新しい屯所は、隊士が全員集合しても平気なほど広かった。隊士が集められ、近藤が全員の視線を受けて立っていた。

「皆も、徳川第十四代将軍徳川家茂公が上洛されるという話は聞き及んでいると思う。その上洛に伴い、公が二条城に入られるまで、新選組総力をもって警護の任に当たるべし、との要請を受けた!」

 広間がざわついた。

「将軍公の警護を、新選組が……!?」
「こりゃ、とんでもねえ大出世だな」
「ふん。池田屋や禁門の変の活躍で、お偉いさん方も、俺たちの働きを認めざるを得なかったんだろうよ」

 土方は口元に笑みを浮かべていた。

「警護中は、文字通り僕らの刀に国の行く末がかかってる、ってことですか」
「そういうことだ。てめえら、気合入れていけよ!」

 おおーっ、と隊士たちが声をあげる。

「将軍公の警護とはまた……大役ですな」

 武田が言う。

「ええ、本当に。山南さんが生きていれば、どれほどお喜びになったことか。本当に、惜しい方を亡くしましたわね……」

 伊東はそう言って、懐紙で目尻を拭った。

「伊東さん。此度の幕命を立派に成し遂げることこそ、亡くなった山南君が真に望んでいることだと思います」
「ええ、わかっていますわ。私たちの名を天下に知らしめる、絶好の機会ですものね」

 近藤の言葉に、伊東はしっかりと頷いた。山南が生きていることは、あの夜現場にいた一部の幹部とと千鶴しか知らない。

「まずは、隊の編成を考えねば。とりあえず、俺とトシ、それから総司――」
「待ってくれ、近藤さん。総司は、今回外してやってくれねえか」
「む、なぜだ?」

 土方の言葉に、近藤は問い返す。

「何でも、風邪が治らねえとかでな。養生しろって散々言ってるのによ」
「本当か? 大丈夫なのか、総司」

 心配した声の近藤に、沖田は肩を竦めて見せる。

「大した風邪じゃないんですけどね。土方さんは大袈裟なんですよ」
「何言ってやがるんだ。さっきも咳してただろうが。いいから、言う通りにしろ」

 沖田がずっと咳をしているのはも知っていた。稽古中、時々咳をして中断をしている。軽い咳だが、長引いているのが少し気にかかっている。そんなことを考えていると、藤堂が手を挙げた。

「ん、平助、どうしたんだね? 何か気になることでもあるのか?」
「あのさ……近藤さん、実はオレもちょっと調子が……」

 近藤が眉を寄せた。

「なんだ、平助も風邪か? 気を付けないといかんぞ。折角の晴れ舞台、全員揃って家茂公をお迎えしたかったのだがなあ」
「……すいません」
「あ、いや、責めたわけではないんだ。体調は大事だからな。いずれまた機会もあるであろうし、二人にはその時、存分に働いてもらいたい」

 はい、と沖田と藤堂が返事をする。
 こうして隊の編成が粗方決まった頃だった。

「そういや、雪村。おまえはどうするんだ?」
「え?」
「呆けてるんじゃねえよ。おまえは警護に参加するのかって聞いてんだ」

 土方が呆れ顔で問う。千鶴がきょとんとした顔をした。

「私も……参加していいんですか?」
「無論、構わんとも。君も今や、新選組の一員と言っても過言ではない。是非参加してくれ」

 近藤が嬉しそうに言った。千鶴が周囲の意見を聞こうと目を向ける。

「まあ、行ってもいいんじゃない? そんなに危険もなさそうだしね」
「長州藩士は京に出入りできねえから、斬った張ったの騒ぎにはならねえだろうし」

 留守番になった沖田と藤堂が言った。永倉たちも頷いて見せる。

「……私、行きます。同行させてください」

 そう言って千鶴は頭を下げた。土方が笑みを浮かべる。

「よし、わかった。おまえには伝令やら使いっ走りを頼むことになると思うがな。こき使ってやるから、覚悟しとけ」

 そして、土方がを見る。

、おまえは雪村の護衛だ」
「お、適任じゃないですか。承知です!」
「まあ、何もねえとは思うが……おまえらは組ませておいた方が何かと良さそうだからな」
「さっすが土方さん、話がわかるー!」
「茶化すんじゃねえ」

