翌日。坂本暗殺の状況がだんだんとわかってきた頃合いで、幹部たちと、千鶴が広間に集まっていた。
「皆も知っての通り、私たちは勇さんから坂本竜馬には手を出さないように再三言われていた。だけど、世間はそう見てくれてはいないようでね。……なんでも、現場に新選組隊士の鞘が落ちていたらしい。今、取調の問い合わせが来ているよ」
「鞘って……そんなの証拠になるんですか?」
千鶴が井上に問う。
「どう考えても、単なる言いがかりだろうよ。で、誰の鞘だって言ってるんだ?」
「それがね、君なんだよ原田君」
原田が問うと、井上が困ったように言う。
「なんだ、左之さんが斬ったんだ? せっかくだから、僕も呼んでほしかったなあ」
今日は気分がいいからと、沖田も雑談に加わっていた。
「馬鹿言うんじゃねえよ。俺の鞘はここにあるんだぜ? 作り話ならもっと上手くやっれてんだ、ったく」
原田が刀を見せながら言う。第一、原田の得物は槍だった。は原田が腰の刀を抜いたところを見たことがなかった。
「、昨日様子を見て来たんだろ? どうだったんだ?」
永倉が問う。
「どうって……最近の様子と照らし合わせたら、見廻組の犯行だろうってことで土方さんと意見は合ったけど」
「現場に本当に鞘なんて落ちてたのか?」
「知らない、見てない」
が首を振る。室内の方は土方が見ていたし、暗くて鞘があったかどうかなんて彼も確認していないだろう。
「私も皆も、最初から原田君を疑ってなどいないよ。だが、そう言ったところで世間が信じてくれるかどうか……こんな噂が流れるところを見ると、先方も犯人を絞り切れずにいるんだろうし」
「新選組の仕業にしてえ奴もいるだろうしな。つっても、俺たちが何も聞かされてねえ以上、新選組が手を下したってことはねえよ」
永倉が言った。幹部の耳に入らず、部下が勝手な真似をしたはずもない。見廻組もうまく実行したようで、何の痕跡も残っていなかったようだ。状況を知っているのは、事前に山崎から話を受けていた自分たちだけ。
「その件についてだが」
襖が開いた。
「お、近藤さんに土方さん。って――」
そして、近藤と土方と共に入って来た人物を見て、は立ち上がった。
「斎藤一!」
指をさして、大声で名前を呼ぶ。
「斎藤!? おまえ、何でここにいるんだよ!?」
永倉も同様の驚きを見せる。
「おや、斎藤君じゃないか、久しぶりだねえ。御陵衛士の方はどうしたんだい?」
「そ、そうじゃなくて、井上さん……! 交流を禁じられている御陵衛士の人がここにいるなんて、土方さんが許すわけ――」
千鶴がそう言った時だった。
「あー、ごちゃごちゃうるせえな。許すもなにも、本日付けで斎藤は新選組に復帰するんだよ」
土方が面倒そうに言った。
「へ? いや、ちょっと待った土方さん。俺たちとしちゃ、嬉しい便りだけどよ。そんじゃ御陵衛士っつうか、伊東派の立場はどうなるんだ?」
原田が問うと、斎藤が頷いた。
「まず、そこから訂正を。俺はもともと、伊東派ではない」
「斎藤君はな、トシの命を受けて間者として伊東派に混じっていたんだ」
斎藤と近藤が説明をする。
「なんだ。一君、僕に内緒でそんな楽しいことをしてたんだね」
「さっきは肝が冷えたぜ……近藤さんたちも人が悪いよ」
「極秘だったのでな。黙っていて、皆にはすまんことをしたなあ」
近藤が申し訳なさそうに言う。一歩歩み出た斎藤が、真剣な表情で話しを続けた。
「安心するのはまだ早い。この半年、俺は御陵衛士として活動を続けていたが、伊東たちは新選組に対し明らかな敵対行動を取ろうとしている」
「敵対行動とは……表現からして、穏やかではなさそうだね」
井上が表情を引き締めた。
「伊東の奴は幕府を貶めるため、羅刹隊の存在を公にしようとしてやがるんだ。そのために、薩摩と手を組んだって話もあるな」
