たちを港に降ろすと、フェイトはすぐにモリュウへと引き返して行った。それを見送ると、ジョニーの案内で街に入った。そして、誰もが言葉を失った。
 人影が一切なく、さびれた街。モリュウも人こそ少なかったが、外に出ている人間はいた。だが、本当に誰一人見当たらなかった。静かすぎる。ここがアクアヴェイルの首都だというのか。ただ、目につくのは街を冷たく見下ろしている大きな城だ。そこにティベリウスとグレバムがいるのだろう。
 首都の有様に、誰も言葉を発しなかった。モリュウと同じように街中には水路が張り巡らされている。本来ならばとても綺麗な街なのだろう。ジョニーが言うには、街には戒厳令が発せられているらしい。そのため、店も何もかもが固く門を閉ざしているのだ。逆らった者は有無を言わさず殺される。
 ジョニーが呆然としながら街を見ているを見つけた。


「ん? なに。心配してくれてんの?」

 小さく声をかけられて、隣に来たジョニーに笑みを返した。

「大丈夫だよ。ただ、四年でここまで変わっちゃうんだなって思っただけ」

 僅かに寂しげにが言う。かける言葉が見つからず、ジョニーは言葉の代わりにの頭に手を載せた。はそれを見上げると、ぷっと噴き出して、ジョニーの背中を思いっきりバシンと叩いた。音が聞こえて仲間たちが振り返ると、痛そうに背中を押さえているジョニーと、笑顔のがいた。

「トウケイ城にはどうやっていくの?」

 が誰に言うでもなく問いかけた。

「回りくどいのはやめた。正面から乗り込もう」
「ちょっと、それで大丈夫なの?」

 驚くルーティに、背中をさすりながらジョニーは笑って頷いた。

「モリュウでのあんたらの動き、正直俺の予想以上だったよ。何も心配しちゃいないさ。……ただ、トウケイの軍隊はモリュウやシデンとは比べものにならねえ。ティベリウスの野郎直属の暗殺集団もいるって噂だ。ティベリウス自身も武王と称されるほどの達人。勝つのは容易じゃない」
「フン。どのみち僕らの敵ではない」
「やつを甘く見るな。死ぬぞ」

 くだらないと言うリオンに、ジョニーが真剣な顔つきで言った。

「大丈夫! 今までだって何とかなったんだ! 今回だって何とかなるさ!」

 スタンがぐっと拳を握った。

「そうですわ。皆さんで力を合わせて、グレバムとティベリウスの企みを止めましょう!」

 フィリアもはっきりとそう言った。バティスタの件もあった後だが、何とか立ち直ったようだった。
 人が誰もいないため、堂々とメインストリートを歩いて城へ向かう。ふと、リオンがに目を向けた。

「おい、
「なに?」

 横に並んで声をかけると、は首を傾げた。その表情はいつも通りに見えるが、空気が違った。ピリピリしている。それはアクアヴェイルに着いてからずっとだが、トウケイに来てから今までに増して神経を尖らせているようにリオンは感じた。息を吐いて、へ向けていた視線を前へと向ける。

「何を考えているのかは知らないが、迷いがあるなら残れ。邪魔だ」

 そんなリオンの言葉には目を丸くし、苦笑した。

『坊ちゃん! そんな言い方って……』
「大丈夫。迷いなんてない」

 言い方が酷いと言いたいシャルティエの言葉を遮って、がしっかりとした口調で言う。その口調に、リオンが横目でを見る。

「迷いなんてないよ」

 正面を見ているの横顔は、無理に取り繕ったいつもの表情ではない。決意したように、まっすぐに前を見るその横顔は、実は初めて見るのではないかとリオンは思った。それが何を意味するのかはわからない。

「……そうか」

 後で聞けばいい。そう思い、リオンも一言だけ答えて視線を戻した。

「ありがと。心配してくれて」
「別に心配なんてしていない。足手まといがこれ以上増えたら困ると言っているだけだ」
「はいはい、気を付けます」

 早足になって先を行くリオンの背を、苦笑しながらが見る。そして、前を歩く皆の背を見渡して、腰に提げているリィドをぎゅっと握った。

「迷いは、ない」

 自分に言い聞かせるように、繰り返した。
 城門は開いたままだった。まるで入ってくださいと言わんばかりの待遇に、皆の神経が尖る。舐められたものだ、とジョニーは忌々し気に言うと城へと足を踏み入れた。内部はモリュウと似たアクアヴェイル特有の構造だった。

