「この辺りまで来ても、すごい人出ですね……」

 慶応三年一月。京の寒さに体を震わせながら、大通りを歩いていた。

「年が明けたばかりだからな。年始回りや新年の挨拶で出掛ける人が多いんだろう」

 前を歩きながら近藤が言う。沖田が溜め息をついた。

「どっちかっていうと、それを口実にお酒を呑もうとしてる人の方が多そうですけどね。……あの五人みたいに」
「ま、まあ、せっかくの正月だからな。たまにはいいだろう」
「相馬と野村は連れてかれただけじゃん?」

 年始参りに出かけた帰り道。永倉たち三人は他に寄りたい場所があるとのことで途中で別行動になり、相馬と野村は三人に連れて行かれてしまった。

「でも、どうしてわざわざ遠くのお寺まで年始参りに? 今の屯所は西本願寺ですし、そこで済ませてしまってもよかったんじゃ?」

 千鶴が問う。

「それはそうなんだが……せっかくの機会だし、世話になっている京の寺社に挨拶しておきたくてな」
「こういう時に少しずつでも顔を売っておくのが大事なんだよ。まあ、君にはわからないだろうけど」
「そうなんですか……」

 近藤と沖田の言葉を聞いて千鶴は頷く。そういえば、とが近藤たちに顔を向けた。

「武田さんが辞めるって本当ですか?」
「雪村君から聞いたのかね? うむ、そうなんだ。国許から便りがあったそうでな」

 近藤が頷く。武田はとのあの一件以来、近付いてくることはなくなった。彼は幹部たちの合意で組長から外され、今は一般隊士と同じ扱いを受けている。

「組長でもなくなったし、伊東さんにも軽くあしらわれてるし、まあ、しかたないですね」

 沖田が冷たい口調で言うと、近藤はうむと口ごもった。組長がに私闘を持ちかけたことを、近藤は未だ悔やんでいた。もっと早く対処していれば君に怪我もさせなかったのに、とは何度か言われている。
 新選組の局中法度で脱退は不可となっているが、やむを得ない事情がある場合は許可されていた。今回は「国許からの便り」というのがそれにあたる。真実だと思っている者は少ないが、一応ちゃんとした理由があるとのことで却下するだけの材料がないのが現状だ。

「辞め際に一騒動ないといいけど……」

 が溜め息をつく。

「君、あまり武田さんに近付かないようにね」
「あれ以来近付いてないよ。向こうからも来ないし」

 沖田に言われて、は肩を竦める。

「千鶴も気をつけろよ――あれっ!?」

 千鶴には話していないが念のため、と思って振り向くと、そこに声をかけようとした人物の姿はなかった。

「千鶴? 千鶴!?」

 周囲を見回すが、目のつくところにはいない。というより、人が多すぎて見つけられない。

「雪村君がいなくなったのか?」
「おれ、捜してくる!」
「ちょっと待って。君までいなくなったら、僕たち二人を捜さなきゃならなくなるんだけど」

 走り出そうとしたの腕を沖田が掴む。

「元来た道を戻ってみよう。彼女もこちらを捜しているかもしれん」

 こうして、三人は千鶴を捜して元来た道を駆け足で戻り始めた。

「千鶴ー! 千鶴どこだー!」
「雪村君! どこだ! 返事をしてくれ!」

 大声で呼びながら千鶴を捜すと近藤を見て、一歩遅れて沖田が溜め息をつく。

「大声で呼びたくなるのはわかるけど……」

 そう呟く沖田の声は、二人の耳には入っていなかった。
 一刻程経って、人はだいぶまばらになってきた。三人は最後に立ち寄った寺社にまで戻り、そこからまた歩いている途中だった。一人で屯所に帰ったのだろうか。もしかすると連れ去られたのでは……そんな話をしていた時、は見慣れた後ろ姿を見つけた。

「八兄だ」
「伊庭君?」
「あっ!」

 が伊庭に向かって駆け出す。

「千鶴!」

 伊庭の陰から千鶴が姿を現した。

ちゃん!」

 駆け寄ったに、千鶴がほっとした表情を見せた。

「どこ行ってたんだよ、捜したんだぞ!」
「ごめんなさい……」

 千鶴が申し訳なさそうに俯いた。

「雪村君!」
「近藤さん、沖田さん……!」

 近藤と沖田が追いつく。近藤は無事な千鶴の姿を見て、ほっと笑顔を見せた。

「よかった。姿が見当たらぬから、てっきりあの鬼を名乗る輩にでも連れ去られたのかと思ったぞ!」
「……つまんないの。僕たちとはぐれて顔面蒼白になってる姿が見たかったんだけどな」
「それは残念でしたね」

