ようやく沖田の怪我も全快し、稽古をつけてもらえるようになった。久しぶりに動くはずなのに、沖田の動きは一切衰えてはおらず、は相変わらず全身痣だらけだった。
「一本! 次!」
八月に入り、は隊士たちとの稽古に参加するようになっていた。一本取られるまで相手を続ける。隊士たちが順番にと対峙するが、はその動きを見て的確に一撃を与えていく。
「へえ、のやつやるじゃねえか」
「当たり前じゃない。誰が面倒見てると思ってるの?」
永倉と沖田の声が聞こえる。
「あっ」
六人目でガツンと手元を木刀で叩かれ、の手から木刀が離れた。
「一本! 次!」
の順番が終わり、息を切らしながら沖田の方に向かう。
「敗因は?」
短く問われる。
「集中力切れと体力切れ」
「わかってるならいいよ」
は列に戻りながら木刀を握りしめた。
「でも技術は負けてない。よしっ」
沖田との稽古は身になっている。まだ体力も集中力ももたないが、隊士たち相手に通用しないわけではない。
「全員終わったか? それじゃあ――」
「もう一回お願いします!」
永倉の言葉を遮って、が言った。
「おっ、やる気満々だな。よし、もう一巡すっか!」
永倉が嬉しそうに言った。こうして、もう一巡手合わせが始まった。
そして夕方。隊士たちと後片付けをして、壬生寺から八木邸に戻ろうとした時だった。
「おい、」
声をかけられて振り向くと、隊士数人がを睨みつけていた。
「なに?」
「なに、じゃねえんだよ」
隊士が不機嫌そうに言った。
「幹部に可愛がられてるからっていい気になってるんじゃねえぞ」
「俺たちだって沖田組長の稽古受ければ強くなるに決まってるだろ」
「はあ。じゃあ、総司さんに頼めばいいんじゃない?」
が言うと、隊士たちが無言で目を見合わせた。沖田の稽古は厳しい。自分に対しても手加減などしてはいない。おかげで毎日打ち身や痣ができては消えを繰り返している。そんな厳しい稽古を受ける気はないのだろう。初めての巡察の時に隊士たちが言葉を濁した理由が今ならわかる。
「稽古する気もねえのに、文句ばっか言ってんなよ。かっこ悪い」
ついに手が伸びてきて胸倉を掴まれる。
「腰に大小差してもいねえ半端もんが!」
さて、どうしようか。そう思った時だった。
「おい、てめえら。何してやがる」
聞きなれた声が境内に響いた。ぱっとから手が離れる。
「ふ、副長!」
「いえ、話をしていただけです! 失礼します!」
逃げるようにして隊士たちは境内から出て行った。
「大丈夫か?」
「何もされてないんで大丈夫です」
着物を直しながらが言う。
「ていうか、いつかこういう日が来るとは思ってました。幹部に可愛がってもらってるのは本当のことだし、まあ妬む人も出てきますよね」
土方は眉を寄せた。
「雪村と違って、おまえは隊士たちと関わることも多いだろうが……」
考える間があった。だが、土方は何も言わず息を吐くだけに留まった。
「何かあったら俺か幹部連中に言えよ」
「私闘は厳禁でしょう? そんなにあいつらも馬鹿じゃないと思いますけど」
だが、その翌日。稽古が終わって、幹部が先に八木邸に戻った状況で――は隊士五人に囲まれていた。
「……おまえら馬鹿だったんだなあ」
が思わず唸る。昨日土方に見つかったばかりなのに、どうして翌日木刀を持って囲もうだなんて思えるのだろうか。
「おれが幹部に言うとか考えないわけ? 隊規違反は切腹だよ?」
呆れながら言うと、木刀を突き付けられる。
「私闘じゃねえ。稽古だ」
「多人数に対する戦い方を教えてやる。まだやったことないだろ?」
確かに、と思っているうちに、背中に一撃を加えられて体勢を崩す。次いで、頭、腕、腹……四方から木刀が叩き込まれる。傷はすぐ治るが怪我をしないわけではないし、頑丈なわけでもない。力任せに打ち込まれる木刀に、ただ奥歯を噛んで耐える。持っていた木刀は手を打たれた時に取り落としてしまった。懐かしいな、とぼんやり思う。江戸にいた頃も、こんな風に多人数に囲まれたことが――
「何をしている」
鋭い声。の思考と、打ち込まれる木刀が止まるのは同時だった。
「さ、斎藤組長……!」
「一対多の戦い方を教えていただけです!」
隊士たちが慌てて言う。無理な言い訳だろうなと、は落ちた木刀を拾い上げながら思う。
「大丈夫か、」
「大丈夫」
隣に立った斎藤には短く返す。
「あんたたちの処分は追って知らせる」
