ほとんど眠れないまま翌日になった。ただぼうっとしていてもこの胸につかえている物はなくならないので、誰かに話を聞こうと幹部を捜してぶらついていた。

「他者を殺してでも生き残る覚悟?」

 永倉が問い返す。

「まあ、そりゃあなあ?」
「殺さねえと自分が死ぬんだったら、殺すよな」

 永倉と藤堂が目を見合わせて頷き合う。

「どうかしたのか? 急にそんなこと聞いてきて」

 原田に問われる。は俯いた。

「総司さんに、おれにはその覚悟がないって言われて……」

 あー、という声が三人分重なった。そして肩を叩かれる。

「まあ、おまえは正式な隊士じゃないわけだしさ。あんまり気にすることないんじゃねえか?」

 藤堂が気楽に言った。永倉と原田が眉を寄せて溜め息をついた。

「ちょっと隊士の奴らとの交流が増えすぎて、麻痺しちまってたのかもな」
の扱いちょっと考え直した方がいいか」
「いや、その、おれは……」

 言いかけて、口を閉じた。

「……なんでもない」

 自分は本当の隊士ではない。でも、稽古に参加したい、だなんて都合が良すぎることは言えなかった。
 頭に大きな手が降って来る。

「柴田のことはあまり考え込みすぎるなよ。おまえが悪かったわけじゃないんだからな」
「……」

 永倉が言う。どうにも、そうだと割り切れない自分がいた。
 境内に向かうと、隊士たちに稽古をつけている斎藤がいた。休憩を見計らって近づき、同じことを問いかける。

「覚悟はある。俺は新選組のために生きねばならんと思っているからな」
「新選組のため……」

 ああ、と頷いて斎藤は鯉口を切って見せる。

「この剣を新選組のために振るうには、命あってこそだ。己の命がなければ、成せるものも成せない」

 刀を納める。

「一方で、既に命を捨てているとも言える。義の為ならば、この命、捨てることも躊躇わん」
「……」

 生きなければならないと思っている一方で、命を捨てている。その時が来れば、死んでもいいということだろうか。よくわからなかった。

「総司に何か言われたか」

 俯いていた顔を上げる。

「え、なんで……」
「あんたがそんなに悩むのは、総司に何か言われたか、雪村に関することくらいだろう」

 そう言って斎藤は笑みを浮かべた。も苦笑を浮かべる。

「ありがとう。参考になった」

 そしてまた屯所内を歩きだす。素振りをしようと思ったけれどやる気にならず、ぼんやりと夜になるまでを過ごした。夜になり、は山南の部屋に食事を持って行く役目を千鶴に代わってもらった。

「おや、珍しいですね。君が持って来てくれたんですか」

 山南が目を丸くしてから、部屋に入れてくれた。そして、山南が食事をする様子をぼうっと見つめる。

「それで、何があったと言うのですか?」

 食べる途中で箸を置き、山南が問いかけた。

「え……食べ終わってからでいいです、けど……」
「そんな顔で見つめられたら、美味しい食事も味がわからなくなりますからね」
「……すみません」

 俯いて謝罪するを見て、山南は息を吐く。

「雪村君のこと、ではなさそうですね。何があったのか、話してくれますか?」

 頷き、は柴田との話を最初から説明した。そして、沖田に課題を与えられたことを話す。

「なるほど。君のお節介で、隊士の一人が命を落とした。君はそれに罪の意識を感じているが、沖田君にその罪悪感を誰に対してでも抱いて生きていくのかと問われ、自分の今後がわからなくなった……ということですか」
「……まとめると、そうです」

 改めて言葉にまとめられると悲しくなってくる。どうすればいいのかわからない。答えは未だに見つからない。

「君は雪村君を守る中で、誰も殺さずにいられると思っていましたか?」

 少し考えて、首を振る。

「殺すつもりも、ありました。でも総司さんに、全部口だけだって言われて……確かにそうだな、って思ったのも事実です」
「それはなぜですか?」

 は言うか悩んで、口を開いた。

「山南さんが薬を飲んだ時……おれ、山南さんのこと殺せなかった……」

 膝の上で拳を握り、は俯く。

「千鶴が死ぬかもしれない状況で、敵はみんな殺してやるって思ってたのに、一瞬理性を失っていた山南さんを、おれは……殺せなかったんです」

 山南が立ちあがった。そして、の正面に膝をつき、肩に手を置いた。も顔を上げる。

「君にそんな選択を迫らせてしまったことについては謝ります」

 山南は苦笑していた。そして、笑みを消す。

君。優しさと甘さは違います」
「優しさと、甘さ?」
「今、私が理性を失って、君や雪村君を殺そうとしたら、君は私を殺せますか?」

 が目を瞠る。

「そんな、無理です……だって、山南さんは……」
「土方君や沖田君なら殺すでしょう。いざという時、たとえ仲間だろうと、情をかけずに彼らは人を殺せます」

 山南は続ける。

「ようは心構えです。君もはっきりとさせた方がいいでしょう。いざという時に判断に迷うことがなくなりますからね」

 山南は真剣な表情で言う。

「生死をかけた戦いに置いて、甘さや情けは不要です。一人でも多くの仲間や民を生かすために、君は敵を殺さなければならない。そういう時も、いずれ来るかもしれません」
「人を殺す、心構え……」

