ずんずんと廊下を歩く。屯所を出て、寺の方に向かった。暗がりにある階段に座り込み、膝を抱える。
 新選組隊士ではない。そんなこと、今更言われなくたってわかっている。

「ここにいたのか。捜したぞ」

 近藤がやってきたのは、四半刻ほど経ってからだった。近藤がの隣に腰かけた。

「雪村君はここに残るそうだよ。千姫殿にも、今まで通り頼むと言われた」
「そうですか……」

 ひとまずほっと息をつく。それでも、の心は晴れなかった。

「君は隊士ではない、と言われたことかね」
「……」

 は膝を抱える腕に力を入れた。

「わかってるんですよ。おれが隊士とは名ばかりのただの居候だってことは」

 ぽつりと呟く。

「千鶴みたいに、雪村先生を捜してるっていう、新選組との共通点もない。おれは本当にただの居候だ」

 そんなことを思ったのは初めてではない。新選組にとって、自分に価値はない。ただの居候で、見習い扱いであって隊士ではない。いくら他の隊士たちと交流があって、新選組の一員になったつもりになっても、新選組に必要なのは千鶴だけで、自分はただの付属物。不要になった時、いつでも斬れる立場にいる。

「千鶴の護衛ってのも名ばかりで……いつも新選組のみんなに助けられてる。いくら稽古をつけてもらったって、おれは千鶴の護衛には見合わない……そんなことはわかってるんです」

 顔を膝に埋めた。だって、風間には勝てない。沖田にも勝てない。伊庭にだって勝てない。何人か人を殺したところで、自分はいつまで経っても弱いままだ。たまたま生き残っているだけ。

「総司がな、君の話を嬉しそうにしてくれるよ」

 近藤の言葉に、は顔を上げた。

「総司さんが?」
「教え子ができて嬉しいんだろうなあ。彼女は強くなる、とよく言ってるよ。いつか自分を超えるかもしれない、とね」

 が目を見開く。沖田を超える? 自分が? そんなことを、沖田のような負けず嫌いが言うはずがないと思った。きっと冗談だ。笑い話で言ったに違いないと思いながらも、剣術のことで彼が冗談を言うだろうかとも思う。は顔を逸らした。

「無理ですよ。だっておれは――」
「性別の壁は無いとは言わない。男と女では、筋力の差もあるだろう。……それでも、俺も君はそれを補う技術と根性があると思う」
「そうかなあ……」

 自分は強いと言い聞かせて来た。実際、隊士たちの中で自分に勝てる者はもはや幹部くらいと言っていい。それなのに、本当に千鶴を守れるのかと、何度自問自答したかわからない。

君」

 近藤が名を呼び、はまた近藤に顔を向けた。

「どうだね、本当に新選組の隊士になるというのは」
「え?」

 が驚いて目を丸くした。そして、また顔を逸らす。

「なんの冗談ですか。おれは女ですよ」
「実はな、新選組の入隊に性別を定めたものはないんだ。まあ、男であることを前提にしていたというのは確かなんだが」

 新選組は入隊後は共同生活をする必要があるため、必然的に女では入隊はできなかった。

「居場所がないんだろう?」
「……」

 は何か言いたげに口を開き、そして首を振った。

「いや、待ってください。新選組の局中法度は知ってます。新選組の脱退は禁じられているはず。おれは千鶴がここに身を寄せている間の一時的な居候です。正式に隊士になったら、千鶴がもしここを離れることになった時に困る」
「もしその時が来たら、君を『雪村君の護衛』という永久任務に就けよう」

 はもう一度近藤を見る。優しい顔をしていた。

「……どうして、おれにそこまでしてくれるんですか」
「なにも、えこひいきしているわけではない。正当な評価だと思っているよ。君は新選組のために働いてくれているし、他の隊士の面倒も見てくれているだろう」