土方が苦々し気に言う。
「そして、より差し迫った問題が一つ。伊東派は新選組局長暗殺計画を練っている」
斎藤の言葉に、皆が言葉を失った。
「御陵衛士は、既に新選組潰しに動き始めている。坂本龍馬暗殺が新選組の仕業だって噂を流してるのも、御陵衛士の連中だ。紀州藩の三浦休太郎が、新選組に依頼して原田に殺させたってな」
原田が肩を竦めた。
「三浦には身に覚えがねえらしいが、噂を鵜呑みにした馬鹿が俺たちを襲ってこねえとも限らねえ。三浦の警護は斎藤に頼むことになる。事情を知らねえ隊士連中から見ると、斎藤は伊東派から出戻りしたようにしか見えねえだろうからな」
「わきまえています。ほとぼりが冷めるまで、俺はここに居ない方がいいでしょう」
斎藤が頷いた。
「伊東甲子太郎――羅刹隊の存在を公にするだけでなく、近藤さんの命まで狙ってるときた」
重い口調。次の言葉は、わかっていた。
「残念なことだが、あの男には死んでもらうしかねえな」
土方が告げる。
「う、む……やむを得まい……」
土方の言葉に、近藤の了承。これで、事は決定した。
「まず、伊東を近藤さんの別宅に呼び出す。接待には俺も回る。その後、伊東の死体を使って、御陵衛士の連中を呼び出し……斬る」
土方が永倉と原田を見た。
「実行隊は、新八、原田。おまえらに頼む」
二人が頷く。
「土方さん、僕は誰を斬ればいいんですか?」
沖田が問うと、土方は短く息を吐いた。
「おまえは寝てろ。相変わらず変な咳してやがるし、体調も悪いんだろ。斎藤もまだ数日はここにいるから、相手をしてもらえ」
「……近藤さんを殺そうとしてる人を暗殺するのに、僕に見せ場をくれないつもりですか? 怨みますよ、土方さん」
そう言ったが、沖田は素直に引き下がった。副長の指示が絶対。それが新選組だった。
千鶴の肩に斎藤が手を置いた。
「御陵衛士はこれで終わる。平助を呼び戻すつもりなら、これが最後の機会になるだろう」
「!」
はっとして千鶴が土方を見る。
「あの、土方さん」
「何だ?」
「御陵衛士の……平助君は、どうするつもりなんですか……?」
「そりゃあもちろん、助けるに決まって――」
永倉がそう言いかけた時だった。
「刃向かうようなら、斬れ」
土方の冷たい言葉が、それを遮った。
「……え? 斬れって、そんな……嘘ですよね? だって平助君はずっと一緒に過ごしてきた仲間で……」
土方は何も言わずに広間を出て行った。
「本当に平助君を斬ってしまうつもりなんですか!? 一度隊を出た人なんてもう仲間ではないから、死んでもいいって……そう仰るんですか!?」
「そんなはずがないだろう!」
近藤が叫んだ。
「……トシだって、本心では助けたいと思っているんだ。同じ志を持って江戸から上ってきた仲間を殺す命令を下して……平気でいられるはずがないだろう」
そう真剣な表情で言う近藤は、土方のことをよくわかっているのだなとは思った。彼らは今までもこうして二人で、お互いを理解しあってやってきたのだろう。
「……すみませんでした。取り乱してしまって」
千鶴が頭を下げる。近藤が優しい笑みを向けた。
「……いや、君の立場ならああ言うのが当たり前だ。平助は皆に慕われているのだな」
そう言うと、近藤はまた表情を引き締めた。
「永倉君、原田君。局長としてではなく、近藤勇として頼む。……平助を見逃してやってくれ。できるなら、隊に戻るよう説得してほしい」
「ああ、わかってるさ」
「あいつの命が、俺たちの腕にかかってるってわけだな。……責任重大だ」
永倉と原田が真剣な声で言った。
「これで皆、自分の役割は確認したな? もし質問があるなら、今のうちに言っておいてくれ」
「待ってください」
千鶴がまた声をあげた。
