が目を覚ました時、部屋の中に夕日が差し込んでいた。上体を起こして、腹にある鈍痛に眉を寄せた。そういえば刺されたのだったなと思って、は池田屋でのことを思い出す。沖田と藤堂はどうなっただろう。池田屋はどうなったのだろう。なんとか着替えをして、は部屋を出た。
「おい、! 何してるんだ、こんなところで」
声をかけられて振り向く。原田が慌てたように駆け寄って来た。
「目が覚めたから……総司さんと平助、大丈夫だったか? 他のみんなは?」
そう問いかけると、原田はふらついているに手を貸して広間まで連れて来てくれた。主だった幹部は揃っているようだったが、沖田と藤堂の姿はない。
「君! まだ寝ていないと」
近藤が驚いて声をあげた。
「まあ、近藤さん。も状況が気になるだろうし、いいじゃねえか」
原田が言った。正座するのは厳しそうだったので、足を伸ばして壁を背にして座る。どうやらこれから会議が始まるようだ。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「おう、入れ」
千鶴の声がして、土方が返事をする。室内に入って、千鶴はがいることに気が付いて目を見開いた。
「まあ、お茶配りなよ」
何か言われる前に、が先手を打つ。千鶴は何か言いたげに口を開いてから、茶を配り始めた。全員に配り終えてから、の隣にやってきて正座をする。不満そうな目を向けられたが、は見なかったことにした。
「先程、隊士を連れて見回りに出ましたが、怪しい動きを見せた浪士はいませんでした」
斎藤が報告を始める。どうやら、昼間に巡察に出た時の報告の会のようだ。
「昨夜の事件については、とっくに連中の仲間にも伝わってるはずだ。仕返しに来るかと思ったが、取り越し苦労だったってことか」
「油断はできませんよ。闇夜に乗じて行動を起こすことも考えられますし」
「確かに警戒を怠ってはならんな」
土方の言葉に、山南と近藤が続く。
「さっき会津藩から知らせが来たんだろ? 向こうは何て言ってたんだ?」
原田が問う。
「それなんだが……」
近藤が言いにくそうに話し出した。
「浪士の残党を捜す見回りに、会津藩士も同行させてほしいとのことだ」
「何だそりゃ? 俺たちに手柄を独り占めさせたくねえってことかよ」
永倉が大声を上げる。
「当たらずとも遠からずというところでしょうね。昨晩、土方君が牽制してくれなければ、池田屋事件の功労者は会津藩となっていたでしょうから」
会津藩は結局来たのだな、とは思う。だが、姿を見ることはなかった。土方が牽制したため、立ち入ることはなかったということなのだろう。
「何にせよ、会津藩直々の命令なので断ることもできん」
近藤がどこかの組に任せたいと言うが、永倉も原田も嫌だと言った。では斎藤に、と近藤が言い出したところで武田が声をあげた。
「お待ちください、局長。その会津藩士を、我々の五番組に預けて下さらないでしょうか?」
武田は、自分ならこの役目の意味をわかっていると言う。これは新選組に手柄を独り占めさせないためのものでもあるが、会津藩の間諜かもしれないと。この新選組内で見聞きしたことをどのように報告するかわからないと武田は言った。
「武田君がそこまで新選組のことを考えてくれていたとは……」
山南が皮肉めいた口調で言った。
「わかった。それじゃ会津藩士の身柄は、武田に預けるとしよう。だが、くれぐれも余計な真似はするんじゃねえぞ」
「ええ、承知しています」
会津藩士の前で失態を演じることは出来ないから気をつけて欲しいと念押しをされて、この場は解散となった。武田たち前川邸の幹部がいなくなり、いつもの皆だけになってようやくに視線が向いた。
「それで、。もう大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけねえだろ、腹に穴開いてんだぜ?」
永倉の問いに原田が答えた。
「動ける程度にはなんとか。まあ、すぐに塞がるんじゃないかな」
腹に手を当てながらが言うと、土方と山南が眉を寄せた。
「君の怪我が治るという力は、そのような大きな怪我にも効果があると?」
「たぶん……腹を刺されたことはないからわかんないですけど」
山南が眼鏡の奥から鋭い視線を向けてくるが、なぜそのような目を向けられるのかはわからない。ここに来た最初の日にあった話の延長線だろうことだけは理解した。土方が息を吐く。
「雪村、湯呑を片付けてくれ。それから斎藤、を部屋に戻しておいてくれ」
「はい」
「承知しました」
押し入れにしまうみたいに言われたな、と思いながらは壁に手をついて立ち上がる。斎藤が手を貸してくれて、は部屋に戻る。
「それで、総司さんと平助は?」
が斎藤に問う。
「まだ意識が戻っていない」
「そっか……」
怪我人は看病の関係で同じ部屋に集められているようだが、は一緒にするわけにはいかないからと自室に寝かされていたようだ。部屋まで送られて、斎藤に礼を言って別れる。そのまま布団に倒れこむ。
「……何もできなかったな」
呟く。少し浪士に怪我を負わせた程度で、沖田と藤堂の仇には何もできなかったし、結局怪我をして斎藤に助けられた。邪魔をしたという程ではなかったにせよ、何も手柄は立てられなかったと言っていい。
