九月になり、少しずつ涼しくなってきた頃合い。は江戸から帰って来た近藤を捜していた。
きっかけは近藤が江戸に行く前に遡る。千鶴が、出立前の近藤直々の稽古を受けたというのだ。天然理心流の四代目宗主の稽古を受けたというのは、素直に羨ましいと思った。沖田に勝つための助言をもらえるかもしれない。そう期待して、は近藤が帰ってくるのを今か今かと待っていたのだった。
「近藤さん! 今お時間ありますか!?」
広間で土方と談笑をしていた近藤を見つけて、が駆けこんだ。飛び込むように正座をする。
「う、うむ? どうしたんだね、君。そんなに慌てて」
「おれにも稽古つけてください!」
驚く近藤に、は満面の笑みでそう言った。
「剣術の稽古を? もしかして、雪村君に聞いたのかね」
「はい! 千鶴ばっかりずるいです! おれも近藤さんの稽古受けてみたいと思って、江戸から帰ってくるのずっと待ってたんです!」
「おい、。おまえ、総司に構ってもらってるんだろうが」
呆れた顔で土方が言う。は頬を膨らませた。
「だって、総司さんから一本も取れないんです。だから! ちょっとでも強くなれるきっかけになるかなって!」
近藤が膝を打って立ち上がった。
「その意気やよし! いいだろう! 中庭は空いているかな?」
「誰もいないのは確認済みです!」
も立ち上がった。
「おいおい、近藤さん。あんたまだ道中の疲れが取れてねえだろう。別に付き合わなくたっていいんだぜ?」
「何を言うトシ。若い子が強さを求めているんだ、指導してやらんとな!」
近藤はやる気満々だった。土方は息を吐く。
「では竹刀を……」
「木刀で大丈夫です! お願いします!」
「む、そうか? では、折角だし我々が使っていた木刀を使おうか。どこにしまったか……」
「それなら物置にあるぜ」
「おお、そうか!」
近藤と土方の会話に首を傾げる。
「天然理心流の? 何か違うんですか?」
近藤について歩いて、物置から『天然理心流の木刀』を探し出す。
「お、あったあった。これだよ」
近藤が差し出した木刀を見て、は目を丸くした。
「えっ!? これ木刀ですか!?」
いつも使っている木刀よりも太くて長い木の棒だ。一本渡されて持つが、ずっしりと重い。真剣と同等か、それよりも重いかもしれない。
「通常の木刀は軽いだろう? 天然理心流は実戦を想定した流派だ。そのため、真剣よりも重い木刀で素振りをしたんだよ」
「へえ……」
こうして二人揃って中庭に移動する。
「君も道場に通っていたんだったな」
「はい」
「では、その型を崩さずに構えてみてくれ」
言われた通りに構える。晴眼の構え。そこから、近藤の指導が始まった。構え方、握り方に対して指導が入ったのち、近藤が言う。
「では、素振り千回!」
「せんっ……は、はい!」
時折近藤の厳しい声が飛びながら、素振り千回を重い木刀でやり切った。次はいつもの木刀に持ち替え、打ち合いが始まる。打ち合いは日が暮れるまで続いた。
「いや、君はすごいな! ものの数刻の稽古で、天然理心流の基本をものにしてしまうとは」
近藤が笑顔を見せる。額を流れる汗を拭って、はようやく息を吐きだした。膝が震えそうだったが、なんとか立っていられた。
「わかりやすい内容でしたし、おれ覚えるのは早いんですよ。あとは体がついてくれば……」
「うむ。基礎的な筋力はあるようだが、刀を振るにはまだぶれるだろう」
「そうなんです」
は頷く。の腕に真剣はやはり重い。なんとか扱えているというのは否めない。
「そのためには、やはり足腰の筋肉を強化することが重要だ」
「刀を持つのは腕なのに?」
が首を傾げる。近藤が微笑んだ。
「上半身の筋力が大事のように思われるが、上半身の機能を発揮するためには下半身の筋肉が不可欠なんだ」
「なるほど」
先程も踏み込みが重要なのだと習ったばかりだ。腕立てだけでは駄目だということだ。近藤は再び素振り用の木刀を手に取ると、それをに渡した。
「この木刀は好きに使うといい。今日はここまででいいかな?」
「はい! ありがとうございました!」
木刀を受け取り、は綺麗に礼をした。
そうして、二人で縁側に座った。
