏切って、ない……?」
が唖然とした口調で呟く。山南が目を見て微笑んだ。
「敵を騙すには、まず味方からと言いますからね」
山南は笑みを消し、綱道を睨みつけた。
「私は新選組で羅刹の研究をしていた、そのことのけじめをつけなければなりませんでした。だから、羅刹の研究に未来があるのかどうかを探ろうと、綱道さんに声をかけたのです」
山南は一度目を閉じた。
「羅刹の研究に、未来はないそうです」
未来はない。寿命を使って超人的な力を得ても、日の光に強くなっても、結局あの森の中にいた羅刹のように砂になって消える運命なのだと。
「羅刹は時代の徒花だったのです。生み出されてはいけないものでした」
目を開けた山南が、もう一度綱道を睨みつけた。
「綱道さん。もう終わりにしましょう」
ギリと歯を噛み、綱道が声をあげた。
「羅刹兵!」
致命傷を負っていなかった羅刹たちが動き出す。
「皆さん、羅刹を殲滅します。ここで、すべてを終わらせます」
山南がそう言った。総長としての命令。ふっと息を吐き、が構える。
「新選組の羅刹は」
短く問う。
「すべてです」
山南からも短く返って来る。
「相馬! 野村!」
「はい! いけます!」
「俺たちだって新選組隊士だ!」
の声に、後輩たちもしっかりと返事をする。かつての仲間を殺す、その覚悟を決める。五人が動きだす。
「そんな、山南総長! どうして――ぐあっ!」
「嫌だ、死にたくな――ぎゃあ!」
敵を、仲間を、羅刹である者すべてを殺す。肉を断つ。骨を断つ。血が飛ぶ。だんだんと室内の血の臭いが濃くなってきて、正気を保っている羅刹は山南と藤堂の二人だけになった。彼らも奥歯を噛み締め、必死に理性と戦っているようだった。早く終わらせなければと、確実に羅刹を仕留めていく。
そして、その光景はやけにゆっくり見えた。千鶴の背後の羅刹が、今にも刀を振り下ろそうとしていた。
「千鶴伏せろ!」
言うと同時に、畳を強く蹴る。一瞬で距離を詰め、は押し倒すように羅刹の心臓に刃を突き立てた。
「千鶴、無事か!?」
「うん、大丈夫。ちゃん、怪我は……」
「してない、大丈夫」
死体から刃を抜くと同時、がくんと膝が折れた。胃からせりあがってきた血を吐き出す。こんな一瞬でも力を使うのは駄目なのかと思う。千鶴がの背をさすった。
「千鶴! ! 危ねえ!」
藤堂の声が飛ぶ。血に狂った新選組の羅刹が、刀を振りかぶっていた。間に合うか。が千鶴を背に隠して刀を構えようとしたときだった。間に、陰が入った。
「ぐああっ!」
血が飛ぶ。自分の血ではない。その背中は、小さい頃からよく見ていた人の背だ。
「父様……?」
千鶴の声が震える。綱道が膝から崩れ落ちる。血が舞う。倒れる綱道の脇をぬって、は目の前の羅刹の首を落とした。
「雪村先生!」
「父様! 父様、どうして……!」
綱道を抱き起して、千鶴は涙声で問いかけた。
「はは、どうしてだろうね……二人が斬られそうになるのを見たら、体が勝手に、な……」
綱道は血を吐いて、千鶴に目を向けた。
「千鶴……私はね……本当に、おまえのためを思っていたんだよ。羅刹の研究を始めたのも、日ノ本を鬼の王国にしたかったのも、すべておまえのためなんだ……」
綱道が手を伸ばす。千鶴がその手を両手で握った。そして千鶴は首を振った。
「でも、私はそんな国はいらないんです……鬼と人間は共に手を取り合って生きていくことができます。だから……私は、父様のやることに賛成はできない。共に行くことも、できません」
千鶴の言葉がどんどん小さくなっていく。涙は頬を伝い、綱道の手に落ちる。
「そうか……じゃあ、お別れだね、千鶴……」
綱道が微笑む。
「父様、一つだけ聞かせてください。……幼い頃、私の血でちゃんを助けたのはどうして?」
綱道の目がに向いた。
「娘の友人を助けるのに、何の理由がいるんだね」
「雪村先生……」
「……千鶴と、これからも、一緒に――」
そう言って、綱道は血を吐く。
「父様……!」
綱道は最後に千鶴に向かって微笑むと、そのまま息を引き取った。
室内は既に静かになっていた。羅刹の死体が重なり合い、歩くのもままならない程だった。いつの間にかすべての羅刹が死んでいた。立っている羅刹は、山南と藤堂の二人だけだ。
「それでは、私は他に羅刹が残っていないか見て回ります。藤堂君、君も」
「ああ。じゃあ、相馬に野村、二人のこと頼んだぜ」
二人はそう言って部屋を出て行く。は何か違和感を覚えたが、その違和感が何かはわからなかった。相馬と野村がやってくる。涙を流し続ける千鶴に目を戻したが、皆血にまみれていて、誰も肩を抱くことすらできなかった。
「里まで戻ってお墓を作りますか?」
「でも、会津までもう少しだし……」
そんな会話を聞きながら、部屋を見回す。血の臭いが濃い。だから、羅刹の二人は出て行ったのだろうか。ふと、落とされた羅刹の首を見る。髪色が黒かった。……部屋を出て行った二人は、どうして白髪のままだったのだろう?
