禁門の変から一月が経った。藤堂の怪我はすっかり良くなり、江戸に隊士勧誘のために旅立っていった。当てがあるらしい。近藤も来月には江戸に発つ。募集は藤堂が行うが、実際に入隊させるかを決めるのは近藤が到着してからとなる。
 今日は千鶴とは十番組の巡察に同行していた。町は平和そのものであり、一月前に大きな戦があったことを感じさせない程いつも通りだ。

「あれ? あの人……」

 千鶴が遠くを見て呟いた。

「どうした? もしかして綱道さんか?」
「いえ、父ではないんですが、原田さんもご存知の人です」

 千鶴が見ている先を見て、もあっと声を漏らした。

「おーい! 相馬ー!」

 大きく手を振る。向こうは歩いてくる隊服を見て新選組には気が付いていたようだ。顔を顰めながら近付いてくる。

「大声で名前を呼ばないでくれ、恥ずかしい……」

 相馬が周囲を気にしながら言う。隊に先に行くように指示して、原田も足を止めた。

「久しぶりだが、元気だったか?」
「ああ、おかげさまで」
「相馬さんも、また京に来ていたんですか?」
「つい先日、藩から戦の後の様子を見てこいと言われて来たんだ」

 とはいえ、京の様子はいつも通りだといえた。長州浪士が放った火が町の広範囲を焼いたため、町民にも被害は出ていたが、この火災が会津藩と新選組のせいだという噂が流れており、被災した町人たちは幕府に不満を持っているのだという。

「そっちは……巡察の最中か……」

 相馬が歩いて行く隊士を見ながら言う。

「なんだ? 複雑そうだな」
「いや、初めて出会った時も新選組が巡察してる途中だったもので、それを思い出して」
「そういやそうだったか。あの時は手荒な真似をして悪かったな」

 原田が苦笑する。

「あんな風に局長自ら謝られたら許すしかないだろう。まったく……ああも躊躇いなく、下の者に頭を下げるなんて聞いたことがない」

 相馬が息を吐いた。当時のことを思い出しているようだ。

「悪いと思ったら素直に謝る。うちの大将はそういう人なんだよ」
「誰にでもできることじゃありませんよね」
「だから近藤さんはみんなに好かれるんだよな」

 三人がそれぞれ言うと、相馬は頷く。

「というか、あの時は気付かなかったが……皆、ちゃんと見回りしているんだな」
「おい、そりゃどういう意味だ? 普段はやってないような言い方に聞こえるぜ」

 原田が眉を寄せる。

「あ、いや……前にも言ったように、江戸では新選組の悪い印象を聞いていたし、前回の印象が悪かったから。新選組の見回りって、もっと荒っぽいもんだと思ってたんだ」
「声を張り上げて、周りを威嚇しながらふんぞり返って歩いているとでも思ってたか?」
「……否定はしない」

 相馬が気まずそうに答える。だったら、と原田が言う。

「巡察に付き合ってみるか? そうすりゃ、俺たちがこの京で何をしてるかわかると思うぜ」
「俺が新選組の巡察に……?」
「京の様子を見に来たんだろ? ちょうどいいじゃねえか。新選組の様子を確認した、って言えば藩としても損はねえはずだ」

 相馬は少し考えて、頷いた。

「わかった。興味もあるし付き合ってみる」

 そうして、四人で先に行った隊士たちを追った。指示を出すために原田が先頭に向かい、たち三人は最後尾についた。しばらく隊の最後尾を歩く。そして、相馬は溜め息をついた。

「新選組は浪士崩れの乱暴者ばかりと江戸で聞かされてたが……随分と規律が取れているんだな。俺が思っていたのとは大違いだ」
「私も新選組を知った当初は、そう思っていたこともありました。でも、民に無体な真似をした者は、厳しく罰せられると聞いています」
「そうか……これが新選組の本当の姿なのか……」
「まあ、いろんな奴はいるけど……」
「え?」
「なんでもない」

 隊士も組長の目の無いところでは、に手をあげた者たちのように不満を持っている者もいないわけではない。ただし、隊務は真面目にこなす者が多いのは事実だ。いろんな人間がいる。それが新選組なのだろうとは思う。