 微笑む近藤に対してつまらなさそうな顔をしている沖田に、伊庭がにこりと笑みを向けた。

「奥詰って迷子探しもするんだっけ? それとも単に伊庭君が暇人なだけ?」

 沖田がそう嫌味を言った時だった。

「お、おい、伊庭……!」

 息を切らして、見知らぬ男が駆け寄って来た。

「おや、本山。一体どうしたんです? そんなに息を切らせて」
「『一体どうしたんです?』じゃないだろ! この人混みの中、どれだけ捜し回ったと思ってるんだ!」

 本山と呼ばれた男が怒る。

「どれだけ、って……そうですね、かれこれ一刻ほどでしょうか」
「さらっと言わないでくれ! まったく、雪村君らしき人を見かけた途端、目の色を変えて走って行ってしまって……」
「ふうん」
「へえ」

 と沖田が頷いた。伊庭がはっとして二人に目を向ける。伊庭が千鶴を好きなことは二人は既に知っている。

「あ、えっと……」

 伊庭が目を泳がせた。

「そ、そういえば、我々は年始の挨拶回りの途中でしたね」
「はあ? 年始の挨拶回りって、これだけ時間を無駄にしておいて今更――」
「急ぎましょう。それじゃあ近藤さん、沖田君。屯所にはまた後日挨拶に伺いますので」

 そう言って伊庭は本山の背を押して去って行ってしまった。雑踏に消える背を見て可笑しそうに笑う沖田の隣で、が息を吐いた。伊庭とは、未だまともに顔を合わせられない。
 千鶴が迷子になってから数日後、伊庭が改めて屯所を訪れた。

「皆さん、お変わりありませんか?」
「ああ、見ての通りだ」

 広間に迎え入れて、土方が答える。

「あの、こちらの方は……」

 一緒に出迎えた相馬が呟く。ああ、とが声を出した。

「相馬と野村が来てから八兄来てなかったっけ?」
「忙しくてしばらく来れてませんでしたから。新入隊士の方ですか?」
「相馬主計と申します。近藤局長の小姓を任せていただいています」
「同じく、野村利三郎です」
「僕は幕府直参旗本、大番士奥詰役の伊庭八郎です。よろしくお願いしますね」

 挨拶をかわし、相馬と野村がぎょっとする。

「奥詰……!? そのような身分の方が、なぜ新選組へ……!?」

 相馬と野村が土方に目を向ける。土方はその反応を予想していたように溜め息をついた。

「昔こいつの家の道場と、道場間で付き合いがあってな。その縁だ」
「伊庭道場って聞いたことないか? 江戸じゃ四本指に入る道場の跡取り息子なんだよ」

 二人はそれで納得したようだった。

「なるほど……それで奥詰という役職につく腕前が……」
「とはいえ、先日の手合わせでは沖田君に負けてしまいましたから。大した事ないんですよ、僕の腕なんて」
「いや、あれはいい勝負だったって!」

 藤堂が言う。沖田が一瞬不満そうな顔をしたのを、は見逃さなかった。も剣を合わせたからわかる。あの勝負は、確実に沖田の勝ちで決まっていたのだ。

「雪村、酒持って来てくれるか」

 土方が言うと千鶴が頷く。

「はい。熱燗ですか?」
「ああ、それがいいな」
「手伝います」

 相馬と野村が千鶴について勝手場に向かった。

「それで、八兄。覚悟決まった?」

 が唐突に問いかける。伊庭が首を傾げた。

「覚悟、とは?」
「千鶴を嫁にする前に、おれを倒す覚悟」

 何人かが茶を噴いた。

「千鶴を嫁にー!?」
「馬鹿、でかい声で叫ぶじゃねえ!」
「おいおい、本当かよ八郎!」

 藤堂たちが大声で騒ぎだす。伊庭が居心地悪そうに目を泳がせた。

「ですから……僕が彼女を心配しているのは、幼馴染だからであって、そういうものではなく……」
「言い訳はやめなよ、伊庭君。どう見ても、君の態度は千鶴ちゃん相手とちゃん相手じゃ違うから」
「そ、そんなことは……!」

