二月になり、京に来て何度目かの冬を越す。はここしばらく千鶴の元気がないことを気にしていた。がどうしたと聞いてもなんでもないしか返ってこないので、理由もわからない。
そんなある日の素振りの時間。
「、出掛けるぞ」
原田がやってくるなり、突然そんなことを言い出した。は木刀を下ろして首を傾げる。
「どこ行くんだ?」
「いいから早く来い。千鶴が待ってる」
「千鶴も?」
先を歩く原田の後をついていく。今日は巡察当番だったはずだが、巡察で何かあったのだろうか。たとえば、千鶴の父の情報とか。
原田に連れられて、二人は今日の市中を歩く。結局何の用だか聞かされていない。
「千鶴ちゃん!」
こちらに手を振っている少女がいる。は誰だろうと思ったが、千鶴が面識のある京にいる同じ年頃の少女は「お千ちゃん」という子しか聞いたことがない。時々巡察に出た時に会って会話をするのだという。は会ったことはなかった。一番組ではない巡察時に会うのだろう。
「お千ちゃん。……久しぶり」
千がに目を向けた。
「あ、あなたがちゃんね? 千鶴ちゃんから話は聞いているわ」
「……どうも」
頷くように会釈だけする。
「さっき、隊士さんに偶然会ってね。千鶴ちゃんのことを聞かせてもらったの。どうしてるか気になってたから」
「そうなの……?」
千鶴とが原田を見る。何か用があったのではなかったのか?
「……おまえと、話してえことがあるって言ってたからな」
原田が言い訳をするように言った。
「ねえ千鶴ちゃん。よかったら、あそこの茶店でお話しない? あのお店のお団子、すごく美味しいの」
千鶴がでもと言って原田の顔を窺った。ふっと原田が笑みを浮かべる。
「せっかくだから、話してきたらどうだ? 女同士、積もる話もあるだろ。俺は、離れた所で茶でもすすってるからよ」
「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えて……」
「それじゃ、行きましょ!」
千が千鶴の手を引いた。千鶴がに目を向ける。が頷いた。
「おれ、原田さんと一緒にいるし、行ってこいよ」
「なあに? あなたも一緒に来ればいいじゃない」
「甘いもん苦手なんだ。じゃあな」
はひらりと手を振って、原田の方に近づいた。千は気にせず、千鶴を連れて茶店の方に向かった。
原田は店に入るのかと思いきや、店の近くの壁に背を預けて周囲に目を光らせることにしたようだ。が隣の壁に同じように背を預けた。
「おまえはあっちにいなくていいのか? 甘い物嫌いじゃねえだろ」
意外そうな顔でを見ている原田に目を合わせずに、は口を軽く尖らせて言う。
「千鶴以外の女の子とどう話していいかわかんない」
一拍の間の後、原田が腹を抱えて肩を震わせ始めた。
「仕方ないだろ! 千鶴としか一緒にいなかったんだから!」
震えている腕を殴りながらは抗議をする。
「悪い悪い。馬鹿にしてるわけじゃねえんだ。ただ、おまえ社交性あると思ってたから意外でよ」
「おれに社交性? そんなもんないよ」
はあ、と息を吐いて離れたところで千と話している千鶴を見る。
「友達は千鶴しかいないし。道場の奴らはみんな敵だったし」
「なんだ? 道場で友達できなかったのか?」
「おれみたいなのに負けて満足する友達なんてできるかよ」
なるほどな、と原田は納得の声をあげた。
試衛館の皆のように仲が良かったわけでは決してない。は道場を強くなるための場としか思っていなかったので、同門の男たちと仲良くなれなくても興味はなかった。自分には千鶴さえいればいい。ずっと、そう思っていたのだ。
「ありがとな、原田さん」
「なにがだ?」
「千鶴最近落ち込んでたから、それで連れ出してくれたんだろ」
千鶴と千は楽しそうに話をしている。聞こえてくるだけでも、京の流行りものや江戸の流行りもの、食べ物や菓子の違いなど、他愛のない話をしているようだ。新選組の中では千鶴に女の子らしい話はさせてあげられない。だって得意ではない。自分では千鶴を楽しませてやることはできないのだなと、は溜め息をつく。