「で、ティベリウスは一体どこにいるんだ?」

 城に入るなり、スタンが言った。誰もトウケイ城には入ったことなどないはずだ。どちらへ行けばいいのか。

「あ! ちょっと! 勝手に進んでいくんじゃないわよ!」

 リオンたちが考えていると、ルーティの声が聞こえた。顔を上げるとがすたすたと先を歩いて行っている。そしてあっさりと奥の部屋へと進んで行った。

「また迷子になるかもな」

 あまりに唐突な行動に唖然としていると、マリーが一言呟いた。来たこともない城の中で迷子。洒落にならない。

「あーもう! ってば!」

 の後を、ルーティを先頭にして追って行く。奥の部屋へ、そして廊下へと進むとはあっさりと見つかった。黙々と迷うことなく歩いている。

「ちょっと! !」

 ルーティが腹立たし気に叫ぶ。だが、は立ち止まらない。ついにルーティがに追いついて、がっしりとその肩を掴んだ。

! 待ちなさいって――」

 その先の言葉は続かなかった。振り向いたがルーティにリィドを突き付けていた。その表情は無表情。他の仲間たちもその光景に凍り付く。

「な、なによ……」
「なにって? 見たままでしょ?」

 にやりと口元をあげ、は言う。
「あんたたちをティベリウス大王のところまで行かせるわけにはいかないの」

「なっ!?」
「なに言ってんのよ!」

 あっさりと言ってのけるの言葉に、誰も理解が追いつかない。だが、考える間をは与えはしなかった。

「てなわけだから」

 浮かべていた笑みを消し去る。

「死んで?」

 無機質な声でそう言うと、は床を蹴った。その速さたるや。ルーティは慌ててリィドを避ける。

「どうしちゃったんだよ、!」

 スタンの言葉に、は聞く耳を持たない。慌ててディムロスで応戦するが、相手が。身が入らない。頬をリィドが掠った。

さん! やめてください!」

 フィリアが悲痛に叫ぶ。マリーも剣を構えたはいいが、どうすればいいのかわからず戸惑っている。

「退け!」

 舌打ちしたリオンがスタンを退けて前へ出る。

「リオン! やめろよ! だぞ!」
「うるさい! 操られている可能性だってあるだろう!」

 肩を掴んで来るスタンを振り払い、リオンはシャルティエを抜く。認めるものか。がアクアヴェイルのスパイで、ずっとセインガルドで暮らしていてこの日を待っていただなんて。怖いほどの冷たい笑みを浮かべて、がリィドを振るう。それをリオンがシャルティエで受け止める。
 たった一太刀、受け止めただけだった。リオンは目を瞠る。

「……貴様、何者だ?」

 すぐに冷たく目の前のを睨みつける。力で押してくるを何とか弾き返す。リオンから距離をとって、が再び構えた。

「これで終わり。覚悟しなよ?」
「あんたがね」

 の表情が凍った。そしてが振り返る間も無く、何者かがを背後から斬りつけた。

「ぐあっ!」

 が斬られた。スタンが駆け寄ろうとするが、リオンがそれを片手で制した。そしてくだらないと言いたげにため息をつくと、シャルティエを鞘にしまった。血を流し、膝から崩れ落ちるの後ろに立っていたのは――

「え?」

 血のついたリィド片手に、呆れた表情で立っているだった。

「後ろに誰もいないと思ったら……」

 何してんの、とが目を細める。仲間たちは呆然と二人のを見比べる。

さんが……二人?」

 戸惑ったようにフィリアが二人を交互に指差した。が肩を落とす。

「こいつニセモノ」

 立ち上がろうとする偽の背を踏みつけ、再び床に伏せさせる。下から殺気のこもった目で睨まれるが、それをは冷たい視線で返し、目の前にリィドを突き立てた。そうしてようやく偽は大人しくなった。

「ていうか、誰も気づかなかったの?」
「あはは……ごめんごめん」
「僕は気付いたぞ」
「ええ!?」

 何でもないように言うリオンに、スタンが驚いた。意外な人物からのその言葉にも一瞬目を丸くするが、すぐににこりと微笑んだ。

「さすが。普段から手合わせしてるだけあるね」
「当然だ。お前の癖くらい把握している。それにシャルとぶつかった音も重さもリィドのものとは違ったしな」
『そりゃ、材質が材質だしな』
『その辺の剣とは違うもんね』

 話しながら先へ進むリオンを、も突き刺したリィドを抜き、偽を蹴とばして後に続く。呆然としている仲間たちもすぐに後を追った。後についていきながら、ジョニーはとリオンの背を見てひとり微笑んだ。
 奥へ進むと、他の部屋と比べても一段と広い部屋があった。

