三か所目の屯所は、不動堂村に造られることになった。引っ越し作業をする組と、西本願寺を掃除する組で分かれ、は掃除組だった。そして、最後に大役がある。

「総司さーん、そろそろ行くよー」

 沖田の部屋の襖を開ける。咳をしながら沖田が振り向いた。

「はあ、君の護衛付きで移動しなきゃならないなんてね……」
「護衛じゃなくて看護!」
「それは千鶴ちゃんに頼みたいかな」

 沖田の部屋の荷物は出し終えていたが、一つだけ桐箱が残っていた。沖田が触るなとに言った箱だ。

「総司さん、あれは?」

 が指さす。

「あれは僕が持って行くから」
「え? じゃあ、おれが持つよ」
「いいよ。大事なものだから、僕が自分で持って行きたいんだ」
「大事なものを、途中で落としたらどうすんだよ」

 沖田がをじとりと見る。落とさないとは言い切れないのだろう。西本願寺から不動堂村までさほど距離はないが、沖田にとっては久しぶりの長距離移動になる。しばし睨み合って、沖田が折れた。

「絶対落とさないでね。中も見ないで」
「任せろ!」

 が胸を張って言うと、桐箱を抱えた。
 沖田に肩を貸しながら、二人で不動堂村へと移動する。は既に何度か自室の荷物移動で来ていたが、沖田は新しい屯所は初めてだ。

「ここ?」

 沖田がぽかんとした顔で屯所を見上げる。

「そうだよ。大名屋敷みたいですごいだろ!」
「君が自慢げなのはよくわからないけど、確かにすごいね」

 物見やぐらや馬屋まである。厨も風呂も広くて、隊士たちは色めき立っていた。今度の屯所は一般隊士たちも余裕を持って生活できるだけの広さがあり、と千鶴の部屋も随分と広いのだ。

「近藤さん、嬉しいだろうなあ……」

 沖田が呟いた。はそれに笑みを浮かべる。

「総司さんの部屋はこっち!」

 沖田の部屋には既に布団などが運び込まれており、が持っていた桐箱を室内に置いて、すべての荷物移動が完了した。

「じゃあ、おれ他にも作業あるから、またな!」
「うん。またね」

 沖田を部屋に送り届けて、一番の大役はこなしたと言っていい。あとは片付けの手が足りていないところを手伝ったりしていると、夕方になっていた。は改めて屯所をぐるりと一周する。

「はあー。いい屯所だなー」
「そうだろう、そうだろう!」

 広間でが呟くと、返事があった。驚いて振り向くと、近藤と千鶴が広間に入って来たところだった。

「総司を連れて来てくれたんだったな、ありがとう君」
「ああ、いえ。別にそれくらいなんでもないです」

 ふう、と息を吐いて近藤が少し疲れたように中央に座った。汗をかいているようだ。

「近藤さん、新しい道場で皆さんと稽古してきたところなの」
「なるほど、そういうことか」
「はは、いやあ、雪村君を案内しようと思ったんだが、道場で時間を取られてしまってな。全部回りきれなかったんだよ」

 近藤が苦笑する。千鶴が微笑みながら首を振った。

「大丈夫ですよ。今日からこの屯所に住むんですし、いくらでも見て回れますから」

 千鶴が持ってきた茶を近藤に渡した。近藤が茶に口をつける。

「いいものだなあ。こうして皆を迎えいれる家があるというのは。長年の夢がまた一つ叶った気分だよ」

 近藤が嬉しそうに言う。

「夢ですか?」
「ああ。俺は侍になって、お上のために刀を振るうのが昔からの夢だった」

 農家の息子が剣を持っていた時代。その時代に周囲から何を言われていたのかは、想像に難くない。でも、今は幕府のために戦う武士になった。

「その夢は叶ったんですよね? この間、直参の立場になったんでしょう?」

 が言う。

「ああ。その意味では、俺の夢は叶った。……だから、次は俺と同じような夢を持つ奴らに道を開いてやりたいんだ」
「道?」
「そう。お上を敬う気持ちと剣の腕があれば、身分に関係なく侍に取り立ててもらえる――新選組をそんな場所にしたいんだよ」

 そう言うと、近藤は苦笑した。

「ただ、侍を目指すという形だと、侍の立場が嫌で脱藩した永倉君や原田君には申し訳ないなあ」

 一瞬の沈黙。

「あのっ!」

 千鶴が声をあげた。

「わ、私でもなれますか!?」

 と近藤は目を見開く。

「もし本当に近藤さんの言う通り、身分に関係なく侍になる機会があるとしたら、私も侍になれるでしょうか?」

 千鶴が侍を目指しているわけではないことはは知っている。それでも、きっと近藤に悲しい顔をしてほしくなくて、咄嗟にそんな言葉が出たのだろう。近藤は驚いてから、優しく微笑んだ。

「ああ、君ならなれるかもしれないな」

 そう言って、近藤はゆっくりと首を振る。

「しかし今は、その気持ちだけで充分だ。個人的な意見だが、君のような優しい子は、普通の女の子に戻って幸せになってほしい。……そう思うよ、俺は」
「普通の……」

 千鶴がそう呟いて、拳を握ったのが視界に入った。鬼から狙われている身で、普通の女の子の生活に戻ることができるのはまだまだ先のことかもしれない。それでも、近藤がそう言ってくれることが嬉しくないわけもない。泣きだしそうな笑みを浮かべる千鶴の心情を察して、は笑みを浮かべた。
 夜になり、と千鶴は部屋で並んで布団に入る。部屋を分けるかと屯所を造る際に聞かれたが、二人とも同じ部屋でいいと言ったのだ。

「なあ、千鶴」

 部屋の明かりを消して、暗闇の中でが言う。

「なに?」
「おまえはさ、侍にならなくていいからな」

 夕方の近藤との話の続きだった。

「うん……私にはきっと、侍になるなんて無理だから……」
「そうじゃなくて」

 は否定してから、千鶴の方に顔を向ける。千鶴もを見ていた。

「おまえは、剣の道より、医術の道の方があってると思うよ」
「医術の……?」
「そう。人の命を奪うんじゃなくて、救う側」

 千鶴の手を汚したくはない、とは思う。汚れ役はすべて自分でいい。千鶴の敵を斬ることで彼女を間接的に血に染めることにはなるかもしれないが、せめて彼女の手は人を救う手であってほしいと思う。

「これはおれの我儘だ。十五年くらいおまえと一緒にいる、親友の我儘」

 だから、聞いてくれたら嬉しいけれど、どうしてもと言うなら聞かなくてもいい。は頭の位置を元に戻した。

「……あのね、ちゃん」
「うん」
「確かに、侍は人の命を奪うのかもしれない」
「うん」
「でも……新選組の皆さんは、誰かの命を奪って、私を助けてくれてるんだよ」

 は再び千鶴に目を向ける。暗闇でもわかる。千鶴は微笑んでいた。

「侍も、人を救えるんじゃないかな」

 その手を血に染めて。自分と誰かの命を救う。

「いつもありがとう、ちゃん」
「……おれは侍じゃないよ」
「うん、知ってる」

 そんなやりとりをして眠りにつく。目を閉じて、は考える。侍ではないのに、人の命を奪っている自分は、一体何なのだろう、と。