「珍しいですね、まだ稽古をしているのですか?」
深夜になっても境内の片隅で木刀を振っていると、声がかかった。は手を止めて振り返る。
「山南さん……どうしたんですか?」
「こちらの台詞ですよ。私がこの時間に活動していることは何もおかしくはないのですから」
それもそうだ。山南は今は羅刹の身。夜に起きて、朝に眠る。そういう時間帯で生活をしている。それにしても、気軽に出歩ける立場ではないはずなのだが。
「……ちょっと眠れなかっただけです」
は山南から目を離して、再び木刀を握った。
「もし君が良ければ、私がお相手しましょうか?」
木刀を振り上げて、手を止めた。は驚いて山南に目を戻す。
「山南さんが?」
「ええ。思えば、君と手合わせをしたことはなかったと思いまして」
山南が腰の刀を抜く。真剣でやるつもりらしい。は少し考えて、木刀を木の根元に置いてから、戻って来て刀を抜いた。
「さあ、どこからでもどうぞ」
山南がこうして刀を構える姿を見るのは初めてだ。自分たちが新選組にやってきてすぐに彼は左腕を怪我してしまい、刀を持てなくなった。
は地面を蹴った。刃がぶつかり、金属音が境内に響く。何度も、何度も、打ち込んでは綺麗に受け流される。真剣は以前より重いと感じなくなった。以前より、自在に操ることができるようになった。それでも、この切っ先はまだ誰にも届かない。
「なるほど」
そう呟いて、山南がの刀を大きく弾く。体勢を戻そうとするより先に、山南の刀の切っ先がの喉元に突き付けられた。時間が止まる。
「思っていたよりもやりますね。浪士との斬り合いで負けることはないでしょう」
刀を下ろしながら山南が言う。そして、目をから逸らした。足音が近付いてくる。
「おい、!」
土方だった。焦った様子で近付いてくる。
「山南さんも、何やってんだ。こんな夜中に真剣で打ち合いなんてしやがって。この音を聞いて誰が来るかわかんねえんだぞ」
「すみません。君が悩んでいたようなので、少し相手をね」
くすりと笑う山南に、が目を丸くする。
「どうして……」
「君は、質の悪い稽古の量をこなすような人間ではないと思ったので」
山南が刀を納めながら言う。も唇を噛みながら刀を納めた。
「……強くならなきゃ、ならないんです」
がぽつりと呟く。
「強くならなきゃ、ここにいる意味がない」
視線を足元に落として、は拳を握る。
「どうしてそう思うんですか?」
山南が問いかける。は悩んでから、話すことにした。
「八兄が、千鶴のこと好きみたいで……」
「それは知ってるが……まさか、雪村が取られると思ってるわけじゃねえよな」
呆れた様子で土方が言う。
「別に……千鶴が誰を選ぼうが構わないんですけど……」
「雪村君の意思を無視したくはないけれど、君は嫌なのでしょう?」
山南の言葉には顔を顰める。そうだ、その通りだ。自分は、千鶴が伊庭を選ぶことを嫌だと思っている。
だって、もし千鶴が自分ではなく伊庭に守られることを選んだらどうなるのだろう。――きっと、自分の存在する意味が消失する。なんのために強くなったのか、なんのために生きているのか、何もかもがわからなくなる。
「おれは、千鶴を守るっていう約束のためにここにいます。あいつの隣にいます。……だから、強くならなきゃならないんです。誰にも負けないほど強くなって、あいつを、守らなきゃ……っ」
涙が零れそうになって、はぎゅっと目を瞑った。沖田からは一本も取れたことはない。きっと伊庭にだって勝てない。毎日毎日必死に稽古をしていても、何の身にもなっていないような気がして、情けなくて、悔しくて。袴を握りしめて、唇を噛む。
「、あのな……前から言おうと思っていたが――」
土方が言いかけたのを、山南が制した。
「君は真面目ですね。幼い頃の他愛のない約束を、こんなにも心を傷つけながら守ろうとしている」
山南がの頭を撫でる。
「雪村君を守れるか、不安なのですね」
こくりと頷く。
「雪村君を守れない自分に、存在価値なんてないと思っているのですね」
また頷く。山南が優しく微笑んで頷いた。
「良いことを教えてあげましょうか、君」
が顔を上げた。
「一人でできないのなら、皆で彼女を守れば良いのです」
「みんなで……?」
繰り返して、はまた目を伏せた。
「無理でしょ? だって、新選組は千鶴のための組織じゃない……」
「ええ、違います。それでも、仲間を見捨てるような組織でもないと、君は知っているはずです」
「仲間……?」
がまた言葉を繰り返す。山南が頷いた。
「君たちは、新選組の仲間でしょう?」
目を見開く。そして土方へと視線を移した。土方は溜め息をつく。
「これでも、おまえらのことはそれなりに信頼しているつもりなんだがな」
どうして、と思う。だって、まだ全然強くなってない。新選組にとって何の価値があるのかわからない。何も見出せていないと思う。それなのに、どうして信頼なんてできるのだろう。
「幹部連中ほど使えるとは言わねえ。おまえはまだまだだ。だが、毎日の稽古は隊士連中より量をこなしてるだろ。だから、あとは覚悟一つ決まればおまえは化ける……そんな気がする」
「土方君のお墨付きですか。これは先が楽しみですね」
の頭から手を下ろして、山南がくすりと笑う。土方はそんな山南を軽く睨みつけてから、に目を戻した。
「まあ、おまえにとっちゃ俺たちはまだ信用できねえのかもしれえが……」
「そんなことないです!」
が慌てて言った。
「そんなことはないんですけど……ただ何でもかんでも頼ってばかりなのも、申し訳なくて……」
土方が呆れた顔をした。
「おまえがもう少し強くなったら、たくさんこき使ってやる。だから今は甘えとけ」
土方も手を伸ばして、の頭を乱暴に撫でた。
「俺は仕事に戻る。おまえも部屋に戻れ。山南さん、あんたもだ」
「わかっていますよ」
ひらりと手を振って、土方は建物の方に戻っていく。それを見送って、山南がに目を戻した。
「さて、気は済みましたか?」
「あ、はい……すみませんでした……」
「いいんですよ。これでも、君よりは少しばかり長く生きていますので」
山南はおかしそうに笑って、立ち去った。はその背を見送ると、木刀を拾って部屋に戻ることにした。千鶴に心配されたが、体を動かしたかったのだと嘘をついた。布団を敷いていつものように隣に並んで眠りにつく。隣を見ると、既に眠ったのか千鶴が規則正しい呼吸をしているのが目に入る。
「……強くならなきゃな」
小さく呟いて、目を閉じた。