 沖田が呆れながら言うと、伊庭は狼狽した。

「むしろ、どうして千鶴ちゃんはこんなあからさまな伊庭君の態度で気が付かないわけ?」
「千鶴は他人のことはよく気が付くけど、自分に向く好意に鈍感だからな……」

 沖田とが言う。伊庭がじとりと二人を見た。

「そういう沖田君とちゃんはどうなんですか?」
「どうって、なにが?」
「どう見てもお付き合いしているようにしか見えませんけど」

 土方が茶を噴いた。

「……君の目って、もしかして節穴?」

 沖田が呆れを通り越して、不快感を露わにして言った。

「もしかしなくても節穴だろ」

 も不機嫌そうに言う。それから、ハッと鼻で笑った。

「まあ、女相手にゃ戦えねえとか言ってる八兄より、総司さんの方がずっとましだけどな! ――って、いてててて! なんで首絞めんだよ!」
「ましってどういうこと?」

 沖田が素早くの首に腕を回して絞め、頭を拳でぐりぐりとし始める。伊庭がそれを見てから、無言で指をさし、皆の方を見る。

「あんたは、猫と犬がじゃれついているのを見て、双方に恋心があるなどと思うのか」

 斎藤が真顔で言った。伊庭が唸る。

「……なるほど。そういうことですか」
「なに納得してるのさ。一君、今のどういう意味?」
「そのままの意味だ」
「おい! どっちが猫でどっちが犬だよ!」
「論点はそこじゃないよ」
「お酒持ってきましたー」

 小姓三人が戻って来て、はようやく解放された。
 伊庭はそのまま屯所で夕飯まで食べ、夜になってから帰ろうとしていた。千鶴に引っ張られても見送りに出る。

「そういえば、トシさん。武田さんは、今どうしていますか?」

 伊庭が声を落とし、そう問いかけた。

「武田? あいつなら、組長から降格して今は一般隊士と同じ扱いだ」
「え? なぜ……?」
「まあ、いろいろあってな」

 土方がちらりとを見た。

「だが、国許から便りがあったとかで、そろそろここを出て行くことになってる」
「……そうですか」

 伊庭は少し考えてから、見送りに来ている土方、そしてと千鶴を見た。

「武田さんには用心してください。彼が出て行ってからも、しばらくは」

 土方が眉を寄せる。

「なんだ。何か気になることでもあるのか?」
「いえ……」
「隊内のことはこっちで処理しなきゃならねえ。何かあるなら言ってくれ」

 土方の言葉に、伊庭は逸らしていた目を戻した。

「……以前、松本先生と一緒に羅刹の話をしたことを覚えていますか?」

 声を落として伊庭が言う。

「あの日、千鶴ちゃんとお茶を取り換えようと部屋を出た時、近くにあの男がいました」
「なんだと?」
「室内の話が聞こえていた様子はありませんでしたが、新選組の秘密を探ろうとして動いていたのだと思います」

 武田はに直接何かをしてくることはなくなったが、同じ屯所に住んでいるため見かけることはある。伊東にくっついて歩いているが、相手にされていない。そうして、ちょうどよく『国許からの便り』があったわけだ。新選組内での立場をなくし、出て行くことにした。そういうことだと誰もが思っている。

「窮鼠猫を噛む、と言うでしょう? 気を付けた方が良いかと思いまして」

 土方が腕を組んで息を吐いた。

「忠告ありがとうよ。まあ、何かあったら斬るだけだが……」
「トシさん。ここには戦えない人もいるんです。そういうのは最後の手段に……」
「わかってるわかってる。おまえは雪村が心配なんだろ」
「え?」

 千鶴が目を丸くした。伊庭が顔を赤くする。

「そ、そうですけど! ちゃんもです!」
「はいはい、もう帰っていいぞ」

 があしらうように手を振った。いい加減、自分を戦えないと言うのをやめてもらえないかとは思う。いつぞやの手合わせは、彼の中ではなかったことになっているのかもしれない。
 伊庭を見送って、三人は屯所内に戻る。

「今の話、幹部連中には伝えておくが、他言無用だからな」
「はい」
「わかってます」

 二人が頷く。

「窮鼠猫を噛む……か」

 が呟く。大人しく国許に帰ってくれるならそれでいい。ただ、は武田がそんなに素直な男だとは思えないのだった。