甲府での敗戦から撤退が完了するまで数日かかった。最後に土方が帰って来て、この戦は終わった。近藤と千鶴から天霧に会った時の話は土方に報告されることになった。隊士の中で唯一大怪我を負って甲府から帰って来たは、しばらく屯所から出ることを禁じられていた。そう深い傷でもないからすぐに治るのにと思ったが、大人しく言うことを聞くことにしている。

「報告は受けてる。おまえも羅刹で確定だそうだな」

 は土方の部屋に呼ばれていた。は頭を掻く。

「そうらしいですね」
「他人事みたいに言うんじゃねえ。おまえの話だ」

 そうは言われても、自覚がないのだから仕方がない。髪はもともとこんな中途半端な色だし、怪我の治りは確かに常人より早いかもしれない。だが、それだけだ。

「淀でも甲府でも血を吐いたそうだな。おまえは無意識に羅刹の力を使ってるんじゃねえかと思っている。寿命を使って力を使うっていうのが明確に体に現れてるってことだ」
「ていうか、天霧の言うことをそのまま信じていいんですか? 本当のことだかわかんないじゃないですか」
「おまえの場合証拠が揃ってるだろうが」

 は返す言葉がなかった。土方の言うことは確かだった。本来の羅刹たちが寿命を削っているかどうかはわからないが、はきっと寿命を明確に削っている。

「山南さんには既に伝えてある。今後、羅刹隊は使わねえ。研究も中止だ」
「それがいいですね……」

 山南や藤堂が力を使う度に寿命を縮めているのなら、もうこれ以上羅刹化などしないで欲しいと思う。少しでも長く生きて欲しい。そう思うのは、自分の勝手なのかもしれないが。苦しむ藤堂の姿が頭をよぎった。
 そうして土方の部屋を後にした。歩いていると、永倉と原田たちが集まっているのを見つけた。

「何してんだ?」
「あ、ちゃん」

 千鶴が振り返る。

「よう。、怪我の様子はどうだ?」
「大したことないよ」
「羅刹どもにやられたんだろ? 大したことないわけないだろ」

 原田と永倉が苦笑した。

「お二人が、新選組を離れるって……」
「は?」

 千鶴の言葉を聞いて、が二人に目を戻した。

「本気で言ってんのか」
「こんな冗談言ってどうすんだよ」

 永倉が言う。

「さすがにもう、近藤さんにゃ付き合いきれねえよ。俺たちと近藤さんじゃ、目指してるものが全然違う。これから先、一緒にやっていけるとは思えねえ」

 永倉がずっと近藤に不満を持っていたことは知っていた。だが、それが離隊するほどだとは思っていなかった。まさか、江戸から京に共に行った同志が、そんなことを言い出すとは思わなかったのだ。

「なんとか、考え直していただけませんか? 近藤さんも、先日のことをとても反省してらっしゃるご様子ですし……」
「反省したって言われてもな……刀も銃もろくに扱えねえ素人隊士を増やされても、問題の解決にならねえんだよ」

 千鶴の説得の言葉に原田が答える。

「……お二人がいなくなると、寂しくなります」

 相馬が言うと、原田が苦笑した。

「俺たちだって、名残惜しくねえわけじゃねえさ。だけど、いつ死んじまうかわからねえ状況なら、自分で選んだ道を進みてえしな」

 自分で選んだ道、とは繰り返す。

「新選組は、自分らが選んだ道じゃなかったのか?」

 が問う。語気が、自分でも予想しなかったほど強くなった。二人は困ったように息を吐いた。

「俺たちが選んだ道だった。でもな、その道は近藤さんたちが目指すものとはずれちまったんだよ。修復できないほどにな」
「わかってくれ、。別に新選組が嫌いになって出て行くわけじゃねえんだからよ」

 原田に頭を撫でられる。

「……そうかよ」

 それしか言えなかった。

「これからどうするんですか?」

 千鶴が問う。

「今んとこ、まだ決めてねえけど……これからも薩長と戦うってのは変わらねえぜ」
「そのうち俺があいつらを何百人斬ったって知らせがこっちにも届くと思うから、楽しみに待っててくれよ」

 永倉が自信満々にそう言った。
 夕刻。二人は千鶴と相馬、野村に見送られて去ったらしい。は顔を合わせたら文句しか出そうになかったので、見送るのはやめた。今生の別れだったかもしれないと思うと、少しだけ申し訳なさはあったが。

