慶応二年六月。は中庭で日課である木刀での素振りをしていた。

ちゃん、暇?」

 沖田がやってきて声をかけられる。

「素振りで忙しい」

 は目を向けずに答えた。

「あ、そう。残念だなあ、出掛けようと思ったのに」
「出掛ける? どこに?」

 手を止めて目を向ける。沖田が壁に体を預けながら手招きしていた。

「今日は休みにして、ちょっと出掛けようよ」

 珍しい誘いだなと思った。木刀を下ろし、首を傾げる。

「体調はいいのか?」

 沖田が眉を寄せる。

「病人扱いしないでよ。大丈夫だから。さ、ほら準備して」

 急かされ、仕方なく素振りを途中でやめることにした。木刀を置きに行き、軽く着物を直すと、沖田が待っている門へと向かう。が来たのを見て、沖田が何も言わずに歩きだす。

「それで、どこに行くんだ?」
「うん。まあ、すぐにわかると思うけど」

 いつも巡察で通る道だった。二人で来るのは初めてだな、と思う。いつにも増して人通りが多い。

「人が多いな……」
「はぐれないでね。手繋ぐ?」
「ガキ扱いすんな」

 どこに向かうのかと思っていると、どうやらこの人混みの中に用があるらしかった。手は繋がないにしろ、はぐれては大変だと沖田について行く。

「折角京に来たんだから、一回くらい山鉾見ないとね」
「ああ、祇園祭か」

 賑やかな音が鳴っている。山鉾は飾りつけの最中のようだ。
 祇園祭は一月程度やっているということと、山鉾と呼ばれる綺麗に飾り付けた山車の巡行があることくらいしか知らない。京に来てから巡察以外で外に出ることは稀だ。

「意外だな、こういう賑やかなの嫌いそうなのに」
「そう? 別に嫌いじゃないよ」

 沖田が言う。

「巡行は明日なんだけど、明日は僕巡察の当番だからね。今日は今日でいろいろ見られるから楽しいと思うよ」

 沖田に連れられ、いくつかの町会所を回る。山鉾の御神体や宝物を見て、は目を輝かせた。

「でも、山鉾ってもっとたくさんあるんだと思ってたな」

 が言うと、ああ、と沖田が頷いた。

「禁門の変の時に町が焼けたでしょ? 山鉾もたくさん焼けちゃったんだって。だから、去年は前祭の山鉾巡行は中止になったんだってさ。用意できた山鉾だけで回るみたいだよ」
「へえ……あの火事、祭りにも影響してたんだな」

 出火元は長州藩邸だったと言われているが、各所から火の手が上がり、三日以上燃え続けた。北は御所の近辺から、南は七条あたり、東は寺町通から鴨川付近、西は堀川通までという広範囲に及んだという。町が焼けた後に巡察に出たが、家を失くして露頭に迷っている人が数多くいたと記憶している。
 一通り山鉾の様子を見終わると、人混みから離れたところまで散歩し、沖田に連れられて茶店に入った。

「ちょっとここでお茶飲んで待ってて」
「どこ行くの?」
「用事。すぐ戻るよ」

 どこに行くのだろうと思って、すぐに理解する。このあたりは薬屋が多い。なにか薬を探しに行ったのだろう。こうして外で一人で残される程度には信用されるようになったんだなあ、と思いながら一人で茶を飲んでいた時だった。

「神妙にしろ、新選組の御用改めだ! ここの主人はどこにいる!」

 うわ、と呟いては卓子の陰に身を隠した。五番組組長の武田だった。今日の巡察当番だったのだろう。武田に見つからないように気を付けながら様子を窺う。

「私がこの店の主人ですが……本日は一体どのような御用向きで?」

 主人が怯え切った様子でやってくる。

「わかりきったことを。なんでもおまえは、この店に尊攘過激派の浪士を出入りさせているらしいではないか。一体何を企んでいる? 答えによっては屯所に連れ帰り、詳しく詮議させてもらうぞ」

 武田は高圧的だった。本当にこの店は尊攘過激派を出入りさせているのか? 新選組がそれを知っているのだとしたら、沖田が店に来て何も言わないはずもないし、第一そんな店に自分を一人置いて行くだろか。

「滅相もない! そのような者を出入りさせたことなどございません!」
「ほう、つまり我々新選組がでたらめを言っていると、そう申すのだな?」
「い、いえっ、そういうわけでは……!」

 何を言っても無駄とはこのことか、と思う。助けに行くべきか? 沖田はまだ戻って来ないのか?

