年が明けて一月。新選組の屯所で暮らし始めて七日が経った。一番組見習いになったと副長付き小姓になった千鶴は、与えられた部屋に引きこもっていた。二人部屋に文句はなかったし、は何かが起きた時に千鶴を守るには好都合だとは思っていたが、引きこもるにはいささか飽きてきたところだった。

「副長付き小姓の千鶴が、土方さんが大坂出張中やることがないのはわかるんだけどさー。なんで見習い隊士のおれまで引きこもらなきゃならないわけ?」
ちゃん、それ五回目」
「だってー!」

 女として屯所に置くわけにはいかない、と土方は言った。新選組が女を匿っているなどと知れ渡れば、勘ぐる連中がいるかもしれない。それに千鶴の父親を狙っているかもしれない誰かが、今度は千鶴を狙いに来る可能性もある。だから、女であることは幹部たちしか知らないし、今まで通り男装を続けろと言われている。もっともだと思ったので二人に異論はなかった。だが、何もしないで引きこもれ、ということだけには不満しかない。

「七日も刀振るってないんだ、腕がなまっちまう……」

 刀は返してもらっていた。は鞘に入ったままの刀を両手で持って、その場でゆっくりと振り下ろした。室内ではろくに素振りもできやしない。千鶴は小太刀を両手で持って握りしめていた。はそれに気付いて手を止めた。

「やっぱり刀は怖いか?」

 が問う。

「……うん」

 千鶴は刃物が苦手だった。刃物は人を傷つけるもの。怖ろしいもの。それに加えて、千鶴は小さな傷ならすぐに治るという体質であった。のような後天的なものではなく、それは先天的なものだ。すぐに傷が治ることが普通ではないと千鶴もも物心つく頃には気が付いたため、これは二人とごく一部だけが知っていることだった。千鶴の父は、これは天からの授かりものだから他人には言わないように、と千鶴に言った。の傷がすぐに治ることも、千鶴を助けるという良い行いをしたためだろうと言われたのだ。千鶴はできるだけ怪我をしないようにと刃物が苦手になり、逆にすぐに治るからと剣術の稽古をしたり喧嘩をしたり怪我をすることに躊躇がなくなったのがだった。

「隊士さんたちの目が冷たいね」

 千鶴が溜め息を吐いた。

「隊士は大部屋みたいだからな。二人でいるのが特別扱いとでも思われてるんだろ」

 さして気にしていない様子でが言った。得体の知れない子供たちが突然現れて幹部並みの待遇を受けているとなれば、何も知らない一般隊士たちは面白くはないだろう。幹部たちが気にしているのは監視のためだというのに。

「そろそろ父様を捜しに行きたいな……」

 千鶴が息を吐く。それは五回目以上だなと、とは思ったが、そもそも千鶴の父を捜しに京に来たので、そうだな、と同意を返す。許可が出ればいいが、許可を出してくれそうな土方はしばらく出張から帰って来ない。他に誰か許可をくれるだろうか。そう思いながら、人を求めては障子戸を開けた。

「誰かいねーかなっと、おっ」

 中庭を覗くと、沖田と斎藤がいた。二人は顔を見合わせ、外に出ることにした。

「おはよう沖田さん、斎藤さん」
「おはようございます」
「おはよう、ちゃん、千鶴ちゃん」

 は気軽に、千鶴は頭を下げて挨拶をした。沖田が首を傾げる。

「千鶴ちゃんどうしたの? 明るいような暗いような、微妙な顔してるね」
「な、何か顔に出てますか……?」

 千鶴が両手を頬に当てる。

「何か思うところがある、という様子だ。俺たちに用があるなら言うといい」

 斎藤が言った。千鶴がを見たので、頷いて返す。

「はい。実は……そろそろ父を捜しに、外へ出たいと思っているんですが……」

 斎藤が首を振る。

「それは無理だ。あんたの護衛に割く人員は整っていない」
「一人や二人都合できるだろ? 隊士はたくさんいるんだから」
「あんたらの事情を知っている者は限られている。俺たちも暇ではない」
「今暇してるんじゃないのかよ」
「ああ言えばこう言うよね、君」

