その夜のこと。二人が布団に入り込んだ頃合いに、部屋で大きな破壊音がし、二人は飛び起きる。
「何だ!?」
傍らの刀を掴み、が叫ぶ。襖が倒れており、入り口に隊士が二人立っていた。
「あの……なにか?」
千鶴が恐る恐る問う。隊士たちは答えない。
「おい、おまえら、何の用でこの部屋に来たんだ」
いつでも刀を抜けるように柄に手をかけ、今度はが問いかけた。
「……血」
そう呟いた瞬間、隊士たちの髪が白へと変わった。
「血……血を、寄越せ……」
「っ!」
「羅刹隊の隊士か!」
状況を理解する。血に狂った羅刹隊の隊士だ。
「ひひひひ! 血を寄越せえっ!」
隊士たちが刀を抜くのを見て、も鞘を捨てた。一般隊士になら遅れは取らない。だが、羅刹相手に自分は勝てるのか? 迷っている暇など、いつだってない。
「この野郎っ!」
振り下ろされる刀を受け流し、胸をばっさりと斬り上げる。血が噴き出たが、隊士は怯まない。
「一太刀程度じゃ、死なねえよなあ!」
隊士の目がに向く。そして隊士の一人が力いっぱい刀を振った。
「いっ!」
火花が散るほどの勢いで刀がぶつかる。そしては部屋の隅まで弾き飛ばされた。
「ちゃん……!」
隊士の一人が今度は千鶴に目を向け、容赦なく刀を振り下ろした。
「きゃああっ!」
「千鶴!」
畳を蹴って、は血を舐めようとしている隊士の背後に狙いを定めた。以前山南が言っていた、首か心臓を狙え、と。背後から心臓に狙いを定め、思いっきり刃を突き刺した。
「ぐああっ!」
隊士が呻く。は舌打ちをした。心臓から少し逸れた、これでは死なない。
大声を出して、伊東たちに見つかっては問題だ。だから、ここで自分が仕留めるしかないとは思った。突き刺した刀を抜き、今度は首を狙おうと振りかぶる。――だが、その前に隊士が振り向いた。赤い目をギラリと光らせ、の首を勢いよく掴み上げた。
「ぐっ……!」
「ちゃん!」
千鶴の声が遠い。隊士は片手での首を掴み、もう片手で刀を構える。
「誰か――助けてくださいっ!」
千鶴が大声を上げるのと、が隊士の腕を斬り落とすのは同時だった。
「ぎゃああああっ!」
なくなった腕の先から鮮血が飛び散る。畳に着地すると、はそのまま正面から隊士の心臓を狙う。今度は、外さない。片腕で斬りかかろうとする隊士の心臓に、刃を深々と突き刺した。ごほ、と隊士が吐いた血がに降って来る。
「ぐえっ!」
死んだ隊士がそのまま倒れこみ、の上に覆いかぶさった。
千鶴の声を聞いて、土方が、そして永倉たちがやってきた。もう一人の隊士は四人によって倒される。
「はどうした!?」
原田が声をあげる。はじたばたと隊士の下でもがいていた。
「こいつ、どけて、くれ……!」
ようやく覆いかぶさっていた隊士が引き剥がされる。血塗れになったが隊士の下から出てきて、皆がぎょっとする。
「、怪我してんのか!?」
「いや、これ全部返り血」
目の中に入りそうな血を拭いながらは言う。
その時、新たな足音が近づいて来た。
「まったく、こんな夜中に何の騒ぎですの?」
その声は、今この場で一番聞きたくなかった声。
「伊東さん……!」
藤堂が引きつった声をあげる。伊東は部屋の中を見て、目を見開いた。
「な、何なのですか、これは!」
土方が舌打ちした。
「そこの隊士たちには、見覚えがありますわ。確か隊規違反で切腹させたはずでは……! それに、この血……! あなた方の仕業ですの!?」
「い、伊東さん、違うんだ。これはさ……!」
「何が違うのですか! 幹部総出で、寄ってたかって隊士をなぶり殺しにするなんて……!」
藤堂が弁解しようとするが、血のついた刀と状況で、うまい言葉が出て来ることはなかった。
「誰か、説明なさい! 一体、何があったんです!?」
そこに、また新たな人物が現れた。
「皆さん、申し訳ありません。私の不注意が原因です」
山南だった。申し訳なさそうに部屋に入って来る姿を見て、驚愕したのは伊東だった。
