文久三年十二月。
旅装の少年が二人、京の都の真ん中に立っていた。
「なんだ、どんなところかと思ったら、江戸と大して変わらないじゃんか」
「ちゃん聞こえちゃうから、しーっ!」
少年がつまらなさそうに言うと、もう一人の少年がその腕を引いた。は肩を竦める。
「でも本当によかったの? 私と一緒にこんなとこまで来ちゃって……」
「何度言わせるんだよ。千鶴一人で京になんて行かせられるかってんだ」
フンと鼻を鳴らし、は見せつけるように腰に差した刀に手をのせた。
千鶴はしゅんとして顔を伏せる。
「うう、私そんなに危なっかしいかなあ……」
「いや、千鶴はしっかりしてるけどさ」
が慌てて言う。
「治安が悪いんだろ京は。浮浪の浪士がわんさかいるっていうし。そうなるとおれの出番だろ? 浪士の一人や二人おれがぶっとばしてやるから安心しろよな」
そう言っては拳を握った。顔を上げて千鶴はくすりと笑う。
は江戸からの道中、こうして千鶴を安心させるような言葉をかけ続けた。千鶴はそれに励まされて、二人で京に辿り着くことが出来たのだ。
「さて、まずは聞きこみか?」
「うん」
よし、と言って千鶴は通りがかりの人物に声をかけた。
「あの、すみません。道をお尋ねしたいんですが」
道を聞くこと数人。
ようやく目的地の家に辿り着いたはよいものの――
「……どうしよう、かな……」
「まさか松本先生が留守とはなあ……」
二人は京にいる医師の松本良順を訪ねることにしていた。「何かあったら松本先生を頼るように」という千鶴の父の教えの通り、京に来て最初に松本を訪ねたのだが、あいにくの留守であった。
「しばらく前から京を離れているだなんて……」
「手紙送ったんじゃなかったのか?」
「でも、京を離れていたなら当然先生は私の手紙を読んでいないだろうし……少し急ぎ過ぎたのかも……」
はあ、と千鶴は溜息をつく。
「でも雪村先生からの返事も待てなかった、だろ?」
「うん……」
千鶴の父であり蘭方医である雪村綱道は、京に仕事に行くと言って家を出たまましばらく江戸に帰って来ていない。千鶴が心配しないようにと、頻繁に手紙を書いて送って来ていた。千鶴が返信するよりも早い速度で送られてきていた手紙に笑っていたものだが、それが突然届かなくなったのだった。
父を心配に思った千鶴が探しに行くと言い、がついていくと言ったのだ。
「大丈夫だって! 地道に探そうぜ!」
「うん、ありがとう」
ぽんと肩を叩き笑うに、千鶴は励まされて笑顔を返した。
日が暮れ始めていた。しんしんと雪が降る。
「雪が降って来たな……」
「泊まる場所を探さないとね」
歩きながら二人は話をする。今度は泊まる場所がないか道を聞かなければならない。
「どのくらいいられるかな」
手に息をかけながら、が言う。
「上手に節約すれば一ヶ月くらいかな……」
「一ヶ月で松本先生が帰ってくればいいけど」
「うん……それに父様が見つかる可能性だってあるし……」
「そうだよな、雪村先生が見つかるのが一番だよな」
だが、手紙が来なくなってから随分と経っている。綱道がまだ京にいるのかもわからないし、何か事件に巻き込まれている可能性も否定できないとは思う。千鶴が心配するため、それを言葉にしたことはなかった。
そんな事を考えながら、暗くなり始めた通りを歩いていた。
「おい、そこの小僧ども」
背後から声をかけられ、二人は振り返る。
浪士が三人。にやにやとしながら二人を見ていた。
「……何か?」
千鶴が問う。
「ガキのくせに、いいもん持ってんじゃねえか。小僧には過ぎたもんだろ?」
浪士が指さした先は、千鶴の腰の小太刀だった。は眉を寄せる。この小太刀は、千鶴の家に代々伝わる大切なものだと聞いている。