「私には、まだ指示が出ていません。……何か手伝わせてください」
「手伝うと言っても……今回の仕事は、池田屋や禁門の変の時とは違うんだよ。君はこんな役目に関わるべきではない」
近藤が困惑して言う。
「お願いします。絶対に、ご迷惑はかけません」
千鶴が深く頭を下げる。
「あのな、今回のは使いでも遊びでもねえんだ」
「一時は同志だった奴らの暗殺だ。万が一のことがあれば、平助だって斬ることになるかもしれねえんだぜ?」
永倉と原田も困惑した様子で言う。
「……わかってます。気軽に手伝えるような仕事じゃないって」
千鶴は頭を下げた。
「私が勝手に思ってるだけかもしれません。けれど私も、この新選組の一員だと思っていますから……こんな時だからこそ、皆さん方のお手伝いがしたいんです」
「……決意は固いようだな」
近藤が頷く。
「では、伊東さんの接待の手伝いをしてくれるかね」
「はい、わかりました」
ずっと黙って成り行きを見ていたが、千鶴の肩に手を置いた。
「千鶴について行きたいところだけど……近藤さんと土方さんがいるなら安心だな」
見返してくる千鶴に笑みを向けて、は真剣な表情で近藤を見た。
「近藤さん。おれは実行部隊に加えてください」
「おい、!」
「平助の説得はおれがやる」
永倉の声を遮り、ははっきりと言う。
「わかっているのかね、宇津木君。もし説得が失敗したりした場合は――」
「わかっています」
は頷く。
「おれだって隊士じゃなくても新選組の一員です。……万が一の覚悟は、できています」
殺される覚悟も、殺す覚悟もある。何度だって、その覚悟をしてきた。
近藤はしばし唸っていたが、最終的には頷いた。
「わかった。平助を、よろしく頼む」
「任されました」
そう言って、は微笑んだ。そして、表情を消す。
「その前に」
ぐるりと後ろを振り向く。千鶴の背後に控えている斎藤を見て、はにっこりと笑った。それはもう上機嫌のような笑みで。
「おれの言いたいことはわかるな、斎藤一」
「ああ」
斎藤は短く返す。
「いやあ、まったく気付かなかったなあ、全部嘘? はは、本気で?」
斎藤を見上げながらは言う。口調は明るかったが、目が笑っていない。
「宇津木君、斎藤君は俺とトシの命令で間者として――」
「わかってますって、やだな、近藤さん。ちゃんと聞いてましたよ」
近藤が仲裁に入ろうとするのを止める。
「でも、一発殴らせて」
「それであんたの気が済むなら、好きにすればいい」
おいおい、という言葉が聞こえたが無視した。力いっぱい拳を握り、振りかぶる。斎藤は目を瞑った。――振り下ろした拳が吸い込まれたのは、顔面ではなかった。斎藤の胸を、途中で速度を緩めた拳で叩いた。
「……おかえり」
ぼそりと、そう言う。
「……ああ。心配をかけた」
斎藤が言う。が斎藤からばっと離れた。
「し、心配なんてしてねーし! 馬鹿じゃねーの!?」
近藤と土方が間違っていると言ったことも、全部嘘。新選組の仲間を斬ると言ったことも、全部嘘。……真剣に怒っていた自分が馬鹿みたいだ。
「あーあ! もう知らない! 永倉さん、原田さん、作戦とか練ろ!」
「お、おう?」
「斎藤が出て行く前に何かあったのか?」
「何もない!」
はずんずんと足音を立てて歩き出すと、永倉と原田の手を取って歩き出した。そして振り向く。
「斎藤さん! 明日手合わせ!」
「ああ、承知した」
斎藤が頷く。はそれだけ言うと、二人を連れて広間を出て行った。残された面々が不思議そうな顔をして、いなくなったを見やり、そしてそれを微笑ましそうに見ている斎藤を見やる。
「一君、ちゃんにあんなに懐かれてたっけ?」
「いろいろあってな」
誰もが思っていた言葉を沖田が代弁し、斎藤は小さく笑っただけだった。
