七月十九日。広間に隊士たちが集められていた。幹部たちに千鶴が茶を配っているのを、は隅に座って見ていた。
長州藩の軍勢が京に攻め込んできているのだという。こうして集められたということは、また池田屋の時のような戦いが起きるのだろうと予測できる。
引き戸が開き、近藤が入って来る。
「会津藩から正式な要請が下った。ただいまより、我ら新選組は総員出陣の準備を開始する!」
「おおーっ!」
隊士たちが声をあげる。
「ついに会津藩も、我らの働きをお認めくださったのだなあ」
近藤がうんうんと頷く。その隣で土方が溜め息を吐いた。
「はしゃいでる暇はねえんだ。てめえら、とっとと準備しやがれ! 長州の奴らはとっくに京に来てるんだ! 俺たちが遅れてどうする!」
隊士たちがばたばたと準備のために外に出て行く。いつもの幹部たちとと千鶴だけがその場に残った。
「ったく……てめえらの尻に火がついてから、俺らを召喚しても後手だろうがよ」
土方がぼやいた。土方の言う通り、長州の軍勢は既に京に入っているという報告は上がっていた。遅すぎると言ってもいい要請であった。
「沖田君と藤堂君は屯所で待機してください。不服でしょうが、私もご一緒しますので。池田屋での負傷が癒えていないように、私の腕も思うように動きませんから」
山南が言う。不満そうな顔をしたのは藤堂だけで、沖田は溜め息をつくに留まった。さて、とが立ち上がる。
「じゃあ、おれも準備を――」
「何を言っているんです。君も待機ですよ、君」
「ええー!?」
ぎょっとして大声で叫ぶ。山南の眉間にくっきりと皺が寄った。
「私の命令は聞けないと?」
「おれ、怪我はもう治ってます!」
「大体において、君は隊士ではありませんが?」
「ぐぬっ……」
もっともな事を言われては返す言葉もない。池田屋では人数不足を補うための出陣だったが、今回はそういうわけではないのだ。
「そういえば、千鶴ちゃん。もし新選組が出陣することになったら、一緒に参加したいとか言ってたよな?」
永倉が言う。きっと巡察の時にそんな話をしたのだろう。は未だに巡察への同行を許可されていない。
「おお、そうだな。こんな機会は二度とないかもしれん」
近藤が嬉しそうに言った。
「本当にいいんですか……?」
千鶴が恐る恐る問う。土方が溜め息をついた。
「今度も無事で済む保証はねえんだ。おまえは屯所で大人しくしてろ」
「君は新選組の足を引っ張るつもりですか? 遊びで同行していいものではありませんよ」
山南が続く。
「山南総長。それは、彼女が迷惑をかけなければ、同行を許可するという意味の発言ですか?」
斎藤の言葉に山南は一瞬目を見開き、困惑したように続けた。
「……まさか、斎藤君まで彼女を参加させたいと言うつもりですか?」
「彼女は池田屋事件において、我々新選組の助けとなりました。働きのみを評価するのであれば、一概に足手まといとも言えないかと」
斎藤は事実を述べただけ、と言いたげだった。池田屋事件で千鶴の伝令が新選組の助けとなったのは事実だった。そのおかげで、土方は役人たちの足止め――手柄を横取りされないための牽制を行うことができ、原田と斎藤が池田屋に駆け付けることができた。その後の負傷者の手当も、千鶴がいたから助かったこともあっただろう。
「よし、わかった! 君の参加に関しては俺が全責任を持とう。もちろん同行を希望するのであれば、だが」
近藤が言う。千鶴は意見を求めるように周囲を見回した。沖田と目が合う。
「戦場に行くんだってわかってるなら、後は君の好きにすればいいと思うよ」
その言葉が後押しになった。
「私は皆さんと一緒に参加したいです」
千鶴がはっきりとそう言った。
「駄目だ駄目だ! 千鶴が行くならおれも行く!」
そこで声を荒げたのはだった。
「おれは怪我も治ってるんだし、もういいでしょう!? なあ、近藤さん!」
「う、うむ……」
判断を求めるように、近藤が土方をちらりと見た。
「千鶴が戦場に行っておれが行かないなんてそんなことあるかよ! お願いします!」
「でも、おまえ一応怪我してることになってるし……」
