「相変わらず熱心だこと」
素振りをしていると声をかけられ、は手を止めて振り返った。伊東が中庭に入って来たところだった。
「何ですか?」
「ちょっと見学をしたかっただけよ。ここ、座っていてもいいかしら?」
の返事を待たずに、伊東が木陰の椅子に腰かけた。は首を傾げて素振りを再開する。
「沖田君は体調がよくならないようね」
木刀を振りながらが眉を寄せる。沖田はここ最近、体調が良くないからと部屋に籠ることが以前より増えた。いつも通りの元気な日もあるが、病魔は確実に彼を蝕んでいる。
「私、彼の病に心当たりがあるのだけど」
「伊東さんは医者だったんですか?」
が鋭く問う。
「いいえ?」
「じゃあ、適当な事を言って隊内を引っ掻き回さないでください。余計な憶測は混乱を招くだけです」
が目を向けずに言うと、伊東はおかしそうにくすくすと笑って「そうね」と頷いた。
「じゃあ、こんな話はどうかしら。昔、新選組にいたもう一人の局長の話」
「もう一人の局長?」
思わず手を止めた。
「近藤さん以外に局長がいたんですか?」
そんな話は誰からも聞いたことがない。伊東がにこりと笑った。
「ええ。名前は芹沢鴨。浪士組の結成時に局長となった人よ。私も名前は知っているの。会えなくて残念だわ」
「その人、新選組を辞めたんですか?」
何気なく問いかけると、伊東は笑みを浮かべたまま答える。
「いいえ。殺されたのよ。尊攘派浪士が八木邸に忍び込んできてね」
思わず首を傾げた。八木邸に尊攘派浪士が忍び込んで来た? そんなことがあり得るのか? 八木邸には土方たちが暮らしていた。誰もいなかったなんてことはないはずだし、侵入者をみすみす逃して局長が殺害されるだなんて、新選組が許すはずがないと思う。
「そう。有り得ないのよ」
伊東がの心を読んだように言った。
「聞いた話によると、あちこちにお金を借りたりしていたようだし、島原に行けば暴れて怪我人も出す、それは酷い局長だったらしいわ」
伊東が言いたいことを理解し、は問いかけた。
「つまり、こう言いたいんですか? 芹沢さんは新選組に殺された、と」
「そうでないと、いろいろと辻褄が合わないところがあるのは確かね」
伊東が頷く。
「まあ、これも他の隊士たちには知られたくないから、侵入者による殺害という表向きの理由にしているのだし。新選組って秘密ごとが多いわよね」
は考える。横暴だったからと言って、殺す必要があったのだろうか。土方たちは、何を考えて局長を殺すという結論に至ったのだろう。
「ところで、あなたは何か他にも知らないかしら」
伊東の言葉に意識を戻す。
「何をですか?」
「新選組の秘密」
心臓が跳ねた。
「新選組の秘密、ですか? ……たとえば?」
が苦し紛れに話を引き延ばそうとする。
「たとえば、そうね……屯所の奥に、雪村君が食事を運んでいるわよね。一体誰がいるのかしら」
は呼吸ができなかった。発する一言が、指一本の動きが、その「秘密」を「真実」であると言ってしまうのではないかという不安があった。伊東は、どこまで知っている?
「」
急に声がかかって、の肩が跳ねた。振り返ると斎藤が立っている。
「総司のことで話がある。素振りは終わったか?」
「あ、うん……じゃあ、伊東さん、また」
「ええ、またね」
伊東はを引きとめなかった。それに少しだけほっとしながら、は斎藤の方に駆けていく。そして屯所内に入った。
「何の話をしていた」
斎藤に問われて、は先に屯所の奥のこと――山南の存在が怪しまれていることを伝えた。斎藤が頷く。
「わかった。副長に伝えておく」
「それから……」
少し迷って、は話を切り出した。
「芹沢さんっていう前の局長……どうして殺したんだ?」
斎藤はを真っ直ぐに見る。殺気もない。その代わり、質問を好意的に受け止められているわけでもない。
「それも伊東さんが言っていたのか」
「うん……表向きには尊攘派浪士が殺したことになってるけど、たぶん新選組がやったんだろうって」
斎藤は少し考えてから、小さく息を吐いた。
「確かに、芹沢さんを殺したのは俺たちだ」
驚くことはなかった。現場が八木邸だったと聞いた時点で、想定できていたからだ。
「どうして局長を殺すなんてことに……横暴すぎて、腹に据えかねたとか……?」
斎藤は首を振る。
「そんな簡単な話ではない」
そう言って、足を止めていた斎藤は再び歩き出す。これ以上話すつもりはないようだ。他の人に聞いたら答えてくれるだろうか、と思ったがやめた。これはきっと、誰もが蓋をしてしまった過去の話だ。聞いてはいけないことを聞いたのだろうと思い、は黙って斎藤を追いかける。
「そういや、総司さんの話って?」
話題を変える。斎藤は、ああ、と言っての方を見た。
「最近、総司と稽古をしていてどう思う?」
「どうって? いつもと変わらないけど?」
素直にそう答えるが、斎藤は納得のいかない様子で続ける。
「彼の者が何らかの病に侵されていることは皆わかっている。治療法がない、あるいは本人が治療する気がないのであれば、行きつく先は死だ」
唇を噛む。そんなこと、今更言われなくてもわかっている。
「局長と副長は、総司をいつまで隊務に関わらせるかを悩んでいる」
が足を止めた。
「……総司さんを隊務から外すって?」
斎藤が数歩遅れて振り返る。
「剣の腕が衰えなければそれでいいが、そうもいくまい。不逞浪士に負けるような組長に、巡察を任せることはできない」
血を吐いて、それでも死ぬまで剣を取ると言った沖田は、それすらさせてもらえないというのか。は拳を握る。
「……おれが、総司さんの補佐をする」
視線を落としたまま、が言った。
「あんたが?」
「まだ剣の腕は衰えてないし、必要はないと思うけど……」
斎藤を睨むように見上げる。
「頼むから、あの人から剣を取り上げないでやってくれ」
きっと、いつか諦めなければならない日がくる。沖田が布団から起き上がれなくなって、誰もが死を覚悟する日がやってくる。その日がくるまで、沖田総司を新選組の剣として生かしてやってほしい。は、ただそれを願っている。
「……俺とて、彼の者に剣を手放してほしいわけではない」
斎藤がぽつりと言った。そして背を向け、歩き出した。
「あんたのその提案、副長に伝えておく」
そう言って、斎藤は立ち去る。はその場から動けなかった。