新選組に居候するようになり半年が経った。巡察に同行することを許可されるようになり、と千鶴が二人揃って組長と一緒に外を歩くようになった。最初こそ二人で分かれて捜そうと千鶴は言ったが、が断固として一緒に行くと言って聞かなかった。
 そんな日々が続いたある日、元治元年六月五日。土方に呼び出しを受け、二人は広間へと向かった。そこには土方のほかに沖田と藤堂がいた。

「おまえの綱道さん捜しの件だがな、しばらく様子を見ようと思う」
「どうしてですか……!?」

 反射的に大声で千鶴が言った。ようやく本格的に父捜しを始めた矢先のことだった。土方はその反応を予想していたように、溜め息をつく。

「長州の連中が不穏な動きを見せている。本来なら、おまえらを外に出せる時期じゃない」
「長州の連中が? なんでまた」
「何をしようとしているのかは調査中だ」

 が問うと土方は簡潔に答えた。
 長州藩の浪士たちは尊王攘夷派と呼ばれ、『天皇』を尊んでいる者たちだ。『将軍』に仕え、徳川幕府のために働く新選組とは掲げる大義も信じる主君も違っていた。新選組の敵の活動が活発になっている。確かに危険が増えることになるのだろう。長州藩の動きが落ち着くまで、巡察への同行を控えろというのも無理はなかった。

「というわけで、今日からこいつらを巡察に連れて行くのはとりやめだ」

 土方が言うと、後ろに控えていた沖田と藤堂が納得した声をあげた。

「なるほどねー。だから当番のオレらが呼ばれたってわけか。でも今までだって、こいつらが巡察で迷惑をかけたこともないし、別にいいんじゃないかなあ」

 藤堂が言うと、沖田が頷いた。

「そうそう。僕たちに何かあっても、関わらないようにしてくれればそれでいいし。……どさくさに紛れて逃げ出すこともないし、ね?」

 沖田が目を向けてくる。試すような視線。はもう見慣れたものだったが、千鶴は負けじと睨むように視線を返した。

「……私、逃げません」

 千鶴が言う。

「新選組の皆さんが父捜しに協力してくれると言ってくれた時、決めたんです。父を見つけるその日が来るまで、私は屯所から逃げ出したりしないって。私、約束は守ります。だから、お願いします。このまま父を捜させてください……!」
「千鶴……」

 頭を下げる千鶴を見て、は土方に目を向ける。

「もし長州の奴らが何かしだしたら、組長も隊士もそっちに向かってくれて構いません。千鶴はおれが守ります。だから、お願いします」

 も頭を下げる。沖田がにこりと笑みを浮かべた。

「危険を承知でついてくるって言うなら、僕の一番組に同行してくれて構わないよ? それに、綱道さんらしい人を見たって言う証言もあるしね」
「たしかにそういう証言もある。だが、危険だとわかっているところにみすみす出すこともねえだろ。わかってるのか? おまえらの足を引っ張りかねねえんだぞ?」

 土方が隣に来た沖田に呆れたような目を向ける。

「迷惑はかけません。お願いします!」
「おれたち、足は引っ張りません」

 二人同時にもう一度頭を下げる。しばしの無言。観念したように土方が息を吐いた。

「……市中を巡察する組長の指示には必ず従え。いいな」
「ありがとうございます!」

 立ち去る土方の背に、二人はもう一度頭を下げた。

「じゃあ、行こうか」

 こうして、今日は一番組の巡察に同行することになったのだった。
 大通り。今日はなんだかいつもより人が多いように感じた。町人たちがにこやかに話している姿を見かける。そんな空気に、千鶴はきょろきょろと周囲を見回していた。は千鶴の隣で、長州の連中がいつ新選組相手に突っ込んで来るとも限らないため、神経をとがらせていた。

