市川で斎藤たちと合流したが、土方はすぐにここを発つと言った。

「俺は江戸に戻って、近藤さんの助命について頼みこんで来る。斎藤は準備でき次第会津に向かって出発しろ」
「承知しました」

 そう言って土方は歩き出そうとする。が駆け寄った。

「ついて行きます」
「おまえは来なくてもいいんだよ」
「今の土方さん、放っておけないんで」

 土方が足を止める。

「おい、喋って動く石」
「えっはい。えっ?」
「俺はそんなに危なっかしく見えるか?」
「見えます」
「……」

 はっきりと言われ、土方は言葉を失う。自分よりも十も下の娘に言われるとは思わなかったのだろう。

「……自棄を起こしたりはしねえよ」

 そう言って土方は息を吐いて頭を掻く。

「まだできることが残っているなら戦う。頭ならいくらでも下げてやる。ここが、今の俺の戦場だ」

 その横顔に曇りはないようだった。

「尚更一人で行かせられないじゃないですか」

 そう言って微笑むと、は土方の腕を叩いた。

「行きましょう、土方さん。部下の一人くらいいた方がかっこつきますよ」
「おまえ、いつから俺の部下になったんだ?」

 呆れた目をに向ける。だが、満更でもないようでに「行くぞ」と声をかけて走り出した。も走り出す。
 江戸に戻ると、休憩する間もなく幕臣たちのところを走り回った。近藤の命がかかっているのだ。休んでいる暇などなかった。はこんなにも折り目正しく頭を下げる土方は、二度と見ることはないだろうと思った。自分もできる限りの礼儀を持って、一緒に頭を下げる。だが、旧幕府側は新政府軍を刺激したくはないらしく、土方の願いはなかなか聞き入れられなかった。

「土方副長! さん!」
「相馬?」

 何件目かの断りの言葉を聞いた頃、相馬がやってきた。

「馬鹿野郎、なんでおまえまで来たんだ。雪村と市川で待ってろ」

 土方が呆れ顔で言うと、相馬が言いにくそうに報告した。

「その……実は……雪村先輩とは、森ではぐれてしまいまして」

 ゴッ、という音と共に相馬が吹っ飛んだ。

「今なんつった? 千鶴とはぐれた?」

 が拳を握ったまま問いかけた。

「申し訳ございません……」

 相馬は地面に腰をつき、殴られた頬を押さえることもなく謝罪した。

「チッ、やっぱりおれが連れて行けばよかった」

 が舌打ちする。幹部たちには千鶴を任せることも増えた。だが、相馬に頼むにはまだ早かったのかもしれないと思う。

「あの!」

 相馬が姿勢を正した。

「雪村先輩は遠くには行っていないと思うんです! そうなると、局長たちと同じく敵陣に捕らえられていると考えられます!」

 相馬の言葉には説得力があった。千鶴が自分からいなくなるとは思えない。となれば、はぐれた時点で長岡邸に戻っている可能性もある。

「今、土方副長は局長の助命嘆願のために奔走されていると聞きました。お願いします! 俺にその任をお預けください! 近藤局長と雪村先輩、お二人ともお助けいたします!」

 相馬が頭を下げた。土方が短く息を吐く。

「わかった。おまえに任せる」
「本当ですか!?」
、一緒に行ってくれるか」
「わかりました」

 こうして、三人で残りの幕臣の元を駆け回ることとなった。やってきたのは赤坂。土方は当てがあるようなことを言っていたが、今まで誰一人として首を縦に振るものはいなかった。ここも空振りになるだろうとは思った。訪ねた家の玄関が開くと、近藤や土方より十ほど年上に見える男が現れた。

「土方君か……」
「どうも、勝さん」

 勝という名前に聞き覚えがあり、は思わず叫びそうになったのをなんとか堪えた。甲府へ行けと言った勝安房守という人物に違いない。新選組を戦いから遠ざけようとしている人物。そんな人物に近藤の助命嘆願など聞き入れてもらえるとは到底思えなかった。
 勝は三人を家の中に招き入れた。部屋に通され、土方、そして二人はその後ろに並ぶ形で正座した。

