翌日。は不機嫌だった。話は数刻前に遡る。
「お、野村に相馬。稽古つけてやろうか?」
にやにやと笑いながらが問いかけると、二人はぎょっとした顔でを見返した。そしてお互い顔を見合わせ、同時に首を振った。
「い、いえ! 今日は結構です!」
「そ、そうそう! 今日は小姓の仕事が忙しいから!」
「あ、そう。じゃあまた明日な」
という会話をした後。二人がまた沖田に稽古をつけてもらっているところを目撃したのだ。
「くそっ……あいつら、おれじゃ稽古にならねえってことかよ」
ぶつぶつと文句を言いながら、は斎藤を捜していた。沖田が手が空いていないのなら斎藤に頼もうと思ったのだが、今日はあいにくと巡察当番でいなかった。そこで藤堂と原田を見かけて、誘ってみることにした。
「平助! 原田さん! ちょっと付き合って!」
「え? なんだよ、急に。何に付き合えって?」
「稽古」
が答えると、藤堂がぎょっとした。
「いやいや、オレ、おまえとは稽古できねえって言ったじゃねえか!」
「俺も得物が違うって前に言っただろ」
「槍相手に戦わなきゃならない日が来るかもしれないじゃん」
が頬を膨らませて言う。藤堂と原田が顔を見合わせた。
「つーか、何かあったのか? ずいぶん不機嫌じゃねえか」
「……別に」
頬を膨らませたまま目を逸らすと、原田がその頬を片手で掴んで顔の向きを変える。
「おまえ顔に出やすいんだから、見たらわかるぜ」
原田が苦笑して言う隣で、藤堂が頷いていた。
「……実は」
は先程の相馬と野村のことを二人に話した。なんだか自分がただ拗ねているだけな気がしてきたが、話を聞いて二人は呆れた顔をした。
「まあ、昨日の今日だしな……」
「思うところがあったんだろうな」
納得したように呟く二人に、は眉を寄せる。
「なんだよ。どういうこと?」
「気になるなら、総司の稽古に混ざってきたらどうだ?」
「そそ。なんとかなるかもよ」
そう言い残して、二人は立ち去った。は首を傾げながら、木刀を持って中庭に向かうことにした。
中庭ではまだ稽古が続いていて、相馬と野村が地面に倒れているところだった。沖田がに気が付いた。
「ちゃん、どうしたの?」
「混ざろうと思って」
そう言って、は沖田に向かって木刀を構える。
「お願いします」
沖田がにやりと笑う。
そして無音になった。周囲には誰もいない。いるのは目の前の『敵』だけだ。集中する。足の指、手の指、一本一本に神経を通す。どう力を入れるか考える。相手の動きをよく見て、地面を蹴る。『刀』がぶつかる。返して、また斬りかかる。『敵』の動きをよく見て、よく見て――そして視界から『敵』が消えた。
「いってえ!」
がつんと後頭部を叩かれて、の集中は途絶えた。頭を抱えて蹲る。
「だいぶ集中力もつようになってきたけど、まだまだだね。お坊さんに混じって座禅でもしてきたら?」
沖田の声が上から降って来る。
「お、沖田さん!」
相馬が焦った声をあげた。
「なに?」
「そんな力任せに叩いて、怪我でもしたらどうするんですか!」
「別に、君たちにやってるのと変わらないじゃない」
「俺たちはいいんすよ! いやよくないけど! でもさんにはまずいっていうか!」
何を言っているんだ。が眉を寄せて二人に目を向ける。ああ、と沖田が気が付いたように声をあげた。
「君たち、もしかしてちゃんが女の子だから、手加減してあげなきゃとか、もう一緒に稽古できないとか思ってる?」
「あ?」
が低い声を漏らした。相馬と野村がびくりと肩を揺らす。つまり、二人が稽古を断ったのは、が女だということを知ったからだということか。
「はあ、なるほどなるほど。そういうことか」
がゆらりと立ち上がる。頭を叩かれた痛みはどこかに消えた。は二人を睨みつける。
「いいか。おれは、男だから女だからって言って強さを決められるのが一番嫌いだ。よく覚えとけ」
吐き捨てるように言う。二人は何も言えず、ただ黙っていた。
違うと思ったのに。この新選組だけは、自分を女だからと弱く見るような人間はいないと思っていたのに、それは理想だったのだと知る。それが悔しくて、悔しくて。は唇を噛み、拳を力いっぱい握った。
「あーあ、泣かせた」
「泣いてねえよ」
沖田の言葉に、が不機嫌そうに返す。
「ちゃんの方が根性もあるし、剣を合わせていて楽しいかなあ。……君たちはどうやら、敵が女の子だと戦えないみたいだしね」
の肩に手を乗せて、沖田が笑う。
「いえ、敵なら性別を問わずに戦えます。ただ……」
「さんは敵じゃねえし……」
ぶつぶつと相馬と野村が言い訳をしだす。が溜め息をついた。
「心構え」
「え?」
二人がを見た。
「口でならなんとでも言える。本当に目の前に女が現れたら、おまえらは斬れんのか。その『いつか』が来てからの心構えじゃ遅いんだよ」
それは山南の教えだ。は二人を真っ直ぐに見据える。
「心構えは常にしておくもの。おれが敵になったら斬るくらいの覚悟でいないでどうするんだ」
相馬と野村は目を見開き、互いを見た。がまた息を吐く。
「おれが敵になったら、総司さんおれを殺すだろ?」
「うん、殺すよ」
沖田は素直に頷いた。そして、沖田は戸惑う二人に目を戻す。
「君たちもそうでいてくれないと困るんだけどな。まあ、ちゃんや千鶴ちゃんが敵になることなんてまずないと思うけど、いつ誰が敵になるかわからないんだから」
「そうそう。まあ、千鶴を殺そうとしたらおれがおまえらを殺すけどな」
「僕も?」
「総司さんもだよ」
はっきりとそう言えるようになった。殺す覚悟はある。殺される覚悟もある。いざという時に沖田たちを殺せる覚悟は、きっともう持っている。彼らもそんな覚悟を持って、自分や千鶴と接している。
「心構え、ですか……」
相馬が呟く。そしてを見た。
「さん。一本お願いします」
「おい、相馬!」
木刀を構える相馬の肩を、野村が掴んだ。
「性別なんて関係ない。目の前にいる者は敵だと思え……そういうことですね」
相馬の言葉に、は口元に笑みを浮かべる。そして頷き、構えた。
「かかってこい」
相馬が地面を蹴る。
そしてようやく野村も木刀を構え、と沖田との稽古が再開した。日が沈む頃には、昨日までの二人に戻っていた。息を切らせている二人の前に立つ。
「どこの誰だっけ? 手加減しなきゃだの、稽古できないだのと言っていたのは?」
にやにやと見下ろしながらが言う。二人はばつが悪そうに目を逸らした。
「すみませんでした……もうそんなことは言いません」
相馬がに目を戻し、立ち上がった。
「今後とも、ご指導よろしくお願いします」
相馬が頭を下げる。慌てて立ち上がった野村も頭を下げた。昨日の夜と同じ言葉。だが、そこに込められた意味は違う。ふっとは笑う。
「強くなれよ。おれはもっと強くなるけどな」
はい、と二人が大きく頷く。
「先輩っぽくなってきたね、ちゃん」
「なに笑ってんだよ」