「千鶴ちゃん、ちゃん。土方さんの反対を押し切って巡察に同行してるんだってこと、忘れないでね」

 釘を刺すように沖田が言った。

「すみません。でも、なんだか町の空気が賑わっているような気がして」
「まあ、祇園祭も近いしね。町が浮き足立ってるのは僕も否定しないけど」
「祇園祭って、あの有名なやつ?」
「そう。京の夏の風物詩だね。なにせ、一月もお祭りをやるんだから」

 二人は感嘆の声を揃える。

「でも、尊攘派浪士たちの動きが怪しいのは本当だから、僕たちから離れて勝手に動くのだけはなしね」

 大きな祭りが近い上に、長州の動きも活発になっているとは。京はある意味賑やかさに事欠かないのだな、とは思う。
 一番組が大通りを歩く。羽織を見て、町人たちが避けていく。

「すみません、人を捜しているのですけど」

 千鶴は通りがかりに町人たちに声をかけていた。何人かに声をかけた時、一人の男が頷いた。

「そんな雰囲気の人なら、しばらく前にそこの桝屋さんで見かけたよ」

 そう言って男は、近くの薪炭屋を指さす。
 沖田が無言で刀に手を置いたのを、隣にいたは見逃さなかった。

「沖田さん、何が――」
「貴様ら浪人か? 主取りなら藩名を答えろ!」

 の声を遮って、後方で隊士が叫んだ。そして徐々に騒ぎが広がっていく。

「あーあ、よりにもよってこんなところで騒ぎを起こすなんてね……!」

 刀を抜いて、沖田が渦中に飛び込んでいく。置いて行かれてしまった二人は、騒ぎが収まるまで見守るしかない。見物人。騒ぎに関わりたくなくて逃げる人。祭りで浮かれている人。人混みでごった返してきたのを見て、が千鶴の手を掴んだ。それと同時に、人の波に押されて二人はその場に留まっていられなくなってしまった。

「ちょっと、おい、押すなよ!」

 の声は誰にも聞こえていないようだった。二人はただ互いの手を離さないことだけに集中した。
 そして、押し流された先は裏通りだった。人の波からは抜けられたが、元の場所に戻ることもできない。

「どうしよう……」
「戻った方がいいと思うけど……戻れんのかこれ?」

 騒ぎが大通りから聞こえる。沖田は今どこにいるのだろうか。

「坊ちゃんたち、そこの坊ちゃんたち。巻き込まれんよう、うちの店へ入りや?」
「え?」

 二人が振り向くと、男が店の裏から手招いていた。うーん、とが唸る。

「好意はありがたいんだけど……」
「あっ」

 の声を遮り、千鶴が声をあげた。の手を離し、男に近付くように一歩前に出た。

「あの……桝屋さんですか?」
「へえ。そうどす」

 男は頷く。先程、表の通りにいた男が指さした店の裏手に来てしまったようだ。

「あの、私人を捜していて!」

 店の中から別の男が出てくる。

「き、喜右衛門さん! このガキども、さっきまで新選組の沖田と一緒にいたぜ!?」
「なっ!?」

 喜右衛門と呼ばれた男が顔色を変えた。様子がおかしい。は刀に手を伸ばして、千鶴の隣に立った。

「え? 私は新選組じゃ――」
「新選組だと!? 逃げろ!」

 店の中から大声と数人と足音が聞こえる。喜右衛門も店の中へと入ってしまった。

「あの、違うんです! 私は人を捜しているだけで」

 背後から足音が聞こえ、が振り返りざまに構えた。だが、視界に入った浅葱色に構えを解く。沖田だった。刀を抜いたままだ。

「……君って本当に運がないよねえ。ある意味こいつらも、僕も、だけど」

 軽く肩を竦めた沖田は、そのまま桝屋に乗り込んだ。表からも隊士たちが突入しているようだ。大捕り物が始まってしまった。

「あの! これはどういうことなんですか……!?」

 千鶴が叫ぶが、答えてくれる者は誰もいなかった。
 帰って来た三人を待っていたのは、山南の厳しいお叱りの言葉だった。と千鶴、そして沖田は正座で説教を聞き続けている。

