十月。秋が深まり、すっかり紅葉の季節になったが、今の新選組はゆっくりと紅葉を楽しむ余裕はなかった。幹部の数が足りない。元々いた組長がどんどんいなくなり、そして御陵衛士の離隊。残された三人の幹部のうち、沖田は臥せっているため、実質動けるのは永倉と原田しかいない。賑やかだった夕食も静かになり、終わり次第二人はそれぞれの仕事のために広間を出て行く。
「ちゃん、今日はゆっくりでいいの?」
千鶴に問われ、は頷きながら汁物を飲んでいた。
「今日の夜は一番組は屯所待機だから。あとで総司さんの飯持ってくよ」
「うん、お願い。ここ数日、何も食べてくれなくて……」
千鶴が溜め息をついた。と土方が同時に眉を寄せた。
「大丈夫、あとで無理矢理食べさせるから!」
「そんな……無理矢理は駄目だよ!」
箸を持ったまま拳を握るに、千鶴が首を振った時。広間の引き戸が静かに開いた。
「沖田君は相変わらずですが、病状は悪化しているようですね」
山南が現れるなり、そんなことを言った。と千鶴が驚いて目を向けた。
「突然どうしたってんだ? 山南さんが広間に顔を出すってだけでも珍しいが、いきなり総司の話題とはな。気がかりなことでもあったか?」
土方が問う。
「ええ、少しばかり。なにせ変若水が作用するのは、命のある間だけですから」
「……山南さん」
土方が厳しい口調で名を呼ぶ。
「賢明な土方君でしたら、私が何を言いたいのかおわかりでしょうね」
山南の冷たい笑みが、不気味に見えた。
「余計な気を回さなくても、総司なら心配いらねえよ。最悪でも変若水が必要な事態にはならねえって、俺が保証してやる」
「今のような状態が続くことを、彼は望まないと思いますがね」
沈黙が落ちる。食べかけの食事をとることもできず、と千鶴は二人の次の言葉を待つ。
「……私は沖田君の体調を案じているだけですよ」
山南が穏やかな口調で沈黙を破る。
「先程見舞いに行きましたが、塞ぎ込んでいるようですから」
「総司さんが拗ねてるのは、いつものことですよ」
が口を挟む。山南は無言でを見て、笑みを浮かべた。
「……。総司の様子を見て来てくれるか」
「はい」
残りの食事を一気にかき込み、膳を千鶴に預けて、は沖田の部屋へと向かった。
「総司さん、入るよ」
襖を開ける。眠っているのか、部屋は暗く、布団に横になっているのがわかる。
「寝てるのか?」
返事はない。脇にある膳は今日の昼食だ。手つかずで置かれているのを見て、溜め息をつく。
「何か用?」
冷たい口調が飛んでくる。
「起きてるじゃん……なんで飯食べないの? 最近何も食べてくれないって、千鶴が言ってたぞ」
「今日は何も食べたくない」
声だけが帰って来る。今日だけではないはずなのだが。がまた溜め息をついた。それが気に食わなかったのか、沖田が起き上がった。
「食べたくないから食べない。それのどこが悪いの? 食事も喉を通らない僕に、無理させたいって言うの? それとも、君たちは食事さえすれば労咳が治るとでも思ってる?」
沖田が不機嫌そうに言った。睨んで来るその目は元気な頃には見たことがないほど敵意に満ちていて、本当に病状が悪化しているのだなと改めて感じられる。
「少しでいいから食べる気ない?」
「ない」
「もー。じゃあ、何なら食べるんだよ。おれたちだって、少しでも食べてくれれば、こんなにうるさく言ったりしないんだって」
が腰に手を当てて、沖田を見下ろす。沖田が眉を寄せた。
「僕が僕の身体をどうしようと君たちには関係ないのに、どうしてそんなにうるさく言うわけ?」
「どうしてって、それは――」
「君たちの同情なんて必要ないんだよ」
沖田が顔を背ける。この部屋に来てから何度目かわからない溜め息をつこうとしたが、なんとか飲み込んだ。
「……総司さんは、おれたちのことそんな風に思ってたんだな」
「……」
「同情に感じてたんなら謝るよ。でも、おれたちがそんなこと考えて総司さんのこと心配してるわけじゃないって、本当はわかってるだろ」
沖田は何も答えない。
「おれたちって、そんなに信用ないのかな」
落ち込んだ声に、沖田が視線を戻した。は沖田から目を逸らしていた。
「……君たちのこと、信用してないとか、そういうわけじゃないけど」
ぽつり、と沖田が言う。が暗闇でにやりと笑った。