「随分とたくさん扉があるな」

 マリーが部屋を見回して言った。本当にたくさんの扉がある。すべての扉には何か動物の絵が描いてあり、全部で十二の扉があるようだ。

「とりあえず、どれか通ってみようか」

 言うなり、スタンが歩いて行く。そして、近くにあった兎の絵柄の扉へと入っていく。扉は自然と閉まる。

「あれ?」

 すぐ後ろから声が聞こえ、全員が今自分達が開けてきた扉を見る。そこに立っていたのは口をあんぐりと開けたスタンだ。

「スタンさん?」
「あんた、さっきあっちのドア通ったじゃない!?」
「え、え!? なんで!?」

 確かにさっきあの扉を通ったはずだ。だが、何故違う扉から出てくるのだろうか。

「ここでもからくりか」

 面倒だと言わんばかりに顔を顰めるのはリオンだ。ふむ、とが扉を見回す。

、わかるか?』
「んー……空間いじったのかな。やつの好きそうな術だ」

 リィドとがそう会話するのを、不思議そうに聞いていたフィリアが首を傾げる。やつ? 誰のことを言っているのだろう。

「扉が十二。しかも動物の絵が描かれていると来たもんだ」

 さて、とジョニーが独り言のように説明した。

「絵が描かれているからには、何か意味があるのだろうな。だが、何の関連があるのか……」

 腕を組み、片手を顎に添えてリオンも呟く。描かれている動物は、竜、虎、鶏、猿、兎、馬、羊、牛、犬、ネズミ、猪、蛇の十二種類。十二種類ある動物――

「あ」

 が声をあげる。

、もしかしてわかったのか!?」
「ちょ、ちょっと待って。焦らせないで。ネズミでしょ? んで、牛で……」

 肩をスタンに掴まれながら、は眉を顰めてぶつぶつと呟きながらドアを指差す。そして突然にやりと笑みを浮かべた。

「わかったー! ふははは! これで馬鹿の汚名挽回だい!」

 ガッツポーズする。数人が、は? という顔をした。

「謎が解けたのはいいが、とりあえず汚名を挽回するあたりで馬鹿の代名詞を拭い去るには程遠いな」
『挽回してどうすんだよ。返上しろよ』

 リオンとリィドにツッコミを入れられて、は固まった。だが、すぐにゴホンと咳払いする。

「言ったよ? 汚名返上って言ったよ? 聞き間違いじゃないデスカー?」
「わかったから。で、謎解けたんでしょ? 説明してよ」

 ルーティがの頭を小突いた。は一つため息をつくと、顔を上げた。

「これ、干支だよ。子、丑、寅――ってやつ」
「干支?」
「おいおい、マジかい」

 疑問詞を浮かべる仲間のうち、リオンとジョニーだけが眉を寄せた。不思議そうにしているスタンたちを放っておいて、がネズミの絵の扉へと歩いて行く。そして、が扉の中に消えると、案の定最初に来た扉から出てくる。だが、スタンの時と違ったのは、の入ったネズミの扉が光っていることだ。

「さっきはあんな反応ありませんでしたわ」

 フィリアが驚いて目を瞠る。

「じゃあ、残りスタン行ってみよー。次、牛ね」

 面倒になったのか、がスタンに指示する。最初は渋ったが、仕方なくスタンは言われた通りに牛の扉を通る。次々にの指示通りにスタンが扉を開けては、背後に戻って来るというのを繰り返した。

「干支って何よ?」
「アクアヴェイルの時間の数え方だろ?」

 ルーティがジョニーに問いかけたのだが、代わりにリオンが答えた。

「ほお、良く知ってるな。方角にも使うし、年を数えるのにも使うな」

 感心したように言うジョニーに、文献で読んだことがあるんだとリオンは言った。そんな雑談をしている間に、犬の扉を通ったスタンが帰って来た。

「で、最後は――」

 は歩いて行くと、大きな音をさせて猪の扉を蹴破った。今度は部屋の入口に戻されることはなかった。廊下が先に続いている。その奥から微かに話し声が聞こえて、は眉を寄せる。

?」
「いるよ。奥」

 廊下の突き当りに見える扉を睨む。それを聞いて皆が剣を握った。

も右手でリィドを握る。目を閉じて、深く息を吸い、そして吐き出す。いつになく心臓の鼓動が大きく聞こえる。は左手で右手のサポーターに触れる。

「――……」
「おい、どうした?」

 一番最初に扉を蹴破ったはずのがついて来ないことに気が付いて、リオンが怪訝そうに振り向く。立ち止まったまま俯いていたは、リオンの声に顔を上げて歩き出した。

「んー……精神統一?」
「……あまり無駄なことはするな」
「どういう意味さー」

 がついて来るのを確認すると、リオンはさっさと背を向けて歩き出す。ティベリウスとグレバムがいるであろう扉の前には、既にジョニーやスタンたちが中の様子を伺おうと息を潜めている。そんな彼らを少し離れて見ているは、一瞬だけ、寂しそうに笑った。

