奉行所は一部が騒がしかった。と千鶴がいないことで、捜索をするか否かと幹部たちが話し合っているところだった。帰って来るなり土方に怒られ、事情と綱道や南雲と会ったこと、二人と話したことを報告した。変若水を受け取ったことは言わなかった。

「羅刹は元に戻せねえ……か」

 土方が呟く。

「くそっ。やっぱり使うべきじゃなかったんだ、あんな薬」

 永倉が吐き捨てるように言う。

「すみません……」
「千鶴が謝ることじゃないだろ」

 顔を伏せる千鶴に、が隣で言った。そして永倉に目を向ける。

「そ、そうだぜ。おまえさんが謝ることじゃねえ」

 慌てて永倉が言った。

「この件については山南さんに伝えておく。とにかく、おまえたちは勝手に外に出たりは今後一切――」
「副長! 副長はいらっしゃいますか!?」

 相馬が奉行所に駆け込んできた。二条城へ行く近藤の護衛で出掛けていたはずだ。

「どうした、相馬」
「局長が帰り道、何者かに狙撃されて……!」
「狙撃だと!?」

 原田が叫んだ。土方が舌打ちをする。

「雪村、手当の用意だ! は山崎を呼んでこい!」
「はい!」
「わかりました!」

 その最中、島田に背負われた意識のない近藤が運び込まれてくる。血の気がない。肩から血を流している。は急いで外の警護をしている山崎を呼びに行った。山崎を連れて戻ると、早速近藤の部屋で治療が行われた。数刻。ただ、待つだけの時間が続いた。そうして、山崎が部屋から出て来る。

「山崎! どうだったんだ、近藤さんの様子は!?」

 原田が問う。山崎は眉を寄せていた。

「今は少し落ち着いたらしく、眠っておられますが……傷が思った以上に深い様子で……銃弾は摘出しましたが、我々ではここまでが限界です。ここでは、道具にも限りがありますし」

 土方が腕組みをしたまま難しい顔で言った。

「医者っつうと、今ちょうど松本先生が大坂城にいるはずだな。ここじゃいつ戦になるかわからねえ。今のうちに、向こうに移した方がいいか」
「申し訳ありません。俺が、身を挺してでも局長をお守りするべきでした」

 島田が俯いて唇を噛む。

「何言ってんだよ。近藤さんが殺されずに済んだのは、おまえの働きがあってのことだろうが」
「しかし……」

 原田の励ましにも、島田は顔を上げなかった。土方が息を吐く。

「済んだことを悔やんでもしょうがねえ。それよりも今は、傷が広がらねえよう手を打つのが先だ。本人にとっちゃ不本意だろうが……近藤さんにゃ、大坂城でしばらく養生してもらうしかねえか。……ちょうど病人もいるしな」
「総司のことですか」

 斎藤が言った。土方頷く。

「ああ。あいつの病は、労咳だ」
「何だと!?」

 本人が話したのだろうか。は驚愕でざわめく幹部たちの中で、一人無言でいた。相馬が輪から離れるのを見て、は後を追った。

「どこ行くんだ、相馬?」

 相馬が振り向く。

「沖田さんのところに」
「……近藤さんのことを報告しに?」
「ええ……」

 相馬は表情が暗かった。無理もないと思う。近藤が狙撃された時、一番近くにいた。何かあれば身を挺して盾になれと言ったのは沖田だ。だから、自分で報告をしに行こうとしている。

「……ついて行こうか?」

 が問う。相馬は首を振った。

「いえ。……俺一人で、大丈夫です」

 沖田の部屋に相馬が消える。はその部屋の前で待っていた。会話は少ししか行われなかったのだろう。相馬はすぐに部屋から出て来た。部屋の外にいるを見て苦笑する。

「待っててくれたんですか、さん」
「怒鳴られなかったみたいだな。声を荒げた感じはなかったし」
「……はい」

 怒られることを、罵倒されることを覚悟して行ったに違いない。だが、沖田は怒らなかった。

さん」

 相馬が視線を逸らす。

「……沖田さんは、あんなに強かったのに……病には勝てないんですか?」

 が息を飲む。反射的に胸倉を掴もうと腕を動かしたが、理性で止める。そして強く拳を握った。

「……すみません。失言でした」

 相馬は目を合わせないまま謝罪した。も俯く。

「近藤局長の容態を見てきます」

 そう言って、相馬は立ち去った。
 沖田の部屋の前。部屋は静かだった。

「総司さん」

 部屋の前に立ち、中に向かって声をかける。聞こえているかはわからないけれど、言わずにはいられなかった。

「総司さんのせいでもないから、あんまり自分のこと責めるなよ」

 きっと沖田が怒らなかったのは、悪いのは相馬ではなく動けない自分だと思っているから。きっと、自分のことを責めているはずだから。自分なんかに言われても、気休めにすらならないだろうけれど。もその場を離れた。
 広間には土方しかいなかった。が近付く。

「土方さん、近藤さんを撃ったやつらはわかったんですか?」

 が山崎を呼びに行っている間に、襲撃現場には永倉と原田の隊が向かった。既に敵の姿はなく、足取りはつかめなかったという。

「わからねえが、恐らく御陵衛士の残党だろう。薩長のやつらなら、これが戦の引き金になるとわかってるはずだ」

 だから、薩長軍ではないと土方は言う。近藤の護衛は島田と相馬の二人だった。奉行所の警護を減らしてまでの供はいらないと近藤が言ったのだという。

「総司の様子はどうだった。相馬が伝えたんだろ?」
「おとなしくしてますよ。今の自分じゃ何の力にもなれないって本人はわかってますから」
「そうか……無茶して近藤さんの仇を探しに行くかと思ったが……」

 その可能性もあった。それでも、今の沖田はその無茶をすることすらできない。それほどまでに弱ってしまっているのだ。

「おまえ、総司の病が労咳だと知ってたな?」

 土方が言った。はちらりと土方に目を向ける。視線を交差させ、肯定として返す。

「謝りませんよ。黙ってるって約束したんです」
「それがあいつの死を早めることだとわかってたはずだ」
「わかってました」

 は土方を睨みつける。

「でも、それがおれとあの人の約束です」

 しばし睨み合い、土方が目を逸らして息を吐いた。

「それは隊のことを考えたら間違った約束だ」
「わかってます」

 はまた肯定を返す。

「でも……あの人にとっては、最善だったと思ってます」

 沖田は新選組に居続けた。布団から起き上がれなくなるまで刀を持ち続けた。そして、自分はその補佐をしてきた。それでいい。
 しばし無言だった土方は、「そうだな」と溜め息と共に言った。