「そんなに怒ることないじゃないですか。僕たちは長州の間者を捕まえてきたわけだし」

 山南の説教が途切れたのを見計らって、沖田が不満そうに言った。

「怒ることではない? 沖田君は面白いことを言いますね」

 山南は笑みも浮かべずに言う。

「桝屋喜右衛門と身分を偽っている人間は、長州の間者である古高俊太郎だった――我々新選組はその事実を知った上で、彼を泳がせていた。違いますか?」
「その通りですけど……でも、捕まえるしかない状況だったんですよ」

 ようやく状況が理解出来てきたとは思う。自分たちに声をかけてきた桝屋の店主である「喜右衛門」は長州の間者であり、新選組の知っている相手だった。だから、最初に桝屋の名が出た時、沖田は刀に手をかけたのだ。だが、店の前で捕り物が始まった。騒ぎのせいで隊列から離れてしまったと千鶴が桝屋と関わりを持ってしまい、新選組の関係者だと騒ぎ立てられた。そのままだと逃げられてしまったため、捕まえるしかなかったというわけだ。

「ま、総司の言う通りある意味では大手柄だろうな」
「でも古高を泳がせるために頑張ってた、島田君や山崎君に悪いと思わないわけー?」

 原田と藤堂が笑いながら言う。
 島田と山崎とは、土方直属の諸氏取調兼監察という役目の二人で、八木邸に住んでいないにも関わらずと千鶴の正体を知っている数少ない人物である。それだけ幹部からの信頼が厚いらしい。

「藤堂君のお気持ちもありがたいですが、我々のことはあまり気にしないでください。自分らも古高に対して手詰まりでしたから、沖田君たちが動いてくれて助かりましたよ」
「古高捕縛は、既に済まされた事柄です。その結果に不満を述べるつもりはありません」

 島田と山崎がそれぞれ言った。

「おまえら、殊勝な奴らだねえ。それに引き換え総司は……」

 永倉が沖田に目を向ける。沖田が正座したまま目を逸らした。

「あのー……沖田さんばかり責めないでもらえる? すぐに隊列に戻らなかったおれたちにも非があるわけだし……」

 居た堪れなくなって、が言った。千鶴も頷く。

「すみませんでした。私たちが悪いんです。浪士たちと小競り合いが始まって、邪魔しないようにと思って……人に流されて、気がついたら桝屋の前で、店の人に新選組だと声を立てられてしまって……」

 山南が厳しい目を二人に向けた。

「君たちへの監督不行き届きは誰の責任ですか? 一番組組長が監視対象を見失うなど……全く、情けないこともあったものですね?」

 沖田は何も言わない。自分たちを責めればいいのに、とは思う。悪いのは自分たちだと自覚をしている。だからこそ、沖田が責められるのが居た堪れなかった。

「外出を許可したのは俺だ。こいつらばかり責めないでやってくれ」

 土方がやってきて、山南に声をかけた。怒りも焦りもない声に、二人は思わずほっと息を吐く。山南は苦笑して、それ以上苦言を言うことはなかった。

「古高の拷問は終わったのか?」

 原田が問う。土方は捕縛してきた古高の拷問を行っていた。

「ああ。風の強い日を選んで京の都に火を放ち、あわよくば天子様を長州へ連れ出す――それが、奴らの目的だ」

 室内がどよめいた。

「町に火を放つだあ? 長州の奴ら、頭のねじが緩んでるんじゃねえの?」
「それ、単に天子様を誘拐するってことだろ? 尊王とか言ってるくせに、やることはめちゃくちゃだよな」

