連れて来られた場所はどこだかわからなかったが、荷物は没収され、手足を縛られ、千鶴とは別々の部屋に放り込まれて一晩経った。朝になってしばらく経ってから、部屋に近付いてくる足音があった。障子戸が開くと、そこにいたのは土方だった。

「起きてたか」
「寝られるかこんなところで」

 土方を睨みつけてが言う。

「もう一人はぐっすりだったらしいが」

 は思わず溜め息を吐く。こういう時の千鶴の図太さは正直少し見習いたい。警戒心がないわけではないはずなのだが。離れた部屋に入れられたため、何があったかはわからないが、土方の話を聞く限り既に千鶴には会ったようだ。

「ん?」

 土方は怪訝そうな声をあげると、の横に膝をつき、顎を掴んでぐいと自分に向かい合わせた。

「な、なんだよ……」

 至近距離で端正な顔に睨まれ、も負けじと睨み返す。

「昨日の傷はどうした」

 頬にあった刀傷のことを言っているのだとわかった。特に手当てもされなかったが、痛みは深夜に消えた。

「ないなら治ったんだろ」
「刀傷が一晩で治るか」

 思案するような顔の後、土方が言う。

「ガキの頃に大怪我して死にかけたって言ってたな」

 昨晩の現場の去り際に言ったことを覚えていたらしい。

「言ったけど、それが?」

 土方は刀を抜くと、を縛り上げていた縄を切った。手首の縄までは外してくれなかったが、随分動きやすくなった。そのまま、手首を掴み上げられて立たされる。

「ちょっと来い」
「なんだよ!」

 引っ張られて体勢を崩しながらも、は土方に引かれて歩き出した。
 広間のような広い部屋に着く。投げ出されるようにして解放されたは、そのまま中央で膝をつく形になった。

「近藤さん、山南さん、こいつだ」

 そこには知らない男が三人と、昨日の沖田がいた。三人のうち二人が近藤と山南というらしい。

「外見が少し違いますね……まるで『なりかけ』のようだ」

 眼鏡をかけた男が言った。じろじろとを見る目は、不信感しかない。

「なんのなりかけだっていうんだ」

 答えはなかった。

「君、その髪って元からなの?」

 沖田が問いかけた。灰を被ったような色。の髪は老人のような白髪ではなく、黒髪と白髪が混じったわけでもなく、根本からすべてが灰色だ。

「だから、ガキの頃に死にかけてからこんな色になったんだよ」
「それは、何か薬を飲んだからではありませんか?」

 眼鏡の男が問う。は首を傾げた。

「薬?」
「その大怪我からどうやって治ったのかって聞いてるんだよ」

 土方が苛立ったように問いかけてくる。

「知らねえよ。治してもらってる間、おれは意識がなかったんだから」
「意識を失う程の怪我を、どうしてそんな幼い頃に?」

 眼鏡の男が再度問う。

「昨日もう一人いただろ。あいつが襲われてたのを助けたんだよ」
「なんと、友を助けるためにそんな怪我を……! 君は勇気のある人物なんだな」

 今まで黙っていた男が、突然を褒めたのでは目を丸くした。だが、すぐに不機嫌な顔に戻って、フンと鼻を鳴らした。

「あいつはおれが守るってガキの頃約束したんだ。別に特別なことじゃない」
「ふーん、それで昨日あんなに噛みついてきたわけか」

 沖田が納得したように頷いた。

「おまえの昔話に興味はない」

 土方が不機嫌そうに言った。も頷く。

「だろうな。昨日のこと?」
「それと、おまえの素性についてだ」

 は首を傾げる。

「おれの素性? 何もないぜ。ごく普通の家に生まれた一般人だ」
「一般人は一晩で傷が治ったりしねえんだ」
「体質だよ。いるだろそういうやつ」
「少なくとも、私が知る中ではごく限られた存在ですね。昨日君が見た彼らとかね」