 不満そうなに、沖田が呆れた口調で言った。

「でも、何とかならないでしょうか? 別に遠出したいわけじゃないんです。ちょっと屯所の周りだけでも……」

 千鶴も食い下がる。沖田が考えるように唸った。

「んー。僕たちが巡察に出掛ける時、同行してもらうのが一番手っ取り早いかな」
「巡察に、ですか?」

 千鶴が驚いて問い返した。巡察とは市中の見回りのことだ。沖田の提案は、新選組の隊務に同行するということだった。

「言っておくけど、巡察って命懸けなんだよ? 僕たちが下手を打てば死ぬ隊士だって出る。浪士に殺されたくないなら、最低限自分の身くらい自分で守って貰わないとね」

 沖田がにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「千鶴はおれが守る」

 の言葉に、沖田が肩を竦めた。

「それなら、私も剣術を学んでいます。ちゃんには及びませんが、身を守るくらいならなんとか……」

 腰に差した小太刀をぎゅっと握り、不安げに千鶴が言う。怖いのだろうな、とは思った。

「ならば俺が試してやろう。腰のものが飾りではないと証明して見せろ」
「え……?」

 斎藤の提案に、千鶴は目を丸くする。

「加減はしてやる。遠慮は無用だ。どこからでも全力で打ち込んでこい」

 沖田はにやにやしながら千鶴の隣に立っていたの腕を引き、その場から二人は離れた。

「でも……!」

 千鶴は刀を抜かない。

「どうした、雪村。その小太刀はやはり単なる飾りなのか」

 斎藤が失望したように問う。

「そんなことありません。近所の道場に通っていたのも本当です。でも斬りかかるなんてできません! 本物の刀で斬りかかったら、怪我どころか、殺してしまうかもしれないじゃないですか!」

 千鶴が真剣に言った。それが心からそう思っていることは、は長い付き合いでよくわかった。それが伝わったのであろう斎藤は目を丸くした。

「ぷっ……あは、あははははは!」

 沖田は腹を抱えて爆笑を始める。ひーひーと言いながら、沖田はの肩をばしばしと叩きだして、が迷惑そうに眉を寄せた。

「あの……何も笑うことないじゃないですか……」
「一君相手に『殺してしまうかも』なんて、不安になれる君は文句なしにすごいよ。最高!」

 涙を拭いながら沖田が言う。

「人を傷つけるかもしれない刃物を、意味もなく抜くなんてできません!」

 千鶴がそういう人物であることをよくわかっているは、何も言うことが出来ず沖田に叩かれ続けていた。千鶴は真面目だし、優しい。そして、それが良いところでもあり、悪いところでもあると思っている。千鶴は自分の身を守れると言ったが、実際に敵を前にすれば斬りかかることはできないだろう。だから自分がいる、とは思う。自分の刀の柄を握る。千鶴を守るのは、自分だ。

「あんたの気持ちはわかった。だが、自分の腕前を示しておけばいいこともある。足手まといにならなければ、外に連れ出すための口添えにもなろう」

 斎藤は千鶴の優しさに微笑んで言った。

「でも……」
「どうしても刃を使いたくないと言うのなら、鞘を刀代わりに使うか、峰打ちで打ち込め」

 ここで腕前を見せれば外に連れ出してくれるかもしれない。その言葉が後押しになった。千鶴はようやく小太刀を抜く。

「……よろしくお願いします!」

 小太刀を構える千鶴を見て、斎藤は小さく笑って頷いた。だが、千鶴が構えても、斎藤はただ直立したまま刀を抜かない。避けるつもりだろうか、とは思う。

「行きます!」

 大きく踏み込む。峰を向けたままの小太刀が、斎藤の左肩を狙う。瞬きをする一瞬。は思わず刀に手をかけたが、その柄を隣から伸びてきた手が覆った。
 刀が弾かれる音が響いた。

「あ……」

 千鶴は動きを止めた。首元には、斎藤がいつの間にか抜いていた刀が突き付けられている。

「師を誇れ。あんたの剣には曇りがない」
「え……?」
「太刀筋には心が表れる。あんたは師に恵まれたのだろう」

 斎藤が身を引く。が千鶴の元に駆け寄って、その強張った肩を抱き、斎藤を睨みつけた。

「居合を見せつけるのはいいけど! 二度と千鶴に刀を突き付けるな!」
「ああ、すまなかった」

 斎藤が素直に謝罪する。は唸っていた。

「居合……?」
「これ、いい小太刀だね。ずいぶん年代物みたいだけど」
「え?」

 沖田が千鶴の小太刀を持っていた。千鶴ははっとして自分の手を見た。握っていた小太刀は弾き飛ばされてしまっていた。

「す、すいません! ありがとうございます!」

 小太刀を受け取ろうとして、取り落としそうになる。

「手、大丈夫か?」
「なんとか……」

 心配そうなに苦笑を見せて、千鶴は小太刀を鞘に納めた。

「大丈夫? やっぱり驚いたかな。一君の居合は達人級だからね」

 沖田が言った。

「大丈夫です。でも居合って……?」
「居合って習ってない?」
「習ってないよ」

 の問いに、千鶴は首を振った。

「帯刀状態から、抜き打ちの一撃を放つ技だ」

 斎藤が説明する。抜刀直後の刃は上を向いている。千鶴の小太刀も、や沖田、斎藤の打刀も刃が上向きになるように帯刀をする。昔の紐に吊るしていた太刀と違い、打刀は腰に差すからだ。そのため、抜刀した時に刃が外を向く。そのまま一撃を放つのが居合である。通常であれば、抜刀してから刀を返して相手に向け直す手間がかかる。