「道がずれてきた……か」

 本質は何も変わっていないと思う自分の方が、間違っているのだろうか。

「まだそんなことを言っているのですか」

 山南の声が土方の部屋から聞こえ、部屋の前で足を止めた。

「永倉君と原田君の離隊は相当な痛手のはずです。羅刹隊を公にしたくないのはわかりますが、今はそんなことを言っている場合ですか?」
「どんな場合でも関係ねえ。あんたらが寿命削って戦う必要はねえってことだ」
「今更我々が死ぬことを怖れているとでも? 怖気づいたのですか土方君!」
「何とでも言ってくれ。羅刹隊は使わねえ」

 急に襖が開いた。は逃げる暇もなく、山南と対面する形になった。

「すんません、声が聞こえたからつい……」

 一応の謝罪をする。

「剣客として復帰できたと思ったのに、戦う機会を与えられない。惨めだと思いませんか、君」

 山南はそう苦笑すると、立ち去った。部屋には土方だけが残っていた。なんとなく部屋に入る。

「立ち聞きか」
「たまたまです。おれだからよかったけど、他の隊士だったら山南さんの怒鳴り声はまずかったんじゃないですか」

 土方は、そうだな、と言って息を吐いた。

「新八と原田の足抜けは相当の痛手、か。正論だよな。返す言葉もねえや」

 そう言って土方は苦笑する。

「まあ、いずれこうなるだろうってのは覚悟してたし……あの二人に夢を見せてやれなかったのは俺たちの落ち度だ」

 が眉を寄せる。

「人間だから、考えが変わるのは仕方ないと思います。でも、新選組の在り方は何も変わってないと思うんですけど」
「……そう思うか」
「おれはそう思います」

 は頷く。

「確かに幕府の様子も変わったから新選組の立場は変わったかもしれない。隊士も変わった。でも、新選組が新選組であることには変わりないでしょ? 掲げる旗が変わったわけでもあるまいし」

 誠の旗。武士を目指す、志を記した旗。その旗は今も屯所に掲げられている。その志を同じくした人たちが集まったのが新選組のはずだった。それは、きっと結成当時から変わらない。少なくとも、が四年前から見ている新選組は何も変わっていないはずだった。

「そうか……ずっと見てたおまえが言うなら、少しは救われるな。ありがとよ」

 土方が微笑んだ。鳥羽伏見の戦いから敗戦続きで、土方も参っているのだろうとは思う。

「おれ、すぐに動けるようになるんで。なんでも言いつけてください」

 が拳を握る。

「新人の稽古つけるとか。土方さんの雑用とか。なんでもやります!」
「なんだ? 俺のこと心配してんのか?」

 土方が眉を寄せた。

「いらねえ世話だ、って言いてえところだが……ま、気持ちだけありがたく貰っておくぜ」

 そう言って土方は笑った。

「これからどうするんですか?」

 ずっと疑問に思っていたことを問う。幕府が甲府で新選組を勝たせようと思っているわけではなかったことに気付いてしまった。彼らは新式の装備を手に入れることすらせず、敵の情報も定かではない戦場に送り込んだのだ。未だ新政府軍に対する戦意を失っていない厄介な新選組を消したいとでも思っていたのかもしれない。

「とりあえず近藤さんに気合を入れ直してもらって、北に行こうと思ってる。今の幕府は頼りにならねえが、東北諸藩が残ってる。会津、仙台が中心になりゃ、まだまだ戦えるはずだ」
「東北の藩はまだ戦う気があるってことですか?」

 は政治がわからない。土方は江戸に戻って来て以降、幕府との交渉を重ねていた。他藩の動向も探っていたのだろう。

「会津はおまえも知っての通りだが、薩長と対立していた。仙台は元々東北随一のでかい藩だ。まだまだ戦う気は削がれちゃいねえよ」

 土方がそう説明する。

「松本先生の手配で、流山に武器弾薬、そして人を集めてもらってるんだ。そこで皆と合流して会津に向かう。仮に江戸を薩長に取られたとしても、奴らはいずれ京に戻らなきゃならねえはずだ。そうなったら、すぐ江戸を取り戻して……」

 そう言う土方を見て、はくすりと笑った。

「なに笑ってんだ」
「いや、土方さんまだまだ戦う気満々だなと思って」

 そう言っては真っ直ぐに土方を見る。

「おれもついて行きますよ。何があっても諦めないんですよね」
「ああ、そうだ」

 土方は頷く。

「戦い続けるぞ」
「はい」