六月。伊東たちがいなくなったことにも少しずつ慣れ始めた頃。そんなある夜のこと。

「雪村、まだ起きてるか?」

 土方だった。

「はい、起きてますけど……何か私にご用でしょうか?」
「おまえに来客だ。支度が出来たら、広間まで来てくれ」
「来客?」
も起きてたら連れてこい」
ちゃん」
「起きてる」

 も体を起こした。手早く身支度を済ませ、広間へと向かう。いつもの面子が集まっていた。

「やあ、すまないね。休んでいるところを起こしてしまって」

 近藤が言う。沖田が千鶴を見て笑った。

「髪、すごい寝ぐせだよ。結い直してくる暇すらなかったの?」
「えっ!? 本当ですか? すみません、私――」
「総司、くだらねえ冗談はやめろ」

 土方がぴしゃりと言う。

「寝ぐせついてたら、おれが先に言うだろ」

 に言われ、千鶴は軽く沖田を睨んだ。

「よく来てくれましたね。そちらに座ってください」

 山南まで来ていることで、これはただ事ではないと二人は判断する。言われた通りに千鶴が座り、は幹部たちの近くに座った。

「千鶴ちゃん、お久しぶりね。ごめんなさい、こんな夜遅くにお邪魔しちゃって」

 ようやく来客を視界に入れる。

「お千ちゃん……?」

 も以前会ったことがある、千鶴と知り合いの町娘だ。隣の女性もどこかで見たことがある気がしたが、誰だろう。

「彼女は私の連れよ。まあ、護衛役みたいなものだと思ってちょうだい」
「護衛役……?」
「おまえにどうしても話してえことがあるんだとよ」

 土方はそれだけ言って、あとは黙り込んだ。話はすべて千鶴に任せるようだ。

「それで、今日は一体何の用事でここに?」

 千鶴が問う。千は真剣な表情で話を始めた。

「用というのは、他でもないわ。私、あなたを迎えに来たの」
「迎えに来た、って……どういうこと? 言っている意味がよくわからないんだけど……」
「そうね。説明すると長くなるんだけど……何から話せばいいかしら」
「もはや一刻の猶予もありません。すぐにここを出る準備をしてください」

 護衛の女性が鋭く言う。

「ちょ、ちょっと待ってください。どうして私があなたたちと一緒に?」

 千鶴が言う。

「そうだぜ、わけがわからねえ! いきなり訪ねてきて、彼女に会わせろなんて言い出すしよ」
「あんたら、こいつの親戚か何かか? こいつの方には心当たりはねえようだが」

 永倉と原田が口々に言う。千鶴はその声で落ち着きを取り戻した。

「お千ちゃん、詳しく説明してくれる?」
「……まあ、そうよね。いきなりこんなことを言っても、わけがわからないわよね。わかったわ、順を追って説明するわね。ちょっと時間がかかりそうだけど」

 近藤が一歩前に出る。

「我々は席を外していた方がいいかね?」
「いえ、同席していてください。あなたたちにも関わりがあることですから」

 千は首を振り、一度新選組の幹部たちの方を見た。

「あなたたち、風間を知っていますよね? 何度か刀を交えていると聞きました」
「なぜ、そのことを知ってる?」

 土方が眉を寄せた。

「この京で起きていることは、大体私の耳に入って来るんです」

 千が何でもないように答えた。

「なるほど。おまえも奴らと似たような、うさんくさい連中の一味ってことか」
「あんなのと一緒にされるのも不本意だけど。でも、遠からず……かしら」
「……まあいい、風間の話だったな」

 土方が話を促す。

「あいつは、池田屋、禁門の変、二条城と……何度も俺たちの邪魔をしてきた、薩長の仲間だろ」
「仲間っていうより、彼らは彼らで何か目的があるみたいだったけどね」
「どっちにしても、俺たちの敵ってのは確かだ」

 千が睨みつけるように土方たちを見る。

「彼らの狙いが、そこにいる彼女だということも?」

 近藤が頷いた。

「それも承知している。確か彼らは、自らを『鬼』と名乗っていたな。信じてるわけではないが……」

 山南が首を振った。

「いえ、鬼と言われた方が妥当でしょう。三人が三人共、人間離れした使い手ということですし。それなのに、人の世界では全く名が通っていない――そんなことは、本来有り得ないことです」
「あはは、山南さんがそういうこと言うのって珍しいですよね」

 沖田が茶化すが、その通りだと誰もが思っていた。薩摩と長州に手を貸している、手練れの者。その名を誰も耳にしたことがないなど、ありえないことだった。

「彼らが人でないことは、あなたたちもよくおわかりの様子ですね。ならば、話は早いです。実を申せば、この私も人ではありません。彼らと同じ、鬼なのです」
「お千ちゃんが……!?」
「本来の名は、千姫と申します」