「おいおい、おまえまで落ち込むことないだろ。千鶴はおまえがいるだけでも、助かってることはあるはずだぜ?」
「そうだといいんだけど」
は久しく見ていなかった千鶴の笑顔を見て、思わず笑みを零した。
「……おまえは、本当に千鶴が大事なんだな」
原田がそんなことを言った。が隣に目を向ける。
「なんだよ、突然」
「いや。他人の笑顔を見て喜べるってのは、そいつが好きだってことに違いないと思ってな」
「……改めてそう言葉にされると、なんかむずがゆいんだけど」
は頭を掻いて、目を逸らした。
「けど……おれは、あいつの幸せをいつだって願ってるよ」
楽しそうに笑っている二人の方を見て、は笑みを浮かべる。
伊庭と一緒になるならそれでもいい。他の男と一緒になったっていい。千鶴が決めたのなら、自分はそれを祝福するだろう。親友だからと、彼女を守るのは自分だからと、彼女を縛り付けていたことに今更申し訳なさを感じている。彼女の幸せを前にしたら、自分の存在価値がなくなるだとか、意味がなくなるだとか、そんなことは些末なことだ。
「まるで、おまえは幸せになりたくないみたいに言うんだな」
原田が言う。
「おれのことはどうだっていいよ。どうやって生きていきたいのかも考え中だしな」
幸せになりたいという気持ちはあまりない。自分がどう生きたいのか、何をしたいのか、それを考えている。千鶴以外の大切にしたいものや気持ち、それも探している。その何かを見つけた時に、己の納得する生き方を見つけられるのではないかと、漠然と思っている。
「……これは千鶴に言わないで欲しいんだけど」
はそう前置きして、小さく呟く。
「今みたいな生活が続く。……そんな毎日でもいいかなって、おれは思ってるんだ」
それはつまり、綱道が見つからないということ。捜し続けている間、自分たちは新選組に居続けることになる。今の生活は楽しいのが本音だ。剣術を極められることも、信頼できる人たちがいることも、そして千鶴が隣にいることも。何も不満がない。
「……なんてな。いつまでも世話になり続けるわけにはいかないし、いつか出て行かないとな」
が肩を竦める。
「居たらいいじゃねえか」
「え?」
目を向けると、原田は微笑んでいた。
「おまえらが出て行きてえって言うなら止めることはできねえが……居たいって言うなら、それを止める気もねえよ。俺たちも、おまえらがいる方が退屈しなくて済むしな」
そう言って原田は千鶴たちの方に目を戻した。
「……ただ、おまえらはこの世界では幸せになれねえと思う」
原田が真剣な声で言う。死が近くにある世界。は理解をして頷いた。
「わかってる」
生きる覚悟も、死ぬ覚悟も、殺す覚悟もできた。今はそれを体に、頭に、馴染ませようとしているところだ。きっとこの感覚が馴染んだら、自分は元の環境には戻れない。そんな気はしている。
「でも、刀を持つと決めたのはおれだ。……その先に何があっても、これだけは手放さないと思う」
自身の刀に手を添える。息を吐く声が聞こえて、隣に目を戻す。
「俺としては、おまえにも戦いとは関係ねえところで幸せになってもらいてえが……戦場にしか生きる場所がねえ俺みてえなやつも世の中にはいるしな。言っても仕方のねえことか」
「えー? 原田さんは、優しい嫁さん貰って子供と遊んでそうな感じするけどなあ」
「おい、なんだその具体的な想像は。大人をからかうんじゃねえよ」
原田に頭を押されては笑う。
「……おれの幸せってなんだろうな」
隣にも聞こえない程の小さな声で、は苦笑しながら呟いた。千鶴が隣にいない世界も、刀を持たない世界も、自分には想像のできないことだった。
千鶴は千と話して少し元気になったようだった。どうして落ち込んでいたのかはわからないが、少しでも元気になったならいいかと、はそう思った。