翌朝。夜中までバティスタと話していたは、案の定起きていなかった。
『……おい、!』
「んー……」
『起きろ馬鹿! もう八時になるぞ!』
は元から寝起きが悪かった。リィドが叫び始めてから既に三十分が経とうとしていた。もぞもぞとは布団の中で動き、寝返りをうって布団を被り直した。
「うー……あと、五……時間」
『長えよ!』
は寝息を立て始めた。
『早く起きないとまたリオンが来――』
バンッ、とリィドの声を遮ってドアが壊れんばかりの勢いで開いた。そこに立っていたのは、眉間に皺を寄せおまけに額に青筋を浮かべたリオンだった。片手には鞘に入ったままのシャルティエを持っている。
「いい加減起きろ! いつまで寝る気だ、この阿呆娘!」
ばっと勢いよく布団を剥ぐと、シャルティエで思いっきりの頭を殴った。
「いだーッ!」
リィドが深く深くため息をつき、シャルティエは小さく『僕は目覚まし時計じゃないのに……』と呟いた。
支度を終えたは、まだ殴られた頭をさすっていた。たんこぶが出来ているようで、痛い……と呟く。
『当然の報いだ』
「リィドがもっと気合い入れて起こしてくれれば、こんな事には……」
『俺にあれ以上大声で怒鳴れっつーのか、おい』
大体起きないのはが悪いわけで、リィドは毎日同じ時間にきちんと起こそうとしている。稀に起きるが、それでも起きないことの方が圧倒的に多く、そういう時は待つのに痺れを切らしたリオンが部屋に侵入してきて文字通り叩き起こすのである。
欠伸を噛み殺しながら、が広間へと入って行った。
「おはよー……」
以外の全員が起きていて、しかも朝食を食べ始めていた。
「おそよー」
ルーティがに言う。うん? とが動きを止める。
「おそよう、」
「おそようございます。さん」
マリーに続き、フィリアまでもが爽やかに挨拶してきた。リオンに目を向けると、彼はが入って来たことも無視して紅茶を飲んでいた。
「……ねえ、これってイジメ?」
は近くにいたスタンに尋ねる。スタンは肩を竦めた。
「言いだしたのはルーティだから。あ、おそよう」
「ハイハイ、おそようさん。ちくしょう」
手をひらひら振ってやけになりながら返事をすると、も席に座って朝食を食べだした。その間に、ルーティが今までの出来事と今後の話をしてきた。バティスタが逃げたのである。だが、それは意図的に逃がしてやったものだという。電流装置についている発信機で、バティスタの居場所は常にわかっている。そんな機能がついていたのか、とはただ電流が流れるだけの装置だと思っていただけに、へえ、と驚きの声をあげる。そして、バティスタがどこかに留まったらこちらも出発。リオンが、ここまでやられたのだから一度グレバムの元に戻ろうだろうと推測したのだそうだ。
「というわけよ。理解できた?」
「私、そこまで理解力乏しくありませんよ。ルーティさん」
「あら、そう」
「え? 素だったの、今の質問?」
飲みかけたスープを途中でやめて、はショックを受けたように聞き返した。ルーティは肩を竦めると、紅茶を飲み始めた。
「んー……暇だなー……」
バティスタが向かう先がまだはっきりとしない今、下手に動くわけにもいかず、数日間ノイシュタットの街で待機ということになった。たった数日とはいえ、暇を持て余すには十分な日数だ。今まであっちへこっちへと忙しく移動して、戦って、の毎日だった。さて、どう暇をつぶそうか。は街の中にかかっている橋に腰かけて足をぶらぶらと揺らしていた。橋の下は川ではなく、舗装された道だ。
ノイシュタットは富裕層の者が暮らす上の世界と、貧民層の者が暮らす下の世界がある。階段ひとつで隔てられただけなのにその生活レベルの差は大きい。最初にノイシュタットに来た時にいた子供たちが、この街の在り方を象徴していた。上の者は下の者を見下す。昨夜話したバティスタとの世界征服の話も似たようなものではないかとは思う。世界征服した者が、他の人間たちを見下す。それ以外に何があるというのだろう。