「我々とて、善良な民の商いの邪魔をしたいわけではない。おまえの態度によっては、隊への報告を取りやめてやっても構わんのだが……」
「それは、つまり……」
「おまえの誠意を見せてみろ、と言っているのだ」

 袖の下を渡せ、ということだと気が付く。

「そ、そのようなことはできません! そもそも我々には、何らやましいことなどありませんから……!」
「何だと? 貴様、京の治安を預かる新選組に楯突くつもりか?」

 抵抗する主人に対し、武田が言う。

「屯所まで連行する。浪士共の手助けをしているに違いない。連れ帰って口を割らせてやる」
「そ、そんな……!」

 主人の悲痛な声に、は立ち上がった。

「いーけないんだ」

 大きな声を出す。店中の注目を浴びながら、はゆっくりと渦中へと歩いて行く。

「貴様は、……!」

 顔を歪め、主人に伸ばそうとした手を下ろす。

「何してんの武田さん。組長自ら不逞浪士みたいな真似するなんて、切腹でもしたいのか?」

 武田の長身を見上げ、問いかける。

「……貴様、組長の私に指図するというのか?」
「指図? こういうのはな、忠告って言うんだよ」

 鋭い目つきで睨まれるが、は怯まない。武田が鯉口を切る。主人がひっと怯えた声をあげた。

「今いないけど、総司さんと一緒に来ててさ」
「なっ、沖田だと……!?」
「嘘だと思う? おれが一人じゃ外に出ないことは知ってるよな」

 武田は考えているようだった。だが、や千鶴が一人で外に出ないということは、この数年で理解しているはずだ。

「戻って来る前に消えた方がいいと思うなあ。まあ告げ口はしますけど?」

 が挑戦的な目を向ける。武田は刀を戻し、羽織を翻した。

「……屯所に帰ったら覚えておけ」

 武田が店を出て行く。入口から顔を出して外を見れば、苛立ちながら隊列に戻っていく武田の背が見えた。今すぐ店に何かをしに戻って来ることはないだろう。

「坊ちゃん、ありがとうございます。助かりました……あの、坊ちゃんも新選組の方なので?」

 主人に声をかけられ、振り返る。

「ああ、うん。あの人とは違う組だけど、おれも新選組の隊士だよ」

 隊士のような隊士じゃないような、という立場だがそのことは言わない。一応対外的には『一番組見習い隊士』ということになっているのだ。

「今後こういうことがあったら、屯所に言いに来てよ。新選組はああいう強請たかりは駄目だってことになってるからさ」
「へえ。ありがとうございます」

 主人が深々と頭を下げた。

「あの、今お茶を淹れ直します。それから、茶菓子を用意しますんで、食べていってください」
「茶菓子!?」

 思わず大声が出てしまい、は咳払いをした。

「あ、ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて……」

 席に戻ると、こそこそと客たちがの話をしているのが聞こえる。

「新選組にもあんな若いええ子がおるんやねえ」
「それに比べてさっきの組長はんは……」
「変わった頭してはるわあ、染めとるんやろか。お洒落さんやなあ」

 目立った行動をしたのは間違いだっただろうか。だが、黙って見過ごせなかったのだから仕方がない。あとは沖田に話をして何とかしてもらおうと、淹れ直してもらった茶を飲みながら思う。
 武田は初対面の頃からたちには良い印象を持っていなかったようだが、ここ最近伊東の入隊以降ますます気が立っていると言っていい。伊東について歩いている姿をよく見かけるが、相手にされていないようだ。
 やがて、青梅の形を模した菓子がやってきて、は目を輝かせた。

「あれ、何食べてるの?」

 店に戻って来た沖田が、不思議そうな顔をした。

「貰ったんだ」
「貰った? 誰に?」

 向かいの席に座る沖田に、は事の顛末を離した。

「ふうん、武田さんが」

 沖田はどこか納得するように呟いた。

「じゃあ、切腹かな。組長自ら規則に背いたんだからね。僕が斬ってもいいんだけど」

 いつものように笑みを浮かべる。

「あの人、今隊内で居場所ない感じじゃん。それで自棄になってるのかなあ」
「伊東さんが来たからね。まあ、その前から僕は気に食わなかったけど」
「伊東さんかあ……」

 最近の問題の起点はいつも彼だ。山南が薬に手を出したのも彼の存在だった。武田は元々軍学を学んだ者として隊内で頼りにされていた面もあると聞いた。だが、伊東が来てからは「博識な伊東に遅れた軍学の武田」という構図になってしまったのである。

「伊東さんも何考えてるかわかんないし……新選組、どうなるんだろうな」

 茶をすする。

「どうなろうが、僕は敵を斬るだけだよ。新選組の敵をね」

 沖田はそう言って湯呑を置いた。は微笑む。

「総司さんはぶれないよね」
「それ褒めてる?」
「褒めてるよ」