「ごめんなさい、母さん」

 小さく呟いていたのは、謝罪の言葉。
 誰よりも誰よりも愛しかった人へ。
 誰よりも誰よりも傍にいて欲しかった人へ。――私は今日、人を殺めます。
 が追いついて、扉の前に全員が揃う。全員がさっと顔を見合わせ、ジョニーが一つ息を吐くと、その扉を勢いよく開け放った。中にいたのは、神官服の男と、がたいの良い男の二人。そして、側近らしき者が二人いた。

「グレバム!」

 フィリアが叫ぶ。神官服の男が一瞬目を見開くが、すぐににやりと笑みを浮かべた。

「フィリアか……それに、セインガルドのやつらだな?」

 リオンは二人に真っ直ぐにシャルティエを向けた。

「僕らはセインガルド王の命によって、神の眼の奪還を任ぜられた者だ。大人しく神の眼を渡せ。抵抗する場合は容赦しない」

 現れた子供にグレバムとティベリウスは驚いた。改めて見て、子供ばかりであると気が付いたのだろう。二人は笑みを浮かべる。

「ティベリウス大王。彼らを」
「わかっている」

 そう言うと、グレバムが後ろへと下がった。リオンがシャルティエを二人に向けたままだ。
 その横を、が通り抜けた。

「おい、!?」

 ジョニーが慌てて名前を呼ぶ。は止まらなかった。の姿を見て、ティベリウスが目を見開いた。

「ほう……もしかしてか?」

 そう言うティベリウスにが頷く。仲間たちは目を瞠った。何故ティベリウスがの名を知っている? リオンよりも前に出ると、は一つ息を吐き、そしてティベリウスを睨みつけた。

「お久しぶりです、父上。四年ぶりですね」
「!?」

 全員が息を呑んだ。ジョニーが眉を寄せての背を見た。仲間たち全員の思考が追いつかないうちに、二人の会話は続く。

「死んだと思っていたが、まさかセインガルドの剣士になっているとはな」

 ティベリウスが笑いながら言う。シャルティエの剣先が揺れているのがの視界に入った。少し振り向くと、驚愕に目を見開いているリオンの表情が見えた。は一瞬目を伏せ、再びティベリウスを睨みつけた。

「それで? 四年ぶりの親子の再会なわけだが……何をしに来た?」

 ティベリウスの目がすっと冷たくなる。は怯まない。一直線にティベリウスだけを睨んでいる。そして、右手でリィドを握った。ふっと息を吐いて目を伏せ、自分を落ち着ける。
 大丈夫。迷いなんてない。
 心を決めて、リィドを抜いた。

「あんたを殺しに」

 黒い刃が、まっすぐにティベリウスに向けられた。ティベリウスを睨む黒い瞳は、いつもとは違う冷たい色を宿していた。

「うそ、でしょ……? あいつが……ティベリウスがの父親!?」

 ルーティの顔は青かった。だって、酷い暴君だと言っていたじゃないか。独裁者だと言っていたじゃないか。街をあんな酷い状態にしたのもティベリウスだと言っていたじゃないか。そんな男の子供が、だと言うのか?

。お前が何を不満に思っているのか理解に苦しむ」

 人を見下すような目で、ティベリウスはを見た。

「街を治めるには時に武力を用いることだって必要。そのための犠牲だ。何を不満に思う」
「何が街を治めるためだ、ふざけるな! エレノアのことはどう説明するつもりだ!?」

 ジョニーが声を荒げて叫ぶ。

「シデン家の三男坊か。息子の嫁が逃げ出した。それに制裁を与えただけであろう?」
「テメェ……! エレノアは元々……!」

 フェイトの妻だったのに。あまりの怒りに言葉が続かない。血が出んばかりに握る拳は白くなり、小さく震えていた。ティベリウスはそれさえも可笑しそうに見ると、再びへと目を戻した。