 確かに隊士の面倒を見ていると言えるのかもしれない。沖田の補佐という形で巡察に出ていたし、今も永倉と共に一番組の巡察や稽古に参加をしている。

「肩書が変わるだけで、待遇は変わらないと思うし、他の隊士の手前今まで通り男として暮らしともらうことにはなると思うが……それでももし、君の心が少しでも救われるなら、俺は君にこの新選組に尽くしてくれている恩を返したい」
「近藤さん……」

 決して冗談を言っているわけではない。それが感じられたから、は何も言うことができなかった。は返事をしようとして、また膝を抱えた。

「……少し、考えさせてください」
「ああ、いいとも」

 近藤は優しく頷く。

「だが、居候とはいえ、君は今は新選組の仲間であることに変わりはない。そのことは忘れないでくれ」

 大きなあたたかい手が頭におりてきた。

「……ありがとうございます」

 涙が出そうなのを、必死に堪えた。
 ――その時、一発の銃声が響いた。弾かれたように二人は立ち上がる。

「なんだ!?」
「何事だ!」

 こちらに慌てて駆けて来る影があった。

「局長! それにさんもいたのか!」

 野村だった。

「野村君! 何事だね!」

 近藤が鋭く問う。

「敵襲です! 風間、とかいう奴らが!」
「風間!?」

 が階段から飛び降りた。

「千鶴を守らなきゃ!」
「雪村君は自室に戻ったはずだ!」
「はい!」

 近藤の言葉を聞いて、は部屋に向かって走った。敵襲があるなら、こんなに部屋から離れたりはしなかったのに。戦闘の音が遠のく。そして、やがて聞こえなくなった。部屋の襖を開ける。

「いない!?」

 部屋には誰もいなかった。再び外に出る。

「千鶴! どこだ!?」

 叫ぶ。返事はない。

「くそっ……もう連れてかれちまったのか……!?」

 そんなはずはない。確かに伊東派がいなくなって隊士は減ったが、まだ幹部たちは残っている。そう簡単に千鶴が連れ去られるはずがない。だって、彼らは言ったのだ。――守る、と。
 微かに剣戟の音が聞こえ、はそちらに向かって走った。

「あれは……!」

 捜し人の姿がそこにあった。千鶴と相馬だ。千鶴を庇うように、刀も持っていない相馬が立っている。その前にいるのは、見間違えるはずもない――風間千景だ。は勢いよく刀を抜くと、さらに地面を強く踏み込んだ。そして走った勢いのまま、風間に向かって刀を振り下ろした。鋼と鋼がぶつかる。風間は片手での一刀を防いでいた。後ろに跳躍し、間合いをあける。

「おい、何で外に出てるんだおまえら!」
ちゃん!」
「部屋にいったらいないし! おい、相馬! 生きてるか!?」
、さん……」

 相馬は血塗れで、立っているのがやっとという様子だ。間に合ったことに安堵する。

「ふん、非力な番犬か……」

 風間がつまらなさそうに言う。は息を吐く。――大丈夫、落ち着いている。

「非力かどうかは……!」

 踏み込む。強く振り下ろした刀が、片手で止められる。風間が口元に微かに笑みを浮かべた。

「ほう。多少は腕を上げたな。褒めてやろう」
「おまえに褒められても嬉しくないんだよ!」

 続けざまに刀を叩きこむ。この刀が折れたって構わない。それくらいじゃないと、この男には力負けしてしまう。間合いをあけて、体勢を立て直そうとするところに、風間が追うように一歩踏み込んだ。

「ぐっ……!」

 受けきれなかった刀の切っ先が、肩から首にかけてを切り裂いた。辛うじて剣筋を逸らせたため、首は繋がっている。

ちゃん!」

 千鶴が叫ぶ。

「千鶴! 相馬を連れてみんなのところまで逃げろ!」

 相馬は膝をついていた。このまま巻き込むわけにはいかない。

ちゃん、だめ! 土方さんに戦いを禁じられているはず……!」
「言ってられるかよ!」

 が再び地面を蹴る。刀も腕も折れてしまいそうなほど、強く、強く刀を打ち込む。例えすべてが受け止められていようとも、最後の一太刀だけでも届かせることを考えた。殺さなければ。殺さなければ。――ここで殺さなければ、自分たちに明日は来ない。
 風間はの刀を受けつつ、時折強い力で弾き返した。その隙に、一撃ずつに刀傷を増やしていく。