「寄越せ。国のために俺たちが使ってやる」
「これは――」
「おっさんたちに渡すにも過ぎたもんだぜ?」
が一歩前に出て、ハッと挑発的な笑みを向けた。それと同時、二人は目を合わせると、反対方向に走り出した。
「あ!? おい、待ちやがれ!」
浪士が追ってくる。見慣れない土地での追いかけっこが始まった。
大通りを駆け抜け、脇道に入り、走り続ける。
「まだ追って来る……!?」
後ろを振り返って千鶴が言う。隣でが溜め息をついた。
「しつけーなあ……おれが相手するか?」
「だめ! まだ京に来たばかりなんだから、問題を起こすわけには……!」
はいはい、と言っては刀を握った手を離した。
細い道に入り込み、民家の陰に板が立てかけられた場所があった。
「ここに隠れよう!」
板の間に身を隠す。小柄な二人の体は隙間に収まった。そうして、浪士が通り過ぎるのを待っていた。
だが――
「あれ?」
「こねーな……」
浪士たちの足音が聞こえなくなった。立ち止まって探しているのだろうかと思った、その時だった。
「ぎゃああああっ!?」
男が叫んだ。
「な、なに……!?」
「なんだ……!?」
反射的に立ち上がろうとした千鶴の肩を、が強く掴んだ。
音を立てないように、二人は陰から様子を伺う。
月明りに反射した刀が視界に入ったのが最初。浅葱色の羽織が翻るのが次に見たものだった。先程まで追いかけてきていた浪人が、浅葱色の羽織の白髪の男たちに斬られていた。白髪の男たちは楽しそうに笑い声を上げながら、浪人たちをめった刺しにしている。
「千鶴」
が小さく呟く。
「千鶴見るな」
だが、千鶴は動けなかった。目の前の光景から目を離せないのはも同じだった。
血が噴き出る。血の臭いが風に乗って流れてくる。
「なんで死なないんだよ!」
「ひ、ひひひ……」
「うぎゃああああ!?」
「ひゃははははは!!」
助けてくれたわけではない。この異常な光景を見て思う。あんな狂った男たちが自分たちを助けるだなんて行動をするはずがない。そうなれば、次に考えなければならないことはわかりきっていた。
「……立てるか?」
が千鶴の耳元で囁いた。
「逃げるぞ。音を立てるな」
板の間から抜け出しながらが言う。こくりと頷いて千鶴が動こうとした時だった。
「あっ……!」
硬直した千鶴の体が立てかけられていた板にあたり、板がバタンと大きな音を立てて倒れた。
音が消えた。そして――目が合う。
赤い目。狂気に染まった、赤い目だ。
「チッ!」
は刀を抜いた。月明りに刃が輝いた。
「おれが囮になる! おまえはその隙に逃げろ!」
「いや、だめ、ちゃん……!」
「立て千鶴! 行け!」
「ちゃん!」
通りに飛び出していくに、千鶴の伸ばした手は届かなかった。
三対一。先程の浪人を相手にする方がまだましだっただろう。何せこいつらは斬っても『死なないらしい』と、先程の浪人たちが叫んでいた。
そんな化け物がいてたまるか。血塗れの刀を受け流し、一人の懐に入り込む。そして思いっきり刀を振るった。
確かな手ごたえ。だが、その男はよろめきすらしなかった。振り上げた刀をに向かって振り下ろす。
間一髪、その刀を避けると、別の男がに刀を向けてきた。
「いっ……!」
刃が頬を掠った。視界に血が飛び散るのが見える。
「ひゃははははは!」
高笑いしながら男が踏み込んでくる。二人同時。かわせない。その瞬間、腕一本の犠牲を覚悟した。右手に刀を持って片方を受け止め、もう一方に左腕を差し出そうとした。
――千鶴と目が合う。
「……チィ!!」
死ねない。死ねない。腕一本だって差し出せない。
この腕は千鶴を守るためにあるのだから。
受け止めた刀を渾身の力で弾き返すと、大きく跳んだ。着物の袖が裂けたが気にしていられなかった。