! 何で黙ってたんだよ!」
「そうよ! あいつがあんたの父親だなんて……」
「ごめん」

 スタンとルーティの言葉を遮って、が一言だけ返した。

「文句も罵りも全部後で聞く」

 淡々というに、スタンもルーティも口を閉じた。そして皆は眉を寄せる。
 それじゃ、まるで――

「だから、今はごめん」

 まるで、罵声を浴びせられることを前提としているみたいじゃないか。
 視線をティベリウスから外すことなく、は言った。抑揚のない謝罪の言葉。瞳の奥に燃えているのは紛れもない殺意。いつも戦闘では致命傷を与えることさえ避けていた。そんな彼女が、実の父親を殺すと宣言した。
 いつの間にかシャルティエを下げていたリオンは、言葉もなくとティベリウスを見ていた。
 はまさかアクアヴェイルのスパイだったのか? そんな不安が頭を過ぎる。こうやってティベリウスに剣を向けているのも演技なのではないか?

「一応聞いておこう。。また俺の元へ帰って来る気はないか?」

 ティベリウスがに手を伸ばした。

「ふざけるな。私はあんたを殺すために……強くなるために国を出たんだ。それなのに、帰って来る気は無いかって?」

 そして吐き捨てるように。

「あるわけがないじゃない」

 が今まで以上に殺意を込めた目でティベリウスを睨んだ。ティベリウスは笑いながら、手を下した。

「そうか。それじゃあ、心置きなくお前たちを殺せるわけだな」

 言いながら、右手の指をパチンと鳴らした。すると、目にもとまらぬ速さでの周囲を忍びが囲んだ。が小さく舌打ちする。モリュウにいた忍びとは空気が違うと、何人かが気が付く。

「また忍びかよ!」

 スタンが嫌そうに声をあげる。モリュウでも手古摺ったものを、また相手にしなければならないとは。

「ティベリウス直属の暗殺集団だよ」

 忌々し気にが言う。

「はは、マジでいやがったとはな」

 おかしくも無いのに笑いがこみ上げる。それぞれが無言で剣を構えた。

「気を付けて。モリュウにいたのとはレベルが違う。気を抜いたら首が飛ぶよ」

 の忠告が響く。

「殺れ」

 ティベリウスの声と同時に、忍びたちが床を蹴った。音も無く忍びが攻撃を仕掛けて来た。モリュウにいた忍びとは違うと、瞬間的に理解する。
 それらの攻撃を難なくかわすと、は床を強く蹴って駆け出した。! と背後で名を呼んだのは誰だっただろう。そんな声に気が付かずに、は両手でリィドを構える。そのままスピードを落とさずに力いっぱいリィドを振り下ろした。鋼がぶつかり合う音が響く。斬りかかったは、刃を止められたことに驚くこともなく相手を睨んだ。一方のティベリウスは、にやりと愉快そうに口元をあげた。

「ほう? ここまで剣が重くなっているとは。四年間遊んでいたわけではなさそうだな」

 面白い、と呟くティベリウスに対し、は何も言い返さない。お互いに剣を弾き返して間合いを取る。
 ティベリウスの構えている刀。僅かに紫色を帯びたその刃。はその刀を知っている。その見事な業物の名前は『紫電』。数年前、ジョニーの父から玉座と共に奪い取った刀だ。
 再びが間合いを詰める。何度も攻撃を仕掛けるが、すべてティベリウスに止められる。いくらが力を込めても、大人の男に敵うはずがない。だからこそ、は力でねじ伏せようとはせずにスピードで勝負しようとしていた。足ならば、ティベリウスよりも速い自信がある。は攻め続けた。
 背後でスタンたちも忍びと戦っている。その強さを相手にして余裕がないながらも、やはりのことが気になっていた。ティベリウスと斬り合う姿を垣間見ては、忍びの攻撃を間一髪で避けている。そんな行動を取っているのはスタンやルーティたちだけではなかった。シャルティエで斬りつけた隙に、リオンはに目を向ける。あの剣の動きに演技の様子は見られない。今までに見られなかった程の攻撃的なの剣に顔を顰め、飛んできたクナイをシャルティエで払った。
 とティベリウスの攻防は続いていた。ティベリウスの剣は時折の頬や腕を掠め、そこに細く赤い線を引く。軽量である刀は切り返しが早い。一方男物の剣であるリィドを持っているは、その点に関して分が悪い。僅かにティベリウスに掠りはするものの、ほとんど当たっていないに近かった。四年間遊んでいたわけではないのに。埋められない力の差に苛立ちが募る。
 そんな時、突然ティベリウスがから間合いをあけて刀を鞘に納めた。何事かと、は眉を寄せる。なぜ今納刀するのか。だが、あのティベリウスがわざわざ隙を見せるはずもない。警戒していると、ティベリウスが刀に手をかけたままにやりとを見た。
 突如、の背筋に悪寒が走った。体を駆け巡った言い知れぬ冷たさ。
 恐怖。
 が感じたのは間違いなくそれだった。自分の記憶が警鐘を鳴らす。――あの構え、幼い頃に何度か見たことはなかったか?
 そう思った瞬間、はその場から大きく後ろへと跳んだ。
 一秒にも満たないほんの一瞬。
 ティベリウスは今までのいた場所にまで間合いを詰め、刀を奔らせていた。そしてその次の太刀も続けざまに奔らせる。一太刀目は避けたものの、避けきれなかった二撃目の刀がの太腿を斬り裂いた。