 永倉と藤堂が呆れた様子で言った。

「……何にせよ、見過ごせるものではない」

 斎藤も続いた。

「奴らの会合は今夜行われる可能性が高い。おまえたちも出動準備を整えておけ」
「承知しました、副長」
「よっしゃあ、腕が鳴るぜえ!」

 賑やかに幹部は解散し、ようやく解放された沖田もやれやれと言いたげに立ち上がっていなくなってしまった。土方と正座したままのと千鶴が残される。

「それから、綱道さんの件だ。西国の者と一緒に桝屋に来たことがあるらしい」
「え?」
「京で見たって言う話は本当だってことだ。だが、それだけだ」

 拷問の最中に聞いてくれたのだろう。それだけ言って、土方も部屋を後にした。

「父が西国の人と……? 京で行方不明になったのに、どうして西国の人と一緒に……?」
「……」

 は千鶴の言葉に対する答えを持ってはいなかった。
 慌ただしく討ち入りの準備が始まった。だが、隊士たちの半分が食べ物にあたって寝込んでおり、動ける隊士は三十と少し。それを準備中の幹部に聞いて、はぎょっとした。

「三十人ちょっとで討ち入りって、正気かよ!」
「しょうがないよね、みんなお腹壊してるんだから」

 沖田が肩を竦めた。

「軟弱な腹だよなあ。俺は腹なんて壊したことないぜ」
「新八っつぁんはないだろうねー」

 いつもの浅葱色ではない、白の隊服を着た三人が思い思いのことを言う。暗い所に押し入った時に、すぐ仲間だとわかるように白い隊服もあるのだと先程聞いた。
 無謀だと思う。どうやら、池田屋と四国屋、どちらが会合場所か絞り切れなかったという。だから、隊を二つに割るしかなかったのだ。本命は四国屋ではないかということで、土方の隊の方が人数を多く割いている。

「……おれ、手伝えることある?」

 言葉は自然と出た。三人の視線が向く。

。気持ちはありがてえが、おまえは隊士じゃないんだから――」
「一番組の見習い隊士だよ。隊士のみんなはそう思ってる」
「それは……」

 険しい顔で言いだした永倉は、のもっともな言葉に眉を寄せた。

「世話になってる自覚はある。なら、おれは出来ることを手伝いたい」

 少し前であればこんなことは言わなかった。自分の役目は千鶴を守ること。他に興味はなかったし、手を挙げようだなんて考えもしなかった。だが、今日の桝屋の件は自分たちのせいだった。自分たちのせいで、新選組に迷惑をかけた。ただ、それを責める人間は誰一人としていなかったのだ。沖田でさえ、何も言わなかった。

「いや、確かに人手は欲しいけどさ……」

 藤堂が口ごもる。は沖田の目を見た。

「沖田さん。おれはまだ足手まといになるか?」
「……」

 沖田と目が合う。稽古ならしてきた。何度も何度も容赦なくぶちのめされて、一度だって沖田に一撃を与えることは出来ていない。だから、足手まといだと言われれば大人しく引き下がるしかないと思った。
 やがて、沖田は短く息を吐いた。

「僕の隊服だと丈が余っちゃうね。平助の貸してくれる?」

 そう言った。

「総司!?」
「おいおい、連れてくのか!?」

 藤堂と永倉がぎょっとして問い返す。

「二人は知らないかもしれないけど」

 沖田はそう言っての頭に手を乗せると、二人に向かってにやりと笑みを浮かべた。

「うちの見習い隊士、結構やるんだよ?」

 が驚いて目を向ける。笑みが返って来る。自然と口元が緩んだ。
 認められた。仲間に足り得ると、信頼してもらえた。
 早く、と言われて藤堂は仕方なさそうに部屋に隊服と鉢金を取りに行き戻って来た。いつもの服の上から白の隊服を羽織る。頭に鉢金を巻いていると、沖田がそれを手にとって後ろでぎゅっと縛ってくれた。

「へえ、案外似合うじゃない」

 正面に回った沖田が、の姿を見て言った。自分の姿を見下ろす。三人と同じ隊服を着ていた。藤堂は小柄だがそれでもより身長があるため、袖も丈も余っていたが、刀を抜くには問題ないだろう。