 千姫が改めて一礼した。

「私は千姫様に代々仕えております、忍びの家の者で御座います」

 護衛の女が言う。

「なるほど。初対面だっつうのに、やけに愛想がいいと思っていたが……おまえの狙いは最初から、俺を通じて新選組の情報を仕入れることか」
「さあ、何のことに御座りましょう?」

 土方が睨みつけると、女はにこりと微笑んだ。

「何だよ、土方さん知り合いなのか?」

 永倉が問うと、原田がはっとしてその肩を掴んだ。

「よく見ろ、新八。君菊さんだ。島原で会った時とは風体は違うが、顔は同じだろ?」
「な、なんだって!?」
「どっかで見た顔だと思った!」

 も納得する。角屋に皆で呑みに行った時、ずっと土方にくっついていた芸妓の女だ。
 千姫は話し出す。この国には古来より『鬼』という生き物が住んでいた。幕府や諸藩の高い位にいる者は皆知っていたことだった。ほとんどの鬼たちは人間と関わらず、ただ静かに暮らすことを望んでいた。だが、鬼の強力な力に目をつけた時の権力者たちは自分たちに力を貸すように求めた。多くの鬼はそれを拒んだ。人間たちの争いや、彼らの野心に加担する必要性を感じなかったからだ。だが、断った場合、圧倒的な兵力で押し寄せて来て鬼の村落は滅ぼされてしまった。

「鬼の一族は各地に散り散りになり、人目を避けて暮らすようになりました。人との交わりが進んだ今では、純血に近い鬼はそう多くはありません」
「それが、あの風間たちだということかな?」

 近藤が問うと、千姫は頷いた。

「今、西国で最も血筋が良い家といえば、薩摩藩の後ろ盾を得ている風間家です。頭領は、風間千景」

 風間千景、とは呟く。傷跡などとうに消えたが、奴に負わされた痛みを忘れたわけではない。

「そして、東国で最も大きな家は――雪村家。……あなたの家よ、千鶴ちゃん」
「えっ……!?」

 千鶴が驚いた。

「雪村家の鬼たちが隠れ住んでいた里は、人間たちの手によって滅ぼされたと聞いています。ですが、彼女は雪村一族の生き残りではないか……私はそう考えています。千鶴ちゃん。あなたには、特別に強い鬼の力を感じるの」
「そんな……だって、私は……」
「わかる限りではあるけど、お菊にもあなたの家のことを調べさせたわ」
「信じられぬのも無理はありませんが、まず間違いないかと」

 君菊が頷く。

「純血の鬼の子孫であれば、風間が彼女を求めるのも道理です。鬼の血筋が良い者同士が結ばれれば、より強い鬼の子が生まれるのですから」
「なるほど……嫁にする気か」

 近藤が唸った。

「ふざけるなよ……」

 が呟く。より強い鬼の子を生むため? そんなことのために千鶴を連れ去ろうとしているのか? ふつふつと殺意が沸く。

「風間は必ず彼女を奪いにくるでしょう。今のところ本気で仕掛けて来てはいないようですが……それがいつまで続くかはわかりません。そうなったとき、あなたたちが守り切れるとは思えない。たとえ新選組だろうと、鬼の力の前では無力です」
「……なあ、千姫さんよ。無力ってのはちと言い過ぎじゃねえか?」

 永倉が口を挟む。隣で原田が頷いた。

「新八の言う通りだ。ちっとばかし、俺たちを見くびりすぎだぜ」
「今まで互角に戦うことができたのは、彼らが本気ではなかったからです」

 千姫が強い口調で言う。

「では、本気になってもらおうではありませんか。本物の鬼の力とやらを、見せていただきたいものですね」

 山南が微笑んでいった。土方が同意するように頷く。

「新八や原田の言う通りだ。確かに連中は、人並み以上の力は持ってやがったが、絶対に勝てねえ程の力の差はなかった。たとえ、奴らが多少手加減してたとしてもな」
「そうですね。こっちには泣く子も黙る鬼副長がいますし」
「総司、てめえは黙ってろ」

 どうしても茶化したい沖田に、土方が眉を寄せた。千姫は笑わなかった。より一層真剣な表情で、幹部たちを睨みつける。

「お気持ちはよくわかりますが、実際にそう簡単でないことはわかっていらっしゃるのでしょう? あなたたちの役目は京の治安を守ることであって、彼女を守ることではないのですし」

 が幹部たちを見る。確かにそうだ。新選組の役目は京の治安を守ることであって、千鶴を守ることじゃない。でも――

「ですから、私たちに任せてください。私たちなら彼女を守り切れます」

 千姫がそう言い切る。

「おいおい、決めつけんじゃねえよ。俺たちじゃ、あいつらに勝てねえってのか?」

 永倉が二人を睨みつけた。

「言葉は悪いが、そっちの戦力は女が二人だろ? あんたらの細腕で、風間や天霧、不知火と渡り合えるとは思えねえんだがな」
「何より、よそ者が僕たち新選組の内情に口を出さないでほしいよね」

