いつものように幹部たちと夕食を共にして、夜は一人で素振りをする。の一日はこうして終わりに向かっていく。
「君」
ちょうど千回を数えたところで声がかかる。井上だった。
「風呂が空いたようだよ。雪村君と入って来るといいよ」
「わかった、ありがとう」
は井上と別れて一度部屋へと戻り、着替えを持って千鶴と風呂場へ向かう。今日は確か永倉たちが付き合ってくれる予定だったはずだ。幹部たちは毎日誰かしらが風呂の見張りを買って出てくれている。ありがたい話だなとは思う。隊士たちが全員入り終えた時間にしか入れない、と千鶴の楽しみな時間だった。――そこを邪魔する人物さえいなければ。
「なんだなんだ、こんな時間に風呂ってか」
行く手を邪魔してきたのは三木だった。
「なんか用? 急いでるんだけど」
「ああ、風呂に行くんだろ?」
わかってると言いたげな顔で、三木は手を伸ばしてくる。
「いつも二人だけでこそこそと水くせえな。ちょうど汗かいてたとこだ、風呂だったらオレも付き合うぜ」
「っ!」
その手が千鶴に届く前に、が払う。
「千鶴に軽々しく手ぇ回してんじゃねえよ」
「なんだよ。男同士だってのに、恥ずかしがることねえだろ?」
「いえ、その……」
「おれたちは幼馴染同士、二人で仲良く風呂に入るの。邪魔すんなよな」
が睨むと、三木はぐっと顔を近づけて来た。
「……おまえ、相変わらず年上に対する礼儀ってもんを知らねえらしいな」
「おれは敬う対象を選んでるだけだ」
しばし二人で睨み合う。舌打ちをして三木が顔を離した。
「それともなんだ、おまえらオレらとは一緒に入れねえ理由でもあんのか?」
「……別に、そんなことはありません」
「おまえらのことは前から気になってたんだぜ」
千鶴の否定の言葉は聞こえていないように、三木は話を続ける。
「他の隊士の話じゃ、急に現れていつの間にか副長付きの小姓と一番組に収まってた素性のしれない輩……しかも、随分と幹部に目をかけられてるときた。雪村に至っては、稽古にも捕り物にもまともに参加したことがないくせにな」
「……」
「なあ、おまえらは何者だ? 雪村千鶴。」
壁に手をつき、行く手を遮った状態で三木が問う。
「……私は、新選組の一員です」
千鶴が言う。三木が鼻で笑った。
「剣もまともに使えねえくせによく言うぜ。気付いてないとでも思ったか? 体捌きを見りゃ一目瞭然なんだよ」
「おい、千鶴への侮辱はおれへの侮辱とみなすぜ?」
「黙ってろよ番犬」
「ああ!?」
が怒鳴る。
「……確かに私は戦働きはできませんし、新選組の隊士だと胸を張って名乗ることはできないかもしれません。でも、ここに置かせてもらっている以上、自分のできることは精一杯こなすつもりです。……たとえ隊士でなくとも、今の私は新選組の一員ですから」
千鶴が真っ直ぐに三木を見て言う。
「ふん、ずいぶんとつれねえ態度だな。何か隠してるって言ってるようなもんだぜ」
と睨み合っていた三木が、千鶴へと目を戻す。
「何もできない足手まといを、幹部連中が後生大事に抱え込んでる理由。幹部連中が男色だっていうならまだわかるが、そんな話は聞いてねえ。となると、後はなんだ? 逆に……実は男じゃねえ、とかな」
二人をじろじろと見ながら三木が言う。
「まあ、女だったら大問題だ。幹部が隊の風紀を率先して乱してるわけだしな。だが、ただ女が欲しいならここに置いとく理由がわからねえ。島原も近いし、幹部は妾宅だって持てるはずだ。となるとまあ……何かほかに秘密があると思うのが自然なわけだ」
「ごちゃごちゃ言ってないで、いい加減どけよ」
が千鶴の手を引いて三木の脇を通ろうとする。だが、三木が千鶴の腕を掴んだ。
「はぐらかすんじゃねえよ。証明してみせろよ、おまえらが間違いなく男だってな!」
「っ!」
「てめっ――!」
荷物を捨て、が刀に手をかけようとしたその時。