 二条城は徳川家康公の頃より、将軍上洛の際の宿舎の役割を果たすために作られた城だ。家茂公が何事もなく辿り着いたのが先刻のこと。道中警護から、そのまま城周辺の警護にまわって一刻あまりが経っていた。

「じゃあ、よろしく頼む」
「はい」

 土方からの伝達を聞いて、千鶴とは動き出した。二人の役割は、隊士に交代を告げたり知らせを伝えに走ったりという、伝令役の名を借りた使い走りだ。

「あの、伝達に来ました」

 千鶴が声をかけると、三木が眉を寄せた。

「なんだ、おまえらが伝達係かよ。ここは遊び場じゃねえんだぜ」
「私だって、遊びに来たわけじゃありません」

 千鶴が言い返すと、三木はハッと笑った。

「へえ、そうかよ。じゃあ、まともな刀も差してないおまえが何しに来てるんだ?」
「それ、おれにも言ってる? 三木さんって目が悪いの?」

 刀を見せびらかすようにして、が手を置く。

「おまえだって大小差してねえだろうが。ま、ガキが持つには重そうだし、一本でちょうどいいな」
「なんだと」
「……本題に入ってもよろしいでしょうか」

 千鶴の言葉に、三木が舌打ちをした。

「言ってみろ」
「局長は城内での挨拶中のため、皆さんは引き続き警護をお願いします」

 土方からの言葉を伝えると、三木は一つ頷いた。

「わかった……確かに伝達は聞いたぜ」

 素直なその言葉に、二人は思わずぽかんとする。

「……おい、なんだその馬鹿面は? オレが伝達を聞いたのが、そんなにおかしいか?」
「え……いえ、それはその……」
「仕事は仕事だからな、私情を挟むつもりはねえんだよ。ほら、伝達は聞いたんだ。さっさと行け!」
「は、はいっ!」

 追い立てられて、二人は三木の元から離れる。

「やな感じ」

 離れたところで、が三木に向かって舌を出した。
 伝達を終えて、待機場所に戻ろうと二人は歩く。隊士たちは誰もが緊張などしていない様子でいた。尊攘過激派の長州浪士は京を追われているし、警護が厳重で敵の侵入などあるはずがない。万が一の事態なんて、あるはずがない。
 ――その時だった。

「ッ!? 千鶴!」
「!」

 が先に、遅れて千鶴が気が付いた。
 殺気。自分たちに向けられている殺気だ。木々の間からゆっくりと歩いてくる男が三人。そのうちの一人は、池田屋、そして禁門の変の時に現れた金の髪の男だった。

「おまえ、あの時の!」
「あなたたちは……!?」
「……気付いたか。さほど鈍いというわけでもないようだな」

 風間の他に二人。一人は池田屋で風間の隣にいた。既に話に上がっていた天霧、不知火の二人だろうと推測する。だが、薩摩と長州の人間がなぜこんなところにいる?

「なぜ……あなた方がここにいるんですか?」

 千鶴が問いかける。

「そのなぜっつうのは、どうやってここに立ち入ったのかを聞いてやがんのか? だったら答えは簡単だ。オレら『鬼』の一族には、人間が作る障害なんざ意味を成さねェんだよ」

