その日、は朝から忙しかった。

「雪村君が風邪を引いた?」

 早朝の厨にやってきたが頷く。井上は困ったように眉を寄せた。

「そうか……困ったねえ。今日あの子は朝食当番だったんだが。誰か代わりを――」
「源さん!」

 が井上の両肩を掴む。

「……何の為におれがこんな朝早くに来たと思ってる」

 井上がはっとしてから、ごくりと喉を鳴らした。

「……まさか、君が……?」

 は料理ができない。それは新選組隊内で誰もが知っていることだ。そんなが、自分から料理を手伝うと言っている。

「気持ちは嬉しいんだが……」
「ちゃんとやるから! 大丈夫! おかゆなら作れるようになったんだ!」

 沖田はで遊ぶかのように、時折の料理が食べたいと言い出すようになった。一度甘やかすとろくなことがないな、とは内心思っている。だが、そのおかげでおかゆだけはそれなりに作れるようになった。ならば、他の料理も少しくらい上達しているだろうとは思うのだ。

「そうかい……じゃあ、汁物を……いや、魚を……駄目だな……ううん……」
「そんなにおれって使えない!?」

 結局、野菜を切ってほしいと言われて、切るくらいなら余裕だとはざくざく野菜を切り始める。

「……何してんだ、

 背後から声がして、と井上が振り返る。怪訝な顔をした土方が立っていた。

「源さんの邪魔してんじゃねえぞ」
「邪魔ってなんですか! 手伝ってるんですよ!」
「雪村君が風邪で寝込んでいるみたいでね」
「雪村が?」

 フンとは土方に背を向けて、切った葉物を鍋に入れた。菜箸でかき混ぜながら、は息を吐く。

「千鶴ってああ見えて体頑丈っていうか、あまり風邪引いたりしないんですけど……伊東派が抜けたくらいから無理してたのがついに体に現れたって感じだと思うんですよね」

 が鍋で葉を茹でながら言う。

「そうかい……ところで、君、その鍋はそんなに煮立たせなくていいんだよ」
「えっ!?」

 土方が溜め息をついた。

「わかった、今日は雪村には休めって伝えておけ。おまえは源さんの邪魔にならないようにな」
「だから手伝ってるんですってば!」

 が憤慨して叫んだ。
 味の濃いお浸しができたり、沸騰しすぎた汁物になったりしたが、幹部たちの朝食をなんとか広間に置いて、は厨に戻った。おかゆを作る。千鶴がいなくても、おかゆだけは作れるようになった。いつも同じ味付けだけれど。

「千鶴ー、寝てるかー?」

 襖を開けて、が声をかける。千鶴が布団から上体を起こした。

ちゃん……ごめんね、迷惑かけて……朝食の支度どうだった?」
「全然余裕! おれ、実はやればなんでもできるんじゃね?」

 自信満々にが言うと、千鶴はくすくすと笑った。そうして、千鶴におかゆをのせた盆を渡す。

「自分で食べれるか?」
「大丈夫。これから沖田さんのところ?」
「そう。食べ終わったら、あとで片づけるから脇に置いておいてくれ」
「うん、ありがとう」

 千鶴が食べ始めたのを見てから、は厨に戻ってもう一つおかゆを作り始めた。二つ一気に作るなんて器用なことはできない。それを沖田に届けてから、山崎に千鶴の状況を伝えて風邪薬を貰い、巡察の準備をするために部屋に戻りがてら千鶴に薬を渡す。

「ごめん、遅くなった」
「いや大丈夫だ。それより、千鶴ちゃんが風邪引いたんだって?」

 永倉が一番組の皆と一緒に待っていた。

「うん、だから今日はおれが飯の手伝い」
「そうか……あのお浸しおまえが作っただろ」
「うまかっただろ?」
「おまえの味覚どうなってんだ?」

 味見しろ、と言われてからは皆と一緒に巡察に出る。
 昼過ぎに巡察から戻り、は部屋に向かって走った。

「千鶴ー?」

 そろりと襖を開けるが、返事はない。眠っているようだったが、寝苦しいのか何度も寝がえりをうっている。呼吸も荒い。隊服と鉢金を放り捨てて、は部屋を出る。桶を持って井戸で冷たい水を汲み、洗濯した手ぬぐいを何枚か取って、部屋に戻った。手ぬぐいを濡らし、きつく絞ってから千鶴の額にのせる。そして息を吐いた。