「雪村先輩から手を放せ!」
近付いてきた足音が、そのまま三木に突撃した。
「相馬?」
駆け寄って来たのは相馬と野村だった。相馬が三木の胸倉を掴み、壁に押し付けている。
「……おい見習い。この手は何の真似だ? 立場ってもんをわかってんのか?」
「確かにあんたは組長かもしれないが、この新選組は本来同志の集まりだと聞いている。少なくとも組長だからと言って、横暴を黙って見るのを是とする組織ではないはずだ」
三木に睨まれても相馬は退かない。
「組長様の行動を横暴とぬかすか。おもしれえ、やるか小僧? 新選組は実力主義だ。言い分は刀で聞いてやるよ!」
三木の刀が音を鳴らした。
「俺はそれでも構わない。だが、俺が返事をするとそっちが喧嘩を売った形になるぞ。幸いなことに証人もいる。そうだな、野村?」
「お、おう。そうだ、そうだ! 局中法度でもなんか……そんな感じのがあったはずだぜ!」
「ああ、『私の闘争を許さず』だ。立場上困ったことになるのはそっちだぞ」
「ちっ……」
三木の方が分が悪かった。三木は乱暴に相馬を押しのけると、腕を組んだ。
「偉そうに規則を掲げやがって……所詮食うに困ってここに来たんだろうが。脱藩して幕府の陸軍に入り込んで、そこも辞めてここに来たんだろ。とんだ鞍替え野郎だぜ」
「……っ」
相馬が歯噛みする。
「言っとくが、オレはただそこの雪村とと風呂でも入って親交を深めようとしてただけだ。なのにそいつらが妙に嫌がるから、何かあるんじゃないかと思ってな」
「何か……だと?」
「たとえば、こう見えて実は女とかな。なんならひん剥いてみりゃわかるだろ。それで問題なければ引き下がるぜ」
「そんなことは……!」
千鶴が声をあげる。
「おいおい、ひん剥くとかどの口が言ってんだ? 女扱いとか先輩方に失礼じゃねえか!」
「……」
「……」
大真面目に言う野村に、と千鶴は思わず顔を見合わせた。
「雪村先輩とさんが女なわけないだろ! てめえの目は春画の見過ぎで節穴にでもなったか? よっぽど女に飢えてるんだな! はっはっは!」
「……言ってくれるじゃねえか!」
三木が刀を抜こうとした、その時。
「おい、てめえら。なんかあったのか?」
永倉に藤堂、沖田の三人が通りがかった。たちが風呂に来ないので気になって来たのだろう。助かった、と思う。この状況で三木が勝つ見込みはなくなった。
「はっ……余計なやつらが来やがったぜ」
そう言い捨てて、三木は立ち去った。
「なんだ、三木のやつ……ずいぶんと剣呑な雰囲気だったけど、何があったんだよ?」
藤堂が近付いて来て問う。はい、と言って相馬が説明する。
「あの男が因縁をつけてきたんです。雪村先輩とさんが……実は女ではないかと」
「あんだと?」
永倉が声をあげた。
「そうなんですよ。だから、俺がビシッと言ってやりましたね! 『いったい先輩たちのどこが女だってんだ! 失礼にも程があるだろ!』って――」
ドカッと野村が吹っ飛んだ。
「ってぇー! 何するんですか!?」
「失礼なのはてめえだ!」
永倉が叫ぶ。
「おまえは悪くねえけど……おとなしく二、三発殴られとけ!」
オラー! と言って永倉と藤堂が拳を握って野村に向かっていくのを、相馬が唖然として見ていた。
「いやいや、知らなかったとはいえ、面白いことするよね二人とも」
沖田は一人で笑っていた。
「それで、大丈夫だったのか、二人とも?」
野村を殴り終わった藤堂が戻って来る。
「なんとか……でも三木さんには完全に疑われてしまって……」
千鶴が俯く。
「伊東さんの差し金かな」
「ああ、それかあ……」
沖田の言葉にが頷く。伊東派が何を考えているのかはよくわからない。三木が何か新選組の弱みを握ろうとして動いているなら、それも考えられなくはない。
「まあ、一応バレなくてよかったじゃない」