 眼鏡の男がそう言って微笑んだ。が睨みつける。

「……おい、おれをあんな化け物どもと一緒にするんじゃねえ」

 斬っても血を噴き出しても、心臓を突き刺され首を落とされるまで死ななかった、浅葱色の隊服の男たち。彼らも新選組の一員であったことは会話の中から把握している。

「ほら、しっかり覚えてる。どのみち殺すんでしょ、土方さん? 僕が斬っちゃいますけど」

 沖田が刀を抜こうと、手をかけた。

「千鶴はどうなる」
「おまえが知る必要はない」

 土方が冷たく言った。は脳裏にここに来るまでに歩いて来た通路を思い浮かべる。逃げられるか? 千鶴を探し出せるか? そう考えながら片膝を立てる。沖田が刀を抜いた。

「あっそ。まあ、ここで殺されるつもりはないけ――」
「ちょおっと待ったああああ!」
「――ど?」

 大きな声と共に、とさほど歳が変わらなさそうな若い男が部屋に飛び込んできた。

「平助うるさい」

 沖田が不満そうに言った。

「そ、そいつ! そいつも女の子だ! 男じゃねえ!」

 平助と呼ばれた男が、を指さして言った。

「なんと! ということは、あの子もそうか!」

 を褒めた男が驚愕の声をあげた。平助という男の後から、ぞろぞろと男たちが入ってきたかと思えば、その中に一晩ぶりの見慣れた顔があった。

ちゃん!」
「千鶴!」

 縄も解かれている。千鶴は怪我もなく無事なようだった。
 女であることを話したようだ。京に来るまでの道中、護身のために男装をして袴姿で来たのである。女と言えば状況が変わるかと思ったのだろう。幸い、千鶴の予想通り、男だと思われていたところから一転して男たちの態度が変わったということだ。
 はあ、と沖田が溜め息をつくとに近付いてきた。警戒するに、動かないで、と言って手首の縄を切る。

「ふう、あぶねえ。危うく女の子を斬っちまうところだったぜ」

 平助が言った。

「少年にしては華奢で可愛らしい顔をしていると思っていたんだが、まさか本当に女子だったとはな……」
「しかし、女の子を一晩縄で縛っておくとは、悪いことをしたねえ」
「でもよ、女だ女だって言うが、別に証拠はないんだろ?」

 頭に布を巻いた男が、千鶴の隣で言う。千鶴は困ったように隣を見た。

「証拠と言われても……」
「証拠も何も一目瞭然だろうが。何なら脱がせてみるか?」
「やめろ変態!」

 が提案した腹にさらしを巻いた男に向かって叫んだ。

「許さん、許さんぞ! 衆目の中、女子に肌をさらさせるなど言語道断!」

 を褒めていた男が、の次に怒っていた。さらしの男が肩を竦める。

「だがまあ、それが一番手っ取り早いと思ったんだ……無理にとは言わないがな」

 千鶴の背をぽんと叩き、千鶴は一歩前に出ると、部屋の中央にいるの傍へと駆けてきた。がその前に出て、男たちを睨みつける。

「千鶴の肌を見た奴はおれが殺す」
「番犬みてえだな」

 平助が呆れた口調で言った。

「悪いが、おまえらの荷物を改めさせてもらったぜ」

 土方が話を切り出すと、騒がしかった男たちは静かになる。

「どうやら江戸からここまで二人で来たみてえだな。荷物はわずかな着替えと、それぞれ一月分の小銭、それと数通の手紙と刀二振り。手紙には、幕府御典医の松本良順の名前があった。おそらくそこを訪ねたんだろう」

 正解だ。荷物を見たなら、自分たちが女であることもわかっていたはずだ。
 土方が息を吐き、千鶴に目を向けた。

「おまえの目的は何だ? ――雪村千鶴」

 空気が変わった。一転して歓迎されない空気になったとは感じた。

「土方さん……その名前は……」
「おいおい……偶然にしちゃできすぎだぜ」

 何を言っているのかわからない。ただ、千鶴の名前に問題があったらしいことだけ理解する。

「まあ、待て。それを判断するためにも、まずは君の話を聞かせてくれるかな?」

 はい、と言って千鶴は話を始めた。出身は江戸だが、父を捜して京まで来ることを決めた。父からの手紙が途絶えたからだ。一人で行くとに相談したところ、自分もついて行くと言って、二人で男装をして旅をしてきたことを告げた。

