元治二年三月。手狭になった屯所を壬生から西本願寺へと移転させることになった。皆で八木邸と前川邸の大掃除をして、荷物を西本願寺へと運び始めた。
と千鶴はとりあえず自分の荷物だけでいいと言われて、近藤と土方について隊士たちよりも先に西本願寺に到着した。
「寺全部ですか!?」
「いや、北集会所と太鼓楼だけだ」
近藤が寺の北にある建物二つを指さした。
「すげー! ひろーい!」
が今後広間になる部屋に入るなり、中央に駆けて行って叫んだ。
「ったく、ガキだな」
土方が苦笑し、千鶴も笑みを浮かべた。
「気に入ったかね、君!」
「はい! 隊士全員入れそうですね!」
近藤とが大声で会話をすると、僅かに反響する。ここが、これからの拠点だった。
「元々ここが長州浪士を匿ってたりしてたのを、牽制する意味合いもあるんですよね?」
が三人の元に戻りながら問いかける。
西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山だ。その昔、本能寺は織田信長と長期抗争状態にあったが、その間長州の毛利家は本願寺に兵糧を運び込んで助けていたという。そうした縁があり、本願寺は長州浪士の支援を行っているのだと伊東が言っていた。
「ああ。山南さんは、僧侶の動きを武力で抑えつけるのはどうかって言ってたんだが……まあ、ここ以外に当てがなかったのも確かだからな」
「あの、土方さん……山南さんのお名前はあまり出さない方が……」
千鶴は小声で言う。あの日の事件は、山南が死んだことによる騒ぎだったという説明が伊東にされた。伊東は涙を浮かべて悲しんだというが、本心かどうかは定かではないと同席していた沖田がに言った。
藤堂の勧誘で近藤が承認して入隊したという経緯の伊東は、古くからいる隊士には歓迎されていなかった。「伊東派」と呼ばれている、伊東と共に入隊してきた隊士は数多く、そもそも尊王攘夷派の伊東派がどこまで幕府に尽くす気があるのかもわからない。しかし、近藤はすっかり丸め込まれてしまっているため、大声で文句も言えなかった。
「二人の部屋を案内しよう」
近藤がそう言って、四人は移動した。
「えっ、広い……」
「ここ幹部の部屋じゃなくていいんですか?」
案内された部屋が、二人にしてもやや広く、驚いて尋ねると近藤はもちろんと頷いた。
「女子の部屋だからな、本当は男部屋から離したかったんだが……」
「何かあった時に駆けつけられねえだろって俺が言ったんだ」
近藤と土方がそれぞれ言う。土方の配慮はありがたいと思う。自分たちの正体を知っている幹部の部屋は、近くとも問題はない。
「武田や三木なんかの、おまえらのこと知らねえ奴らの部屋は遠くにしたからよ」
それで勘弁してくれ、と土方は言った。
「声出した時に誰か駆けつけてくれるくらいの距離が嬉しいので大丈夫です」
「なんだおまえ、『雪村を守るのは俺だ』くらい言うかと思ったが」
「……自分の力量くらい把握してます」
が拳を握る。山南の事件で何もできなかったこと。沖田から一本も取れていないこと。自分の存在価値は未だない状態で、認めてもらうこともできやしない。土方は小さく息を吐いた。
「まあ、頼れる時には適切なやつを頼れ」
「わかってます」
頼っていいと言われている間は、頼らせてもらおうと思う。それが、千鶴を守ることに繋がるのなら。
「ぐぎぎぎぎ……!」
引っ越し荷物が運ばれてきて、先に到着していたと千鶴は荷解きに駆り出されていた。「この行李は棚の上」と言われたは背伸びをして行李を棚の上に押し上げようと奮闘していた。
「何してんだ」
後ろから声がかかった。
「何って、見てわかんねえのか、この行李を、上に……!」
「ははあ、チビには届かねえみてえだな」
「うるせえな、そう思うんなら少し手を貸すくらいして――」
ひょいと、両手の先が軽くなった。見上げると行李は棚の上に乗っている。
「ほら、これでいいのか」
上からを覗き込んでいる男には見覚えがあり、は固まってしまった。
「あ? なんて顔してんだ。手伝ってやったんだから、何か言うことがあるだろ」
「ど、どうも……」
「『どうも』? ありがとうございます、だろうが。目上の人間に対する言葉遣いを習わなかったのか?」
三木三郎。伊東の弟で、九番組組長の立場を得ている。見かけることはあっても、向こうはに興味を示さなかったし、接触するのは初めてだ。「頼れる時には適切なやつを頼れ」という土方の言葉が脳裏に過ぎる。適切ではない人物を頼ってしまった。
「おまえ、一番組の見習い隊士だろ? 名前は?」
「……」
「随分小せえが、歳はいくつだ?」
「十八……」
素直に答えると、三木はじろじろとを上から下まで見始めた。
「こんなガキが一番組ねえ……余程見込みがあるのか……それとも何か別の――」
「君!」
山崎の声だった。と三木が目を向ける。
「沖田さんが捜していた。すぐに来てくれるか」
「あ、うん、わかった」
それじゃあ、と言って三木から逃げるようにしては山崎の方へと向かい、一緒に廊下を歩きだした。肺に溜まっていた息を吐きだすと、大きな溜め息が出た。
「大丈夫だったか?」
「ああ、うん……大丈夫……それで、総司さん何の用だって?」
そう問うと、山崎は苦笑をした。
「いや、あれは嘘だ。君が三木さんに絡まれて困っていたようだったから、ついな」
「そういうことか……いや、正直助かった。ありがとう、山崎さん」
だがそれから数日、は行く先々で三木と出会った。廊下を歩いている時、新しい中庭で木刀を振っている時、どこからともなく三木が現れる。
「おまえは何者だ、?」
行く手を遮られては内心溜め息をついた。
「一番組の見習い隊士だけど?」
「見習い風情がどうして幹部たちに大事にされてる? おまけに馴れ馴れしい態度で接しても罰則はないときた。おまえが特別な扱いを受けてるってのは誰が見たってわかるぜ」
「……」
伊東派が来てから、本当に面倒ごとが増えた。幹部たちに大事にされているのはも自覚はあったが、幹部たちの手前、真正面から疑いを口にする者はいなかった。だが伊東派、特に三木は違う。幹部であるため、彼らの目を気にする必要もない。
「ねえ、その子に何か用?」
沖田が三木の背後からやってきた。
「おまえには関係ねえだろ」
「関係あるよ。その子はうちの組の見習いなんだから」
「ハッ。よその組の隊士に声かけちゃいけねえ決まりでもあるのかよ。随分と大事にされてんだなあ、?」
三木がに顔を近づける。鼻と鼻が触れそうな距離で見つめられるが、はそのまま三木の額に自分の額をごつんと勢いよくぶつけた。
「いって……!」
「おれこの後稽古だから、もう行くな」
額を押さえて痛がっている三木の体を押しのけて、は沖田の方に駆け出した。沖田と並んで歩きながら、背後を見る。三木が大きな舌打ちをして、逆方向に歩いて行く。はまた溜め息をついた。
「なんであの人、ちゃんに絡むんだろう。何か勘付いたのかな」
沖田も同じように背後に目を向けながら言った。
「怪しんでるだけだと思う。おれが幹部と仲いいのは本当だし……」
は少し考えて、沖田に目を向けた。
「沖田さん、おれ、みんなとの接し方変えた方がいいと思いますか?」
「うわ……やめた方がいいと思うよ」