の朝は早い。今日も千鶴より先に目が覚めると、てきぱきと身支度をして襖を開けた。

「おっ!」

 冷たい空気が部屋に入らないように素早く襖を閉めると、は外を見て白い息を吐き出した。

「いやあ、積もったなあー」

 一面銀世界だった。昨夜はまだ降っていなかったが、一晩で随分と雪が降ったようだ。だが、の日課は変わらない。草履を履いて、新雪に足を下ろす。冷たさに身震いしてから、地面を蹴った。朝食までは境内を走る。それがの朝の日課だ。
 沖田の病状は悪化し続けている。咳と一緒に血を吐くところも何度も見た。斎藤から土方に伝えられたの言葉は受け入れられ、は夜の巡察にも出るようになった。千鶴と共に綱道を捜すための巡察ではない。それは、新選組隊士としての巡察だ。急にが夜の巡察にも出るようになったため、沖田は土方たちが何を考えているか察しているだろうが、何も言わない。だから、も何も言わない。何も言わずに、二人は一番組の組長と見習い隊士としての職務を全うする。ただそれだけ。それだけの時間が、いつまでも続けばいいと、そう思うのだ。
 一刻程走ってから、汗を拭おうと一度部屋に戻る。部屋には千鶴だけではなく藤堂もいた。濡れた髪を下ろし、火鉢に当たっている。

「何してんだ平助。濡れた子犬みたいな格好して」
「はあ!? おまえ、年上の男に対してそれはなくねえ!?」

 藤堂が憤慨して叫んだ。着物を脱ぐわけにもいかず、は二人と同じように火鉢に当たることにした。話を聞くと、先程まで永倉原田を交えて四人で雪合戦をしていたのだという。永倉原田の組と藤堂千鶴の組。勝敗は、今のこの状況から察せられるというものだ。土方の怒鳴り声が聞こえた気がしたが、気のせいではなかったのだなとは思う。
 パチパチと火が爆ぜる音がする。今日の朝食は何かな、とが考えていると、「あのさ」と藤堂が話を切り出した。

「もし仮にさ、自分の中に譲れない信念があって、自分の信じる道を生きたいとする……」
「うん」
「でも、もしその道を貫くために、障害となる相手を排除する必要があるとしたら、おまえたちならどうする?」

 藤堂が火鉢を見つめたままそんなことを問いかけた。急に何だろう。意図を考える沈黙があった。

「私は、障害になるから、意見が違うから、『排除』するなんて考えは間違ってる」

 千鶴がそう言った。そして、首を振る。

「……って、昔の私なら言ったと思う」
「昔の?」

 藤堂が千鶴を見る。うん、と千鶴は頷いた。

「新選組に置かせてもらって、私も少しずつ理解してきたの。皆さん、譲れないものがあるから、ここで戦っているんだよね。それは、向こうもこちらも同じで、だからどちらが良い悪いじゃなくて……決して相容れない相手もいるんだってこともわかったし……もちろん、『排除』って考え方には今でもあまり賛成はできないけど……」

 千鶴がに目を向ける。は一度目を閉じてから、藤堂を見た。

「おれなら、その障害を排除する」

 藤堂が目を見開いた。は苦笑を返す。

「って、素直に言えたらいいのかもしれないけどな。まだよくわかんない。その障害が何かにもよると思うし……」

 脳裏を、白髪の山南が過ぎった。人を殺す覚悟はできた。生きる覚悟もできた。心構えもある。それでも、自分は目の前に障害として立ちはだかった仲間を斬れるのかと言われると、まだ迷いが残っている。

「でも、信じる道を生きるのが侍なら……道を貫くために刃を振るうのは、おかしなことじゃないと思うよ」

 千鶴が言う。は少し考えて、また藤堂の方を見た。

「まあ、悩んでいいんじゃないか? 千鶴の言う通り道を貫くために剣を持つのはおかしくないと思うけど、必ずしも障害は排除しなければならないのかって話もあると思うし」

 藤堂は何度か頷いて、「そっか」と呟いて笑みを浮かべた。

「オレさ、自分が正しいと思うものが、すべてを賭けるに足るものかどうか悩んでたんだ。……そして、きっと今でもまだ悩んでる」

 眉を下げて苦笑すると、一度目を閉じ、藤堂は二人を見た。

「でも、これだけは言える。――オレは、一人の侍として道を貫こうと思う」

 と千鶴は思わず目を見合わせた。藤堂は、一体何の話をしているのだろう。

「皆さーん! 朝飯っすよー!」

 野村の声が廊下に響いた。藤堂が手早く髪をまとめて立ち上がった。

「さあ、飯だ飯だ! 先行ってるぜ!」

 藤堂が部屋からいなくなる。それを見送ってから、残された二人はまた顔を見合わせ、首を傾げた。
 冷えた体に残る汗を拭ってから、と千鶴も広間へと向かう。幹部は揃っており、沖田の姿もあった。今日は体調が良いのだろう。ほっと息を吐いて、いつもの定位置である沖田と斎藤の間に座る。

ちゃん、髪少し濡れてるけど、平助たちと雪合戦してたの?」

 沖田に問われて、首を振る。

「いや、走ってたから汗かいただけ」
「今日も走ってたの? 足しもやけになるよ」
「このくらいじゃならないよ。いただきます」

 両手を合わせて、箸を取る。土方がいる朝食では、永倉と藤堂がおかずの取り合いで騒がないから静かで良い。そうでなくても今日は雪合戦であちこちの障子や襖に穴を開けたらしく、こってりと土方に絞られた後なので、向かいの席の三人は黙々と食事をしていた。

「これあげる」

 沖田が小鉢をの膳に置いた。

「あっ、また! 少しでいいから食べろって言ってるだろ」
「もうお腹いっぱいになっちゃった。ごちそうさま」

 そう言って沖田は立ち上がって広間を出て行った。米も汁物もほとんど残っていて、手をつけただけという程度しか食べていないのを見て、は息を吐く。元々少食の上に偏食ではあったが、最近はより食べなくなった。食べると吐く、と言っていたのも聞いたことがあったので、無理に食べさせたくもない。

「総司は、すっかり食べなくなってしまったなあ……」

 近藤がぽつりと言ったのを、は黙々と食事をすることで聞こえなかったことにした。
 夏に亡くなった将軍家茂公の跡を継ぎ、慶喜公が十五代将軍となった。そして就任からわずか二十日後、天皇崩御。家茂公の奥方、和宮の兄にして公武合体派の象徴ともいえる人物が亡くなったことは各方面に衝撃を与えた。親王は僅か十五歳。今後の先行きが不安な慶応二年の師走だった。