 原田と沖田が続いた。

「……土方さんは、どうお考えですか? 風間たちの力を承知しているあなたなら、姫のお話、お分かりいただけるのではありませんか? 彼女をこちらに渡してくださいな」
「それとこれとは、話が違う」

 君菊の言葉に、土方は厳しい口調で言った。

「鬼ごときに恐れをなして、一旦守ると決めた相手を放り出すってのは、俺たちのやり方じゃねえんだ」

 守ると決めた。は土方の言葉に、内心ほっと息を吐いた。
 ――一人でできないのなら、皆で彼女を守れば良いのです。
 が山南に目を向ける。山南が視線に気が付いて、ふっと笑う。
 新選組は仲間だ。自分たちに信頼を置いてくれているし、自分たちも彼らを信頼している。たとえ彼らがいつか自分たちを不要だからと殺すことになろうとも、少なくとも今は仲間であるとははっきりと言えた。

「それに、あんた方が鬼だってのは百歩譲って認めてやってもいいが――だからって別に、あんた方を信用したわけじゃねえからな」
「……ずいぶんな物言いですわね。千姫様は、鈴鹿御前様の血を引く――」
「お菊、おやめなさい。今は、そのようなことを言っている時ではありません」

 君菊の言葉を千姫が諫める。

「私も、土方君に同意します。……もし彼女が人とは違う生き物の血を引いているのだとすれば、今後色々とご協力願いたいこともありますしね」

 山南が笑顔でそう言った。……何の話だろう。は首を傾げる。

「そうですか……困りましたね。どうしても、承知してはいただけませんか?」

 千姫が困ったように言う。

「ちょっと、待ってくれるかね。肝心なことを確かめていないじゃないか」
「肝心なこと?」

 近藤の言葉に、千姫は首を傾げる。

「……雪村君。君はどう思うんだね?」

 急に話を振られて、千鶴は驚いた。

「わ、私は……その……」

 千鶴が口ごもる。

「ふむ、そうか。我々の前では、何かと話しにくいかもしれないな。良かったら、千姫さんと二人で話して来るといい」
「近藤さん、そいつは――!」
「せめて誰か一人、立ち会うべきでしょう。あちらも、君菊さんに同席してもらえばいいのですし」
「まあ、いいじゃないか。我々は今までずっと、彼女の意思を無視し続けてきたんだしな。彼女がここを出たいというのであれば、止めることなどできんだろう」

 近藤が幹部たちをなだめる。意思を無視し続けてきた? いつの話をしているのだろう、とは思う。いつだって、守ってくれた。助けてくれた。協力してくれた。新選組は、いつだって――

「ったく。相変わらず甘いんだな、あんたは」
「ま、近藤さんが言うんじゃ、仕方ないですよね」

 土方と沖田が溜め息をついた。

「二人きりになった途端、そのまま彼女を連れ去る……などということはないでしょうね?」

 山南が念を押すと、千姫は頷く。

「心配は無用です。鬼は一度交わした約束は守りますから」
「大丈夫だと思います。お千ちゃんは、悪い人じゃありませんから」
「ありがとう、千鶴ちゃん」

 そう言って、千鶴の部屋に移動すると言い、千鶴と千姫は立ち上がった。

ちゃん」
「ん。待ってる」
「ありがとう」

 千鶴は微笑むと、千姫を連れて部屋へと向かった。は幹部たちと共に広間に残された。胡坐をかいて、頬杖をつく。はあ。溜め息が出た。

「お姫様にお姫様取られて不機嫌そうだね」
「おい、総司からかうなよ。可哀想だろ」
「不機嫌にもなるだろ、親友を連れてくとか言われたら。な、
「うるせえ、ほっとけ」

 やいのやいのと騒いでくる幹部三人に、は顔も向けずに返した。

「それにしても……君、今の話聞いたことは?」

 山南が問いかけて来た。は頬杖をやめて、首を振った。

「ないです。千鶴とは物心ついた頃から一緒にいるけど、鬼だなんて話は聞いたことない」
「だろうな。あいつ自身も知らねえみたいだったし」

 土方が言う。

「あなたのことも調べました、さん」

 君菊が口を挟んだ。

「彼女を守ると一緒に京に来たようですが、剣術の腕は並だとか。あなたではとても彼女を守れるとは思えません」
「……あ?」

 ゆらりとが立ち上がった。

「なんだ、おまえ喧嘩売ってんのか」
「おい、
「事実を申したまでです」

 手を引いてくる原田の手を払い、は君菊の方に数歩歩み出る。

「いつのおれのことを調べたのか知らねえが、おれはここで腕を磨いて、来た時よりはずっと――」
「それにあなたは、新選組の隊士でもないのでしょう?」
「っ……!」

 は返す言葉を失った。拳を握る。そして踵を返し、乱暴に引き戸を開けて廊下に出た。

「あ、おい! !」

 永倉の声は聞こえなかったことにした。