「おい! そこの浪士ども! 天下の往来で何してんだ? 何か問題があるなら新選組で聞いてやるぜ?」

 先頭で原田の声が響いた。隊が止まる。どうやら、茶屋の店先で問題を起こしているらしい。

「新選組だと? 関係ねえだろ、すっこんでろ!」
「そうだそうだ。俺たちはこの店の客だぜ」

 柄の悪そうな男たちの声と汚い笑い声がした。原田が店主に本当かと問いかけると、店主はしどろもどろになりながらお客様だと答えた。だが、浪人たちがやっていたのはどう見ても強請りたかりだ。浪人と原田の怒鳴り声が響く。

「ちょっと……あんなことになってるが、いいのか?」
「あれは……その……」

 動揺する相馬の問いに、千鶴は回答に詰まった。にとっては、そんなことはどうでもよかった。捕り物になるなら、千鶴に被害が及ばないようにしなければならない。

「上等だ……ここまで馬鹿にされちゃ、大人しくこの場から立ち去れなくなっちまったぜ。おまえら、まとめて俺が相手してやる!」

 ついに原田の堪忍袋の緒が切れたらしい。槍を構える。

「おもしれえ。新選組がどれほどのもんか見せてもらおうか!」
「おいおい、俺たちゃ何もしてねえのに、刀を抜こうってのか?」
「新選組と知ってて喧嘩を売ったんだろ? なら、その喧嘩買ってやるまでさ!」

 浪人たちも隊士たちも刀を抜いた。そして店先で斬り合いが始まってしまった。剣戟の音は少しだけだった。瞬く間に隊士たちが浪人を縛り上げる。

「くそっ!」

 一人がその手を掻いくぐって逃げ出した。こちらに向かって来る。が地面を蹴った。

!」

 原田が店先から叫ぶ。

「任せろ!」

 叫んで返す。

「どけ小僧!」

 刀は取り上げられて持っていなかった。身一つでも敵うと思ったのか、浪人は真っ直ぐにに突っ込んで来る。だが、浪人の振り上げた拳をかわすことなど、喧嘩慣れしているには容易かった。その腕を掴むと、勢いよく掌を顎下から叩きつける。ガチンと歯が鳴った。ふらつく浪人に向かって足を大きく振り上げて顔面横を踵で蹴りつけると、浪人は派手に吹っ飛んだ。その間に隊士たちが追いついて来て、浪人は今度こそお縄についた。
 隊士たちが浪人たちを縛り上げ、屯所へと連行する。往来にいた町人たちの口から溜め息があがった。

「これだから壬生狼は……」
「金さえ払ってれば大人しくすんだものを、困ったもんやのう……」
「店も迷惑なことだ……」

 がそちらに目を向けると、町人たちはそそくさといなくなっていった。そういえば、自分も隊服を着ているんだったなと思い出す。自分も傍から見れば、立派な新選組の隊士なのだ。

「ありがとな、。助かったぜ」
「おれだって巡察に来てるんだ、あれくらい任せろって」

 戻って来た原田がの頭をくしゃりと撫でる。巡察に初めて来た時は、こんなことさえ許されなかった。少しでも、信頼は得られているのだと思い、は嬉しかった。

「悪かったな、こんなことになっちまって」

 千鶴と相馬の元へと戻る。相馬は眉を顰めていた。

「なあ……俺は最初、整然と歩いているあんたたちを見て、少し見直してたんだ。世間で言われている乱暴者の新選組というのは、噂だけなんだと……本当は、ちゃんと京の治安を守っているんだと……」

 相馬は原田とを睨みつけるようにして続けた。

「だが、やっていることは、やっぱりその通りだったじゃないか! 京の人たちだって迷惑していたみたいだぞ!」

 原田が息を吐く。

「なあ、相馬。京の治安を守るっていうのはどういうことかわかるか? 強請たかりを目の前でやられて、それを見逃せって言うのか?」
「そういうわけじゃないが……やり方ってもんがあるだろう?」
「口で言ってもわからねえ奴らや暴力を平気で振るう奴らには、躊躇してる暇はねえんだよ。それが、京の治安を守る仕事だ。新選組の仕事なんだよ」
「それはわかるが……陰口を叩かれてるのは気にならないのか? あれじゃあ、いつまで経っても乱暴者や人斬りだって言われ続けちまう」