ぼーっと下の道を歩く人々に目を向けると、十人程の集団が歩いていて、先頭の女性が旗を振って先導していた。観光客のようだ。
「えー、この先にありますのが、ノイシュタット名物の闘技場です。ここでは、腕の立つ者たちが自分の実力を試し合う場であり、数々の若者たちが連日挑戦していっています。現在のチャンピオンはマイティ=コングマンという、過去数年無敗を誇っており――」
ガイドの女性が歩きながら説明していて、遠ざかるにつれてだんだんと声が小さくなり、やがて聞こえなくなった。は振り返って観光客たちを目で追う。その先にあるのは、ノイシュタットの観光スポットの一つ。闘技場だ。
「闘技場か……」
はノイシュタットに来るのは初めてではなかった。一時期ノイシュタットに滞在していたこともある。だが、闘技場は機会がなくて一度も行ったことがなかった。はにやりと笑うと、反動をつけて橋の下に飛び降りた。衝撃を殺して着地する。
『お前、まさか……』
「そのまっさかー」
は楽しそうに闘技場の方へと走っていった。
「いやあ、お嬢ちゃん。やめといた方がいいと思うよ」
だが闘技場に着くなり、受付で男性に笑いながらそう言われる。
「いいから受付してよー」
は受付で頬杖をついて口を尖らせる。
「本当に出場するのかい? 怪我しちゃうかもしれないよ?」
「大丈夫だからー。名前は=です」
「本当に?」
男性は渋々といった様子での名前を書いた。
闘技場の準備室へと移動した。周りはより大きい男ばかりで、おお、とは感嘆の声をあげた。壁には武器や防具がかかっている。好きに使っていいようだ。きょろきょろしながら歩いていると、どんと人にぶつかってしまった。は後ろに数歩衝撃で下がってしまう。
「あ、ごめんなさい」
謝罪をすると、男がを見下ろした。より優に数十センチは高い身長に、屈強な筋肉を見せつけるかのように上半身は裸。頭はスキンヘッド。そんな風貌の男が、を見下ろして鼻で笑った。
「おいおい、嬢ちゃん。おめー、まさか出場する気じゃあるめえな? 迷い込んだか、誰かの応援だろ?」
「いや、私が出るんだけど」
自分を指差して言うと、頭をむんずと片手で掴まれた。そして視線を合わせるように、男は腰を折った。
「冗談言っちゃいけねえよ。この闘技場は神聖な男と男の力のぶつかり合いの場だ。嬢ちゃんが遊びで来るような場所じゃねえ」
「出場条件に性別なんて書いてなかったと思うけど」
が首を傾げようとしたが、男に頭を掴まれていて傾けられなかった。の頭を掴んでいる手が離れたかと思うと、今度は頭にガチャンと金属が落とされた。重い。
「いたっ! 前見えない! なに!?」
頭に被せられた大きな何かで視界を妨害された。男が大声で笑った。
「じゃあ精々死なないように、それでも被ってるこったな」
あばよ、と言って男はいなくなった。が頭に被せられたものをなんとか両手ではずすと、大人用の兜だった。頭の左右にとがった角が二本ついている。男はもう遠くにいた。
「んにゃろう……誰だ一体」
「誰だって、嬢ちゃん知らないで来たのか?」
不機嫌そうに言うと、隣にいた男が驚いたように言った。は今度はそちらに目を向ける。甲冑を着た男は、目を丸くしていた。
「知らないけど、有名なの?」
「もちろん。マイティ=コングマン。ここ数年、無敗を誇っているチャンピオンだよ」
「コングマン? あの人が?」
がもう一度目を向ける。もう姿は見えなかった。つまり、ここでチャンピオンに立つにはあの男を倒さなければならないというわけだ。
「グリズリーとどっちがマシかな」
フン、とは鼻を鳴らす。
「一回戦ー! =対ジルベール=トゥルニエ!」
「お、俺だ」
今話していた男が顔をあげた。
「ってもしかして?」
「私」
は自分を指差して頷く。男は笑いながらの頭をぽんぽんと撫ぜた。
「あはは、悪いな。一回戦は俺の勝ちだ」
カチン、との額に青筋が浮かぶ。
「わあ怖い……お手並み拝見させていただきますね」
は笑顔で言った。男が歩いて行き、はその後について行った。
『手加減しろよ……』