斎藤は五人を睨みつけると、を連れて八木邸へと戻る。
「斎藤さん、頼みがあるんだけど」
歩きながらが声をかける。
「今の、見なかったことにしてくれるかな」
「それはできん。隊規違反は罰さなければならない」
「だって、一対多の稽古だって言ってたじゃん」
斎藤の視線がに向く。怪訝そうな目だった。
「なにゆえ、あの者たちを庇う?」
「庇ってるわけじゃないんだけど。今、隊士少ないんでしょ? 切腹させるとさらに減っちゃうじゃん」
今、新選組では隊士の不足が問題となっていた。京や大坂で募集しても足りない。江戸でも募集すべく、その先触れとして藤堂が行くことが決まっていた。
「だが、規則も守れないような者は、この先新選組の害になる可能性もある」
「斎藤さんは、他人に嫉妬したことある?」
斎藤の言葉に、は違う問いを投げかける。
「おれはあるよ。おれは男って存在に嫉妬してる。男に生まれただけで、おれの欲しいもの全部持ってて、妬ましくて仕方なかった」
男に生まれただけで、身長も、力も、当たり前のように持っていて。女の自分が努力しなければ手に入らないものを持っている男という存在が、昔から妬ましかった。千鶴を守る。そのためには、男ごときに負けるわけにはいかなかった。だから剣術道場に通ったし、体力づくりにも励んだ。
「おれは男にも勝てるように力をつけてきたつもりだった。それがここで通じないなら、おれはもっと強くならなきゃならない。あいつらがおれに手なんか出してこなくなるくらい、おれは強くなる」
斎藤はの言葉を黙って聞いていた。そして、短く息を吐く。
「副長判断だ。副長が許可すれば、それでも構わない」
「結局土方さんには知られるのかー」
はあ、とは肩を落とす。昨日の今日だ、ということを土方も思うことだろう。
その夜、体の痛みなどなんてことないように夕食を食べ終わった後だった。
「いるか。副長の部屋に来い」
部屋に戻ると、斎藤が声をかけにきた。不思議そうにしている千鶴を置いて、は斎藤の後について土方の部屋に向かった。失礼します、と言って斎藤が土方の部屋の襖を開ける。
「げっ、総司さん!」
土方だけがいると思っていた部屋にもう一人座っていて、は思わず声をあげた。
「げっ、てなに? 僕がいたらおかしいの?」
おかしい、とは言えなかった。代わりには沖田の横に座った斎藤を睨んだ。
「土方さんにしか言わないって言ったじゃん嘘つきー!」
「すまん。やはり組長には報告すべきかと思ってな」
いいから座れと土方に言われ、は襖を閉じて座った。
「斎藤から話は聞いた。おまえ、自分で何とかするとか言ったみてえだが……」
「おれに歯向かったら副長命令で切腹させられる、みたいな噂が立つ方が問題だと思うんですけど」
が言うと、土方は眉を寄せる。
「だがな、隊士一人を寄ってたかって暴行するような奴らを、隊として黙って放置しておくわけにもいかねえんだ。わかるな」
「それはわかりますけど……」
は口をとがらせて不満を言う。納得する気はない。自分が弱いのが問題だからだ。あの隊士たちが、自分のことを認めずとも黙るくらいには強くならなければならないのだから。
「切腹させるんですか……?」
しばし目を交差させる。土方が先に目を逸らして息を吐いた。
「厳重注意だ。今回はそれだけにする。だが、二度目はねえ。いいな」
がぱっと笑顔になる。
「はい! ありがとうございます!」
「おかしな子だよねえ。自分をいじめてきた人たちの命が助かって、ありがとうございますなんて」
沖田は笑っていた。はなから心配はしていないという様子なのを見て、は嬉しくなる。
「ところで、一対多になったらどう立ち回ればいいんですか? 道場でも一対一しかやらなかったんで」
隊士たちとの稽古も、沖田や斎藤との稽古も、一対一の稽古しかしていない。多人数相手にどう立ち回ればよいのかにはわからなかった。
「一対一ずつに持っていくのが基本だ。同時に二人以上相手にすることがないようにな」
「あと、一か所に留まらないのも大事かな。囲まれちゃうからね」
「もちろん、池田屋の時のように狭い空間となれば、一対一に持って行くのも厳しくなる。環境によって戦い方を変える必要があるのは確かだ」
「なるほど」
三人からの助言を聞いて、は頷く。
「ありがとうございます! 次は上手く立ち回ります!」
「馬鹿野郎、次はねえっつっただろうが」
呆れた様子で土方が言った。