「相馬、野村。千鶴のこと頼んだ」
「え?」
「山南さんと平助の様子見てくる」
死体を踏まないようにしながら部屋を出て、は廊下を走った。城門から出たところで、二人が倒れていた。
「山南さん! 平助!」
が駆け寄る。
「なんだよ、おまえ……来ちまったのか……」
「本当に間の悪い子ですね、君は……」
息を荒くして二人が苦笑する。何が起こっているのかはすぐに理解できた。羅刹としての限界が来たのだ。森の中で出会った灰になって消えた羅刹のように、二人も消えてしまう時が近い。羅刹の力は神仏からの授かりものではない。これから先、数十年かけて使い果たす寿命を前借りしているに過ぎないのだ。
「既に私の体が崩れかけていましたから……時間がない中で、羅刹の行く末を見届けないわけにはいかなかったのです」
「ったく、せめてそれを言ってからいなくなれっての」
藤堂が呆れて言う。山南が笑った。
「君、君に、頼みがあります」
山南が手を伸ばしてきたので、は両手でその手を握った。
「土方君を、よろしく頼みます」
は眉を下げて笑う。
「どうして、みんなおれに土方さんのこと任せるんですか……あの人がおれの言うことなんて聞くはずないでしょ」
「彼は意外と押しに弱いから大丈夫ですよ」
山南が冗談めかして言う。
「君ならきっと、寄り添えるはずです……志を継ぐことを知っている君ならば、きっと……」
わかっているつもりだった。志を継ぐことができるのは、生きている人間だけ。死んでいく人たちの志を背負い、戦っていくことができるのは、残された自分たちだけなのだと。
「わかりました」
は頷く。
「土方さんのことは任せてください。山南さんや平助、死んでいった隊士たち、みんなの志を背負って、おれは最後まで誠の旗の下で戦います」
「まったく……そこまで背負えとは言っていないのに……君は、本当に……」
言いかけて、山南は言葉を止めて首を振った。
「……強くなりましたね」
西本願寺にいた頃、一度だけ剣を合わせたことがある。あの時はまだまだだったが、風間たちが寺を襲った時、山南はに強くなったと言った。そして今日また、その言葉を繰り返す。
「時間のようです。先に行ってますね、藤堂君」
山南が言った。
「おう、すぐに後を追うよ」
「では、お先に」
が握っていた山南の手が崩れ落ちる。灰になって、最後に燃えて消えてしまった。
次は藤堂の番だ。藤堂もまた、灰になって消えるのだ。何も残さずに、消えてしまう。
「」
「なに」
「とりあえず膝貸してくれ」
「は?」
倒れていた藤堂がなんとか起き上がり、座り込んでいるの膝に勝手に頭を乗せる。そして大きく息を吐いた。
「灰になるの、怖くねえって言ったら、嘘になるんだけどさ」
と目を合わせて言う。
「でも、それよりも満足感の方があって」
「満足感?」
「そう。オレはとっくに死んでたはずなのに、なんでかこうして生きてて……みんなと戦って、おまえに看取られるの。悪くねえかもなって」
が眉を寄せる。藤堂が羅刹になったのは自分のせい。ずっとずっと、人間ではない存在にしてしまったことを悔いていた。
「なあ、」
手が伸びてきて、の頬に指先が触れた。
「さっきオレの分まで戦ってくれるって言ったけど。無茶だけはすんなよ。おまえは、一人で戦ってるわけじゃねえんだからな」
でも、と藤堂は言う。
「……できれば、新選組の行く先を、オレの代わりに見てくれ」
は眉を下げ、頬に添えられている手に自分の手を添えた。
「ああ。わかってるよ。新選組の行く先を見たいのは、おれも同じだから」
藤堂の指先が崩れる。でも、別れの言葉はどうしても言いたくなくて。だって、彼らの志は、思いは、これからも自分が背負っていくから。
「平助」
だから、ずっと言えなかったこの言葉を言うことにした。
「……あの時、おれのこと助けてくれて、ありがとう」
謝罪ならたくさんした。それでも、感謝の言葉を述べることはできていなかった。今更と思われるだろうか。こんな死の間際にと思われるだろうか。それでも、藤堂は笑った。
「おう。どういたしまして!」
すっきりとした笑みでそう言った。そうして、藤堂の体は崩れていった。灰になって、の膝元で燃えて消えてしまった。
風が流れる。静かだった。誰もいない。羅刹は、この世から姿を消した。