 拳銃を片手でくるくると遊びながら、男が軽い口調で言った。

「我々はある目的の為にここに来た。……君を捜していたのです、雪村千鶴」

 ――敵だ。は瞬時に判断する。素早く刀を抜き、踏み込む。金属がぶつかる音がした。が両手で振り下ろした刀は、風間が片手で持った刀に受け止められていた。

「ふん。番犬のつもりか小娘? そよ風の方がまだましだな」

 片手で刀を大きく弾かれる。そして素早く翻した刀が、体勢を崩したの肩口から胸元までを切り裂いた。

「ぅぐ……!」
ちゃん!」

 刀を取り落とし、が膝をつく。千鶴が駆け寄って来た。血が流れる。白の隊服が赤く染まっていく。
 を支えながら、千鶴が三人を睨みつけた。

「あ、あなた方が言っている言葉の意味がわかりません。『鬼』とか、私を捜していたとか……私をからかっているんですか!?」

 刀の血を振って飛ばすと、風間は怪訝な表情をした。

「……『鬼』を知らぬだと? 本気で言っているのか?」

 風間は千鶴の言葉が信じられないようだった。

「君は、負った傷がすぐに癒えませんか? 並みの人間とは思えぬ程、怪我の治りが早くありませんか?」

 無手の男が問う。千鶴の動揺が、手を通してに伝わる。

「そ、そんなことは……」

 否定する声が震えていた。

「あァ? なんなら、血ィぶちまけて証明した方が早ェか?」

 拳銃を持った男が千鶴に銃口を向けた。が痛みを堪えて千鶴の前に出る。だが、風間が刀でそれを制した。

「不知火。貴様、貴重な女鬼に傷を負わせるつもりか?」
「ンなこと言われても、こいつの往生際が悪ィんだからしょうがねえだろうが」

 不知火と呼ばれた男は溜め息を吐く。風間が再び千鶴を見る。

「多くは語らぬ。鬼を示す姓と、東の鬼が持つ小太刀……証拠としては充分に過ぎる」
「姓……?」
「言っておくが、おまえを連れて行くのに同意など要らぬ。女鬼は貴重だ。共に来い――」

 風間が手を伸ばす。
 その時だった。足音が近づくなり、と千鶴の頭上を槍が通り、風間は手を引いた。三人の表情が不快に歪む。

「おいおい、逢引きならもう少し色気のある場所を選んだ方がいいんじゃねえか?」
「……またおまえたちか。田舎の犬は、目端だけは利くと見える」
「……それはこちらの台詞だ」

 原田と斎藤の声がする、とは思った。

「原田さん! 斎藤さん!」
! 生きてっか!?」
「勝手に殺すな……」

 原田の言葉に、が呻くように返した。
 土方が前に出る。

を連れて下がってろ」
「土方さん……」

 土方はこちらを見てはいなかった。三人の『鬼』を真っ直ぐに睨みつけている。
 千鶴はに肩を貸し、後ろに下がろうとする。そこに山崎が駆け付けて来て、を逆側から支えた。

「将軍の首でも取りに来たかと思えば、こんなガキ一人に一体何の用だ?」
「将軍も貴様らも、今はどうでもいい。これは、我ら鬼の問題だ」
「鬼だと?」

 土方が怪訝な声をあげる。信じられないのだろう。ここに侵入してきた三人以外、誰一人としてこの場で『鬼』の存在を信じている者はいなかった。
 原田が不知火と、そして斎藤が天霧という名であろう無手の男と睨み合う。
 土方が刀を抜き、風間に斬りかかるのが合図だった。それぞれの交戦が始まる。金属音が夜の闇に響き渡る。火花が散るのではないかという程の重い音。
 千鶴が小太刀に手をかけたのを見て、が下から千鶴の袖を引いた。千鶴が驚いてに目を向ける。は千鶴を見てはいなかった。目の前の、土方と風間が打ち合っているのを瞬きもせずに凝視している。だが、何が起こっているのか、目で追うことはできなかった。重い斬撃の音が続く。見えないのは暗いからではない。太刀筋が、全く読めない。自分の理解の範囲を超えた二人が戦っているからだ。土方以外の二人の方でも戦いは続いていたが、目を向けている余裕はなかった。
 何合か打ち合った後、土方の隙を突いた一撃が入った。風間の前髪がはらりと散る。

「……ほう」

 風間が意外そうな声を漏らす。そして、刀を下ろした。

「これ以上の戦いは無意味ですな。長引いて興が乗っても困るでしょう」

 天霧が言うと、不知火がハッと笑った。

「それ、オレ様への当て付けか? こう見えても引き際は心得てるつもりだぜ。興が乗ると止まんねェのは、むしろ……」

 視線が風間に向く。

「確かに、これ以上の長居は無駄か。あくまで今日は、真偽を確かめにきただけだからな」

 そう言って風間は刀を納めた。

「むざむざ逃がすとでも思っているのか?」

 斎藤が納刀状態のまま、いつでも居合で踏み込めるように構えて言う。

「虚勢はやめておけ。貴様らはまだしも、騒ぎを聞きつけて集まった雑魚共は、何人死ぬかしれたものではないぞ」

 動きが止まる。先日、風間に成すすべもなく斬られた隊士のことを思い出す。

「近いうちに、迎えに行く。……楽しみに待っているがいい」

 そうして、闇に紛れて三人は姿を消した。気配が完全に消える。
 静寂が訪れ、千鶴がその場に崩れ落ちた。

「大丈夫か、千鶴?」

 原田が駆け寄って来る。

「平気……です……」
「……おまえ、嘘つくの下手だな。顔、真っ青だぜ。しばらく、そのまま座ってろ。歩けなかったら、俺がおぶってやるから」
「……ありがとうございます」

