「見てください、沖田さん! 桜が見事ですよ! ほら!」

 慶応三年三月。一番組の巡察に同行していた千鶴が、笑顔で言った。

「このところ暖かくなってきたし、今日はいい天気だし、浮かれる気持ちもわからなくはないけど……一緒に歩いてる僕たちのことも、少しは考えてほしいなあ」

 沖田が呆れた息を吐く。千鶴がはっとして周囲を見ると、町の人たちが怪訝な顔でこちらを見ていた。

「……き、気を付けます」
「千鶴は桜好きだもんなあ」

 そんな周囲の様子は一切気にせず、は千鶴の様子を微笑まし気に見ていた。
 すっかり新選組も京で有名になり、絡んでくるような度胸のある浪人は減ってきたと、路地のあたりで逃げていく男の姿を視界の端に入れながらは思う。

「そういえば、伊東さんはもう京に戻ってきているんですか?」

 伊東は一月から伊東派の隊士数人を連れて旅に出ていた。

「そうみたいだね。別に帰って来なくてもよかったんだけど」

 沖田が投げやりに言った。

「駄目ですよ、そんなことを言っては。確か、新しい隊士さんを募集しに行ったんでしょう?」
「まあ、そういうことになってるけど。……実際、どこまで行って来たんだろうね」
「蒸気船で南の方に行ったって聞いたけど」

 が言うと、沖田が不思議そうな顔を向けた。

「誰から?」
「本人から」
「ふうん、仲いいんだね」
「大声で話してたの聞いただけ」

 九州の方に情勢を見に行ったのだとか、隊士を集めに行ったのだとか。自身の功績を語るのをたまたま耳にしたのだ。

「詳しくは聞いていませんけど、予定よりずっといろいろな場所を回って来たとか。隊士集めのためにそれだけ頑張ったなら、伊東さんはすごく新選組思いな人ですね」

 千鶴が笑顔で言う。

「君はそう思ってるんだ」
「……違うんですか?」
「ううん、違わないけどね」

 そして、沖田は溜め息をつく。

「近藤さん、優しいからなあ……あんな人、早く斬っちゃえばいいのに」
「駄目ですよ。たとえ冗談でも、同志の方を斬るなんて言っては」

 千鶴がそんな沖田を諫めた。

「同志ねえ……」
「同志かあ……」

 沖田との二人が声を重ねた。

「もう、ちゃんまで」
「おれは伊東さん苦手」
「そう? 僕はそうは思わないけど」
「ええ? でも好きじゃないだろ?」
「うん。嫌い」

 そんな話をしていた時だった。千鶴が急に「あっ」と声をあげて、隊列から外れて走り出した。

「千鶴!?」
「ちょっと、どこに行くつもり?」

 千鶴が足を止めずに振り返る。

「ごめんなさい、沖田さん! どうしても確かめたいことがあるんです!」

 そう言って路地に走って行ってしまう。沖田が額に手を当てた。

「はあ……勝手な行動は慎めって、いつも言ってると思うんだけど。面倒を見させられるこっちの身にもなってほしいな」
「そんなこと言ってないで! 千鶴追いかけよう!」

 沖田の腕を引き、たちも駆け出した。
 千鶴にはすぐに追いついたが、近付こうとしたを沖田が止めた。陰から様子を窺う。

「南雲薫……?」

 千鶴が以前出会った顔の似た少女、南雲薫と共にいた。どうやら彼女を見つけて走って行ったようだ。

「以前、新選組の隊士さんが、三条大橋の近くで私とよく似た女の子を見かけたらしいんです。それって、もしかして……薫さんですか?」

 千鶴の声が聞こえる。

「さあ……三条大橋は普通に通るところですけど。もし私がそこに行ったとして、何か問題がおありになるのですか?」
「あ、そうですよね……」
「あの子、尋問に向いてないよね」

 小声で沖田が呟いた。は無言で頷く。千鶴にそのような才があるとは思えない。

「もしかして、あなたがお聞きになりたいのは……夜にその場所へ行ったことがあるかどうか……ではありませんか?」

 南雲の言葉を聞いて、沖田が陰から出て行った。も後を追う。

「もしかして、あの晩、新選組の邪魔をしたのは――」
「もしそうなら、問題大ありだね。君には死んでもらわなきゃならないかなあ」

 沖田が歩きながら言った。南雲が振り返る。

「これは、新選組の沖田さんにさん。いつぞやは、どうもありがとうございました」
「で、答えはどっちなのかな? 心当たりはあるの? ないの?」

 南雲の言葉など聞こえていないように、沖田は問い詰める。笑みはない。南雲は悲し気に顔を歪めた。

「死んでもらうなんて……そんな恐ろしいこと、仰らないでくださいな。三条大橋なんて、昼間は誰でも通る所ではありませんか。それに夜なんて……あの制札の騒ぎがありましたから、怖くて近づけません」

 そして、袖で顔を覆った。

「ただ雪村さんに顔が似ているというだけで私を疑うなんて、ひどいです……」
「あ、いえ、違うならいいんです。不躾なことを聞いてしまって、すみません」

 千鶴が慌てて言う。沖田が息を吐いた。

「甘いなあ、そんな簡単に疑いを解くなんて。もし犯人だとしても、自分から『私がやりました』なんて言うわけないじゃない」
「それは……」
「彼女を信じてあげようと思ったのはどうして? 自分と似た顔をしてるから? それとも女の子だから?」