は迷うのをやめた。
殺す。殺せないのなら、戦力を削る。
そう決意した瞬間、は男の刀を持っていた腕を一本斬り落とした。骨を断つ感覚。無くなった腕の先から血が噴き出した。男が初めて悲鳴を上げた。
「だめだよ、その程度じゃ死なない」
突然の第三者の声に、は一瞬動きを止めた。
瞬間、男の胸から刃が生えた。
足音が増えたと気付いた時には、浅葱色の羽織の男たちは地に倒れようとしているところだった。
は刀を構えた。浅葱色の羽織の男たちを斬ったその男たちも、同じ『浅葱色の羽織』を着ていたからだ。
「あーあ、残念だな……僕一人で始末しちゃうつもりだったのに。一君、こんなときに限って仕事が速いよね」
茶の髪の男が軽い口調で不満を言った。黒い髪の男は静かに息を吐いた。
「俺は務めを果たすべく動いたまでだ。……あんたと違って、俺に戦闘狂の気は無い」
「うわ、ひどい言い草だなあ。まるで僕が戦闘狂みたいだ」
「……否定はしないのか」
「でもさ、あいつらがこの子たちを殺しちゃうまで黙って見てれば、僕たちの手間も省けたんじゃないかな?」
味方ではない。理解する。なぜなら二人とも刀を未だ納めていない。
「さあな。……少なくとも、その判断は俺たちが下すべきものではない」
「ッ!」
もう一人いる! そう察した時には、は千鶴から随分と離れてしまっていた。
「千鶴! 逃げろ!」
「おっと。動かないで。動いたら斬っちゃうから」
が叫ぶが、茶の髪の男が刀を突き付けてきた。軽い口調とは違い、目が笑っていなかった。
千鶴のいる民家の陰に、男が一人立っていた。刀を千鶴に突き付けて。
「……運の無いやつだ。いいか、逃げるなよ。背を向ければ斬る」
千鶴が動かないことと、男が斬りつけないことを願うしかできなかった。千鶴との間には男が三人。駆け寄って身代わりになることも、目の前の男たちを斬り伏せて辿り着くこともできない。
沈黙が続いた。千鶴は動かない。も動かない。
「はあ……」
千鶴に刀を突き付けていた男が、刀を納めた。
「あれ? いいんですか、土方さん。この子たち、さっきの見ちゃったんですよ?」
そう言って、茶の髪の男もに突き付けていた刀を下した。は構えを解かない。
「……いちいち余計なことを喋るんじゃねえよ。下手な話を聞かせちまうと、始末せざるを得なくなるだろうが」
千鶴に刀を突き付けていた、土方と呼ばれた男が言う。
「この子たちを生かしておいても、厄介なことにしかならないと思いますけどね」
「とにかく殺せばいいってもんじゃねえだろ。……こいつらの処分は帰ってから決める」
「俺は副長の判断に賛成です。ここに長く留まれば他の者に見つかるかもしれない」
そう言うと、最初に来た黒髪の男がを見た。
「今この場でおまえたちをどうこうするつもりはない。刀を納めろ」
はしばし迷った後、刀の血を着物の袖で拭い、鞘へと納めた。それを見てから、男たちも刀を納める。
「こうも血に狂うとは……やはり実務に使える代物ではないようです」
「……頭の痛ぇ話だ」
土方が深く息を吐いた。
「つうか、おまえら。土方とか副長とか呼んでんじゃねえよ。伏せろ」
「ええー? 伏せるも何も、この隊服を着てる時点でバレバレだと思いますけど」
は目の前でやりとりされる言葉から情報を得ようと試みる。
土方という男の部下がこの二人。そして、同じ浅葱色の羽織を隊服と呼んだ。仲間割れだったのだろうか。血に狂った殺された男たちは何者だったのだ。
「……死体の処理は如何様に? 肉体的な異常は、特に現れていないようですが」
「羽織だけ脱がせとけ。……あとは監察の方で何とかする」
「承知しました」
「新選組の隊士が斬り殺されてるなんて、僕たちにとっても一大事ですしね」