「近藤さんと土方さんには僕から言っておくから」

 そう言って沖田はその場から立ち去った。

。おまえはあくまで手伝いだ。討ち入りは俺たちがやる。いいな」
「もちろん、そのつもりだよ」

 念押ししてくる永倉の言葉に、は頷く。隊士として屋内に飛び込めるとは思っていない。自分に組長たち程の実力はもちろんない。だから、あくまで手伝いだ。人数合わせ程度の戦力でしかないのだから。

ちゃん!? その姿は……」

 隊服姿のを見て、千鶴が驚いて声をあげた。

「ちょっと行ってくる」
「だめ! 危険すぎる!」
「オレたちも止めたんだけど、ここの組長がねー」

 心配する千鶴に、藤堂が溜め息混じりに言った。近藤にも土方にも話は伝わったようだった。

「心配するな、千鶴ちゃん。は無事に連れ帰るから」

 永倉が千鶴に笑みを向けた。

「ちゃんと帰って来るから、いい子で待ってるんだぜ千鶴」

 くしゃりと千鶴の頭を撫でる。

「ちゃんと、ちゃんと帰って来てね。約束だよ」
「ああ、約束だ」

 自分はちゃんと帰って来て、千鶴を守らなければならないのだから。死ぬはずが、ない。
 壬生から河原町へと移動する。戌の刻。近藤の部隊が池田屋に到着した。外から見ても、大勢の浪士が中にいるのがわかった。

「こっちが当たりか。まさか長州藩邸のすぐ裏で会合とはなあ」

 永倉が言う。本命は四国屋だと思われていた。だから、こちらにはを含めて十一名しかいないのだ。

「僕は最初からこっちだと思ってたけど。奴らは今までも、頻繁に池田屋を使ったし」
「だからって古高が捕まった晩に、わざわざ普段と同じ場所で集まるか? 普通は場所を変えるだろ? 常識的に考えて」
「じゃあ、奴らには常識がなかったんだね。実際こうして池田屋で会合してるわけだし?」

 沖田と永倉がいつものように軽口を叩き合う。裏をかいたつもりなのかと思ったが、長州の人間が考えることなどわからないのではすぐに考えるのはやめた。藤堂が池田屋の周囲を確認する。