リィドがぼそりと呟くが、は聞こえなかったことにした。は持っていた兜を、またガシャンと被った。視界が半分隠れた。
闘技場に出ると、大歓声に迎えられた。
「本日のある意味目玉の大勝負! なんと挑戦者は初出場! 十六歳の少女剣士! 対するトゥルニエは過去何度も出場経験のある大会常連だ! これはすぐに結果が出てしまうのではないか!? さあ、お互い見張って! レディー、ファイッ!」
兜が安定しなくてぐらぐらするのを、良い位置に収まるように調整していると、トゥルニエは既に剣を抜き、の方へとゆっくり歩き近づいて来ていた。
「女の子を傷つけるつもりはないんだが、こうなってしまっては仕方ないな。なるべく痛くないようにするから」
トゥルニエが地面を蹴るのが見えた。近づいて来る。
「遅い」
が振り下ろされた剣を横に避けた。空振った剣先が地面を掠る。は地面を蹴って垂直に跳ぶと、驚いて動きの止まっているトゥルニエの下顎を正確に蹴り抜いた。兜でも防御していなかった顔面への攻撃は決め手となり、脳を揺さぶられたトゥルニエはぐらりと体を傾けて、どさりと倒れた。カランカランと手から落ちた剣が転がっていく。ぐらついた兜がまたの視界を遮った。場内はしんと静まり返っていた。は兜をあげて解説席の方を見ると、手を振った。
「……しょ、勝者! =!」
歓声とブーイングの嵐が、の兜を叩いてぐわんぐわんと反響した。すごいぞ少女、という声と、何やってんだトゥルニエという声が聞こえる。担架がやってきて、トゥルニエを乗せた。まだ意識は戻っていなかった。
「思いっきり蹴っちゃった」
『お前のブーツ、ミスリル入ってんだから気を付けろよ……』
の靴底にはミスリルが入っている。蹴った時の痛みは相当なものだ。顎が骨折していませんように、とは心の中で祈った。
二回戦。はまたぐらぐらする兜をつけたまま出場した。今度の相手は甲冑は身に着けておらず、鳩尾に抜いたリィドの柄を叩きこんで終了した。
「さあ、チャンピオンに対する次の挑戦者の登場だーッ!」
解説者が叫ぶと、割れんばかりの歓声が響いた。
「一回戦二回戦とほぼ秒殺! こんなことが本当に有り得るのか!? 今日が初登場だが期待は十分! 天才少女のお出ましだーッ!」
もう誰もブーイングをする者はいなかった。大歓声がを出迎える。は兜を少し上に向けてにやりと笑った。相手は一度話した相手。不機嫌な顔をして相対するを見ていた。
「どんな魔法使ったのか知らねえが、よく俺の前に立てたもんだなガキ。相手が余程弱っちかったらしい」
「こんなガキでもチャンピオンに挑戦できる程度の闘技大会なんて、レベルが知れてるんじゃなーい?」
が兜を押さえながら言う。コングマンの額に青筋が浮かぶ。
「三秒だ」
コングマンが右手の指を三本立てる。
「三秒でお前はここでおねんねすることになる」
はにっこりと笑った。
「おっさんはグリズリーとどっちが強いかなあ」
「グリッ……なんだと!?」
コングマンが顔を真っ赤にする。今にも破裂しそうだ。
『おいおい……煽るのもその辺にしとけよ』
「短気は損気」
そう言って、は兜を外すと地面に置いた。
「さあ、話はついたか? それじゃあ早速! レディ……ファイッ!」
コングマンが地面を蹴る。一直線にに向かってくると、間髪入れずに拳を上から振り下ろす。はそれを横に跳んで軽くかわす。そのまま腕を上げ、裏拳でを狙う。はしゃがんで二撃目を避ける。
「三秒! 終わりだ!」
両拳を合わせ、コングマンがの頭上に振り下ろす。は横に大きく跳び、片手を地面につけて側転し着地した。コングマンの両手は地面に刺さっていた。コングマンは目を丸くしてを見やる。は首元に手を入れて、髪をさらりと風に流した。
「三秒でなんだったっけ?」
首を傾げて笑顔を浮かべる。
「このガキッ……!」
コングマンはカッとなり、を狙ってがむしゃらに拳を振るってくる。はそれを時にしゃがみ、時に受け流しながら、ひょいひょいと避けていく。は後ろに大きく跳ぶと、着地のばねで地面を強く蹴った。間合いを一気に詰め、顔面に向かって足を振り上げた。それをコングマンは僅かな差でかわした。のブーツは顎を掠めただけだった。コングマンが両拳でを左右から潰しにかかったが、は素早くしゃがんで攻撃を避けた。