「軽く食べるか……」

 朝食は食べそびれた。昼食は相馬と野村もいたはずだから、人数は足りていたはずだと手伝わなかった。昼時は逃してしまったが何か残っているだろうか。千鶴が食べ終えた盆を持って厨に向かうと、相馬と野村が困った顔をしていた。

「どうした?」
「あ、さん。ちょうどいいところに」

 相馬が安堵したように息を吐いた。

「沖田さんが、『君たちの作ったおかゆは嫌』とか言って食ってくれなかったんだよ! どうにかしてくれよ!」
「あー……」

 野村の言葉を聞いて、は額を押さえた。

「じゃあ、それおれが食べるから置いといて……総司さんのはおれが作るから……」
「いいけど、さんおかゆで足りるのか?」
「なんか適当に食べるからいいよ。それと、食べたらおまえらの稽古な」
「えっ、大丈夫ですか? 雪村先輩も風邪を引かれているそうですし、今日は無理に付き合っていただかなくても……」
「いいっていいって。一日一回おまえらの相手しないとおれも調子でないしさ」

 そう言いながら、は沖田の分のおかゆの準備をする。二人は顔を見合わせる。

「手伝います。何をすればいいですか?」

 相馬が言った。大根おろしを作るよう指示を出して、はいつもの味付けでおかゆを作る。
 そうして、沖田のところに昼の薬と一緒におかゆを届け、厨に戻って相馬と野村が作ったおかゆを食べた。葱が入っているのを見て、沖田は食べないだろうなとは思った。冷たいおかゆを食べ終わり、他に食べるものを探すのも面倒だったので、そのまま食器を片付けてから木刀を持って中庭に向かった。
 夕暮れ時まで二人の稽古に付き合い、夕飯の支度を手伝う。また自分は食べずに、準備だけして、千鶴と沖田の分のおかゆを作り届けた。夕飯の膳をもう一つ用意して、山南の部屋にも届けた。
 それから、ようやく自分の時間になる。まずは今朝の走り込みができなかったので、屯所の塀の内側を何周も走り、それから中庭で木刀を振り始める。いつもの素振り千回だ。だが、五百を数える前に集中力が切れた。

「はあ……」

 溜め息をついて、木刀をおろす。ぐう、と腹が鳴った。

「何も食ってねえのか」

 ぎょっとして、は振り返る。土方がこちらに歩いてくるところだった。呆れた顔をしている。

「た、食べましたよ! 昼は」
「何食ったんだ?」
「おかゆ……」

 土方が息を吐いた。そして、包みを取り出してに渡した。

「なんですか?」

 木刀を地面に置いて、包みを受け取る。開くと握り飯が二つとたくあんが入っていた。

「え、これ……」
「雪村に続いておまえまで倒れたら、隊内が回らなくなるからな。飯はちゃんと食え」

 は握り飯を凝視したまま、今の言葉を脳内で繰り返した。

「……おれ、役に立ててますか?」

 ぽつりと呟く。
 千鶴がいないのはまずい。だから、千鶴が倒れた分、自分が手伝わなければと思った。食事の用意なんて普段なら率先してやろうだなんて思わない。どうせ皆まずいと言うに決まっているし厨に立つだけで迷惑がられる。

「謙遜すんのはいいが、自分の力量はきちんと理解しておけ」

 の頭に手をのせて、土方が言う。

「おまえがいなきゃ、今の新選組は回らねえ。だから、体調管理もしっかりしろ。無茶はするな」

 ずっと、自分の存在価値は無いと思っていた。沖田の代わりだって、務まっているのかわからない。千鶴の代わりなんて無理なのだと今日思い知った。謙遜ではない、これは自己評価だ。役に立たない居候の。自分は、そうなのだと思っていた。
 だが、新選組にとって、今の自分は必要らしい。歯車の一つだと土方は言う。いなければ回らないのだと。

「……はい」

 泣きそうなのを堪えて、は俯いたまま頷いた。今年に入って、いろいろなことがあった。自分の無力さも思い知ったが、こうして自分のことを認めてくれることも多くあった。
 仲間であると、ここにいてもいいのだと、そう言ってもらえるように頑張って来た努力が、報われているような気がした。
 千鶴の風邪は翌日にはすっかりよくなり、はいつも通りの生活に戻った。少し違うのは、以前よりも自分に自信を持てたこと。ここからだ、とは思う。の存在価値を知らしめるには、もっと頑張らなくてはと思う。できることから、少しずつ。