知られていない話
「ねえ、ロックベル先生を知っているなら、“青い天使”の話も知ってるかな!?」
イシュヴァール人の少年が問いかけた。
「青い天使ぃ?」
エドワードは眉を寄せる。何のことだかさっぱりわからない。
クセルクセス遺跡にて、エドワードは複数のイシュヴァール人に囲まれていた。襲って来たイシュヴァール人はエドワードにより取り押さえられ、後から出てきた老人によって止められた。
「アメストリス人は知らないのか。あの聖女の如きアメストリスの少女の話を」
シャン様と呼ばれたイシュヴァールの老人が、残念そうに言った。
「アメストリス人が悪い人間ばかりではないと言ったな。その少女もそうだ」
「アメストリスの少女が、イシュヴァール人を助けたとでも?」
「如何にも」
老人が頷いたが、エドワードは素直に納得することはできなかった。イシュヴァールの内乱に、ロックベル夫妻のような医者でもないアメストリスの少女がいるとは到底思えなかったからだ。
「少女は、アメストリス人に殺されそうになったイシュヴァールの子供を、身を挺して助けてくれた。子供を襲おうとした、恐ろしい獣による大きな傷を負って」
シャンは続ける。
アメストリス人が殲滅戦で利用した獣といえば、合成獣のことだろうとエドワードは思った。
「少女は子供を抱え、母親へと送り届けた。背中から血を流したまま……」
「僕達はその少女に敬意を表して、“青い天使”って呼んでるんだ」
少年が言った。
「でも、なんでアメストリスの子供が殲滅戦にいたんだよ」
エドワードはわからないといったように首を傾げる。シャンは首を振った。
「わからぬ。その少女が、何故その年端で軍の服を着ていたのか」
「! 軍人だったのか!?」
「そうさ。だから“青い天使”なんだよ」
少年はそう言って笑った。アメストリスの軍服は青い色をしている。そのためについた名前なのだろう。
エドワードは答えを瞬時に見つけた。イシュヴァールの内乱の時期に子供であった軍人など、エドワードは一人しか知らない。
「……オレ、その“青い天使”のこと知ってるわ」
ぽつりとエドワードが言った。まさか、イシュヴァールの殲滅戦に行っていたとは知らなかった。
「えっ!? 本当かい!?」
「ああ。オレの知り合いで、同い年くらいの軍人がいるんだけど、たぶんそいつのことだと思う。他にそんな年齢の軍人なんていねーし」
「そうか……怪我をして、なお無事に生きているのか」
イシュヴァール人たちは、アメストリス人の話なのに嬉しそうに顔を見合わせた。
「心優しい少女だ。自分の命よりも、他者の命を優先するような子だったのだろう。だからこそ、軍に反してイシュヴァールの民を助けてくれたのだ」
エドワードは頷く。まさに、彼女はそんな人間だ。きっと軍に忠誠なんて誓っちゃいない。彼女は彼女のやりたいようにやる。ただそれだけだ。それが昔からだったことがわかり、エドワードはおかしくなって笑ってしまった。
「どうしたの?」
「いや。あまりにもあいつらしいなって思って」
不思議そうに見てくる少年に、悪い悪いと言ってエドワードは謝罪する。
「アメストリス人にとってイシュヴァールの民の話はしにくかろう」
シャンが言う。
「伝えずとも良い。お若いの。我々は、ロックベル夫妻やその少女のようなアメストリス人に生かされたのだということも、心の片隅にでもとどめておいてくれぬか」
ただ逃げのびたのではない。心優しいアメストリス人がいたからこそ自分達は生き残っていると。
アメストリス人のすべてがイシュヴァール人を憎んでいるわけではないということを。
イシュヴァール人がすべてのアメストリス人を憎んでいるわけではないということを。
「ああ。覚えておくよ」
エドワードはそう言って、頷いた。