新選組。言葉が腑に落ちるような感覚があった。江戸にいたの耳にも入っているその名は、幕府預かりの浪士の集まりのことだったと記憶している。またの名を――人斬り集団。
「ま、後はここに居た奴らが黙ってりゃ、世間も勝手に納得してくれるだろうよ」
京とはそういう街だということか、とはとんでもないところに来てしまったのだと思った。浪人同士が斬り合って殺し合っても、何もおかしなことはない。世間は納得する。そんな街だというのか。
「ねえ、ところでさ。助けてあげたのに、お礼のひとつもないの?」
「……は?」
の口から声が漏れた。言ったのは先程から軽口ばかり言っている茶の髪の男だ。
「そんな、助けてあげたのにって……」
千鶴が震える声で反論する。だが、ゆっくりと立ち上がると、頭を下げた。
「あの、ありがとうございました。お礼を言うのが遅くなってすみません。……色々あって、混乱していたもので」
茶の髪の男の口が弧を描き、土方ともう一人は呆れた表情になった。
「千鶴。言わなくていい」
「えっ」
急に笑い声が響く。茶の髪の男が腹を抱えて笑っていた。
「わ、私もおかしいかなとは思いました! でも、この人がお礼を言えと――」
「あ、ごめんごめん。そうだよね、僕が言ったんだもんね」
ひーひーと笑いながら、男は涙を拭った。
「どういたしまして。僕は沖田総司と言います。礼儀正しい子は嫌いじゃないよ?」
そう言うと、沖田はに目を向け、にっこりと微笑んだ。
「こっちの子はお礼言ってくれないけど、君はいい子だね」
フンと鼻を鳴らし、は頬の傷を指さした。
「状況とあんたらの話を聞く限り、おれらは巻き込まれた側だろ。なんで礼を言わなきゃならないんだ」
「ちゃん……!」
「まあいいや。その通りだしね」
沖田は否定しなかった。気分を害した様子もない。相変わらずの軽口で、感情が読めない男だとは思った。
「君を助けたのが斎藤一君。それで、こっちの偉そうなのが――」
「……わざわざ紹介してんじゃねえよ」
指をさした沖田の手を叩き落としながら土方が言う。
「副長。お気持ちはわかりますが、まず移動を」
斎藤が言う。ああ、と土方が低く頷いた。
そして、沖田が千鶴へと手を伸ばした。
「千鶴に手を出すな!!」
ぴたりと全員の動きが止まる。
は刀に手をかけていたが、それは土方と斎藤も同じだった。
「へえ、君この子の護衛か何か?」
沖田は気にせずにそう言うと、千鶴の手を掴み、歩き出した。
「じゃあ、土方さんはこっちの子連れていってくださいね。僕はこの子連れてくんで」
「おい話聞いてんのか! 千鶴に手を出すなって、おい!!」
刀を抜こうとしたの右手を掴む手があった。
「おい騒ぐな。斬られてえのか」
「斬られて死ぬ前に、もっと大声出してここにあんたらがいること知らせてもいいんだぞ」
「……」
土方が苦虫を噛み潰したような顔をした。困るのだろう。恐らく、この事態はたちをはじめ、町人には見られたくはなかったもののはずだからだ。
「副長」
「あいつも悪いようにはしねえから黙ってついて来い」
「チッ」
ぐいと腕を引かれ、は先を歩く沖田と千鶴の後を、土方と共に追いかける形になった。振り返ると、斎藤が死んだ男たちから浅葱色の羽織を回収している。
「ところで――おまえ、その髪は染めてんのか?」
振り返っていたは隣の長身の男を見上げた。その怪訝そうな紫の双眸が何を考えているのかは読み取れなかった。
「違うけど、なに。若白髪だって言いたいのか? あ?」
「いや、違う。なんでもねえ」
灰を被ったような色の短い髪。その珍しい色は、江戸に居た頃も指をさされたものだったが。
「ガキの頃に大怪我して死にかけてからこの色だよ」
「……そうか」
会話はそれだけだった。