「さて、部下の二人が何のことやらわからない顔をしているようだから、自己紹介させてもらおう。私は勝海舟という。以前、新選組に甥が世話になったことがあってね、その際に手紙のやり取りをさせてもらったことがあるんだ」
「勝なんて名前の隊士いましたっけ……」

 が首を傾げる。

「三浦敬之助という男は知らないかな? 私の妹の旦那、佐久間象山さんの息子なんだ」
「あっ! あの三浦!?」

 が驚いて大声をあげた。
 元治元年頃の話だ。三浦というと歳の変わらない程の男が入隊してきた。「自分は佐久間象山の息子だ」と威張り散らしていたが、大した実力もなく、幹部の顔色を窺う気の小さい男だったと記憶している。近藤と土方は彼を見逃しているようなところがあると思っていた。なぜなら、慶応二年に三浦は脱走しているが、新選組は追わなかった。幕臣の身内だったからなのだと気が付く。

「勝さん、ここに来たのは頼みがあったからなんだ。近藤さんを助けちゃくれないか」

 土方が言うと、勝は眉を寄せた。

「まさか、この私に頼みにくるとはね。まずは話を聞こうか」

 土方は流山での出来事を語った。勝は難しい顔で話を聞いていた。

「事情はわかった。一筆書こう。少し待ってもらえるかな」
「恩に着ます」

 土方が深々と頭を下げた。
 どうしてだろう、とは思った。この人は新選組が嫌いなはずだ。新選組が嫌いで、戦が嫌いで、邪魔だから甲府に追いやった。見せかけの大名の位と軍資金なんかを渡して、厄介払いをした。それなのに。

「どうしてですか」

 思わず声に出していた。土方が振り向いて、余計な事を言うなと目で言っている。わかっている。でも、この男がいなければ、近藤も永倉も原田も、今まで通りが続いていたかもしれないと思うと、は怒りを感じずにはいられなかった。

「甲府のことは悪かったと思っている」

 勝が振り向かずに言った。のその短い言葉の意図を理解している。

「私は戦が嫌いだよ。だから、江戸城も無血開城を進めようとしているところだ」
「戦わずに城を明け渡すってことですか」
「一人でも多くの人間を生かすためだ。近藤さんもその一人だよ」

 筆を置き、勝が振り返る。

「この後も戦いを続けるつもりか、土方君」
「ああ」
「それはおすすめできないな。戦術的勝利があったとしても、戦略的勝利は見込めない」

 土方は真っ直ぐに勝を見て、こう言った。

「それでも戦うのが新選組だ」

 勝は諦めたように息を吐いた。そして墨の乾いた紙を土方に渡した。

「私の立場からだとこのようなことしか書けない。これを持って早く行きなさい」

 そこには、近藤もとい大久保が流山に駐屯していたことに害意はない、という旨のことが書いてあった。土方が頭を下げて、立ち上がった。と相馬も後を追う。勝は何も言わなかった。
 勝以外に大久保という幕臣も手紙を書くことに賛同してくれ、土方のものを合わせて三通になった。土方から受け取った手紙を相馬が大事に懐にしまい込んだ。

「俺は先に江戸を出て隊と合流してる。おまえらも近藤さんを救出し次第、追いかけてこい」
「はい、承知しました」

 相馬が力強く頷く。

「じゃあ、行ってきますけど」

 がそう言って土方を見た。

「途中で自棄起こさないでくださいよ」
「起こさねえよ。石に説教されるからな」

 土方が苦笑した。相馬が首を傾げる。

「石、とは……?」
「なんでもない。行くぞ」

 こうして土方と別れ、は相馬と共に敵陣へと向かうことになった。流山にいた部隊は板橋に近藤を連れて行ったというのがわかったので、二人は板橋へと向かう。