 相馬は一度口ごもってからなおも続けた。自分はちょっとした経緯から新選組と知り合いになり、屯所で近藤は土方にも会い、本当は新選組がどんな人たちなのかも少しはわかっている。でも、それを知らない市井の人々や見たこともない遠く離れた人たちには、乱暴者だと言われ続けるだけだと。

「ありがとうよ。俺たちのことを心配してくれてるのか?」
「そ、そういうわけじゃない!」
「できたばかりの頃……まだ浪士組と名乗ってた頃は、本当にそうだった」

 原田が昔を思い出すように話し出した。

「乱暴者もいたし町の人にも迷惑をかけてた。その頃を知ってる奴からしたら、新選組は本当に乱暴者の集まりだろうさ。おまえの持ってた錦絵の絵師も、きっと未だにそう思っているだろうな」

 原田が苦笑をする。確か、『井吹龍之介』という人物だったと記憶している。浪士組の頃、一体どんな組織だったのだろうとは思う。浪士組の頃の話は聞いたことがない。

「だが、今は違うぜ。新選組って名を貰い、京の治安を守るためにちゃんと働いてる。俺たちはその名に恥ずかしくなく、やるべきことをやってるんだ。ま、多少の誤解はあるかもしれねえが……いつか、わかってくれると思うぜ」

 そんな話をしていた時だった。

「あの……新選組のお侍様……」

 先程の店主がおずおずと近づいて来て声をかけてきた。

「お、店主か。店には悪いことをしちまったな。何か被害があったら屯所に言いに来てくれ」

 店主は深々と頭を下げた。

「いえ、先程はありがとうございました。客商売ですから、他のお客さんの前でははっきりした態度もとれず……」
「いいってことよ。俺たちに助けを頼むのを見られたら、客商売もあがったりだしな」

 まるで気にしていないように原田が言った。

「あ……そういうこと、なのか……」

 相馬が小さく呟く。

「もしよろしければ、皆さんで一服して行ってください。すぐにお茶を用意します」
「そうだな……それじゃあ、少し休ませてもらうか」

 原田の指示を待っていた残った隊士たちに声をかけ、店で茶をご馳走になるように言った。
 店に入り、原田の隣に、千鶴の隣に相馬が座った。相馬は茶には手をつけず、ずっと俯いている。が茶を啜り、はあと息を吐いた時、それをきっかけとしたかのように相馬は話し出した。

「……すまない。俺は何か勘違いをしていたみたいだ」

 申し訳なさそうに謝罪をする。原田も茶を啜った。

「いいってことさ。最初に会った時も誤解だらけだったからな」
「いや、あの時はまだ何も知らなくて……今日はわかったつもりで、本当は何もわかってなかったんだ」

 相馬が首を振る。そして、両手を膝の上で固く握って話し出した。
 相馬のいる藩の上役や同僚は、他人からどう見られているのかを気にする者ばかり。藩そのものだって、幕府の意向を気にして波風を立てようとしない。だから、目こぼしや賄賂などが横行し、それを誰も注意しない。保身ばかりを気にしている。相馬が今回京に派遣されたのも、幕府と薩長の勢力争いを見るためなのだという。いつか、少しでも有利な側へと擦り寄るための。失望したように息を吐くと、顔を上げた。

「でも、あんたたち新選組は違った。何というか……自分の信じることのために、誤解も恐れない強い志を持ってるんだな」

 相馬の目が輝いていて、原田が苦笑する。

「そこまで買いかぶられると、少し背中が痒くなっちまうぜ。人間も藩も、数がいりゃ、ひとつひとつ考え方が違う。俺たち新選組の隊士だってそうだ」

 が隣で頷いた。隊士たちと稽古を始めたは、そのことを知っている。が頷いたことに満足して、原田はもう一度相馬を見た。

「おまえが俺たちを見てどう感じたのかは知らねえが……新選組といってもいろんな奴がいる。みんながみんな、そんなに高い志を持っているわけじゃない。刀や槍働きでしか生きていけない奴、浪人で食うにも困っている奴、どうしても金が必要な奴とかな。中にはそろばんしかできない奴、こいつみたいに小姓をしてる者もいるしな」
「わ、私ですか?」

 指をさされて、千鶴が驚いて声をあげる。

「隊士見習いのと一緒に、ちょっと訳ありで預かっているが、こう見えても土方さんの小姓だぜ。そんなわけで、別にすごい志やら武士道やら、そんなもんを持ってる奴ばかりじゃねえ」