 自分には、それはまだないと思った。目を閉じ、山南の言葉を繰り返してから、は少しだけ微笑んだ。

「ありがとうございます。ちょっとだけ、わかった気がします」

 心構えは、まだ出来そうにないけれど。
 山南の膳を片付けて、はふらふらと廊下を歩いていた。土方の部屋は、まだ明かりがついている。明日にするか悩んで、きっとこの悩みは今解決しなければならないと思い、は思い切って声をかけた。

「土方さん。夜遅くにすみません。今、時間ありますか?」

 入れ、と言われて襖を開ける。土方は文机に向かったままだった。

「何の用だ。……って、聞くまでもねえが」

 筆を置いて、土方がの方を見る。はその場に正座した。

「柴田のことは聞いてる。おまえが面倒見てたんだってな」
「別に……面倒見てたって程じゃないんですけど……」

 ぼそぼそと呟く。

「おれのやってたことは、余計なお世話だったみたいだし……」

 結局彼の為になることは何もできなかった。そして彼は死んでしまった。自分が余計なことをしなければ、彼はそのまま隊士として活動を続けられたかもしれないのに。
 は顔を上げ、土方を真っ直ぐに見た。

「土方さん。他者を殺してでも生き残る覚悟って……人を殺す心構えって、どうすればできますか」

 土方は眉を寄せる。

「おまえは池田屋や禁門の変の時、何も思わなかったか。皆が無事でいられると思ったか?」

 問われて、考える。

「……正直、何も考えてなかった、と思います」

 正直に答える。

「自分はそこそこ腕が立つと自負していて、なんとなく死なないと思っていたけど、たぶん……ううん、殺す覚悟はなかった」

 膝の上で両手を握る。それを見つめてから、顔を上げる。

「山南さんが言ってました。土方さんはきっと、山南さんが敵になれば山南さんのことも殺せるって」
「まあ……そういう時が来れば、な。殺すこともあるだろうよ」

 土方が歯切れ悪く答える。

「それと、土方さんが前に風間に言った、『人を殺すからには、人に殺される覚悟をしろ』っていうのもずっと引っかかってて……どうすれば、そういう覚悟ができますか?」

 土方が真っ直ぐにを見た。

「先に問うが、おまえは武士になるつもりなのか?」

 はまた俯く。

「……わかりません。おれは、武士がどんなものなのかも、まだよくわかってないから」

 でも、とは続ける。

「それは、ここでみんなと過ごしているうちに、きっとわかると思うんです。新選組は、誠の武士を目指してるんでしょう?」

 土方が目を丸くした。そして、口元に笑みを浮かべる。

「言うじゃねえか」

 そう言うと、土方が急に立ち上がった。

「仕方ねえ。たまには俺がおまえの面倒を見てやる。少し肩も凝ったしな」
「え?」
「中庭に行ってる。木刀持って来い」

 少し伸びをしてから、土方は歩き出す。襖を開けて中庭に向かって行ってしまった。追わないわけにもいかず、は土方の後を追いかけた。
 言われた通りに木刀を二本持って、は土方の待つ中庭に向かった。月が昇っていて、手元は良く見えそうだ。

「俺の稽古も加減出来ねえからな」
「はい、大丈夫です」

 間合いを取って向かい合うと、は頷いた。

「それじゃあ、

 ふう、と土方は息を吐く。

「今から、俺はおまえを『殺す』」
「は? 木刀ですけど……?」

 が首を傾げる間もなく――ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
 眼前に、切っ先がある。

「今、おまえは一度死んだ」
「……」
「どうした? 俺を殺さないと、おまえが死ぬぞ?」

 いつの間にか踏み込んでいた土方が再び間合いを取る。構える。

「そして――俺を殺すなら、おまえも死ぬ覚悟をしろ」

 殺気。今、自分は明確な殺意を向けられている。これは、いつかの夜に原田に向けられたものと同じだとわかった。持っているものは木刀なのに、鋭利な刃物に思えてならない。
 土方は何度も打ちこんできた。何度も木刀を弾き飛ばされ、『殺される』。体に打ち込まれることはなく、痛みはない。その代わり、確実な急所に寸止めされる。そうして何度も、何度も、何度も、『死んだ』。
 ふらつきながら、飛ばされた木刀を掴む。手が震えていた。その間も背中に殺気を感じる。今この瞬間も、自分は『死』に脅かされている。
 どのくらい時間が経ったのかわからない。土方が、が死んだ数を数える声が脳に響く。
 『刀』を構える。集中しようとするが、体中に感じる殺気に震えが止まらない。殺さなければ。殺さなければ、自分が死ぬ。だから、この目の前の『敵』を確実に殺さなければ。
 そのためにはどうすればいい? よく見ろ。目を開けろ。脳を動かせ。考えろ。――考えろ!
 途端に、『敵』の動きが遅くなった。体の動きが見える。足捌きが見える。『刀』がどう振るわれようとしているのかが見える。『刀』を強く握りしめ、は地面を蹴った。目の前にいる『敵』を、殺す。ただ、それだけでいい。それだけで、自分は生き残るのだから。『敵』の『刀』を受け流し、懐に踏み込んだ。いける。