藤堂がぼそぼそと言う。も意見を求めようと周囲を見回す。困っている顔、仕方ないという顔、そして行かせないという顔が見える。最後に沖田を見て、は肩を落として見せた。
「……総司さん。千鶴に何かあったら、おれの介錯してくれるか?」
「嫌だよ、めんどくさい。勝手にお腹でも切ったら?」
沖田が面倒そうに答えた。
「トシ、どうだろうか……彼女のことも俺が責任を持つということで……」
近藤が苦笑しながら土方に意見を求める。はあ、と聞えよがしに土方が息を吐いた。
「ああ、もうわかったから、さっさと準備して来い!」
ぱっとの表情が笑顔になる。
「はい!」
元気に返事をして、も部屋に隊服を取りに走って行った。
支度を済ませて隊列を組むと、新選組は目的地である伏見奉行所へと向かった。そこには、長州との戦いに備えて京都所司代の者たちが集まっている。
「会津中将松平容保様お預かり、新選組。京都守護職の要請により馳せ参じ申した!」
先頭に立つ近藤が声を張り上げた。入口を警護していた者たちが顔を見合わせ、首を傾げた。
「要請だと……? そのような連絡は届いておらん」
所司代の人間がそう答えた。
「どうして……?」
千鶴が思わず言葉を零す。
「内輪の情報伝達さえままならんとは、戦況に余程の混迷があると見える」
近くにいた斎藤が呟いた。
「幕府側の勢力が、長州側に押され気味ということですか?」
「そうとも限らん。しかし、敵方に翻弄されてはいるのだろうな」
この攻め込まれる間際になってから出陣要請という状況を見ても、恐らくそうなのだろうなと千鶴の隣では思う。所司代と守護職は全く違う組織だ。所司代が桑名藩で、守護職は会津藩。新選組は会津藩預かりであるから、所司代に連絡が通っていないのは考えられる状況ではあるのかもしれない。
「しかし、我らには会津藩からの正式な書状がある! 上の者に取り次いでいただければ――」
「取り次ごうとも回答は同じだ。さあ、帰れ! 壬生狼ごときに用はないわ!」
所司代は断固として話を聞こうとはしなかった。
「やな感じ」
が呟き、千鶴が肩を落とした。
「ま、おまえたちが落ち込むことじゃないさ。俺たちの扱いなんざ、いつもこんなもんだ」
原田が慰めてくれた。
「でも、悔しいです。新選組の皆さんは、これまで必死に京の治安維持に務めてきたのに。味方のはずの人たちが話も聞かず追い返すなんて……」
「ありがとうよ。だが、ここは堪えてくれ。俺らが所司代に対して下手に騒げば、会津の顔を潰しちまうかもしれないしな」
なるほど、と思っては周囲を見る。真っ先に喧嘩を吹っかけそうな永倉や、いつもの頭の回転の速さで状況打開をしそうな土方ですら、何も言わずにじっと黙っている。
斎藤が近藤の傍に近付いた。
「局長、所司代では話になりません。奉行所を離れ、会津藩と合流してはいかがでしょうか」
「ここを離れるだと? 戦場で軍令を無視してなんとするつもりだ」
そこで、武田が前へと出てきた。
「局長。戦場では伝令が交錯するものです。自ら動くなど愚の骨頂。今はこの場で待機すべきものと考えます」
「ここが我らに与えられた陣ならば、その話わからんでもない。だが、今は我が新選組の進退に関わる問題でもある」
「君は、新選組の戦奉行であるこの私に向かって、意見を言うつもりか!?」
言い合いが始まろうとした時だった。
「いや、斎藤君の言うことにも一理ある」
近藤は頷くと、隊士たちの方を見た。
「我が新選組は、これより守護職が設営している陣を探す!」
伏見奉行所を追い返された後、新選組は黒谷の金戒光明寺にある会津藩邸へと向かった。連絡不備の報告と、今後どのように動けばよいかを尋ねるためだ。そして、会津藩邸の役人に九条河原に行くように言われ、移動を開始する。到着したのは日が暮れた頃だった。
「新選組が我々会津藩と共に待機だと?」
会津藩士が怪訝そうに言った。
「そんな連絡は受けていない。すまんが藩邸に問い合わせてくれるか」
永倉がずんずんと歩いて前に出る。
「あ? おまえらのとこの藩邸が、新選組は九条河原へ行けって言ったんだよ! その俺らを適当に扱うってのは、新選組を呼びつけたおまえらの上司をないがしろにする行為だってわかってんのか?」
ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。ここまでずっと無言だった永倉の言葉には不機嫌さがにじみ出ている。
「そ、それは……私に言われても……」
藩士が永倉の言葉に押されて口ごもる。永倉の肩に手を置き、近藤が前に出た。
「陣営の責任者と話がしたい。上に取り次いでいただけますかな?」
こうして新選組は九条河原での待機が許された。会津藩士と話をしてきた幹部たちは疲れていた。
「どうやらここの会津藩の兵たちは、主戦力じゃなくただの予備兵らしい。会津藩の主だった兵たちは、蛤御門の方を守っているそうだ」
「では、新選組も予備兵扱いということですか?」
「そのようだね」
戻って来た井上が苦笑して言った。
「新選組を予備兵扱いとか、主戦力はどんだけ強いんだっつーの」
が文句を言うと、頭をがしがしと乱暴に撫でられた。
「屯所に来た伝令の話じゃあ、一刻を争う事態だったんじゃねえのか?」
手の主は永倉だった。の頭に手を置いたまま、こちらも不満を言っている。
「状況が動き次第、即座に戦場へ馳せる。今の俺たちにできるのは、それだけだ」
斎藤がそう言い、隊士は組長たちの指示を受けてその場に座り込み、待機となった。
「千鶴、休むなら言えよ? 俺の膝くらいなら貸してやる」
「え……だ、大丈夫です!」
「原田さん!」
が千鶴の肩を抱き寄せて原田を睨む。
「おお、こわ。の膝の方がいいか」
「違います!」
千鶴が叫ぶ。
「でも千鶴、休むなら言えよ。肩とかなら貸してやるし」
「うん、ありがとう。でも大丈夫」
いつ呼び出しがあるかわからない。そのような緊張状態を保ったまま待機というのは苦痛だった。
夜になり月が真上から下り始めた頃には、千鶴はうとうととし始めていた。
「千鶴、ほら」
「ん……」
こてんとの肩に頭を乗せ、千鶴は目を閉じた。
「大丈夫っつってたのに、寝ちまったか」
原田が苦笑する。
「まあ、しょうがないよ」
千鶴は訓練を受けた隊士ではない。隊士たちが緊張状態を保っていられたとしても、千鶴には無理な話だ。
「おまえも眠かったら寝ていいんだぜ」
「大丈夫」
は刀を抱え直す。
「そもそも、なんで長州のやつらは御所に攻め込もうとしてるんだ?」
今更だけど、と言っては原田に問う。
「そういうのは新八が詳しいぜ?」
呼ばれた永倉がこちらに顔を向ける。
「あん? まあ、説明してやるか」
こちらに近付いて来て、の正面に座り込んだ。
「そもそも尊王攘夷論を掲げているのに、長州藩が京を追放されたのは、昨年おまえらが京に来る前に起こった政変のせいだ」
長州藩は元々京で活発に活動していたが、攘夷を天皇と約束した将軍家茂に攘夷実行させるため、天皇による攘夷親征を計画した。親征というのは天皇が自ら軍を率いること。つまり、天皇を利用して攘夷を実行させようとしたのである。それに危機感を持ったのが、公武合体派の会津藩と薩摩藩だった。それぞれの代表が話し合い、長州藩が朝廷を利用しようとしていると説得をした。そして、長州藩を京から排除せよとの命が下ることになる。
「でも、長州の連中は京をうろついてるじゃん」
説明を聞いたが問いかける、
「追い出されたのを黙って見てるわけにもいかねえだろ。主導権や失地回復を目指して行動してんだよ。そして、そんな中でこの間起こったのが池田屋の事件だ」
「あー、新選組が長州藩士をたくさん殺したり捕まえたりしたから……」
「そう、業を煮やした長州の連中がついに挙兵したってとこだな」
わかりやすい説明に、は何度も頷いた。
「でも、それでなんで御所に攻め込もうとしてるんだ? そんなことしたら、完全に朝敵扱いじゃんか」
永倉は肩を竦めた。
「ああ。頭のねじがぶっ飛んでるんだろうな」
その意図まではわからないということらしい。
「ていうか、永倉さんは政治に詳しいのか……意外だな」
「ほう? どこをどう見ても知的な新八さんだろうがよ。どこが意外なのか言ってみろ、オラオラ」
「いててて、いじめ反対!」
「静かにしろ、千鶴が起きる」
頭を拳でぐりぐりとされるが、千鶴が肩にいるため逃げることが出来なかった。