「いて!」
ある日の稽古中。脳天に木刀を落とされて、が叫んだ。沖田が溜め息を吐く。
「集中力切れてきてるよ。休憩にしよう」
打たれた頭を押さえながら、は沖田に倣って縁側に腰かける。確かに疲れていたし、集中力も切れていた。
「屯所の生活慣れた?」
沖田がそんなを見ながら問う。
「うん、まあ」
屯所内を自由に動けるようになって少しして、見張りが解除されることとなった。これからは自分たちで、武田たちのような外の隊士に気を付けなければならないのだなと、は気を引き締めたばかりだ。
沖田は足を組むと、そこに肘を置いて頬をついた。
「君はさ、キャンキャン鳴く警戒心の強い犬みたいだよね」
「はあ!? どういう意味だよ!」
決して褒められているわけではない。は隣を睨みつけた。沖田は表情を変えずに続ける。
「人懐っこそうに見せかけて、実際は僕たちにまったく心を許してない」
「……」
見抜かれていた。は言葉をなくす。傍から見れば、幹部たちとより仲良くしているのは千鶴よりもの方だった。くだけた口調も幹部の者たちは笑って流している。だから、気付かれないと思っていた。彼らとの間に作った、透明色で偽った、分厚く高い壁を。
「今は綱道さんを捜すっていう共通目的で協力し合ってるんだし、君もちょっとは警戒心を緩めたら? ここに千鶴ちゃんを害するような敵はいないよ」
「わかんないじゃん、そんなの」
は口をとがらせて視線を逸らした。
「あんたら新選組が何考えてるのかわかんないし、何かおれらに隠すような秘密持ってるし、前川邸のやつらには警戒しなきゃいけないし」
「うん、そうだね」
沖田は否定しない。
「じゃあ、僕のことも信用してないんだ」
「……おれは、千鶴以外信用してない」
ぽつりと言う。沖田だって利用しているだけだ。彼らとわかり合うことなんて、きっとないと思っている。
「千鶴を守るためには、そうじゃなきゃいけない」
たとえ千鶴が新選組に心を許したとしても、自分はそうであってはいけない。新選組がどんな組織なのかがわからない現状で、心から信用できるほどはお人好しではない。信じているのは、守るべき千鶴だけだ。
「君何歳だっけ?」
唐突に沖田が問う。
「十七だけど」
が怪訝そうに答えると、沖田がぷすっと笑った。
「僕たちより全然子供だね」
「うるさいな! 何なんだよ! 歳は追い越せないだろ!」
「そうそう。だから、ちょっとはお兄さんたちを頼ったらって言ってるの」
微笑みと共に言われ、また言葉をなくす。それでも、甘い言葉に乗せられるほど、自分は子供ではなくて。
「もし、千鶴ちゃんの敵がいるとしたら、それは僕たちと共通の敵だよ」
「……そうなのかな」
「少なくとも現状はそうだね。これからどうなるかはわからないけど」
信じていいのだろうか。手元の木刀を見つめて思う。この新選組という組織の人間は、信用に足るのか?
「それでも、おれは……」
きっと、この人たちを信用することはないのだろう。
黙り込んだままのを見て、沖田は小さく息を吐いた。
翌日。と千鶴は朝食の片付けをして、部屋に戻るところだった。
「雪村君、君」
声をかけられ、足を止める。
「近藤さん」
近藤が笑みを浮かべて近付いてきた。
「どうかなさったんですか?」
千鶴が問うと、近藤は二人の前で足を止めた。
「どうだね、ここでの生活にも慣れてきたかね?」
「はい、少しずつではありますが」
「ぼちぼちです」
千鶴とがそれぞれ答える。その答えに満足したのか、近藤はそうかと頷くと、二人の肩に手をのせた。
「何か不便があったら遠慮なく言ってくれ。我々は君たちのために、出来る限りのことをしよう」
「はい、ありがとうございます」
近藤はそれだけ言うと、にこやかに立ち去って行った。その背を見送る。
「近藤さんって良い人だよね。幹部の皆さんも優しくしてくださるし……」
角を曲がって見えなくなってから、千鶴が呟いた。
「そうだな」
が返す。千鶴が首を傾げた。
「ちゃん?」
「なに?」
「あまり、そうは思ってなさそうに見えるけど……」
「……」
長い付き合いですぐに気取られてしまう。不安そうな千鶴に、は返す言葉がなかった。
は一度千鶴と部屋に戻った後、「出かけてくる」と言って部屋を出た。屯所の中を自由に歩けるようになってから、立ち入りを禁止されているところ以外の大体の部屋の場所は覚えた。向かったのは土方の部屋だった。
「土方さん、ちょっといいですか」
入れ、と中から声がする。襖を開けると、土方は何かを読んでいるところだった。仕事中のようで、入ってきたには目も向けない。
「なんだ。俺は総司みてえに暇じゃあねえんだが」
障子戸を閉めて一歩中に入ると、その場にきっちりと正座をする。
「こういうことにはっきりと答えてくれるのは土方さんかなと思って」
土方がようやくに目を向ける。は真剣な表情で問いかけた。
「おれは、新選組を信用してもいいんですか」
ここに来て数か月経った。だが、未だに自分は新選組を信用しきれない。しても良い、というきっかけがない。なんとなく幹部たちと仲良くしているだけ、というのが現状だ。もしかすると、沖田のように全員に気付かれているかもしれない。
「局長の近藤さんはいい人です。それはよくわかる。あの人はおれたちにきっと危害は加えたがらない。そうでしょ?」
土方は眉を寄せ、無言で息だけ吐いた。否定しないということは肯定なのだろう。でも、とは続ける。
「おれは、どうにも新選組っていう組織を信用しきれない」
「それは、俺たちが雪村を害する可能性があるって意味か?」