 パチン、と空気が弾けたように消えた。は動きを止める。

「……できるじゃねえか」

 状況を理解するのに時間がかかった。呼吸が戻って来る。そうして、理解が追いついた。今、自分は土方の首に木刀の切っ先を突き付けている。

「え……?」

 掠れた声が出た。急に体の震えが戻って来て、は持っていた木刀を落とした。カランカランと音が鳴る。膝ががくんと折れて、土方が慌てて抱きとめた。そのまま地面に下ろされる。

「荒っぽいことをして悪かった。言葉で説明するより、体験させた方が早いと思ったんだが……少しはわかったみたいだな」

 荒い呼吸で、は頷く。
 殺すとは、殺されるとは、死ぬとは、どういうことなのか。疑似体験できた気がした。そして、その中で自分はどうするべきなのか。そんなことを、悠長に考えている暇などないのだということもわかった。覚悟も心構えも常に持っているもの。そしてその時が来たら、動くしかないのだと。殺すしか、ないのだと。

「ありがとう、ございました」

 土方がの頭をわしゃわしゃと撫でた。
 土方に部屋まで送ってもらった。千鶴が満身創痍のを見て、目を見開いた。

ちゃん、もしかして土方さんに稽古をつけてもらっていたの?」

 答えるのも億劫で、は足を引きずるようにして歩くと、千鶴の前に膝をついた。そして、腕を伸ばして千鶴を抱きしめる。

ちゃん……?」

 どくんどくんと、千鶴の心臓が動いているのがわかる。呼吸しているのがわかる。生きている人間のぬくもりに、はようやく『死』からの解放を感じた。

「なあ、千鶴」

 千鶴を抱きしめたまま、が呟く。

「おれが、人を殺しても……おまえは、おれの友達でいてくれるか?」
「え……?」

 千鶴が問い返す。

「おまえや、おれたちを殺そうとするやつらを、おれが殺しても……おまえは、友達でいてくれるか?」

 千鶴はしばらく無言だった。そして、の背に腕を回す。

「うん。友達だよ」

 千鶴はそう言った。

「たとえ周りが敵だけになったとしても……何があっても、私は絶対に、ちゃんの友達であり続けるから」

 そっか、とは眉を下げて笑う。

「ありがとな、千鶴」

 ――覚悟は、できた。

「稽古、お願いします」

 翌日、は非番の沖田を呼び止めた。沖田が無表情で振り返る。

「覚悟できたの?」
「……たぶん」

 正直なことを述べる。覚悟はできた、と思う。ただ、これが正解なのかはわからない。

「まあ、いいよ。やってみようか」

 沖田と中庭に向かう。昨夜の土方との稽古を思い出して、少しだけ膝が震えた。
 間合いを取って、木刀を構える。集中する。目の前にいるのは師の沖田総司ではなく、敵だと思う。殺気の出し方はわからない。ただ意識する。敵を殺すのだと、そう思う。
 地面を蹴った。一撃目は受け止められた。間合いを取るために後ろに跳ぶと、沖田がその隙に踏み込んで来る。――刺突だ。は沖田の動きを理解し、その剣を僅かな動きで避けると、懐に踏み込み、木刀を突き付ける。ぴたり、と木刀は首元で止まった。

「へえ」

 沖田が意外そうに、でも嬉しそうな声をあげた。

「覚悟できたじゃない」

 木刀を下ろす。初めて、沖田から一本取れた。

「……昨日、四十一回死んだ」

 肩で息をしながらが呟く。沖田が首を傾げた。

「四十一回?」
「だから、今日は死なないって、殺すぞって、そう思って打ち込んでみた。それだけ……」

 はあ、と深く息を吐く。そう、と言って沖田は頷いた。

「人は遅かれ早かれ死ぬものだよ。君のせいだろうが、そうじゃなかろうが、人は死ぬ」
「……」
「戦いに出ると君が望むのなら、それが受け入れられないと君は戦えないと思うから。だから君にその覚悟があるのか聞いたんだ」

 他者の死を受け入れることができるように。他者の命を奪えるように。そうして、自分が戦い続けられるように。沖田は自分のことを突き放したかったのではなく、自分の為に乗り越える必要のある課題を出してくれたのだ。

「そっか……」

 この『刀』は決して玩具なんかじゃない。人の命を奪うもの。自分や誰かの命を救うもの。以前沖田が言っていた、覚悟がないなら抜くんじゃない、と。彼の言葉を知り、優しさを知り、はへにゃりと笑う。

「ありがとう、総司さん」
「どうしてお礼言うの? 変な子……」

 これを日常的にできるようにするには、まだまだ稽古が必要だと思った。物にするには時間がかかりそうだが、昨日何度も死んだから、今ならなんでもできる気がした。