「ほお? よく避けたな」

 血を飛ばすように刀を振る。その表情は、まだ余裕がありそうなものだ。
 離れて着地すると、は思いのほか痛んだ足に顔を歪めた。
 一瞬で足を運び、刃を鞘から抜き放ち斬る。抜刀術。またの名を居合といったか。まだ無理だろうと言って、には教えてくれなかった技だ。
 生ぬるい液体が足を流れる感覚が僅かにする。傷口の痛みは消えた。麻痺している。わざわざ見なくとも、傷口が浅くは無いことは容易に想像できた。は内心舌打ちする。足をやられて、ティベリウスのスピードについていける自信は正直言って無い。忌むべき存在であったとしても、相手の強さがはったりではない事は重々承知していた。幸い負傷したのは左足のみだ。しかも感覚が麻痺している間に動かなければ、痛みが戻ってくれば歩くどころではなくなってしまうだろう。

『現時点からの勝算は?』

 リィドが小さく問いかける。

「根性」
『あのな……』

 はっきりと言い放ったに、リィドはため息をついた。だが、実際問題、力はあちらの方が上だった。スピードは僅かに勝っていたが、足を負傷した今、それも望めない。ティベリウスもこちらの様子見をしているのか、動く様子はない。の怪我の進行を待っているのかもしれない。もう勝利を確信しているのだろう。は歯を噛む。今からの勝算は――

「……そういえば、リィド。覚えてる?」

 ふと、が問う。

『何を?』
「昔、私がやろうとしてぶっ倒れた技」

 リィドが聞き返す間もなく、はリィドをしっかりと握り直した。

『……?』

 返事は無い。リィドを握るその手に力が入る。詠唱は無いが、は確かに晶術を放とうとしている。だが、何かがいつもと違う。
 リィドははっと気が付いた。これはがアクアヴェイルを出てそう月日が経っていない頃、リィドが教えたものだ。体に負荷がかかるため、当時のでは扱うことができなかった。
 突如変わったの空気に、ティベリウスが身構えた。の周りに晶力が渦巻いた。だが、それは晶術としては放たれない。高まった晶力はリィドの周りを渦巻いたまま。晶術を放つ時以上にリィドが輝き出す。まるで光の晶術が取り巻いているように。
 は床を力いっぱい蹴った。足から血が迸ったが気にしなかった。
 この一撃が、最初で、最後だ。
 光る剣を持つに驚きながらも、ティベリウスは刀を構えた。例え光っていたとしても、剣を変えたわけでなければの力があがったわけでもない。そう踏んで、刀を構える。

「斬光剣!」

 ティベリウスが刀を奔らせると同時、衝撃波のように刀から光が発せられる。それと同時、もリィドを振り下ろした。

「裂光閃!」

 の声と同時に、リィドからティベリウスのそれよりも遥かに眩い衝撃波が放たれた。斬光剣とは比にならない程の眩い刃は、ティベリウスの生んだ光の刃を難なく弾いた。驚いたティベリウスが再び構える方が速いか、はたまたが間合いを詰める方が速いか。
 一太刀、剣が交わる音が響いた。
 その音はこれまで聞こえた音の中で一番激しい音だった。
 一瞬でとティベリウスの場所が入れ替わっていた。お互いに背を向けたまま、沈黙が流れる。
 先に動いたのはティベリウスだった。

よ……」

 にやりと、愉快そうに口元を上げる。

「……強く、なったな」

 口の端から、血が流れた。
 そして、ついに武王と呼ばれたその男は膝をついた。折れた紫電を投げ出して。
 ふっとが晶力を消した。振り向いて、跪く父親を冷たい目で見下ろした。

「……いつまでも昔の私と思うな」

 僅かに掠れたその声に、感情豊かないつものは感じられなかった。無感情に言い放つその言葉が、やけに響いた。いつの間にか忍びをすべて倒し終わった仲間たちも、呆気にとられた表情でを見ている。