沖田が肩を竦める。
「三木を止めてくれたのはこっちとしてもありがてえけど……」
さて、どうする。という顔で三人は顔を見合わせた。
「とりあえず、おまえらの処分は土方さん待ちだな」
永倉が言った。
「土方副長直々の処分となるのか……」
「つーか、処分ってなんですか? 褒められるところじゃないんですか!?」
こうして風呂はお預けとなり、七人は広間へと移動した。使い走りにされたが近藤や土方を、藤堂が原田と斎藤と井上を呼びに行き、途中で土方が山崎と島田にも声をかけた。こうして局長、副長、以下六人の幹部が相馬と野村に視線を向けることとなった。
「お、おいおい、なんだよこの物々しさは」
わけのわからない野村が声を漏らす。
「局長、副長。これはいったいどういうことなんでしょうか……」
相馬が問う。
「うむ、二人には今後特別な任務を申し付けようと思ってな」
近藤が真剣な表情で言う。
「いずれ話す必要があるかとは思ってたが……まさか、こんなに早くなっちまうとはな」
土方が溜め息まじりに言った。
「これから話す内容は、ここにいる者と、外を警護している島田と山崎しか知らねえ。他言無用だと肝に銘じておけ」
「承知しました!」
「わかりました!」
土方の言葉に二人は頭を下げて返事をする。近藤が一歩前に出た。
「では、これより二人は見習いではなく、正式な小姓として取り立てることにする。そして、雪村君と君、二人の後輩として、その素性をここにいる者以外から守ってほしい」
相馬と野村が顔を見合わせ、再び近藤を見た。
「お二人の……素性……? 何か重大な秘密があるんですか?」
「ひょっとして、どっかの殿様のご落胤だったりとか……」
「んなわけねえだろ。そうじゃなくてな……」
藤堂が呆れた声をあげる。
「おまえらこいつらを見て、何か気付かなかったか?」
原田が目の前にいると千鶴の肩に手を置いて問う。相馬がしばし考え、真剣な表情で言った。
「……いい先輩だと思います」
野村が頷いた。幹部たちが溜め息をつく。
「さっき野村君が、平助たちに殴られた理由を考えてみたらいいんじゃないかな」
沖田が助言する。
「へ? 俺? あの時は、女なんてとか……言って……しまって……」
「おい……それだ」
野村の肩を相馬が掴む。そして二人でと千鶴を凝視する。
「いや、そんな……そんな馬鹿な……!」
「ああ。あんたたちの推測は正しい」
斎藤が頷く。
「私……女です」
千鶴が言った。
「うそだろ!?」
「ほ、本当に、本当ですか!?」
野村と相馬が声を裏返らせて問いかけた。千鶴が頷く。
「さんは違うよな!?」
野村が助けを求めるようにに向かう。
「なんでだよ、さっきから二人って言われてるだろ。おれも女だよ」
「うそだー!」
「さんまで……!?」
沖田がにやにやと笑いながらの両肩に手を置いた。
「だから本当だって言ってるでしょ。それとも三木が言ってたみたいに、脱がさないと信用できない?」
「おい、冗談やめろよ」
が肩に置かれた手を払う。
「めっ……滅相もありません! 俺は信じます!」
相馬が言い、野村が何度も頷いた。
「どうもこの様子だと、欠片も気付いてなかったらしいな」
土方が再び溜め息をついた。
「その……雪村先輩、さん。気付かなかったとはいえ、これまでいろいろと失礼しました」
「でもなんで女が男装して副長付きの小姓なんてしてるんですか? さんなんて一番組の隊士でしょ?」
二人がそれぞれ言う。近藤が頷いた。
「雪村君はとある理由から自分の父親を捜すために新選組に身を寄せていて、君は親友の雪村君を心配してついてきたんだ。今はそれで納得してくれないかな。詳しいことについては、また話す時が来たら話そう」
「どちらにせよ……新選組の秘密を知った以上は、もう引き返せねえからな」
土方にも言われ、相馬と野村はまた頷いた。