翌日。道場で木刀が打ち合う音が響いていた。
「俺が新選組を離れて半年になるが」
斎藤が微笑む。
「強くなったな、」
「そうかな」
よくわからないという顔をして、は木刀を握り直す。
「永倉さんの稽古受け始めたからかな。もっと早くに受けときゃよかった」
永倉は隊士たちと稽古している時よりも、最近は生き生きとしながらの稽古をつけている。根性があってやりがいがある、とのことだった。も必死に食らいついているところだ。
「総司は、臥せっているそうだな」
「……」
構えていた木刀を下ろす。
「……この間、おれ、総司さんに勝っちゃったんだ」
誰にも言っていなかった話。二人だけの、最後の稽古の話。
「あんなに強かったのにさ……おれ、全然追いつけなかったのに」
いつも、あと一歩届かなかった。土方の稽古の後から、命のやり取りをするような稽古に変わって、二人で何千何万と打ち合って来た。ついに勝ってしまったものの、それは決して自分が強くなったからではなかった。だから、全然喜べない。
「おれは、総司さんのことずっと師匠だと思ってるよ。あの人が剣を持てなくなってからも、それは変わらない。でも……」
はそこで言葉を切った。
「悲しい、か」
斎藤がの代わりに言葉を続ける。は無言で頷いた。
師匠でいられなくてごめん、と言う申し訳なさそうな声が頭にこびりついて離れない。ずっと剣を持って、常に一番であり続けたかったのは、他でもない沖田本人なのだ。それがわかっているから、今の状況が、より悲しい。これは沖田の心情の代弁ではない。自分の気持ちだ。自分が、悲しいと感じている。
「あーもう、やめやめ!」
はそう叫んで大きく手を振った。
「今度はまた斎藤さんに付き合ってもらうからな!」
そう言って木刀を斎藤に突き付ける。
「そのことだが、副長が言っていた通り、俺は今後三浦の護衛につく命を受けている」
斎藤が言う。そういえば、土方が言っていたなということを思い出した。
「またしばらく屯所を離れるが、新選組のことをよろしく頼む」
「……そう。わかった」
は素直に頷いた。今度の別れは今生の別れではない。「よろしく頼む」と言われたら、頼まれてやろうじゃないかと素直に思う。
「改めて聞くけどさ。斎藤さんは何のために剣を持ってるんだ?」
木刀を担いで問いかける。
「俺が、武士であらんとするために」
斎藤が言う。
「武士?」
「俺が武士でいられる場所は、新選組以外にない。だから、新選組の敵を斬る。新選組のために、敵も味方も斬ってきた。それはこれからも変わらない」
「そっか」
にこりと笑う。そう。それでこそ、の知っている斎藤一だ。
「あんたは雪村のためか?」
「うん、まあ、そうなんだけど」
は一度目を逸らす。
「千鶴に全部押し付けるのはやめたんだ。おれは、おれのためにも、ちょっとくらい剣を持ってもいいかなと思い始めてる」
千鶴にも言われた。「何か守りたい気持ちを見つけて欲しい」と。それを、今も考え続けている。
「けど、おれのためって言ってもなあ……何すればいいのかよくわかんないんだ」
「そうか」
斎藤が微笑む。
「あんたの剣から、危うさが減ったのはその意識の差もあろう」
が目を戻す。意識の差。それが、剣筋に現れることは知っていた。沖田にも、土方にも、永倉にも言われたことだ。覚悟の話。
「あんたも見つけるといい。己の誠を」
「誠、か……」
自分が正しいと思うこと。それは一体なんだろう。己の誠を見つける。今後の課題になりそうだった。
「そろそろ時間だろう」
「あ、もう?」
日が暮れ始めていた。近藤たちはもう別宅に移動した頃合いだろう。実行部隊も準備を始めなければならない。
「斎藤さんありがとう!」
「ああ」
大きく手を振っていなくなるを、斎藤は微笑んで見ていた。