「会津藩とか所司代の役人、まだ来ないのか? 日暮れ頃にはとっくに連絡してたってのに、まだ動いてないとか何やってんだよ……」

 苛立ったようにそう零す。

「落ち着けよ、平助。あんな奴ら来ても役に立たねえんだから、来ても来なくても一緒だろ?」
「だけどさ、新八っつぁん。オレらだけで突入とか無謀だと思わねえの?」

 顔を顰める藤堂に、控えていた武田が同意とばかりに頷いた。

「この人数で踏み込むなど無謀にもほどがある。ここは会津藩の援軍を待つべきかと」
「武田君がそう言うなら……わかった、もう少しだけ待ってみよう」

 近藤が武田の言葉に頷く。
 だが、その後いくら待っても役人たちは来ず、一刻経って亥の刻になった。

「……さすがに遅すぎない?」

 痺れを切らしたが呟いた。皆が同じことを思っていたようで、手伝いに来ているだけのの言葉を咎める者はいなかった。

「近藤さん、どうします? これでみすみす逃しちゃったら無様ですよ」

 沖田が言う。近藤は少し沈黙したのち、頷いた。

「これ以上は待てん。総司、永倉君、藤堂君……俺について来てくれ」

 三人が短く返事をする。

「では、私は表口を固めますから、皆さんご存分にどうぞ」
「は? 武田さん、来ないつもりかよ?」

 武田の言葉に、藤堂が驚いて返す。

「いいからいいから。中が暗くて間違って斬られても困るし。……あ、こっちが間違って斬っちゃうかも」
「……沖田君、それはどういうことかな」

 武田が低い声で問うと、沖田は肩を竦めた。永倉が武田の肩を叩いた。

「まあまあ。突っ込むのは気心がしれた方がいいだろ。というわけだから、武田さんは外を頼むぜ」
「……ふん」
ちゃんは、武田さんと外をよろしくね」
「わかった」

 沖田に言われては頷いた。
 気心しれた仲。江戸からずっと共にいる皆の方が、互いの動きがわかって戦いやすいということなのだろう。同じ郷里の者を囲っていることをよくは思っていない武田には不満な言葉だったに違いない。
 池田屋の手前まで一緒に向かい、そこで四人を送り出す。――そして、踏み入る。

「会津中将お預かり浪士隊、新選組。詮議のため、宿内を改める!」

 近藤の高らかな宣言が聞こえる。

「御用改めである! 手向かいすれば、容赦なく斬り捨てる!」

 怒号が聞こえる。剣戟の音。階段の足音。断末魔。様々な音が室内で響いている。
 浪士が数人外に逃げ出してくる。

「逃がすかよ!」
「ぐあっ!」

 刀を抜こうとしたその手を狙って、が刀を振り切る。よろめいた浪士を、長身の武田が組み伏せる。隊士たちが後を追って捕まえる。逃げ出した浪士を捕まえるのは容易かった。は暴れる男を縛り上げる程の力はないので、たまに刀を振るう程度でほとんど見ているだけだった。
 そんな時。

「ちくしょう、手が足りねえ……! 誰か来いよ、おい! 誰かいねえのか!」
「えっ!?」

 中から大声が聞こえた。今のは永倉の声だ。
「た、武田さん!」
「何だ」

 浪士を縄で縛りあげながら睨まれる。聞こえていない。
 気心しれた方がいいだろ。突入前の永倉の声が蘇る。――この人では駄目だ。この人に比べたら、自分の方がまだ彼らと気心しれた仲のはずだ。

「あー、もう!」

 は叫ぶと、池田屋の中に飛び込んだ。
 室内は真っ暗だった。灯りは消されたらしい。血の臭いが酷くて眉を寄せた。倒れた人影が、暗闇に慣れてきた視界に入る。白い隊服ではないため、新選組の誰かではない。

「うおおおおっ!」

 浪士が突っ込んで来る。自分も隊服を着ていたことを思い出して、それを避ける。

「おらっ!」

 肉を断つ感覚。脇腹に刀を一閃させると、背中を蹴って転ばせる。

「新選組ならまだここにもいるぜ! 浪士共かかってきやがれ!」

 大声で叫ぶ。動く影が数人、こちら目掛けて襲ってくる。捌ききれるか? そう思って構えると、その背後から白い影が近付いて来て、浪士の背を斬った。が正面から斬り上げる。

「誰か来いとは言ったが、名乗りをあげろとは言ってないぜ!?」

 永倉だった。

「引き付けてやったんだから感謝しろよな」

 溜め息を吐かれた。

「まあいい、二階を見てきてくれるか? 総司と平助がいるはずなんだ」
「あいよ!」

 階段を二段飛ばしで駆け上る。二階に辿り着くと同時。

「ぐあっ!」

 襖をぶち破って、誰かが吹っ飛んで来た。驚いて刀を構えるが、壊れた襖と一緒に横たわっているのは白い隊服。

「平助!」
「ち、くしょ……!」

 鉢金が割れて、額から血を流していた。手を貸そうとすると、断られる。

「総司が……」

 藤堂が震える指で部屋をさした。は藤堂から離れ、刀を構えて室内に飛び込んだ。
 金の髪が月明かりに輝いているのが目に入った。

「おまえは……」
「新選組か」

 窓辺に立っているのは二人の男。壁際でぐったりとしている沖田に、刀を突き付けていた。

「沖田さん!」

 血塗れだ。意識がないのか、身動き一つしない。
 は畳を蹴った。

「この野郎!」

 思いっきり刀を振り下ろす。だが、刀は空を斬った。

「その男に伝えておけ、多少は面白かったが……その程度の腕でいい気になるな、とな」

 二人の男の姿はもうなかった。室内を見渡すが、どこにもいない。窓が開いていた。外に逃げたのかと思い、駆け寄って下を見るが既に姿はなかった。
 振り返って、刀を鞘に納めながら沖田に駆け寄る。