「くそっ……!」

 間合いを取る。

「人間がどう足掻いたところで、俺の前では無駄なことだ!」
「面白いことを言いますね。人間ではあなたには勝てないと?」

 再び踏み込もうとしたが、動きを止めた。振り返ると、山南が抜刀した状態でこちらに歩いてくる。

「では、人間以外の者を相手にしてもらいましょうか」
「山南さん! 来てくれたんですね……!」

 千鶴が歓喜の声をあげた。後ろに隊士たちを引きつれている。羅刹隊だ。

「山南、さん……? 総長? あなたは、亡くなったと聞いて……」

 相馬が苦し気に呟く。

「詳しい話はあとです。下がっていなさい、三人とも。人ならざる者たちの戦いに、巻き込まれたくなければね」

 山南、そして隊士たちの髪が白髪に変わっていく。双眸は赤。

「さあ、鬼の力とやらが羅刹と比べて如何程のものか、とくと見せてもらいましょうか!」
「ちっ! おのれ、死に損ないのまがい物どもが……!」

 風間は忌々し気にそう言うと、刀を納めた。

「……ここまでに時間をかけすぎた。いいだろう、ここは退いてやる。だが、忘れるな鬼の娘。俺はまたいずれ、おまえを迎えに来る」

 そう言い残し、風間は塀を飛び越えて闇夜に消えていった。気配が消える。
 ふう、と息を吐いてはその場にしゃがみこむ。少し血を流しすぎたのかもしれない。くらくらした。

君、無事ですか?」

 山南が近付いてくる。髪も目も、元に戻っていた。

「大したことないです、これくらい」

 強がって言う。本当は、今すぐには立ち上がりたくなかった。

「君は、強くなりましたね」

 優しい声に、は驚いて顔を上げた。

「雪村君を守ったのは君ではないですか。君は、その居場所を自分で掴み取ったのですよ」

 千鶴を守れない自分に、価値なんてないと思っていた。千鶴に目を向ける。彼女は無傷だ。自分が守ったから。

「……そうか」

 眉を下げ、は笑う。強くなって、自分で自分の居場所を掴み取った。風間は殺せなかったけど、自分たちには明日がやってくるようだ。それで十分だと、は思った。

「……雪村先輩、今のは何だったんですか? あの男も鬼とか、まがい物とか、妙な事を言っていました……」

 そして、相馬は山南に目を向ける。

「それより、亡くなったと聞いていた山南総長のあの姿……あれは、俺の持っていたあの錦絵と同じ姿だった……」

 白髪に赤い目の、浅葱色の隊服を着た鬼。確かに、相馬が新選組に関わるきっかけになった錦絵と同じ姿だっただろう。あれこそ、羅刹を描いた絵だったのだから。

「……ごめんなさい。私の口からは何も言えない。この話は、今まで以上に新選組の本当の秘密に関わってしまう。近藤さんや土方さんの許可なしに、内容を漏らすことはできない……」

 千鶴はもう一度、ごめんなさい、と言った。だが、すぐに話はあるはずだとは思った。一度見てしまった以上、土方からの説明はあるだろう。こうして相馬はまた一つ、新選組の秘密を知ることになる。