が……ティベリウスに勝った……?」

 信じられないといった口調でジョニーが呟いた。
 確かに、目の前に跪いているのは、国中を恐怖に陥れた男、ティベリウス=トウケイに間違いなかった。体中から血を流している。しかも、強固につくられた刀まで折られて。それを、僅か十六の少女がやったというのか。
 急に脱力感を覚えて、は慌ててリィドを床に突き刺し体を支えた。左足に痛みが戻って来た。頭はガンガンと響くように痛い。膝が震える。

!」

 その光景を見たスタンが慌てて寄って来る。そして、すぐにの体を支えた。

「大丈夫か!?」

 ふらつくを支えながら、スタンが問いかける。

「……しんどい」

 一言だけ、疲れたような声が返ってきた。そしてほっとする。いつものの声だ。
 ルーティが急いで駆けつけて、回復晶術を施していく。晶術といっても完全に傷が治るわけではない。とりあえず左足の止血だけすると、は笑顔で礼を言った。そんな笑顔に思わず安堵の息を吐く。なんてことない、いつものの笑顔なのに。
 止血しただけで、失った血液も疲労感も消えはしない。しんどそうに目を細めるに、ジョニーが心配そうに声をかけるが、はひらひらと手を振って再びリィドを握った。
 そして、肩で息をして苦しそうなティベリウスの首元にリィドを突き付けた。
 一度目を閉じる。
 再び目を開いた時、その瞳に映っていたのは再び冷たい色だ。

「エレノアに……ジョニーに、フェイトに……いや、アクアヴェイルの全国民に死んで詫びろ」

 感情の起伏の無い声に、フィリアは身を強張らせた。この少女が本当に、昨日自分を慰めてくれた彼女なのか? 目の前で人が死んでしまえば悲しいし泣きたくなると。敵だったとしても泣いてもいいよと。そう言ってくれた彼女が、実の父親をその手で殺そうとしている。
 その時、突然外から何かの大きな鳴き声が聞こえた。弾かれたように窓の外を見やる。窓の外を飛行竜が飛んで行った。飛行竜はセインガルドの持ち物だ。先日、墜落した時に発見できなかったのか? 誰が乗っていたのかは考えずともわかる。

「まさか、グレバム!?」
「神の眼も持っていかれてるんじゃ……!?」
「ていうか、絶対持ってってるわよ! 逃げられたわ!」

 折角追い詰めたのに、目先で逃げられてしまった。

「グレバムはどこに逃げた?」

 リオンが問いかける。苦しそうにするティベリウスがゆっくりと口を開いた。

「知らん……と言いたいところだが、もはや俺には関係ない……奴はファンダリアだ」
「ファンダリアだと?」
「ふふふふ……謀られたわ。奴め、端から俺を捨石にするつもりだったか」

 自嘲するようにティベリウスは笑った。その様子を見て、とジョニーが顔を顰める。

「あんたみたいなのがアクアヴェイルの王……」
「親父を蹴落としてその程度とはな……失望したぜ」

 前大王から玉座を奪うような男が。国中を恐怖に陥れようとした男が。たかが神官に駒として使われ、捨てられたというのか。それだけの愚行をやっておきながら、その程度にしか扱われなかった。とジョニーにとっては、それは失望以外の何物でもない。

「何とでも言うがいい。やつの神の眼の力を利用してやるつもりだったが……フッ、利用されたのは俺の方だったというわけか」

 睨みつけてくるとジョニーを見て、それから再び口元をあげた。諦めたような口調だった。

「セインガルド侵攻なんて夢物語に踊らされやがって」

 ギリとジョニーが奥歯を噛み締める。くだらない、というような言葉にティベリウスは片眉を上げた。

「夢物語? 違うな」
「なに?」

 不審そうにリオンが聞き返す。ティベリウスはリオンを見上げ、ニヤリと笑う。

「これは近い将来にやってくる現実だ。暴走する悪魔を止められるか? セインガルドの少年剣士よ」

 リオンの目が見開かれる。だが、リオンが次の動作に移る前に、はティベリウスの首にリィドを突き付けていた。

「お喋りはそこまで。あんたはここで死ぬ。全国民に詫びてね」
!」

 言い放つに、スタンが手を伸ばそうとした。だが、が冷たい目で睨んできたため、その手はその場で止まった。
 確かにはティベリウスを殺すために国を出たのかもしれない。それでもにとってこの男は実の父親のはずなのだ。彼女の私情に口を挟んでいいのかもわからない。何が正しいのかもわからない。だが、今まで旅してきた中で、が目の前で死んだり怪我を負ったりする人を、どんな表情で見て来たかを知っている。ただやめてほしいと、スタンはそう思った。

