バティスタが倒れたと知ると、街を荒らしていた兵士は皆船に乗って一目散にトウケイ領へと逃げて行った。グレバムやティベリウスが回して来た兵士だったのだろう。
 セインガルドからやってきた剣士一行が街を救ったと聞きつけ、心配していた街の人々が次々に城を訪れた。そして、フェイトの無事を祝い、前領主ジノの死を悲しんだ。男たちが酒を持ち込み、城の中は宴会状態だった。

「よかったなあ、フェイト坊ちゃん! この国どうなることかと思ったよ!」

 酔った男たちが揃ってフェイトに絡む。街の人々にも気軽に声をかけられるというところから、前領主やフェイトの人望は厚いのだろうことがわかる。

「おい、お前ら。フェイトはまだ体力戻ってないんだぞ。わかってんのか?」
「おっと、そうだったそうだった。じゃあ、ジョニー坊! 飲め!」

 数日間牢に幽閉されていたフェイトが苦笑しながら男たちと話をしている。ジョニーもまだやることがあるからと酒を断った。離れたところで静かに料理を食べているのはスタンたちだ。モリュウの人々が賑やかに騒いでいるのを、遠目に見ている。

「いやあ、まさかセインガルドから来た人たちに助けられるとはなあ!」
「そっちの兄ちゃん! ほら、飲めよ! 飲め飲め!」
「え!? いや、俺まだ未成年なんで!」

 酔っぱらった男が酒を片手に近寄って来た。だが、スタンはまだ未成年だ。手を振って断る。男たちは大声で笑い、肩を組みながらいなくなっていった。それを眩暈のする思いで見送る。

「こんなに賑やかだったのね、モリュウの人たちって」
「ああ。全部バティスタが来たせいだったんだな」

 呆れながら言うルーティに、スタンが頷いた。すると、人の輪を抜けてフェイトがやってきた。

「皆さん、本当にありがとうございました。何とお礼を言っていいか……」

 フェイトがこうして頭を下げに来るのは、何度目になるかわからない。

「いえ、いいんですよ。ご無事で良かったです」
「そうよ、いいのよ、ぜーんぜん。まあ、謝礼でもくれるっていうなら遠慮しないけど?」
「ルーティ!」
「がめつい女め……」

 にやりと笑いながら言うルーティを諫めるようにスタンが名を呼び、リオンが嫌そうに眉を寄せた。フェイトが申し訳なさそうに苦笑する。

「そうしたいのは山々なのですが、何せこれからこの街を復興していかなければならないので……」
「ああ、いいんですいいんです! こいつの言うこと真に受けないでください! 全然いらないんで!」

 スタンがルーティを押え込みながら頭を下げた。

「ちょっとスタン! 何言ってんのよ!」
「あーもう、いいから黙ってろよ! 恥ずかしいな!」
「そうだ。セインガルドの品位が下るだろ。大人しくしていろ」
「なによ。旅をするには先立つものが必要なのよ?」
「すみませんフェイトさん、本当にすみません」

 ルーティとリオンが睨み合っている脇で、スタンがぺこぺこと頭を下げた。

「あれ? はいないのか?」

 男たちの輪からやっと抜け出せたといった具合のジョニーがやってくる。スタンたちの周りにいないのを見て、きょろきょろと辺りを見回す。集まって来たのが見えてか、料理を取りに行っていたフィリアとマリーも戻って来る。だが、はいなかった。

「そういえば見てないな」

 おかしいなあ、とスタンも周りを見渡す。身長はそれほど高くなく、むしろ小さいだ。あの男たちの中にいたら、離れたここからでは姿を確認するのは難しい。だが、探さずとも向こうから現れた。

「わははは! ジョニー!」
「うおっ!?」

 突然どこかから走り寄ってきたが、後ろからジョニーの首にがばっと抱きついた。あまりにも突然だったその衝撃に、ジョニーが驚いて声をあげた。スタンたちは突然現れたに驚いて目を丸くした。

「ぶははは! うおっだって! うおっ! あははは!」
「……お前、まさか」

 ジョニーが背中からを引き剥がした。やはり。アルコールの匂いがする。

「おい誰だ! 未成年に酒飲ませたやつ!」

 ジョニーが振り返って男たちに向かって叫ぶと、ぎゃはははと楽しそうな男たちの笑い声が響いた。大方ジュースと間違えたか、渡されたかして飲んだのだろう。安易に予想ができ、リオンが額に手をあててため息をついた。