 言葉に詰まる千鶴に、沖田はさらに問いかける。千鶴は答えられなかった。

「……もう、行っても構いませんか? 用事がありますから、失礼します」
「あ、おい!」

 そう言って足早に立ち去ろうとする南雲に、が手を伸ばした時だった。

「こほっ、こほっ! こほっ!」

 急に沖田が激しい咳をしだして、が伸ばした手はそこで止まり、驚いて振り向いた。

「沖田さん!? だ、大丈夫ですか!?」
「げほっ、ごほ、げほっ!」

 沖田は答えられない。血の気が引く。時々体調が悪いことはあったが、もしかしてもう酷い段階まで労咳の病状が進んでいるのではないか?

「そ、総司さん!」
「沖田さん!」
「来るな!」

 駆け寄ろうとした二人に、沖田が鋭い声で言った。二人はその場で立ち止まる。

「こほっ、こほっ……大丈夫、だから……」

 苦しそうな声で沖田は言い、を睨みつけた。

「……ちゃん!」

 沖田が指さす方を見ると、南雲の姿はすでにない。もう一度苦しそうな沖田の方を見て、は頷いた。

「あ、ああ! わかった、追いかける! 千鶴、総司さん頼んだ!」
「えっ!? う、うん!」

 は二人を置いて走り出した。沖田は、自分ならこの場を離れてもいいと任せてくれた。応えなければ。
 南雲に追いつくのはすぐだった。大通りに出て、人混みに紛れようとするその後ろ姿を見つける。

「ちょっと! 待て! 待てって! 南雲薫!」

 手首を掴み上げ、足を止めさせる。

「あの、私急いでいるのですけど……」

 南雲が困ったように言う。ふと、ここまで来て思う。追えと言われたから追いかけた。掴まえたのもいいが、自分だって尋問の仕方など知らなかった。

「じゃあ、手短に聞くけど」

 は違うことを問うことにした。

「あんたは何者だ?」

 自分と同じくらいの背丈の目を睨みつけて、は言葉を紡ぐ。南雲は不思議そうに首を傾げた。

「何者、とは?」
「どうして千鶴に似てるんだ」
「そんなこと、私に聞かれましても……」
「千鶴とは小さい頃から一緒にいるけど、生き別れの姉妹がいたなんて話は聞いたことがない」

 南雲の言葉に耳を貸さずに、は続ける。

「ていうかな」

 なんだ、この違和感は。掴み上げた腕を見て、はもう一度目を見る。

「――あんた、本当に女か?」

 パンッ。軽い音が響く。頬を叩かれ、南雲からうっかり手を放す。

「失礼な殿方は嫌われますよ。では」

 冷たい声でそう言って、南雲はその場から立ち去って行った。雑踏に消えていく後ろ姿を、頬を押さえては唖然として見送る。周囲の町人たちが、その現場を見てひそひそと話しているのが聞こえる。

「……男じゃ、ねえんだけど、なあッ、こんのやろおおおお!」

 が道の真ん中で叫んだ。
 後を追って来た沖田と千鶴と合流する。そして、赤くなっている頬を見て、事の顛末を聞き、沖田は腹を抱えて笑い出した。

「あはははは! それで? 頬を叩かれて逃がしちゃったの? ちゃん、面白すぎるでしょ」
「笑うなよ、あーもー腹立つ」

 は爆笑する沖田の隣で、不機嫌な顔をしていた。

ちゃん、屯所に戻ったら冷やそうね……腫れちゃうかもしれないし……」
「すぐ治るからいい。あーくっそ、あの女あああああ! 次会ったらただじゃおかねえええ!」
「嫌だね、女同士の争いって」
「聞こえてんぞ!」
「聞こえるように言ったんだよ」

 隊士たちと合流し、そのまま何事もなかったように屯所に戻る。の頬は屯所に戻った頃はまだ赤く、沖田が「女の子に叩かれた」と言いふらしたので、いつもの面子には大笑いされた。そして、沖田との別れ際――彼の服に血がついていることに気が付いた。は思わず足を止め、部屋に戻る沖田を見送った。

「沖田さん、本当はもう隊務ができる体じゃないと思うの……」

 も薄々気付いている。沖田総司は、きっともう長くはない。いつか布団から起き上がれなくなって、そうして血を吐きながら死んでいく。

「無茶はしてほしくない……ゆっくりと休んで、治療に専念すれば少しは長く――」
「千鶴」

 の声に、千鶴は言葉を止める。は千鶴を真っ直ぐ見て、言った。

「ここが、あの人の居場所なんだよ」

 近藤のいる新選組こそが、彼の居場所。彼の生きる場所。剣として使われる場所。他のところに、沖田総司の居場所はない。長く生きたって、それは沖田にとって「生きる」うちに入らない。

「……長生きしてほしいって、思わないの?」

 千鶴が戸惑いながら問う。は眉を下げて笑った。

「できるなら戦いの中で死んでほしいって、そう思うよ」

 きっと、それが剣としてのあるべき姿だと思うから。千鶴は衝撃を受けた顔をしてから、何か察したように何度も頷いた。それから、沖田についての話をすることはなかった。