「強くなりたいな……」
は目を閉じる。今のままの強さでは、千鶴を守ることなんてやはりできないのではないかと、そう思えてならなかった。
それから数日、大きな事件は起きなかったが、長州藩が事件の仕返しに新選組の屯所を襲うという噂が流れたり、予断を許さぬ状況は続いていた。体を動かすにも怪我が邪魔で、暇を持て余した。もっぱら過ごす場所と言えば――
「君、暇なんだね」
「総司さんだって暇だろ」
「まあ、暇だけど」
沖田と藤堂の怪我人部屋に遊びに来ることだった。まだ体が痛むらしい沖田と藤堂は、部屋から出ることを禁じられていた。
「ていうか、。おまえ、総司のことそんな風に呼んでたっけ?」
藤堂に言われては首を傾げる。何のことだろうか。
「総司さんってやつ」
「あ? あー、みんな総司って呼ぶからうつった?」
「うつった……」
沖田が複雑そうな顔で呟いた。その反応を見ては眉を寄せる。
「……嫌ならやめるけど」
さすがに馴れ馴れし過ぎただろうか。少し仲良くなったつもりでいたのだが。
「別に。それでいいよ」
沖田が息を吐いた。がにこりと笑う。
「なーんだ、そんな理由か」
藤堂がつまらなさそうな顔をした。
「他にどんな理由があるんだよ」
「それはもちろん――」
沖田が素早く藤堂の額を叩いた。
「いってえええ! 何すんだ総司!」
「余計なこと言ってると傷口増やすよ」
「君たち、少し静かに療養できないのですか?」
部屋の障子戸が音もなく開き、山南が眉を寄せて立っていた。沖田と藤堂が静かになる。
「山南さん、何かあったんですか? なんだか屯所が騒がしい気がするんですけど」
沖田が問いかけると、山南が息を吐いた。
「武田君がちょっとね……」
「武田さん? 会津藩士と何かやらかしたんですか?」
が問う。数日前に会津藩士を連れて歩くと自信満々に言っていたのを聞いている。山南はがいる場で話すのを躊躇ったが、部屋の中に入って障子戸を閉め、言葉を続けた。
武田に同行していた会津藩士が、土佐藩士に槍を突き付けて怪我をさせてしまった。そのことがきっかけで土佐藩士が藩邸で切腹をしたのだという。近藤と土方が武田を連れて土佐藩邸と会津藩邸に詫びを入れに出向こうとした矢先の出来事だ。そこでさらに報告が入る。同行していた会津藩士もまた切腹したというのだ。
「じゃあ、これから近藤さんと土方さんと武田さんが会津藩に?」
「ええ、先程向かったところです」
藤堂の問いに溜め息を吐きながら山南が答える。
「武田さんって本当に余計なことしかしないよね。斬っちゃおうかな」
沖田が不機嫌そうに言った。
「よくわかんないんですけど、どうして双方切腹することになったんですか?」
が問う。
「武士にとって、体面というものは命以上に大事ということですよ」
山南が答えた。
「土佐藩は面子のために切腹を選びました。そして、会津藩は土佐藩と揉めることを避けるために、藩士の切腹で手打ちにした。どちらにも大きな落ち度はないと思うでしょうが、武士とはそういうものなのです」
「武田さんも切腹するってことには……」
「状況次第ではそうなったかもしれませんが、今回はそこまでにはならなかった。ただそれだけです」
ぞっとする世界だなと思った。命以上に大事なものがあることの実感はわかなかったが、新選組もそのような世界で生きていくのだということは理解した。
「残酷だと思いますか?」
山南がの心を読んだかのように問いかける。見透かすような目をに向けた。
「……よくわかんないです」
は目を逸らして素直に答える。
「人によって大事なものは違うんだな、ってことはわかりました。おれは町人だし、武士のことはよく知らないけど……少しでもわかっていけたらいいかなって思います」
そう答えると、三人が目を見開いた。
「……驚きましたね。嫌になったから出て行く、なんて言い出すかと思いましたが」
山南の言葉には首を振る。
「千鶴がここにいる限り、おれはここにいます。千鶴は出て行くって言わないだろうし……」
だから、しばらくは新選組にいることになるのだろう。この武士の世界にも慣れる必要があるのかもしれない。
「……君は、雪村君が死ねと言えば死ぬのでしょうか」
「はい?」
急にそんなことを問われて、は目を丸くした。千鶴が自分に死ねと言ったら? そんなことあるはずがないし、一体何の話をしているのだろうか。
「冗談ですよ」
山南が立ち上がって、障子戸に手をかけた。
「君もいつまでも男性の部屋に居座っていないで、自分の部屋に戻りなさい」
「あ、はい」
の返事に満足して、山南は部屋を出て行った。
なんとなく居心地が悪くなってしまったので、は部屋に戻ることにした。軽く会話をして、二人の部屋を出る。
壁を伝う程じゃなくとも、歩く度に少し傷に響く。それでも、怪我をした当初の痛みと比べればないに等しかった。沖田と藤堂よりも先にの怪我の方が先に治るだろう。自分はそんな体質だ。皆がこの体質に不信感を持っていることは知っている。でも、怪我を治したのは綱道で、自分は何も知らない。結局彼を捜す以外に自分にできることは今ないのだと思い、早く怪我を治して巡察に出なければと思った。