「リオーン!」

 ハイテンションなが、標的をジョニーからリオンへと変えた。うんざりとしたような表情で、リオンはを見る。

「近寄るな。酔っ払いは嫌いだ」

 心底嫌そうな顔で、しっしっと追い払うように手を払う。それにもめげず、はリオンの腕に抱きついた。

「えー? 私はリオンのこと好きだよー?」
「気色悪いことを言うな」
「大好きだよ? ほんとだよ? リオンは私のこと嫌いなの? どうして?」
「……」

 どうして? どうしてとは何だ。リオンは抱きつかれていない方の手でこめかみを押さえた。酔っ払いとまともな会話ができるとは思っていない。だが、この面倒くささは何だ。一体どれだけの酒を飲んだというのか。

「あははは! 困ってるー! リオン困ってるー!」

 そしての笑いが復活した。酒を飲むと笑い上戸になるらしい。リオンの肩をばしばしと容赦なく叩きながら笑い続けている。かと思えば、突然笑いを止めて、がくりと床に膝をついた。は顔を青くし、なんとか絞り出した一言は――

「……き、気持ち悪い」
「阿呆か」

 リオンが足下のを見下ろして鋭く言った。
 はそのままジョニーに手を引かれてテラスへと追い出された。だが、高い位置にある太陽が邪魔だった。酔っ払いの体をぎらぎらと太陽が焼き付ける。こうして魚はみりん干しになるのだろうと、少しだけ思考が回復したは思う。腰に提げられたままのリィドがため息をついた。

『お前、わざと酒飲んだな?』
「んー?」

 は膝を立てて、両腕を載せると俯いた。頭がガンガンと痛んだ。

「……水と間違えたんだよ」

 はそう答えた。

「どうしてわざと飲まなきゃいけないの」
『理由ならあるだろ』
「……」

 は目を閉じた。ぐるぐると頭が回る。何も考えられない。否、何も考えたくなかったからこそ、手を伸ばした。この後のことを考えて、考えて、何も考えたくなくなった。思考から逃げるために、酒を飲んだ。それは思いのほか、体にダメージを与えたけれど。
 足音が近付いて来た。

さん、大丈夫ですか?」

 フィリアだった。テラスにやってきて、に問いかける。

「……なんとか」

 がため息と共に吐き出した。全然大丈夫そうではない声に、フィリアは苦笑した。フィリアがの隣に座る。

さん。ありがとうございました」
「……え?」

 が顔を上げてフィリアを見た。フィリアの目元は泣いた後で、まだ少し赤かった。

「私、泣いちゃいけないと思っていました。グレバムは神の眼を盗み、世界征服を目論んでいる悪です。バティスタもそれに加担した悪……ここで泣いてしまうと、私はまだ彼らを敵と見ることができていないのだと、そういう事になってしまうのではないかと」

 はその事かと思いながら、手で痛む額を押さえた。

「それでも、やっぱりバティスタが死んでしまったのを見て涙が出てきました……泣いちゃいけないと思って、ずっと堪えていました」

 そう言って、フィリアはを見てにこりと笑った。

「でも、さんはそれでも泣いていいと仰ってくれました。私、なんだか楽になりましたわ」

 も頬を緩める。

「相手が悪い人だからって、泣いちゃいけない理由にはならないよ。相手が元仲間じゃなくたって、目の前で人が死んでしまえば悲しいし泣きたくなる。普通の感情だと思うよ」
『ふぉっふぉ。若いのに良いことを言うのお、
「ふふふ。もっと褒めるがいいよ」

 感心したように言うクレメンテに、が口元を上げて笑った。

「気分はどうだ、酔っ払い」

 今度はリオンがやってきた。

「酔っ払い言うな……」

 が低い位置から睨みつけた。リオンは呆れたように目を細めてため息をつくと、持ってきていたコップをに差し出した。

「ほら」
「あー、さんきゅー……」

 のろのろとコップを受け取る。ガラス越しの冷たさを手に感じて、中に入っているのが水だとわかる。飲みこむと、アルコールで焼けた食道を冷たい水が通って心地よかった。一気にそれを飲み干すと、深く息を吐いた。

「リオン、出発は?」

 まだ冷たい空のコップの底を額に当てながら、が見上げて問う。リオンはがいない間に今後の話はすべてついたと言った。
 モリュウからトウケイまでは、風さえよければ数時間で着くという。トウケイに行くまでは、モリュウの誇る艦隊、黒十字軍で送って貰えるという。ただ、艦隊の方もバティスタやグレバムに荒らされたため、立て直しに時間がかかる。送る為に一隻出せるだけだとフェイトは言った。トウケイに皆を降ろした後にフェイトは一度モリュウへと戻り、再び艦隊を率いて戻って来るという。城の部屋を貸して貰えるようで、夕方にはトウケイに向けて出発するとのことだ。

