年が明けてしばらく経ち、西本願寺に引っ越してきて一年が経った春のこと。

「え? 伊庭君また来てるの?」

 稽古の休憩中に沖田が言った。が頷く。

「うん。隊士たちと一緒に稽古するって、さっき永倉さんが言ってた」
「ふうん」

 伊庭はすっかり隊士たちとも仲良くなったようだった。これだけ頻繁に屯所に出入りしていれば、仲良くもなるとは思う。奥詰はやはり暇なのではないだろうか。

「僕も稽古つけてもらって来ようかな」
「え?」

 沖田はそう言って、ふらりと歩き出した。

ちゃん、行くよ」
「う、うん?」

 中庭から移動する沖田の背を慌てて追う。隊士たちは寺の正面で稽古をしていた。中心に伊庭がいるのが見える。

「そんじゃおまえら、後片付け始め!」

 永倉が声をかけた。稽古は終わったようだ。

「ちょっと待って。折角の機会だから、僕とも手合わせしてくれないかな?」

 沖田が声をかけた。片付けをしていた隊士たちの手が止まり、視線がこちらに集中する。

ちゃん、刀貸して」

 自身の刀を抜きながら沖田が言う。も刀を抜くと、刃先を自分に向けて手渡した。沖田はの刀を伊庭に差し出す。

「もちろん、自信がないんなら無理にとは言わないけど」
「……いえ、折角のお誘いですからお付き合いします。よろしくお願いしますね、沖田君」

 伊庭が刀を受け取った。離れた所に位置を取る沖田を見ながら、何を考えているのだろうとは思う。ただ久しぶりに伊庭と手合わせをしたかっただけだろうか。

「まさか、こんな面白そうな試合を見られるとはな! やっぱ日頃の行いの賜物か?」
「ったく、嬉しそうな顔しやがって……」
「総司に八郎か。どっちが勝つんだろうな? 新選組としちゃ、やっぱ総司に勝ってほしいとこだけど」

 永倉達が賑やかに喋っている。隊士たちもどちらが勝つのか気になっているようだ。

「おしゃべりしてないで、誰か審判してよ。いつまで経っても始められないじゃない」
「オレがやるよ」

 藤堂が二人の中央の位置にやってきた。

「そんじゃ――始め!」

 構えて睨み合いが続く。緊張感が肌に伝わって来る。沖田が僅かに剣先を下げた。それを見逃さなかった伊庭が、踏み込み、斬りつけようとした。だが、沖田は見切って弾き返す。伊庭の構えが崩れかけるのを見計らい、刺突を浴びせようとする。伊庭は一撃目はなんとか見切った。だが、一撃では終わらない。二度、三度と刺突を見舞われ、伊庭の体勢が崩れた。素早い突きの連続。沖田の得意な技だ、とは思った。

「あの、斎藤さん。この試合、どちらが勝つんでしょう?」

 見ていた千鶴が隣の斎藤に問いかける。

「総司の腕前は、あんたも知っての通りだ。だが八郎も、江戸四大道場とうたわれる練武館の跡取りで、家茂公の護衛を務める程の尋常ならざる剣技の持ち主。二人は試衛館時代にも幾度か剣を交えているが、当時から腕前はほぼ互角だった」
「つまり、斎藤さんにもどちらが勝つかはわからないってことですか?」

 斎藤は首を振る。

「いや、勝敗は決まっている」
「え?」

 伊庭の刀が弾かれた。

「くっ――」

 片膝をつく。弾かれた刀がの足元に転がって来た。

「一本!」

 藤堂が叫ぶ。

「僕の負け……ですね」

 伊庭が悔しそうに言いながら笑みを浮かべる。

「ま、相手が総司だってことを考えると、十分善戦してたと思うぜ」
「そうそう、いい勝負だったじゃねえか。総司だって危ねえ場面が何度かあったもんな」

 永倉と藤堂がそれぞれ賛辞を述べる。

「それは否定しないよ。でも――」

 沖田の目は冷たかった。

「これなら、何十回やっても僕が勝つけどね」
「……それはどういう意味ですか、沖田君」

 立ち上がりながら伊庭が問う。

「もしかして、言われなきゃわからない? 君って、剣に関してはそれなりに勘が働くと思ってたんだけど」

 そう言うと、沖田はの元に歩いて来て肩に手を置いた。

「折角の機会だし、ちゃんも手合わせしてもらったらどう?」
「え?」

 隣を見上げる。何を考えている? 沖田は笑みを浮かべるだけだった。

「沖田君! 彼女――彼は!」
「いいよ、やる」

 慌てる伊庭に対して、は頷いた。納めた刀をもう一度抜きながら、場所につく。

「せめて木刀か竹刀で……」
「真剣でいい」

 沖田が伊庭の元に歩いて行き、自身の刀を押し付けた。が構える。

「平助、引き続き審判よろしく」
「お、おう」

 藤堂が頷いた。

「本気でかかってこいよ八兄」
「……」

 渋々といった様子で、伊庭も構えた。

「じゃあ、二人ともいいか? 始め!」
 が踏み込んだ。まずは一撃。簡単に受け止められる。まさかこれで終わるとはも思っていない。刀を返し、二度、三度と見舞う。金属音が響き渡る。だが、それは一方的だった。
 幹部たちは黙って見ている。沖田の時にあった歓声はない。
 の刀はすべて受け止められていたが、伊庭から仕掛けることはなかった。がギリと奥歯を噛み締め、一旦距離を取る。

「馬鹿にしてんのか!? 本気でやれよ伊庭八郎!」

 叫ぶ。それは苛立ちだった。伊庭が目を見開く。
 ふ、と短く息を吐いてが再び踏み込む。金属音。だが、が離れると同時に、今度は伊庭が踏み込んだ。一撃、二撃、に刀を振り下ろす。はそのどちらも受け流した。伊庭の鋭い突き、はそれを見切ってかわし、体勢を低くして間合いに踏み込んだ。

「っ!」

 伊庭の戻りの方が早かった。の一撃は伊庭に届く前に刀が弾き飛ばされる。

「一本!」

 藤堂の声が響く。

「すみません! 大丈夫ですか!?」

 両手を見ているに、伊庭が慌てて問う。

ちゃん。僕と伊庭君の剣の違い、わかった?」

 沖田が近付いてくると、伊庭の手にある刀を奪い取った。が頷く。

「違い、とは……?」

 伊庭が問う。

「……君の剣は、軽いんだよ」

 沖田がつまらなさそうに言った。
 沖田の剣は殺しの剣。人を殺すための剣。一方で、恐らく伊庭の剣は、人を殺していない剣。その違いが、剣の重さに繋がる。ひいては、自分が生きるか死ぬかに繋がる。

「行こう、ちゃん」

 転がった自身の刀を拾い、沖田の背を追いかける。

「最後の踏み込み、よかったよ」
「ほんと?」
「うん。伊庭君相手にあそこまで戦えるなら、上出来かな」

 沖田がそう言って、前を見る。

「あとは、そう……覚悟かな」
「覚悟?」

 は首を傾げる。前に土方も言っていた。覚悟が決まれば、きっと化けると。

「何の覚悟があればいいの?」
「いろいろ」
「いろいろかあ……」
「言ってわかるものでもないしね」