「そう? じゃあ、飯も食べるよな!」
「……なんでそうなるかなあ」
満面の笑みで言うに、沖田が肩を落とした。
「それで、何が食べたいんだ? 千鶴に言えばなんだって作ってくれるって!」
が沖田の脇に座り込んで問う。結局押し負けた沖田が、溜め息をつく。そして意地悪そうな顔で笑った。
「たまには違うものが食べたくてさ」
「違うもの?」
うん、と沖田が頷く。
「ねえ。ちゃんが作ってよ」
「はあ!?」
病人の隣で、は大声で叫んだ。
「あのさあ……おれが料理できないの知ってる?」
「知ってる」
食事当番は千鶴や相馬、野村、井上を中心に、隊士たちで当番制となっていた。だが、は料理ができない。それはもう、壊滅的と言っていい。食材の無駄だからと、当番から特別に除外されている。
「おかゆくらい作れるでしょ? 大根おろし入れたやつ。味付けは任せるけど、苦かったら食べない。頑張ってね」
「くっ……!」
断りたい。ふざけるなと言いたい。だが、相手は食事も取っていない病人で、少しでも何か食べて欲しい気持ちは確かにあって。
「わかった! 作る! 作ったら食べろよな!」
そう言っては立ち上がった。
「はいはい。あ、葱は抜いてくれないと食べないから。あと量は少しじゃないと困るよ。美味しく作ってね」
「わがままー!」
襖を乱暴に閉めて部屋を出る。……どうしよう。悩むのは一瞬で、は廊下を走り出した。
「千鶴ー! 助けてくれー!」
「ど、どうしたのちゃん……!?」
厨に駆け込み、は夕食の片付けをしている千鶴に助けを求めた。が千鶴に助けを求めることなど、まずない。つまり、余程の何かが起こっているのだと千鶴は警戒したようだったが、が沖田に無理難題を押し付けられたことを話すと、安心して息を吐き出した。
「沖田さんがそんなことを……」
そう呟き、千鶴は拳を握った。
「大丈夫! おかゆくらいならちゃんでも作れると思う!」
「おれ昔、米を炭にして母さんに怒られたことあるけど大丈夫か?」
「だ、大丈夫……! きっと! 私がついてるから!」
そうして、千鶴先生による料理講座が始まった。大根おろしを入れたやつ。葱はなし。味付けは任せる……任せるってなんだ。と、沖田からの注文を千鶴に伝えて、は千鶴と一緒に頑張っておかゆを作った。
そうして、は再び沖田の部屋を訪れていた。ずい、と盆を差し出され、沖田は少し吹きこぼれた土鍋とを見比べた。
「……これ、本当にちゃんが作ったの? 千鶴ちゃんじゃなくて?」
「千鶴に助言は貰ったけど、作ったのはおれ……です……」
「ふーん……」
沖田は意外そうな声をあげた。本当に作って来るとは思わなかったような反応だ。
そして盆を膝にのせて、震える手で匙を持つ。それを見て、が匙を奪い取った。
「ほら」
が匙でおかゆを掬って、沖田の口元に運ぶ。沖田がじとりとを見た。
「……なんだか病人扱いされてるみたい」
「病人だろ、何言ってんだ今更」
が急かして、沖田はようやく口を開けた。咀嚼して飲み込む。
「……どう?」
沖田が首を傾げる。
「味覚が麻痺してるのか、よくわからないな……まあ、食べられるし。及第点かな」
「よかった……」
ほっと息をつきながら、は沖田の口元におかゆを運ぶ。自分は千鶴と比べて病人の看病なんてし慣れていない。ただ、沖田の着物や布団に零さないようにということだけを気を付ける。
沖田はやがておかゆをすべて食べ終えた。数日ぶりの食事を取ったのだ。はまたほっと息を吐く。
「ごめんね、心配かけて」
盆を片付けようとすると、沖田が急にそんなことを言いだした。
「君たちの目にどう見えてるかわからないけど、これでも素直に闘病生活してるつもりだよ。ここ数日反抗してたのは、ちょっと疲れちゃっただけで、何もかも嫌になったとかそういうのじゃないから」
「そう……それならいいんだけど」
脇に盆を置いて、は胡坐をかいて座った。
「あ、あとこれ千鶴から。今日の夜の薬」
「……松本先生の薬、苦いんだよなあ」
「ほら、頑張って飲む!」
水と薬を手渡すと、沖田は渋々といった様子だが、素直に薬を飲んだ。何もかも嫌になったわけじゃない。その言葉に安堵する。
「じゃあ、ゆっくり寝ろよな」
「うん。明日も美味しく作ってね」
「明日もおれが作るのか!?」
ぎょっとして叫ぶと、沖田はいつもの様子でおかしそうに笑った。