「テメェ、なめてんのか!?」
跳躍でひょいと頭上を跳び越えて背後に着地するに、コングマンが怒鳴った。
「なんで剣を抜かねえんだ!」
ビシッとの腰に提げているリィドを指差した。は両手を顔の横に上げて、肩を竦めた。
「素手相手に剣を抜く趣味はないんだ。悪いね」
「な、な、なめやがってえ!」
コングマンは顔を赤くし、怒りを露わにしてを連続で殴りにかかってくる。拳はの耳元を掠った。
「うおっと」
そして、コングマンから距離を取った。
「おっかねー。やっぱ怒らせちゃったか」
『お前、さっきから煽りまくってんじゃねえか』
リィドがため息をついた。コングマンが距離を詰めてくる。怒りのため、一撃一撃に込められた力が大きいが、逆に動きが大振りになり、はするりするりとかわしていく。が地面を蹴って空中に跳びあがる。そのままコングマンの側頭部に回し蹴りをしようとしたが、その足をがっしりと掴まれてしまった。
「おっと!?」
の表情が引きつる。
「うおらぁ!」
コングマンがを投げ飛ばす。闘技場の壁まで飛ばされたは、空中でくるりと体勢を整えると、壁を蹴って着地する。そして、地面に置いた兜を手にとって被った。
「うお、やっぱぶかぶかだこれ」
ふらふらとしながらが零す。
「さあ、かかってこい!」
パンパンと両手を叩いてが言う。コングマンがドスンと片足を地面に叩きつけた。
「どこまでも人のこと馬鹿にしやがって!」
跳びかかって来るコングマンの脇をすり抜け、そのまま背中に乗りながら兜を取って、コングマンの頭に逆向きに勢いよくはめ込んだ。
「なに!?」
コングマンは視界が暗闇になる。兜を外そうとする前に、は再び空中に跳んでいた。そして脳天に勢いよく踵を落とした。ぐわんとコングマンが漏らした声が兜の中に反響する。ミスリル入りブーツは、兜を貫いてコングマンの頭部へとダメージを与えた。その場で足下をふらふらとさせたかと思うと、コングマンはばったりと倒れてしまった。兜が頭からカランと落ちる。
がぐっと拳を誇らしげに天に突き上げた。
「しょ……勝者! 挑戦者=ーッ!」
遅れて司会者が勝敗を告げる。観客たちの声が大きく響いた。数年無敗だったチャンピオンが塗り替えられたのである。しかも齢十六の少女にだ。
「いててて……」
頭を押さえながらコングマンは上半身を起こした。は驚いて振り向いた。
「うっそお。もう起き上がれるんだ」
脳天に確かに直撃したはずだった。脳震盪でしばらく起き上がれないのが普通だが。無敗のチャンピオンであったのは肩書だけではなかったということか、とは思う。
「くそッ、まさかこんなガキに負けるなんて……」
「外見でしか人のこと見ないからそうなるんだよ、グリズリー」
「コングマン様だ!」
にっこりと笑って手を差し出すと、叩き落されてしまった。そして、ため息をつきながらコングマンは立ち上がった。
「ハァ、やられたぜ。負けは負けだ。テメェみたいなガキに負けるとは、俺も鍛錬が足りねえってことだ」
「トップに上り詰めてそこに胡坐かいてるんじゃ、寝首かかれるのも無理ないよね」
「好き放題言いやがる。だが、その通りだ」
今度はコングマンが手を差し出して来た。
「次は負けねえ。首洗って待っとけ」
はその手を見ると、パンッと叩き落した。
「気が向いたらね」
かくして、チャンピオン対の勝負は、の勝利で幕を閉じた。
それからが大変だった。新聞記者に取り囲まれ、なかなか外に出られなかった。詳しくはオベロン社へ! と叫んで、は記者たちの間をすり抜けて、猛ダッシュしてイレーヌの屋敷へと帰宅した。あとでレンズショップに記者が殺到するだろうことを思うと、イレーヌに詫びなければならないかもしれない。
「? あなた、闘技場でチャンピオンに勝ったって本当?」
夜、帰って来たイレーヌに屋敷で問われ、闘技場に遊びに行っていたことが皆にばれることになるのであった。