 そこまで言うと、原田は笑みを浮かべる。

「だが強者揃いなのは保証するぜ。前に向かって剣を振るい、敵に背を見せず……そういった男たちの集まりさ」
「あんたたちの中にも、事情や立場がそれぞれあるのはわかる……だが、この京での働きに、強い志を持っているのは確かだと思う。俺は……そんな、あんたたちが羨ましい」

 相馬は一度俯くと、顔を上げた。決意をしたような顔だった。

「原田さん……雪村さん、さん。俺は武士として、恥ずかしくない態度を取れる人間になりたい。例え非難されようと、後ろ指をさされようとも、真っ直ぐにそれを貫けるような。いつかは皆さんと同じような、立派な武士になりたいと思います!」

 そう宣言する。

「なんだなんだ、突然随分と殊勝な態度になったな」
「いえ。今まで俺は何もわかっていなかった。……原田さん、俺を許してください」
「何言ってやがる。別に、許すも許さねえもねえよ、気にするな」

 そして、相馬は千鶴に向き直った。

「雪村さんも、土方さんの小姓であれば、新選組で武士のなんたるかを学び修練しているとお見受けした」
「……え?」
さんも、見習いということはまだ修練中の身なのでしょう」
「ああ、うん、まあ……」

 持ち上げた湯呑を落としそうになりながら、が答える。

「軽輩者同士、立派な武士を目指して共に頑張ろうではないですか!」

 期待に満ちた目で見てくる相馬を見て、と千鶴は目配せをした。……彼のやる気を削いではならない気がした。

「あ、はい……が、頑張りましょう」
「おう……そうだな……」

 二人はそう言って濁すことにした。

「ははっ、よかったな千鶴に。立派な武士を目指す仲間ができて」
「……原田さん。そんなに笑わなくてもいいと思います」

 おかしそうに笑う原田に千鶴が言う。

「ま、頑張るのはいいことだが、おまえは剣術以外の分野にしておけよ。どうしたってこういうのは、向き不向きってもんがあるからな」
「はい、わかっています」

 千鶴が頷く。

「雪村さんは剣術が苦手なのか?」

 次の瞬間――相馬の手が千鶴の頭と肩に伸びた。

「!?」

 ガタッ! ガタン! 反射的に立ち上がろうとしたは、その肩を隣の原田に押さえつけられて椅子に戻った。相馬は確かめるように肩や腕を撫でている。

「……なるほど。肩や腕の筋肉がまったく足りていないな。細くて柔らかくて……これではまるで女子のようだぞ」
「そ、相馬さん……?」
「小姓といえど、新選組の一人なのだから刀を抜く時も来るだろう。やはり雪村さんは、もう少し身体を鍛えた方がいいと思うな」
「は、はい……努力します……」

 原田は声を出さずに笑っている。は斬るか斬るまいか悩んでいた。だが、千鶴は一応男ということになっている。ここで怒って斬りかかると、無駄な疑念を抱かせてしまう。かといって、あんなにも体を触られているところを見て黙っていろというのも耐えられず。

「おい! 相馬! おまえいつまでやってんだ! 男同士といっても不用意に他人の体触って失礼だと思わないのか!?」
「あっ、すまない!」

 ぱっと両手が千鶴から離れる。千鶴がほっと胸を撫で下ろした。

さんは剣術は得意なのか? 先程は刀は抜いていなかったが」

 今度はに問いかけてくる。

「まあ、千鶴みたいに細かいことやるの向いてないし、どちらかというと体動かす方が得意かな」
「日々どのような鍛錬を?」
「組長に稽古つけてもらったりはしてるけど」
「組長直々の……!? もしかしてさんは、なにか特別な待遇を受けている身なのか?」
「いや、単に仲がいいだけっていうか……」

 原田がの肩に手を置いた。

「こいつはな、体は小さいし筋力もまだまだだが、根性は他の隊士たちにも負けねえ。体のでけえ隊士たちでさえ嫌がる組長の稽古で毎日ぶちのめされて、それでも食らいつくところは俺たちだって舌を巻いてんだぜ」

 相馬は感心したようにを見たが、は急に褒められて居心地悪そうに茶を啜った。
 その後新選組についていろいろ聞き、話を聞いてやる気が出たのか、相馬は爽やかに手を振って去って行った。
 そんな、ある夏の日の出来事。