「それまでに酔いを醒ませよ」
「りょーかい、まかせて」

 が親指を立てた。

「ええーッ!?」

 部屋の中から突然スタンとルーティの叫び声が聞こえて来た。

「は?」
「何だ、やかましい……」
「なんでしょう、今の声は……」

 リオンとフィリアが部屋の中へと入っていった。は重い体をなんとか立ち上がらせ、ふらふらと二人の後を追いかける。

「何叫んでんの、うるさいなあ……」

 どうやら、ジョニーを見て叫んだらしい。ジョニーを指差して固まっているのはルーティだ。マリーも叫びはせずとも、目を丸くしていた。脇でフェイトが呆れた表情でため息をついている。

「ちょ、ちょ、あんたたち知ってた!?」
「もう、俺びっくりして……!」
「落ち着け。何を知っているというんだ」

 肩を揺するスタンの手を払い落として、リオンが眉を寄せて問いかけた。やっとのことでルーティが言葉を話した。

「ジョニーがシデン領主の息子なんだって!」

 妙な間があった。

「は?」
「ほ、本当ですか!?」

 有り得ないといった表情をリオンは隠しもしなかった。フィリアも口元に手をあてて驚いている。自称吟遊詩人だなんて言って歌っているこの男がシデン領主の息子。誰が気が付くだろうか。だけがフェイトと目を見合わせてため息をついた。二人だって、ジョニーのことを知らなければ、シデン領主の息子だなんて思いもしないだろう。

「もう、ジョニーさん! 何で教えてくれなかったんですか!」
「べーつに言うほどのことじゃねえだろ?」

 当の本人はけろっとしている。それがどうしたと言いたげだ。

「本当にお前みたいなのがシデン家の跡取りなのか?」

 不審そうに言うリオンに、ジョニーは肩を竦めた。

「跡取りは兄貴たちさ。俺はその辺フラフラしてっからな。誰も俺を跡取りになんて考えちゃいないさ。っと、。気分はどうだい?」
「あー、うん、まあ、ボチボチ。頭まだ痛いけど」

 額を押さえていない方の手をひらひらと振った。そうかい、とジョニーは笑う。ジュースでも飲もうと、空のコップを持って行く途中で、は男たちに絡まれている。頭痛いんだよバカ! と叫ぶ声が聞こえる。だが、表情は笑っていた。

、随分馴染んでいるな」
「まあ、性格的にああいう子ではあるわよね」

 マリーの言葉にルーティが頷いた。
 壁を背に、リオンは腕を組んでその様子を傍観していた。親し気にが男達と話をしているのを遠目に見る。

「よっ。何かお悩みごとかい? 眉間に皺が寄ってるぜ」

 視界を遮るように明るい金髪が現れた。突然現れたジョニーに、リオンは目を逸らした。ジョニーも壁を背にし、リオンの隣に並んだ。

「他の馬鹿どもはともかく、僕をいつまでも騙せていると思うなよ」
「ん?」
「前から知り合いなんだろう? とは」

 ジョニーの方を見ることなくリオンが言う。

「あいつがこの国の出身だということは、とっくに気付いている」
「……いつから?」
「あいつはシデンからモリュウへ繋がる洞窟の存在を知っていた。他にもあいつには、初めて来たにしては不可解な言動が多すぎる」
「へえ」

 よく見てるじゃないか、とジョニーは笑った。そして、視線をへと移した。

「確かにあいつとは昔っからの馴染みだ。俺たちにとっちゃ妹みたいなもんだな」

 男たちと話しているは、先程まで具合を悪くしていたのではないかと疑問に思うほどの笑顔だった。久しぶりの再会を楽しんでいるのだろうとジョニーは思った。

「聞きたいかい?」

 どういう関係か。が何者か。

「……いや、いい」

 リオンは首を振った。話は今じゃなくても聞ける。今はグレバムとティベリウスを討つことを考えなければならない。話ならそれからでもいい。そうかい、と言ってジョニーは壁から背を話す。そして、柔らかく笑ってリオンを見た。