「ふう」
深く息を吐きだす。
「む、疲れたかね? すまない、俺の指導は荒っぽくて……」
「ああ、大丈夫です。なんていうか、疲れたけど、充実したーって感じです」
心配そうに見てくる近藤に、は笑顔を見せた。久しぶりに充実感を感じていた。
「総司さんや斎藤さんとの稽古はひたすら打ち込め、体で覚えろ、って感じだから……こうして基礎から見てもらうのも久しぶりでした」
受け取った木刀をその場で教えられた通りに構えながら、は言う。重い木刀だ。沖田も土方も井上も、この木刀で何千何万と素振りをしてきたのだろう。そう思うと、自分もようやく同じ場所に立てたような気がした。
「総司の稽古はどうだ? 楽しいかね」
はしばし悩む。
「楽しくはない……かな。死ぬ気でやってるんで」
沖田の稽古は容赦がない。どんなに打ち込んでも、打ち込んでも、剣先すら届かない。自分の体に打ち身や痣が増えるばかりだ。だが、彼が遊んでいないことだけはわかっていた。自分みたいな本当の隊士でもない人間を、強くしようとしてくれている。どうしてかはわからない。沖田のことだ、ただの気まぐれかもしれない。
「総司は、君みたいな教え子ができて嬉しいんだろうなあ」
の心を読んだかのように、近藤が言った。
「嬉しい?」
「あいつの教え方は独特だからな……荒っぽいというか……だから嫌がる人が多いんだ。でも、君はそんな稽古についていっているんだろう? 指導者の立場からすれば、何度でも立ち上がる根性のある教え子は嬉しいからな」
「そういうものですか……」
自分は指導者の立場になったことはないからわからない。自分は沖田に指導するに値すると思われているのだろうか。
「総司は真っ直ぐな奴だろう? トシなんかは、よく『あいつは捻くれてる』なんて言っているが、俺はそうは思わん。素直で前向きな奴なんだ」
「真っ直ぐか……」
沖田のことを考えてみる。きっと、近藤が見てきた沖田と、自分が見ている沖田は違うのだろうと思った。優しさがないわけではないのは理解しているが、素直かどうかと言われると悩む。
「おれにはまだよくわからないですけど」
そう言っては近藤を見る。
「近藤さんが言うような総司さんに、おれも気付けたらいいなって思います」
近藤はその答えに満足したように微笑んで頷くと、の肩に手を置いた。
「これからも、総司をよろしく頼むよ」
「おれが頼まれる方なんですか?」
そう言って二人で笑った。
「あれ、ちゃん何か変えた?」
翌日の沖田との稽古の時だった。が構えたのを見て、沖田が言った。
「え?」
「構え方が変わったね」
「あ、わかる!?」
がぱっと笑顔になる。
「実は昨日、近藤さんに稽古つけてもらったんだー」
「近藤さんに?」
沖田は驚いた表情で言った後、眉を寄せる。
「忙しいのに無理言ったんじゃないの?」
「うーん、でも快く教えてくれたけど。夕方まで休憩なしでやってたから、さすがにちょっときつかったかなー。楽しかったけど」
沖田はふうんと納得していない様子だったが、すぐに息を吐いた。
「まあ、近藤さん人がいいからなあ……教えてください、なんて言われたら断れなかったんだろうな」
予想がつく、と言いたげに沖田が言う。そして、いつものように意地悪げな笑みを浮かべて、木刀を構えた。
「じゃあ、僕から一本くらい取れるようになってるよね? なにせ、近藤さん直々の稽古を受けたんだもんね」
がぎょっとする。
「えっ、そんな昨日今日で強くなるわけ――」
「そうじゃないと、君を教えた近藤さんの評判が落ちるんだから、強くなっててもわらないと困るんだけ、ど!」
そう言って沖田が踏み込んでくる。近藤の教えの通り、正面から受け止めずに受け流す。初めて沖田の一太刀目を避けられた。沖田が意外そうな顔をしたのが視界の端で見えた。だが――
「だっ!?」
足をかけられて、顔面から地面に突っ込んだ。
「千変万化臨機応変。天然理心流の極意は習わなかったのかな?」
起き上がって振り返ると、してやったりという顔の沖田がいた。ひくりと頬が引きつる。
「おれ、やっぱり総司さんは捻くれてると思う」
「それなに? 誉め言葉?」