木陰に隠れて様子を窺う。見張りはもちろんいる。助命嘆願の手紙はあれど、まずは近藤たちの無事を確認しなければならない。どこに捕らわれているかもわからない屋敷の中、どう探すべきか。ふと、窓が半分開いている部屋があるのを見つけた。そこしかないと思い、二人は窓際に近付くと、相馬を踏み台にしてがまず部屋の中を確認し、誰もいないことを確認してそのまま侵入した。中から手を伸ばして、相馬を引っ張りあげる。引き戸を開ける。誰かに部屋の場所を聞かねばならないと、二人は廊下に出た。
「む! 何だ貴様らは! 一体どこから入り込んだ!」
早速見つかった。が強く床を蹴り、刀を抜いた。一瞬で間合いを詰め、切っ先を突き付けた。両者の動きが止まる。
「流山の旗本屋敷で桜色の袴姿の小柄な男子を捕まえたはずだ。どこにいる? 正直に答えれば命は取らない」
「貴様、あいつらの仲間――」
「余計なことを喋れば首を斬る」
切っ先を首に近付ける。兵士がごくりと喉を鳴らした。
「この先の、突き当りを曲がったところの左の部屋だ」
兵士が震える指で後ろの方を指した。
「そうか。ありがとよ」
は刀を下ろすと、兵士の鳩尾に力いっぱい刀の柄を叩きこんだ。兵士は呻き声をあげて意識をなくした。兵士をその場に放置して、二人は言われた通りの部屋に向かう。引き戸の隙間から中を窺うと、千鶴が膝を抱えて座っているのが見え、はそのまま戸を開けた。
「千鶴!」
「ちゃん!」
が駆け寄った、立ち上がった千鶴を抱きしめた。
「雪村先輩、無事だったんですね!」
「相馬君も……きっと来てくれるって信じてた」
「遅くなってごめんな」
千鶴が首を振った。
「俺たち、副長から助命嘆願の手紙を預かってきたんです」
相馬の言葉に千鶴は目を丸くした。
「本当に? それじゃあ、近藤さんは――」
「はい。これさえあれば、きっとお助けすることができるはずです」
千鶴の表情にも笑顔が戻った。近藤を助け、また新選組が元通りになる。二人は、そう信じている。だが、は元通りになるとは思えなかった。果たしてたった三通の助命嘆願で本当に助けることができるのか。そして、助けられたとしても近藤がまた新選組の局長を引き受けてくれるのかが疑問だった。長岡邸での近藤の「楽にさせてくれないか」という言葉が頭に残っている。
「野村はどこにいるかわかりますか? まずはあいつを助け出しましょう」
「部屋はわからないけど……多分この近くの部屋だと思う」
「わかりました。それじゃ、行きましょうか。……さん?」
「ああ、うん。行こうか」
そして部屋を覗きながら進んでいると、千鶴のいた二つ向こうの部屋に野村を見つけた。野村は解放されると、やっと息が吸えたとばかりに深呼吸をした。
「やれやれ、一時はどうなることかと思ったぜ。旗本だって名乗ったのに、やつら手荒な真似をしやがって」
「大声を出すな。兵が駆け付けてきたら、面倒なことになるだろ」
「あっ、と――そうだった」
相馬に諫められ、野村は慌てて口を塞ぐ。
「野村、局長はどこに捕らわれているかわかるか?」
「確か向こうの部屋だったはずだぜ」
野村の先導で、近藤の部屋へと向かう。近藤は二人よりも広い部屋に軟禁されていた。
「相馬君、野村君、君、それに雪村君も……! もしや、俺を助けるために来たのか?」
「はい。敵が駆けつけてこないうちに、急いでここを出ましょう」
「おれたち、土方さんと近藤さんの助命嘆願の手紙を集めて来たんです」
相馬が懐にしまっていた手紙を近藤に手渡した。近藤は手紙を一読すると、首を左右に振った。
「せっかく来てくれたのに申し訳ないが、君たちと共に行くわけにはいかん。どうやら、俺が新選組の近藤だとばれているらしくてな……ちょうど、君たちをどうやって逃がそうかと考えていたところだったんだ」
「そんな――局長!」
「すまない。俺はこのままここに残り、近藤勇として堂々と詮議を受けるつもりだよ。これまで自分がしてきたことに、なんら恥ずかしいことはないからな」
「考え直してください!」
「……俺はもう、若い隊士たちが俺のために死ぬところなど見たくはないんだ」
そう言って近藤は微笑んで目を閉じた。
もうやめてしまうんですか。そんな言葉が出て来そうになるのを、はなんとか堪えた。きっともう、近藤は決めてしまったのだろう。恐らくは、流山で投降すると決めた時点で、こうなることも覚悟していたのだ。
「相馬君、これをトシに届けてくれ」
近藤は刀掛けから一振りの刀を取り上げて相馬に手渡した。
「これは……?」
「井上真改。真を改めると書くんだ。新選組の再起を願って手に入れた刀なんだが……俺にはもう、この刀は重いからな」
近藤が苦笑をする。
「真の武士は、トシがきっと引き継いでくれるはずだ。君たちだけでもここから逃げなさい。決して、死に急ぐんじゃないぞ」
もう終わりなんですか。土方さんはどうするんですか。言いたいことは山ほどあるのに、そのどれを言っても今の近藤には無意味な気がして、は何も言うことができなかった。そんなに気が付いたのか、近藤がに目を向けた。
「君。結局、君の返事は聞けなかったが……」
返事、と言われて、西本願寺にいた頃に誘われた入隊の話だと思い至った。
「すみません」
「まだ考えているかね」
「はい」
「返事はトシに聞かせてやってくれ」
そして、近藤はの肩に手を置いた。
「そしてもしよかったら、新選組と、トシを頼むよ」
正式な隊士になることすらまだ迷っている人間に、新選組も、自分の腹心のことも頼むというのか。近藤は信じているのだろう。自分が、土方と共に最後まで新選組の一員であり続けることを。新選組の行く末を見たいと、そう言ったから。
が眉を下げて笑った。
「近藤さんにそれ言われると、ちょっと重いな……でも、頑張ります」
戦えなくなった人間の志を継げるのは、生きている人間だけだから。
「ありがとう」
近藤は優しい笑みでそう言った。
「君たちはそろそろ行きなさい。もうすぐ、見回りがここに来るかもしれん」
近藤が言う。は頷き、脱出のために外の様子を窺い始めた。
「局長……」
「……行くぞ野村」
「だけどよ……いいのかよおまえ!」
「いいから、行くぞ!」
相馬が野村に強い口調で言う。ここを離れるしかないのだと。もう、説得する言葉は何もないのだと理解したのだ。
「皆、元気でな。二人とも、雪村君と君のことを、よろしく頼むよ」
が振り返る。そして、近藤に向かって頭を下げた。
「近藤さん……今まで、本当にありがとうございました」
千鶴も深く頭を下げた。こうして四人は、近藤を置いて敵本陣を後にする。
きっと、近藤は死ぬことになるだろうと、誰もが思った。
「……行きましょう。江戸の町はすでに新政府軍に押されられています。急いで脱出しなければ、また捕まってしまう」
四人は名残惜しそうに屋敷を見て、その場から走り去った。