懐かしい光景だった
そこは司令部の廊下で
私とあいつが、言い合いしながら歩いていた
がやがやと周囲の雑音が多くて、何を言っているのかはわからない
けど、きっとどうでもいい事を言い合っているに違いない
いつだってそうだった
そこに、マースが笑いながらやってきて会話に加わる
私は笑うマースを睨み、ため息をつくシュウの肩を加減もせずに叩く
懐かしい光景
そんな毎日はもう二度と来ないと、三人の背を見ている私はぼんやりと思う
ふと、私が振り返った
私と目が合う
先程まで笑っていた私の顔からは、表情が消えていた
いつの間にか、周りの雑音は全て消え去っていて
「あんた、誰?」
音の無い映像だけの世界で、私の声がやけに響いた
「え・・・?」
正面から私を見つめてくる私
途端に、世界は白く塗り潰された
誰もいない
ただそこには
『私』 と
『私』 がいる
「あんた、誰?」
『私』がもう一度言った
『私』は何を言っている?
そんなのわかりきっているじゃないか
『私』は『私』で
あんたは『私』で
『私』はあんたで
違うのは『現在の私』か『過去の私』かなだけで……
でも、口を開いても言葉は出なかった
指先が冷えていく
鼓動が早い
何を焦っている?
そこにいるのは『私』なのに
何故『私』はその藍の瞳をこんなにも畏れている?
「ねぇ
“あんた”は“誰”?」
私は……――――――
「お、。起きたか?」
聞き覚えのある声に、だんだんと意識がはっきりとしてくる。
視界に白が入った。それがシーツの白だと気付くのに、随分と時間がかかった。
「んー……? ああ……私寝ちゃったんだ?」
体を起こして欠伸を一つ。
目の前には笑っているハボックがいるが、欠伸の所為でぼやけて見える。
仕事が終わって、そのまま病院に立ち寄ったのだった。ロイとハボックのベッドの間に椅子を置き、話をしていたはずなのだが、いつの間にかハボックのベッドに体を預けて寝ていたようだ。外はもう暗くなっている。
「相変わらず疲れているようだな」
背後から本を閉じる音が聞こえた。ロイだ。
うん、まぁ。とは曖昧な返事を返す。
「一昨日、休暇とってたんじゃなかったのか?」
「別に遊びに行ってたわけじゃないし」
「じゃあ、何処行ってたんだよ?」
「んー……ちょっと野暮用?」
マルコーの所に行っていたとは言えない。既にマルコーの事を知っていそうな気もするが、言わないと約束したので言いはしない。
はぐらかしたなとロイが怪訝そうに眉を寄せたが、は見なかった事にした。
「今日はもう仕事上がったのか?」
ハボックがそんなロイとの様子に苦笑しながら問いかけた。
「うん。書類も一段落したし。最近、疲れも溜まってるしねぇ」
「書類が一段落だって。どっかの誰かに聞せてやりたい言葉ですね、大佐」
「……この際だから言わせてもらうがな。お前達、私が仕事していないと思いすぎだぞ」
「「事実でしょーが」」
思いがけず声がハモってしまい、とハボックは目を見合わせて笑いだした。傷が痛むようで、痛い痛いと言いながらも尚ハボックは笑っている。
ロイは憮然とした表情で二人を睨むと、時計に目をやった。
「。そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」
外も暗いし、とロイは窓の外を指差した。
だんだんと冬に近付きつつあるため、夜暗くなるのも早くなっている。
「えー? まだ七時じゃん」
「疲れも溜まってるんだろう? 昨日だって結局遅くまでいたんだから、今日くらい早く帰って休みたまえ」
昨日、は前日に休暇をとっていたため仕事が溜まっていて、病院に顔を出せたのが夜になってからだった。帰ったのは大分遅くなってからだ。
過保護。と呟けば、しっかり聞こえていたようで、これは過保護とは言わないとはっきり返された。
「の事心配してんだって」
納得いかなさそうな表情のの頭を、ハボックがポンポンと叩く。少尉まで子供扱いすると、は口を尖らせて頭の上の手を払った。
「あーあ。もう……帰ればいいんでしょ? か・え・れ・ば」
「何故怒る……」
「別に怒ってませんけど? お子様はさっさと帰って寝ればいいんでしょーが」
べーっと舌を出して、は二人に背を向けて歩いていった。
ロイとハボックは顔を見合わせる。そしてハボックが苦笑し、ロイは深くため息をついた。は子供扱いされる事を嫌う。だが、本人はそんなつもりが無くとも、自分達から見ればは十分に子供なのだ。例え、その地位が自分達よりもずっと上であったとしても。
「私がラストを殺した事でホムンクルス達はいきり立っている」
ドアに手をかけようとしたがピタリと止まる。
「また前のように一人で彼らに出会ったらどうする。今度は大怪我だけでは済まないかもしれないんだぞ」
昨日が病室に来た時、彼女は話せる限りの事を話した。
ラストやエンヴィーと戦って大怪我した時の事も。
彼らがヒューズを殺したというのも知っていたという事も。
そして、奴らとシュウがなんらかの関わりがあるという事も。全て話した。
ただ言えなかったのは、自分が賢者の石によって生き返らされたであろうという話。それだけは、言う事が出来なかったが。
アルフォンスに言われたように、何故言わなかったのかと怒鳴られると思った。だが、ロイはただ「そうか」と一言言って「ごめんなさい」と言い続けるの頭を撫で、ラストに刺された怪我で下半身不随になってしまったハボックでさえ「お互い隠してたんだから、おあいこだな」と笑っただけ。
「過保護と言われてもいいさ。それでも私は、の事が心配なんだよ」
優しすぎる。
自分が話していれば二人はこんな怪我をせずに済んだ。ハボックなんて、今後の生活に大きな支障をきたす程の大怪我だ。それなのに。
「……ありがと。明日、また来るね」
二人の方に笑顔を向けると、はドアを開けて廊下へと出た。
後ろ手にドアを閉めて、しばし俯く。
「……優しすぎんだよ」
小さくが呟いた。
自分は責められても文句は言えない、そんな事をしたというのに。
それでも彼らは、自分の身を案じてくれている。
「あなただって、その優しさは持っているでしょう?」
隣から声がかかる。
二人の病室の警護をしているホークアイだった。あの日の夜から、ずっとこうして病室に付きっ切りだ。
「大佐や私達の身を案じて、ずっと言わずに黙っていたんじゃないの?」
中の話は全部聞こえていたらしい。
顔を上げてホークアイの顔を見れば、予想通り優しげな微笑みが目に入った。
もう、堂々巡りだな。と。は他人事のように思って息を吐いた。
「……ホント。優しすぎるよ、みんな」
「もね」
そうして、顔を見合わせて二人で笑った。
ホークアイにもまた明日来るという事を告げ、は背を向けて歩き出した。
外に出て深く息を吸おうとしたが、思いの他空気が冷たくて途中で息を吐いた。
パンと両手で頬を叩く。
「……しっかりしろ」
優しさに酔ってる場合じゃない。
立ち止まるな。
そう自分に言い聞かせる。
コートのポケットに両手をつっこんで、街灯の下を寮に向かって歩く。
―― あんた、誰?
夢の中の自分を思い出して、思わず立ち止まる。
冷めたような目。知らない人を見るような目。
そんな藍の瞳。
自分と同じはずの、その目。
誰? 誰とは何だ。
「……私は、・……でしょ……?」
何故かどうしようもなく自信が無いのは、あんな夢を見たせいだろうか。