「さ、さ――山南さん!? なぜ、亡くなったはずのあなたがここに……!?」
伊東は今にも気絶しそうな声をあげた。山南が亡くなって三年。そういうことになっている。
「……これ以上、隠し通すこともできねえ、か」
土方が諦めたような溜め息と共に言った。そしてと千鶴の方を見る。
「雪村、、おまえらは席を外してろ。今夜は俺の部屋を使って構わねえ」
「……」
「聞こえねえのか? 席を外せって言ったんだ」
「はい……」
千鶴が返事をする。は血塗れの寝間着で刀の血を拭って、鞘を拾って納めた。そして、ふらつきながら歩こうとする千鶴に手を貸した。
一度土方の部屋に千鶴を連れて行き、はすぐに山崎の部屋へと向かった。血塗れのを見て、怪我はないかだの、一体何があったんだなど質問攻めにされ、は手短に状況を伝えて救急箱を借りて土方の部屋に戻る。
「ちゃん、私の手当はいいから……お風呂入ってきたら……?」
救急箱を受け取りながら、千鶴が言う。うーん、とが唸った。正直血の臭いが鼻にこびりついて気持ち悪い。土方の部屋を血塗れにすることに申し訳なさがあるのも確かだ。
「わかった。ちょっと風呂行ってくるから、部屋から出るなよ」
「うん。気を付けてね」
こんな時間に風呂に入るような隊士はいないだろうと思い、は血塗れの服のまま風呂場を目指す。思った通り、風呂場は無人だった。風呂のお湯も温くなっているだろうが、別に血を流したいだけだから構わなかった。着替えを持ってこなかったなと思いながら、は血塗れの寝間着を脱ぎ捨てて、頭から温い湯を被った。血の臭いがなくなるまで頭と顔、体を洗う。そして、手を止めた。
「……人を、殺したんだな」
ぽつりと呟く。人を殺す心構えはあった。覚悟はあった。だから、殺せた。目の前の『敵』を殺すことに、躊躇いはなかった。両手を見つめる。敵を殺したから、自分も千鶴も生きている。
「ちゃん!」
「わあああ!?」
声に驚いて、は湯船に勢いよく飛び込んだ。ざばんと音がしてお湯が大きく跳ねる。
「……総司さん?」
お湯の中から顔だけを出して問いかける。
「ああ、そうか、君女の子だった……ごめん、何も考えてなかった」
衝立の向こうで、顔を押さえて項垂れているのは確かに沖田だ。
「寝てたんじゃないの?」
「あんな騒ぎがあったら起きるよ。遅かったみたいだけどね……怪我は?」
「大丈夫。返り血だけ」
少し間があった。
「殺せたの?」
沖田が問う。
「殺したよ」
が答えた。沖田は、そう、とだけ言った。
「着替えあるの?」
「ない」
「……僕の服貸すよ。持ってくるから待ってて」
沖田が立ち去る。湯船の縁にもたれかかって、は大きく息を吐く。
人を殺して何か変わるかと思っていたが、別に今までと何も変わっていないと自分では思った。悲しむでもなく、喜ぶでもなく、ただ「殺したんだなあ」と思っている。考えてみれば、沖田との稽古でいつも『殺し合い』をしているのだ。今更、人を殺すことに抵抗感などあるはずがなかった。いつもの延長線に、誰かの死がある。
「……血の臭いが、消えないな」
そう呟いて、はお湯に沈む。ぶくぶくと息を吐き出しながら頭の先までお湯に沈んで、沈んで、こうして呼吸をしなければ血の臭いはしなくて、でも呼吸をしないと生きていられなくて。そうか、自分はまだ生きているのか、と気が付いた。ずっと生きているのに、『今』気が付いたということが少しおかしかった。
「――!」
急に腕を掴まれて、お湯から顔が出た。呼吸ができる。
「ちゃん!?」
目の前に沖田がいる。
「返事がないから……死んでるんじゃないかと思って……」
ぽたぽたと前髪から水が落ちる。そして、笑った。
「生きてるよ」
敵を殺したから、自分は生きている。
沖田はほっと息を吐いてから、から手を放して、背を向けて衝立の方に向かった。
「紛らわしいことしないで」
「うん、ごめ――あああ!? 見た!?」
「見てない」
「嘘つけ! 見えただろ!」
「見てないってば」
――血の臭いは、消えていた。