「く……ははは……」

 ティベリウスが突然声をあげて嗤いだす。

「自分は善人気取りか、よ……」

 が眉を寄せる。ティベリウスは続けた。

「散々俺のやり方が気に食わないと豪語しておきながら、結局はお前も同じではないか」
「なに……?」
「俺と同じように、相手を殺すことで解決しようとしている。俺がやって来たことと何の変わりがある?」

 ぴくりと、小さくリィドの剣先が揺らいだ。それはの僅かばかりの動揺。見透かすような目でを見るティベリウスは、もう一度口元を上げた。

「変わりはない……お前も俺と同じだ。……お前は俺の娘だからな」
「……ッ!」

 はかっと頭に血が上ったように顔を歪めた。そして、突き付けていたリィドを、ティベリウスの心臓に勢いよく突き刺した。

「ガハッ!」

 ティベリウスが血を吐く。の行動を止める間はなかった。皆が息を呑む。

「私はあんたの娘じゃない!」

 が叫んだ。今にも泣きだしそうな声で。リィドを握っている両手が僅かに震えている。

「私は、マリア=……母さんの娘だ」

 静かにそう言った時。既にティベリウスの耳に、その言葉は聞こえていなかった。
 沈黙が訪れた。誰一人として、動ける者がいなかった。
 だが、突然、勢いよく開いた扉の音で全員の意識は引き戻された。

「ジョニー! ! 無事か!?」

 扉の方を見ると、そこにいたのはフェイトだった。焦ったような表情で部屋の中を見て、倒れている何人もの忍びに目を向けた。

「よう。遅かったな」

 いつもの道化ではない。落ち着いた声で、ジョニーが言った。言われて、フェイトは視線を忍びからジョニーに移す。

「奴は……」

 フェイトが言うと、ジョニーは何も言わずに視線だけを向けた。そこで、やっと止まったままだったが動き出した。ティベリウスの胸を貫通しているリィドを静かに引き抜く。大量の血飛沫を噴いて、ティベリウスは倒れる。それを感情の無い目で見下ろし、リィドを持った手を下げた。リィドから血が滴る。

「まさか…………?」

 信じられないといった口調でフェイトが言う。は何も答えない。
 開け放たれたままの扉の向こうから、足音が聞こえて来た。慌てて走って来ているような音は、この部屋に入って来て止まった。

「父上!」

 足音の主が姿を現す。二十代に見える黒髪の青年が、肩で息をして立っていた。

「アレス……!」

 ジョニーが忌々し気に叫んだ。アレスはティベリウスの息子……の兄だった。部屋の中に倒れている忍びが、自分の家の暗殺集団だと認識すると、アレスは顔を上げた。そして、こちらを冷めた目で見ている少女に見覚えがある事に気が付いた。

「……、か?」
「……兄上」

 が小さく呟いた。
 そして、アレスは他国の人間たちの向こうに、父親が血を流して倒れているのを見つけた。

「父上!」

 だけが剣を抜いていることに気が付く。そして、その剣から血が滴っていることにも。

「父上は死にました。私が殺しました」

 アレスが状況を判断する前に、が抑揚のない声で言った。状況をすべて理解したアレスは、腰の刀を抜きながら怒りを露わに近づいて来る。

「父親に手をかけるとは! お前は自分が何をしたかわかっているのか!?」

 アレスが怒鳴る。仲間たちが剣に手を掛けようとするが、が左手でそれを制した。

「わかっています。私はアクアヴェイルの大王であり、トウケイの領主であり、自分の父であるティベリウスを殺しました」

 がリィドを振って血を飛ばす。半円を描くように、ティベリウスの血が飛び散った。

「我が妹とて、その愚行! 許すわけにはいかないぞ! 死を持って償え!」

 アレスが床を蹴った。が一瞬遅れて床を蹴る。だが、の方が速かった。否、遅すぎた。アレスが刀を振り下ろす直前に、はその懐に足を運んでいた。刀を振り上げたままの状態で、アレスの脇腹からは血が噴き出した。

「まさ、か……」

 そのほんの一瞬の出来事に、アレスは驚きで目を見開いたまま、その場に膝から崩れ落ちた。

「殺さないよ。一日に二人も手にかけたくないから」

 アレスは血こそ大量に出ているが、傷は大きくは無い。ジョニーとフェイトが顔を顰めてとアレスのやり取りを見ていた。

「フェイト。ごめん。後任せた」

 は血のついたリィドを持ったまま、部屋を出て行った。