「そんな打ち込みで敵が殺せんのか!? やる気あんのかおまえら!」
「はい! すいません!」
「くっそー! 次こそぜってー殺す!」
物騒な言葉が飛び交う稽古の時間。小姓の仕事の合間に、稽古を頼みに来る相馬と野村の相手をするのが日常となっていた。「幹部に稽古を申し込む前に」という前段階で使われているだけだとは思っている。それでも、自分が頼りにされるのは悪い気はしなかったし、炊事洗濯などが苦手な自分が唯一新選組のためにできることがこれくらいだという自覚もあった。
そして、三人が息を切らし始めた頃合いで声がかかった。
「お疲れ様、君。後輩の世話も大変だね」
「源さん」
が流れる汗を拭っていると、盆に何かをのせた井上がやってきた。
「勇さんが外出のついでに茶菓子を買ってきてくれたんだよ。休憩したらどうだい? お茶も淹れてきたよ」
「やった! ありがとう源さん!」
休憩だ、と声をかけると二人はその場に手足を投げ出すようにして座り込んだ。と井上は思わず笑う。茶菓子は落雁だった。口の中に入れて噛むとほろりと溶けて、疲れた体に甘さが染み渡る。
「雪村君もすっかり小姓の先輩らしくなったが、君も剣術の先輩になったようだね」
井上が言う。
「自分の腕も磨きたいんだけど。まあ、この二人相手にするにはまだおれの方が上手だから」
さっきの場面ではああだったとか、もっとこうした方がいいなどと、座り込んだまま議論している二人を眺める。二人とも自分より年上なのに子供みたいだなあ、と思いながらは茶をすする。
「総司の代わりかい?」
「……」
沖田はに負けてから、稽古をしようなどと言い出さなくなったし、ほとんど部屋に引きこもっていた。におかゆを作って欲しいなどと駄々をこねることもなくなった。
「おれに、あの人の代わりなんてできないよ」
は寂しそうにそう言った。本当はもっといろんなことを教えて欲しかった。もっと自分の剣を見て欲しかった。剣を持つと厳しいのに、その手がとても大きくあたたかいことをは知っている。きっとこの先、沖田の病状は悪化する一方で、回復することなどない。だが、その病気が治らないことを本当に知っているのは、自分と千鶴と沖田本人だけ。他の幹部も隊士も、誰も本当の病気を知らない。
「君は聞いているんだろう、総司の病のことを」
どきり、とする。動揺を出さないように、茶をすする。
「総司がただの風邪ではないことは、皆気付いているよ」
「……」
井上が静かに話をする。そして、を見て優しく微笑んだ。
「総司は、本当に君のことを大事に思っているんだね」
「え……?」
思わず疑問の声が漏れる。
「あれは意地っ張りだから、自分の弱みなど他人に悟らせることはないし、話すことはない。ここまで悪化するまで、気にしなかった私たちの落ち度だが……君はずっと総司に寄り添ってくれていただろう」
「……」
「総司がここまで誰かに心を許すなんて、勇さんとミツさんくらいかと思っていたが、いやはや、まるで兄妹のようで見ていて微笑ましく思っていたんだよ」
井上は言うことを聞かない弟のことを話すように言う。同門で、ずっと江戸から一緒にいたのだということを思い出す。
「……おれ、寄り添えてるのかな」
自分が彼に何ができたというのだろう。貰ってばかりで、何も返せてはいない気がした。
「私たちには出来ない寄り添い方ができたのが君だ。あれは君を自分の懐に入れたんだ。自信を持ちなさい」
井上がの背に手を当てる。沖田とは違うあたたかさがあった。
「君が病気について黙っているのは、新選組のためを考えれば間違いだったと言える」
言葉が刺さる。わかっていた。これが、決して正しい約束ではなかったことは。
「だが、私たちは君を怒ることはできないんだよ。君がいなかったら、総司は一人きりで病を抱え込むことになったのだから」
本当は立ち聞きしていただけだ。沖田がを選んで話したわけじゃない。ただ、彼は聞いていたことを怒らなかった。それは確かだ。だから、あの時松本と歩いて行く沖田を追ったことを後悔したことはなかった。
「おれが今、総司さんのためにできることってなんだと思う?」
ぽつりと問う。
「総司の代わりに、自分にできることをやればいい」
遠くに向けていた視線を、隣に戻す。井上が優しく微笑んでいた。
「それが、君にとっては剣術なのだろう? 総司と共に鍛え上げた技術を、後輩に伝えてあげればいい」
もう一度視線を二人に向ける。まだ議論をしていた。
「……そっか。それでいいのか」
笑みを浮かべる。
「ありがとう、源さん」
休憩を終わりにして、再び打ち合いを初めて数刻。井上はその様子を縁側でずっと見ていた。
夕暮れ時になって、今日の稽古を切り上げることにした。
「くそー! 今日もさんを殺せなかった!」
「一度くらい殺したかったが……」
「おまえらさ、おれはいいんだけど、誤解を招くからあんまり大声でおれを殺すとか言うなよ」
呆れた息を吐いて、が言う。
「いやあ、君たちの稽古は面白いね」
おかしそうに笑いながら井上が言う。
「井上さん、見てて楽しいですか? 俺たち、ただひたすら殺されてるだけなんですけど!」
野村が不満そうに言った。だが、他の隊士たちとの稽古とは、また違う稽古をしているのも確かだった。剣術をただ磨くのではなく、生き死にをかけた戦いをしていた。
「ひとつ面白い話をしてあげよう」
井上が話しだしたので、三人は目を向ける。
「昔、とある武術に秀でた武将がいた。その武将のところに、武術を教えて欲しいと男がやってきた」
御伽噺か何かだろうか? 黙って耳を傾ける。
「武将は初対面の男にこう聞いた。『何か武術の稽古をやっていただろう』と。男は『何もやっていない』と答えた。だが、武将は『そんなはずはない、何かやっているはずだ』と言ったところ、男は答えた。『武士とは死ぬ覚悟が何より大切だと思ったので、自分は死んだものだという気持ちになる稽古をした』――それを聞いた武将は微笑み、『武術の奥義もそれだ。いつも死んだと思っていることだ。そういう覚悟があれば、もう武術などいらない』と褒めたという」
井上が微笑む。
「君たちは死ぬ覚悟、本当にあるかい?」
井上の問いに、相馬と野村が力強く頷いた。
「当然です。新選組隊士ですから」
「俺たち命なんてとうに捨ててます」
「君はどうなんだね。死ぬ覚悟、できているかい」
は木刀を担いだ。
「覚悟はあるけど、命は捨ててないかな」
刀を持つからには、殺すからには、死ぬ覚悟はしている。殺される覚悟はしている。だが、命を捨てているつもりはなかった。
「まあ、さん武士じゃねえしな」
野村が言う。
「ありがたいお言葉を教えてやる」
井上から二人の方に向き直って、が言った。
「最初から命を捨ててるのと、結果的に死ぬのは違う」
それは永倉に言われた言葉だ。その言葉も、二人に渡す。
「足掻けよ。命を懸けて」
決して死ぬ場所を見間違うなと。
二人は理解した顔をして、それぞれ頷いた。