六月。松本が来訪してから一か月が経った後のこと。
「皆、集まってくれ! 知らせたいことがある!」
嬉しそうな近藤の声に呼ばれて、皆が集合した。
「待たせたな、皆! 松本先生から苦言を呈され、早一月……ついにこの屯所に、待望の風呂ができたぞ!」
連れて来られた場所は風呂場だった。
「さすが近藤さん! よっ、あんたが大将!」
「ついにできたんだな!」
永倉と藤堂が嬉しそうに言った。
「ずいぶん金がかかっちまったが……背に腹は代えられねえ」
「隊士の健康に障るとなれば、対処せんわけにはいかんからな!」
土方と近藤が言う。風呂のかまどは外にあるらしく、近藤が数人の幹部を引きつれて外に出て行った。
「どうだ、二人とも。おまえさんたちもやっぱり嬉しいか?」
永倉が問いかける。
「はい、もちろんです。……ただ、私たちがお風呂を使わせていただくわけにはいかないと思います」
「そうなのか?」
残念そうに言う千鶴に、永倉は首を傾げた。
「あのなあ、知らねえ隊士に見つかったらどうすんだよ」
が呆れ顔で言う。
「あー……まあ、確かにな」
永倉ががりがりと頭を掻く。そして、にこりと笑みを浮かべた。
「よし、なら入浴中は誰も来ねえように俺が見張ってやるぜ! それならいいだろ?」
「えっ、永倉さんが……ですか?」
二人が目を丸くする。
「おう、もちろん……あっ、けど別に下心とかはねえからな! あくまでも見張るだけだからよ!」
「いえ、そういう心配をしているわけではないんですけど……」
「新八っつぁんで本当に大丈夫か? 見張りなら別の奴がいいんじゃねえの?」
「平助! どういう意味だよ、そりゃ!」
「そのままの意味だろ。おまえこの間、飯炊きながら居眠りして危うく焦がすところだったじゃねえか」
「新八っつぁんの自信満々な一言ほど、不安になるもんもねえしな」
「二人とも、いくら何でも言いすぎだろ! 俺だってやる時はやるんだって!」
わいわいと騒ぎ出す。風呂ができたのが余程嬉しいのだろう。自分たちが入れることはないかもしれないが、楽しい気分だけでも分けて貰えたような気持ちになった。
夕方になると風呂上りの様子の幹部たちが廊下に現れ、その後隊士たちも入ったようであちこちで火照った身体を風に当てている姿が目に入った。
「いいなあ……」
そんな様子をは頬杖をつきながら見ていた。八木邸、前川邸には風呂はなかった。風呂に入りたい時は市中の湯屋に行ったり、井戸水で身体を拭いたりする程度だった。毎日部屋で身体を拭いてはいたが、せめて数日に一度は風呂に入りたい。江戸っ子なら誰だってそうだろう。それをやがて察知してくれた幹部たちが湯屋に行く時に声をかけてくれるようになったものだが、この様子では今後は湯屋に行くことはないだろう。溜め息が出る。
「なんだ、どうしたんだ。浮かねえ顔して」
髪を下ろしたままの藤堂が頭に手拭いを乗せて現れた。が恨めしそうに目を向ける。
「……おれも男だったらなって思ってたとこだよ」
「えっ、急になんだよ」
藤堂が目を丸くする。は女であることを恨めしく思うことはあっても、男を羨ましがることはなかった。
「よう、。話はわかったぜ」
羽織を片手に持ち、上半身裸のままぺたぺたと裸足を鳴らして原田がやってきた。そして、を見てにやりと笑みを浮かべる。
「今晩、寝ないで千鶴と部屋で待ってろ」
「え? なに?」
「いいから。平助、おまえも手伝えよ」
「えっ、何するんだよ」
と藤堂は顔を見合わせて首を傾げた。
そして深夜。と千鶴は原田に言われた通り、布団を出さずに部屋で待っていた。
「よう、俺だ」
が襖を開ける。
「お、寝ないで待ってたな」
「あの、どうしたんですか原田さん。私たちに何か用ですか?」
千鶴が問うと、原田はにんまりと笑った。
「今、風呂場を見てきたが、誰もいねえみたいだった」
と千鶴が目を丸くする。その反応を見て、原田は笑みを深くする。
「いいか、気付かれねえように静かに、だ。急げよ」
「わかった!」
「はいっ」
急いで風呂敷に着替えを包み、原田と一緒に風呂場へと向かった。風呂場の前には藤堂がいた。
「お、来た来た。今んとこ誰も来る気配ないぜ」
「平助君まで……」
「見張りするって元気に言ってた永倉さんはどうしたんだよ」
「あいつなら風呂上りに麦湯でも飲みに行ってるんじゃないか?」
原田が肩を竦めた。風呂場には昼間来た時にはなかった、大きな衝立がある。
「俺たちはそこで呑んでるからよ、ゆっくり風呂入れよ」
そう言って二人は風呂場の入口に背を向けて座って、酒を用意し始めた。と千鶴は顔を見合わせ、満面の笑みを同時に浮かべる。
四半刻程の風呂を楽しんで上がると、もっとゆっくりすればいいのにと言われながら、二人に送られて部屋に戻る。昼間の汗はすっかり流れて、二人とも上機嫌だった。
その様子があまりにも嬉しそうだったことから、と千鶴が風呂に入る時は、幹部が見張りをするという決まり事が自然とできた。そんな初夏の出来事。