「……わかりました。無理に聞こうとは思いません」
「相馬君、賢明な判断に感謝します。世の中には聞くべきでないことなど、無数にありますから」

 山南がの横からそう声をかけた。

「それに、ここで雪村君が言わずとも、結果的には変わりません。私が生きていたことを知った以上は、すぐに土方君から説明があるでしょうからね」

 では、と言って山南は立ち去った。入れ替わるように足音が近付いてくる。

「おい、雪村!」
「千鶴! 無事か!?」
「土方さん、原田さん」

 千鶴の無事な姿に、二人はほっと息をついた。

「相馬に……」

 そして、土方と目が合った。

! おまえ、まさか風間とやり合ったのか!?」
「すんませーん」

 は露骨に目を逸らした。

「反省の色が見えねえんだよ、ったく……おい、雪村。相馬の手当が済んだら、俺の部屋に一緒に来い。原田はの手当しとけ」
「あいよ」

 よっこらしょ、と言っては立ち上がる。少しふらついたが、歩けそうだった。原田の後について屋内に戻る。千鶴は広間で相馬の手当をすると言ったので、は自室で原田から手当を受けることになった。

「傷はそう多くねえが、深いな……風間の野郎……」
「すぐ塞がるから適当でいいよ」

 丁寧な手当を受けながら、が欠伸をしていた時だった。がらりと襖が開く。

ちゃんが怪我したって本当?」

 沖田がやってきた。

「こら総司、女が肌見せてるところだぞ。開ける前に声かけろ」
「いいよ別に、見られて減るもんじゃないし」
「馬鹿、減るんだよこういうのは」

 原田に頭を小突かれる。そういうものだろうか。よくわからない。

「鬼とやり合うのは、土方さんに禁止されたんじゃなかった?」
「忘れた」

 はあ、と沖田が溜め息をつく。

「……強くなったって、言われた」
「誰に?」

 は少し迷って、言葉を続ける。

「山南さん……と、風間」
「風間に?」
「へえ、敵が思わずそう言っちまうほど、強くなったってことだろ。前にやり合ったのは二条城の時だったか?」

 沖田と原田が意外そうな声をあげる。

「でも勝てなかった」

 は不満げだった。

「勝つだけが戦じゃねえよ。おまえは山南さんたちが来るまで千鶴を守ったんだ。誇っていいと思うぜ」

 山南も言っていた。千鶴を守ったのは自分だと。
 そして風間が来る前、近藤が言っていた言葉を思い出して沖田を見上げる。

「ねえ、総司さん。おれ、強くなったかな」

 全然だ、と。そんな答えだろうと予想しながら問いかける。

「うーん、そうだなあ、まだ僕には全然及ばないけど」
「ぐっ……」

 予想していても、その通りの言葉だと悔しかった。でもね、と言って沖田がの前にしゃがみこんだ。そして、頭にぽんと手をのせる。

「君は強くなったよ、ちゃん。お疲れ様。よく千鶴ちゃんを守ったね」
「……」

 それは、自分が欲しかった言葉だった。千鶴を守ることなんて、できないんじゃないかと思っていた。強くなんかなっていないと、そう思っていた。

「……おれ、新選組の仲間になれるくらい、強くなった?」

 沖田が不思議そうに首を傾げた。

「君はとっくに僕たちの仲間じゃない」

 仲間じゃないと言ったその口で、とっくに仲間だと言う。ずっと悩んでいた自分が馬鹿みたいで、は笑った。心に絡みついていた重石が解けていく。千鶴を守れた。新選組の仲間と認めてもらえた。――強くなったから。涙が出そうで、はしばらく俯いた顔を上げられなかった。

 翌日、西本願寺がこれ以上新選組がここに留まるのは困ると言ってきた。直接的な物言いではなかったにしろ、ようするに「出て行け」ということである。昨晩の騒ぎが原因だった。ここであのような騒ぎを起こされては困るということだったが、長州側からも何か言われているだろうことが察せられた。自分のせいで、と言う千鶴に、元々押しかけたのは我々だからと近藤は言った。西本願寺側が、移転先の敷地も屯所も費用もすべて用意してくれるとのことだった。
 こうして夏を迎える頃、二年と少し過ごした西本願寺を後にする。