「して、お父上は何という方かね?」
「はい。父は雪村綱道という蘭方医です」

 ピリッと空気に緊張が見られた。

「繋がったな」

 土方が唸った。

「あなたが持っていた手紙の筆跡、これはまさに綱道さんのものでしたが……まさか本当に綱道さんの御息女とはね」

 眼鏡の男が言う。

「父を、知っているんですか……?」

 千鶴が震える声で問いかけた。

「どこまで知ってる」

 土方が鋭い目を千鶴に向けた。

「どこまで?」

 千鶴が首を傾げる。

「いいから、洗いざらい全部吐け! 何しに京に来やがった!」

 土方が怒鳴った。が千鶴と土方の間に入り込み、千鶴の代わりに土方を睨みつけた。

「わ、私は……父を捜しに来ただけで、他には何も……」
「親父の綱道さんが、何してるか知っててここに来たんだろうが!」

 何をしているというのだ。は思う。

「父はお医者様の仕事で京に来たはずです! 夏に連絡が途絶えて……そのままなんです!」

 が思っているのと同じことを千鶴が叫ぶ。千鶴の父は医者の仕事で京に行くと言っていたし、それ以外は何も言い残してはいない。手紙に何か書かれていた話も、は聞いたことがない。

「土方君……どうやら、本当に何も知らないのかもしれませんよ」

 眼鏡の男が静かに言った。土方は眉を寄せる。

「あの……父のことをご存知なんですか? 父はどこにいるんですか? 教えてください!」

 の陰から前に出た千鶴が頭を下げて言った。

「綱道さんの行方は、現在新選組でも捜している」

 今まで静かだった斎藤が言った。

「新選組が父のことを……!? それってもしかして……」
「あ、勘違いしないでね。僕たちは綱道さんを狙ってるわけじゃないから」

 沖田がひらひらと手を振った。

「同じ幕府側の協力者なんだけど……実は彼、夏から行方知れずなんだよね」

 千鶴の元に手紙が届かなくなった時期と合う。

「幕府をよく思わない者たちが、綱道さんに目を付けた可能性が高い」

 千鶴が目を見開く。

「……生きている公算も高い。蘭方医は利用価値がある存在だ」

 斎藤がそう付け加えた。

「近藤さん、どうでしょうか。同じ人物を捜す者同士、彼女に手を貸してあげてはいかがかと」

 眼鏡の男が言った。はそこで初めて、この目の前の人の良さそうな男が近藤という名なのだとわかった。となれば、この眼鏡の男が山南なのだろう。

「手を貸すとは、どういうことかね?」

 近藤が問う。

「綱道さんが見つかるまで、互いに協力し合うということです。彼女に協力してもらうことで、綱道さんが見つかる可能性は格段に上昇するでしょう」
「え?」
「私たちがいくら捜しても、姿形を変えられてしまっては見抜くことは難しい。ですが、綱道さんの娘である君ならば、身なりが変わっていようと看破できますね?」
「……もちろんです」

 千鶴が頷く。山南がにこりと微笑んだ。

「それに……彼女が手中にあるというのは、何かと都合がいいと思います」

 が眉を寄せる。手中にある、とは好意的な言葉ではない。都合よく使うつもりなのだろうか。

「ふむ……どうだ、トシ。山南君の意見に俺は賛成だが」

 近藤が土方に意見を求めた。

「こいつが本当に何も知らねえっていうんなら――」
「本当です! 父が京に向かって、何をしていたかまでは知りません! それに昨夜のことも……私は、何も見ていません!」

 千鶴が土方の言葉を遮って叫ぶ。はあ、と土方が息を吐いた。

「……まあ、あの蘭方医の娘となりゃあ、殺しちまうわけにもいかねえか」

 観念したような口調だった。そして再び鋭い目で千鶴を睨みつけた。

「昨夜の件忘れるって言うんなら、父親が見つかるまでおまえを保護してやる」
「うむ。君の父上を見つけるためならば、我ら新選組は協力は惜しまんとも!」

 近藤がにこりと微笑んだ。

「あ、ありがとうございます!」

 千鶴が頭を下げる。沖田がにやにやと笑っていた。

「殺されずに済んでよかったね。とりあえずは、だけど」
「はい、よかったです」

 千鶴が安堵の息を吐いた。沖田は素直に返されたのが面白くなかったのか、肩を竦めた。

「それで、土方さん。こっちの綱道さんの娘さんじゃない方はどうするんですか?」

 そして、沖田はを指さす。

「え?」

 千鶴が目を見開いた。

「綱道さんと何の繋がりもないんでしょ? やっぱり斬っちゃいますか?」

 沖田の軽い口調に、千鶴が慌てての前に立った。

ちゃんを殺さないでください! 私の親友なんです! 小さい頃から一緒で、私の大事な人なんです! 京に来たのも私が無理を言ったせいで……お願いします!」

 頭を勢いよく下げる千鶴に対して、は土方と睨み合っていた。

「おまえだけ外に放り出すわけにはいかねえ」
「なんて、そんな優しいこと言うわけないよな。おれの素性とやらが気になるんだろ」

 土方が眉を寄せる。肯定ということだ。千鶴が首を傾げた。

ちゃんの素性って?」
「ほら、おれ傷の治りが早いだろ? あれが気になるんだって」
「小さい頃に怪我をしてから治りが早くなったやつ? あれがどうして?」
「知らねえ」