「だが……見捨てないでやってくれな」

 この先何があっても。何を知っても。
 そう言って微笑むその表情は、いつもの道化のものではない。身内を心配するような、そんな表情だ。

「……」
「さあて、ひと眠りしてくるかねえ。あんたもちょっとは休んだ方がいいんじゃないのか?」

 ぐっと伸びをすると、ジョニーは欠伸をしながら歩いて行った。リオンはその場でしばし去っていくその背中を見ていた。


 夕方。一行は黒十字軍の船に乗って、トウケイ領を目指していた。

「そういえば、エレノアさんって誰ですか?」

 スタンがそう切り出したのは、モリュウを出てから少し経った頃だった。昼間、ジョニーもトウケイに行くという話になった時に、フェイトが漏らしたのだ。「お前、まだエレノアのこと……」と。
 明るかった船内が急に静まった。表情を暗くするのはとフェイト。ジョニーはわずかに顔を顰めただけだった。

「ちょ、スタン!」

 ルーティがスタンの肩を揺すった。

「俺とフェイトの幼馴染さ。いや、フェイトの恋人だったか」
「おい、ジョニー!」

 淡々と話し出したジョニーに、フェイトが焦った。その間に、は静かに席を立ち、甲板へと出て行った。

「ま、いずれにせよ、彼女はもうこの世にはいない」

 立ち去るの背をリオンが目で追った。ジョニーもちらりと目を向け、そのまま話を続けた。

「亡くなられたんですか……?」
「ああ。フェイトと結婚してから……一週間経ったくらいか。ティベリウスに連れて行かれちまった」

 悲しそうな表情で問うフィリアに、ジョニーは静かに頷いた。

「エレノアは無理矢理やつの息子の妻にさせられた。だが、エレノアはそれを拒んだ。城から逃げ出そうとした時……ティベリウスの野郎に殺されちまった」

 ジョニーの目には憎しみが映っていた。テーブルの下で拳を握る。

「ティベリウス……あいつは俺の親父を玉座から蹴落とし、エレノアにまでも手を掛けた。……どうしても許すわけにはいかねえんだ」
「ジョニーさん……」

 そこまで話すと、ジョニーはへらりと笑った。

「はい、この話は終了! 湿っぽくしちまったな。俺らしくないぜ」
「すみませんでした……変なこと聞いちゃって……」
「いいってことよ」

 悲しそうな表情で縮こまるスタンを見て、ジョニーが笑う。先程までとの様子のギャップに、リオンとルーティが眉を寄せた。そして納得する。この男は、自分の中の憎しみや悲しみを隠すために、道化に身をやつしているのだと。
 は船首に近い縁に頬杖をついて、一人で立っていた。遠くの方を見ると、傾きかけた太陽の光が水面に反射して眩しかった。その時、突然頭をがしっと掴まれた。

「よっ」
「どわぁっ!?」

 背後から突然やってきた誰かに思いっきり頭を押されて、は叫んだ。海が近くに見えた気がした。落ちそうになるのをなんとか堪える。突然のことにバクバクと心臓の音が煩かった。くつくつと笑う隣の男を睨みつけた。

「ジョニー! 殺す気!?」

 がジョニーを叩く。

「はは。悪い悪い。景気悪そうな顔してたからよ」

 相変わらず笑いながらだが、ジョニーが悪い悪いと言いながらの頭を撫でる。撫でられながら、はジョニーを頬を膨らませた顔で見上げる。その顔にジョニーが再び肩を震わせる。脇腹に一発拳をめり込ませて、は再び海を見る。

「みんなに話したの? エレノアのこと」

 遠くを見たままが言う。

「まあ、触り程度にな」

 ジョニーは殴られた脇腹をさすりながら、の横に並んで海に目を向けた。は、そっか、と一言だけ返した。

「あとどれくらいかな」
「三十分もあれば着くだろ」
「そんなもんか。もう距離感ないからなあ」
「四年も離れていれば、忘れるのも無理ないさ」

 ジョニーはの頭に手を置いた。

「本当に行くんだな」

 ジョニーが真剣な声で言う。うん、とは頷いた。

「ジョニーも行くんでしょ」

 が言うとジョニーは、ああ、と答えた。そうして二人は顔を見合わせ、微笑んだ。心の中にある刃を隠して。二人は笑う。
 やがて、港が見えてくる。

「見えました。あれがトウケイ領です」

 フェイトの言葉を聞き、は眉を寄せて島を見る。遠目に見ても華やかさとはかけ離れたアクアヴェイルの首都が見える。その街の中に、ここからでも見える大きな城があった。

「帰って来ちゃった、か」

 の声は風に流され、誰に聞こえることも無かった。