「ちょっと……死んでないよな……? 沖田さん? 沖田さん! おい――総司さん!」

 揺さぶりながら声をかける。やがて沖田が、ごほ、と血を吐いた。

「うるさ……」
「総司さん!?」

 虚ろな目がをとらえるのに時間がかかった。

「なんで、ここにいるの……げほっ……」

 胸を押さえて咳き込む。

「喋るなよ。骨折れてるのかも……」

 血を吐く程の衝撃を胸に受けたのならば、意識を失っても仕方がないと思う。骨どころか内臓まで傷ついている可能性がある。

「下の階、静かになったな……」

 剣戟の音が止んでいた。話し声が微かに聞こえる。もしかすると、伝令があって土方の部隊が合流したのかもしれない。

ちゃん、肩貸して……って、無理か、小さいもんね……」
「嫌味言う余裕があるなら大丈夫だな」

 よし、と言っては沖田から離れて廊下に出た。藤堂も意識をなくして、倒れていた。

「誰か手ぇ貸して! 怪我人がいる!」

 階段下に向かってそう叫んだ時だった。ガタン、という音が背後で聞こえ――体に衝撃があった。

「え……」
「死ね、壬生狼……!」

 耳元で低い声がした。敵だ、と脳が遅れて察知する。

「こ、の……!」

 渾身の力で上体を捻って肘を叩きこむが、の腕力では男の体勢を崩すには至らなかった。

「頭を下げろ!」

 声が聞こえ、は膝をつく。頭上を刀が通り過ぎる。男の鈍い悲鳴が背後で聞こえた。
 せりあがってきた鉄の味を口から吐き出した。ぼたぼたと血が落ちる。

!」

 斎藤の声だ、と思った。

「はは……こりゃ、千鶴に怒られる、な……」

 腹から出ている刃を見て、は呟いた。

、しっかりしろ」
「しっかりしてるよ……そこに平助と、部屋の中に総司さんが……」

 斎藤がそれを聞いて、階下に指示を出しているのをどこか遠くに聞いていた。とりあえず腹の刀をどうにかしようと思って、痛みを堪えてずるずると自分で抜く。全部抜ききったところで、斎藤がの手を掴んだ。

「勝手に抜くな。出血が止まらなくなるかもしれない」
「抜かなかったらどうすんだよこれ……げほっ」
「おい、!」

 永倉が階段を上って来た。そして血を吐いているを見て、目を見開いた。

「千鶴ちゃん! こっちの手当を頼む!」
「はい!」
「千鶴……?」

 声に出して、おかしいと思う。どうして千鶴が池田屋にいる? ぼうっとしていると、階段を上って来た千鶴が驚愕で口元を押さえた。

ちゃん!?」

 ああ、見られたくなかったなあ。はそう思いながら、驚く千鶴に笑みを向けた。

「大したことないから大丈夫」
「大丈夫じゃないよ! 止血するから……少し動ける?」

 千鶴が持っていた布を裂いて、の腹にぐるぐると巻いた。白い布がすぐに赤く染まる。

は俺が連れていく。千鶴ちゃんは他のやつの手当も頼む」
「永倉さんも手を……」
「ああ、俺のは後でいいから。頼んだぜ」

 永倉がに背を向けて膝をついた。はよろよろとその背にしがみついた。背負われて、ゆらゆらと揺れ出して、はそのまま目を閉じた。誰かに背負われるなんていつぶりだろうと思いながら。