 は首を振る。

「その話はもう終わりだ。おまえ、名は」

「雪村のおまけでここに置いてやる」
「どうも」

 千鶴がの袖を引いた。は不満そうに「ありがとうございます」と言い直した。

「雪村君、君よかったね。これからはよろしく頼むよ」

 老齢の優しそうな男が微笑んだ。

「はい、よろしくお願いいたします!」

 千鶴が元気に答えた。

「なあ、源さん。女子となれば、ここのような男所帯では申し訳ない気がするんだが……」

 近藤が困ったように言う。新選組に女はいないようだ。

「ええ、そうですねえ。これはちょっと困りましたな……」

 源さんと呼ばれた老齢の男が眉を下げた。

「不便があれば言うといい。その都度、可能な範囲で対処しよう」

 斎藤が言った。

「ありがとうございます。大丈夫です、ちゃんもいますし……」
「おれは別に男だらけでも文句はないけど」

 もともと女よりも男であろうとしている身だった。口調も男の真似をし、普段から袴姿、道場で剣術も習っていた。すべては千鶴を守るという約束のためだ。

「ま、まあ、女の子となりゃあ、手厚くもてなさんといかんよな!」
「新八っつぁん、女の子に弱いもんなあ……でも、だからって手のひら返すの早すぎ」
「いいじゃねえか。これで屯所が華やかになると思えば、新八に限らずはしゃぎたくもなるだろ」

 平助たち三人が笑いながら話をしている。

「とはいえ、ここでは女性として扱うのは難しそうです。隊士として扱うのもまた問題ですし、彼女たちの処遇は少し考えなければなりませんね」

 山南が言った。

「なら、誰かの小姓にすりゃいいだろ? 近藤さんとか山南さんとか――」
「やだなあ、土方さん。そういうときは、言い出しっぺが責任取らなくちゃ」

 土方の言葉を遮って、沖田がおかしそうに言った。

「ああ、そうだな。トシの傍なら安心だ!」
「そういうことで土方君。彼女のこと、よろしくお願いしますね」

 近藤と山南がとどめを刺した。

「てめえら、勝手に決めてるんじゃねえ!」

 小姓とは身の回りの世話をする者のことだ。自分にはできなさそうだな、とは思う。

「なんで隊士はだめなんだよ」

 がようやく口を開いた。

「女に隊士が務まるわけないだろ」

 平助が言う。

「おれ、そこらの男よりは強かったんだけど。道場では一番だったし」
「確かにちゃんは強かったけど……」

 は千鶴とは違う道場に通っていた。千鶴は護身術としての剣術だったが、は自分の身ではなく千鶴を守るための剣術を磨いた。がむしゃらに強くなろうとして、剣術の稽古は大人に混じってやっていたのだ。

「そういえば、昨日の夜も少しの間三人を相手にしてたんだっけ」

 沖田が思い出したように言う。

「そうなのか?」
「へえ、あれを相手に……案外やるんだな」

 意外そうな声が聞こえる。浪士の相手をした方が何倍もましな戦いをしたのだった。結局沖田と斎藤に助けられたが、少しの間やりあったといっていい。

「隊士見習いってことにするのも面白いかもしれないですよ。どうです土方さん」

 沖田が乗ってくれた。土方は渋い顔をして考えた後、息を吐いた。

「じゃあ、言い出しっぺが責任取れよ総司。そいつは一番組の見習いってことにする」
「えっ」

 沖田が目を丸くした。沖田が周囲に目を走らせるが、援護してくれる者は誰もいなかった。

「よろしく頼むぜ、沖田総司さん」
「……可愛くない」

 にっこりと笑みを浮かべるを見て、沖田は眉間にくっきりと皺を寄せた。
 こうしてと千鶴は新選組に身を置くこととなった。文久三年の年末のことであった。