「居合は片手で抜き打つことが多いから、結果的に威力が下がって実用性は低いなんて言われることもあるんだけどね」
「……でも、斎藤さんの居合は、威力が低いどころか一撃必殺です」
「うん。もし一君が本気だったら、君の小太刀を弾いた後、即座に追撃してトドメを刺してたと思うよ?」

 沖田がまたにやにやと笑みを浮かべる。千鶴がごくりと喉を鳴らし、俯いた。圧倒的な力の差を見せつけられたのだ、落ち込むのも無理はないとは思う。

「落ち込むことはない。あんたは外を連れ歩くのに不便を感じない腕だ」
「え?」

 千鶴との声が重なった。それは意外な言葉だった。

「へえ、一君のお墨付きかあ。これってかなりすごいことだよ?」

 沖田が手を叩く。

「じゃあ、私……外に連れて行ってもらえるんですか?」

 千鶴が期待を込めて問う。沖田が肩を竦め、斎藤が目を伏せた。

「……外出禁止令を出した人が許可するなら、いつでも連れていってあげるんだけどね?」

 つまり、土方の許可待ちだということだ。ががっくりと肩を落とし、千鶴も息を吐いた。

「わかりました」
「副長が大坂出張から戻るまで、今しばし待たせることになる。……すまないな」

 千鶴は慌てて首を振る。

「いいえ、お気遣いありがとうございます。……でも、気にしないでください」
「巡察に同行できるよう、俺たちからも副長に進言しておこう」
「だから、もう少しだけ大人しくしててね。遊び相手くらいになら、なってあげるからさ」
「遊び相手って……」

 斎藤と沖田が笑みを浮かべた。千鶴が苦笑する。

「よおし、じゃあ一番組見習いの遊び相手になってもらおうじゃねえか、組長さんよ!」

 がそう言って右腕をぐるぐる回した。指名された沖田が呆れた目を向ける。

「……君、相当暇なんだね」
「暇!」
「君の腕は大体わかってるから、千鶴ちゃんみたいに見せなくていいよ」
「は?」

 刀を抜こうと構えたに向かって、沖田が言った。

「さっき一君が居合を見せようとしているのも気付いて反応してたでしょ。最低限の動きはできるから、連れ歩くのに問題はないよ」

 ぱちくりと目を瞬かせる。褒められているようだ。

「……いや、おれはまだ強くなりたい。強くならなきゃならない」

 は俯き、刀の柄を握った。あの夜、沖田と斎藤が来なければどうなっていたかわからない。千鶴を守れたのか、守り切れず三人の男に殺されていたのか。あの死なない化け物がまだこの京の町にいるのであれば、自分はあれを殺せるほどに強くならなければならない。

「千鶴ちゃんを守るため、だっけ? どうして君はそうまでして千鶴ちゃんを守ろうとするの?」

 沖田が問う。

「昔約束したんだ。千鶴は俺が守るって。この命に代えても」
ちゃん……」

 ふうん、と沖田が頷いた。

「しょうがないなあ。暇な時に稽古つけてあげるよ」
「本当に!?」

 が笑みを浮かべる。沖田が意地の悪そうな顔で笑ってみせる。

「ただし、僕の稽古は厳しいよ? 女の子だからって手は抜かないから」
「手を抜いたら逆におれがぶっ飛ばす」
「じゃあ、ぶっ飛ばされないように、僕も真面目にやらせてもらうね」

 それじゃあ、と言って沖田と斎藤は中庭から去って行った。千鶴が頭を下げる。

「っしゃあ!」

 が急に拳を握って叫んだ。びくりと千鶴が肩を震わせる。

ちゃん?」

 は、顔を上げて千鶴に笑顔を向けた。

「千鶴! おれ、まだ強くなるぞ!」

 先程の斎藤の腕前が組長たちの強さであるなら、組長である沖田との稽古も意味のあるものになるはずだった。彼は手を抜かないと言ったのだから。

「おまえのこと、絶対守るから!」

 は嬉しそうに言った。千鶴は瞬きをして微笑んだ。

「うん。ありがとう」