土方が問う。は頷いた。
「最初にされたことは忘れてません。それに、江戸じゃいろいろ新選組への悪い噂も聞いてます」
土方は眉間に一層の皺を寄せる。そして、今度は深く溜め息をついた。
「噂か……どうせ人斬り集団だの何だの口汚く言われてるんだろ」
「はい」
は否定せずに頷く。正直に言って、良い噂など聞いたことがなかった。土方は若干の呆れの色を滲ませながら、に目を戻す。
「噂を信じるのは勝手だがな、おまえが見た新選組はどうなんだ。人斬り集団に見えるのか」
責めるわけではなく、問いかける。
「否定しきれないから悩んでます。忘れろって言われているあの夜のことも、おれは時々夢に見ます。おれがやつらから守り切れず、千鶴が殺される夢」
「……」
白髪で赤い血のような目をした、浅葱色の隊服の男たちが、千鶴を、自分を斬り殺す夢。何度見たかわからない。千鶴にそんな話はしたことはないし、気付かれてもいないだろう。
「新選組の秘密を知ろうとは思ってません。幹部のみんながおれたちがそれに関わらないようにすることで、守ってくれてるっていうのは気付いてます。でも、千鶴は否定してるけど、おれたちがあの夜の隊服の連中を見てるのは知ってるでしょ?」
土方は難しい顔をしていた。はあの夜のことを、忘れたとも見ていないとも一度も言っていない。それほどに、あの夜のことは鮮烈に記憶に焼き付いて消えない。あれこそが新選組の隠している秘密のうちの一つなのだということはわかる。明らかにあれは、化け物、と言っても間違いはない存在だったのだ。そんな化け物が新選組の隊士だというのならば、それは隠したくもなるだろうと思う。見た者知った者を処刑してもおかしくないほどの秘密だろう。
「土方さん、はっきりと答えてください。今後、おれたちをどうする気ですか」
土方はの真っ直ぐな目を見返した。
「少なくとも、殺しはしねえよ」
土方が答える。
「おまえたちの身は今、新選組で預かってんだ。一度預かると言ったやつらに、害を与える気はねえ。ま、客人扱いする気もねえがな」
「信じていいんですか?」
が問う。土方は若干の不機嫌さを表情に表した。
「信じる信じないってのは、他人に判断を委ねるもんなのか? おまえがどう思ったかで判断しろ」
「……」
もっともだと思う。信じろといくら言われたところで、それこそが甘い罠の可能性だってある。自分が決めなければ、納得はできないだろうとは素直に思った。目を伏せる。しばらく沈黙が続いた。土方はの言葉を待っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「。おまえ、新選組が掲げてる『誠』って字は知ってるか?」
が顔を上げる。
「ああ、はい。あの旗のやつでしょ?」
赤い布に『誠』と大きく書いた隊の旗。それは何度も見かけたものだ。
「あの字の意味がわかるか?」
「いや……わかんないです。どういう意味なんですか?」
素直に問うと、土方は真剣な表情での目を見た。
「『誠』って字はな、『言』を『成す』と書く。一度言葉にしたことは必ず成すという、武士道の教えだ。『武士に二言はない』って聞いたことねえか」
「それはあるような……でも、そんなの守ってる武士、今時いるんですか? 切腹だって、腹切る真似するくらいだって聞きましたよ」
「うちは規則に背いた奴は本当に切腹させるぜ」
が驚いて目を見開く。
「俺たちが目指してるのは、今時の腐った武士じゃねえんだ。そんなところ真似する気はさらさらねえ」
土方は続ける。
「新選組には『局中法度』っつう決まりがあってな。武士道に背くようなことをした奴は腹を切ることになってる」
士道に背くまじきこと。それを一番に掲げた。本物の武士になるべくして決めた、命を懸けた決まり事だった。
「俺たちはそういう組織だ。今の話を聞いた上で、自分で判断しろ」
「……」
つまり、「その身を預かる」と一度言った言葉を覆すつもりはないということだろうか。自分たちの安全は保障されている?
土方が冗談を言う人物ではないと思ってここに来た。彼ならば、真剣な問いに、真剣に答えてくれると思ったからだ。その答えとして聞かされた、武士道の話。本物の武士を目指す新選組が、自分たちを害することが本当にあり得るのか?
は深く息を吐き、もう一度土方を真っ直ぐに見た。
「……わかりました。信じます」
自分で判断して決めた。だから腑に落ちた感覚があった。彼らがもし、仲良しごっこをするためではなく、武士道に則った志で自分たちと接しているのであれば、それを拒絶するのは逆に失礼なのではないかと思ったのだ。
信じると言ったを見て、土方がようやく苦笑を浮かべた。
「別に取って食ったりしねえんだから、おまえももう少し肩の力抜いてろ。緊張しっぱなしだと、逆に雪村を守れねえぞ。俺たちに頼れるところは頼った方がいい」
昨日沖田にも言われたことだ。頼れるところは頼った方がいい。それが、千鶴のためになるのならば。
「そうですね……」
そして、頭を下げる。
「ありがとうございます」
土方が仕事に戻り、は部屋を出た。そこで、通りがかりの沖田と出会う。
「あれ、ちゃん。土方さんに何か用だったの? 珍しいね」
――ちょっとはお兄さんたちを頼ったらって言ってるの。
あれが、本心だったのだとしたら?
は沖田を見て、にっこりと笑い、その手を取った。
「沖田さん、暇? 稽古付き合ってよ!」
「……」
手を引っ張り走り出すと、仕方なさげな足取りで沖田が追いかけてくる。
「ねえ、何話してたの?」
の様子が昨日とは違うから。
「内緒!」