 笑顔を浮かべようとしたが、うまく笑えなかった。

「おい、おまえ、あいつらに狙われる心当たりでもあるのか?」
「いえ……私にもよく……」

 土方に問われ、千鶴は首を振る。
 斎藤がの前に膝をついた。

、無事か?」
「急所は外れています」

 胸元から血を流すに着物の上から応急手当をしながら、山崎が答えた。

君、屯所に帰ってからちゃんとした治療を――」
「あいつ……風間……千鶴を連れ去るって……?」

 ようやくが口を開いた。その目にあるのは殺意だった。

「鬼だか何だか知らねえが……おれがぶっ殺す……!」

 低く唸る。
 土方が歩み寄り、斎藤が場所を譲った。

。おまえとあいつらの一切の交戦を禁じる」
「はあ!?」

 膝をついたままのが、土方を睨み上げた。

「どういうことですか土方さん! あいつらは千鶴を……!」
「力の差もわからねえほど馬鹿じゃねえだろ」
「……っ」

 俯き、ギリと歯を噛む。

「……おれじゃ、勝てないと?」
「ああ、無理だ」

 はっきりと言われる。おまえには無理だと。力不足だと。勝てないと。そう、言われる。
 土方ですら風間を相手にして手一杯だった。自分の目じゃ追えなかった。だから、言っている意味はわかる。わかるけれど、納得はできなかった。

「おまえの気持ちはわからなくもねえが」

 言いながら土方は、俯くの前に膝をついた。

「無惨に殺されて、雪村を悲しませたくはねえだろ」

 がしがしとの頭を撫でて、土方は立ち上がった。

「雪村のことは俺たちに任せろ。山崎、こいつを屯所に連れ帰ってくれ」
「はい」

 こうして、は山崎と共に先に屯所に戻ることになった。
 手当をするという山崎の言葉を断って、二条城に戻るのを見送ったは、寺の中を歩いていた。広間に入ると、沖田が刀の手入れをしていた。が入って来たのを見て、顔を上げる。

ちゃん? ……って、どうして怪我してるの!? 誰にやられたの!?」

 刀を置いて、沖田が立ち上がる。
 ガンッ、と鈍い音が鳴った。が近くの柱を殴っていた。

「……くそっ!」
 そして、続けざまに柱を力いっぱい殴りつける。

「くそ! くそっ! くそおっ!」

 もう一度殴ろうとした腕を、沖田が力強く掴んで止めた。

「落ち着いて。何があったの」

 真剣な声で問われる。は俯いていた。

「風間たちが……千鶴を攫うとか言って……それで……」
「風間? あいつらが……?」

 沖田が怪訝な声をあげる。の様子から、その傷が風間に受けたものだということを理解したようだった。

「僕も間が悪いな……あいつが来るなら、何が何でも行けばよかった」

 池田屋の借りは、未だ返せていない。

「総司さん!」

 が沖田を見上げて、その胸に縋りついた。

「おれ、強くなりたい!」

 その目にあるのは、悔しさだ。

「もっと! もっともっと! 強くならなきゃならない! 今のままじゃだめなんだ!」

 風間に簡単に受け止められてしまった刀。遊んでいたわけではない。毎日のように稽古をして、新選組に来たばかりの頃と比べたら各段に強くなったはずだった。それなのに、千鶴を守るにはまだ足りない。

「おれっ……強くならなきゃ……!」

 俯いたの声が震えていた。
 柱を殴って傷ついた拳。この傷も、風間に受けた傷も、すぐに癒える。ただ、が心に負った傷は、そう簡単には癒えそうにはなかった。