タトゥー
が出かける用意をしているのに気が付き、筋トレをしていたエドワードは首を傾げた。
「、どっか行くのか?」
ダンベルを両手で上げ下げしながらに近づく。は左手で土産のようなものを持っていた。
「うん。私のタトゥー彫ってくれた人のとこに挨拶」
「お前のタトゥーって……その両手の?」
エドワードが目を丸くする。の両手の錬成陣のタトゥーを彫った人間がまさかダブリスにいるとは思わなかった。
「一緒に行く?」
に問われ、エドワードは頷いた。
イズミの家から歩いて二十分程。特に店の看板を立てているわけでもない一軒家で、はベルを鳴らした。
「はーい」
ガチャリとドアを開けて出てきたのは、イズミと然程年齢が変わらないくらいの眼鏡をかけたボブヘアの女性だった。
「ワカバさん! お久しぶりです!」
が元気に言った。ワカバと呼ばれた女性もぱっと表情を嬉しそうに変えた。
「あら、ちゃんじゃない! 久しぶり! 元気してた? というか、元気すぎるくらいみたいね」
「あはは……」
の右腕を見て、ワカバは苦笑した。は思わず目を逸らす。この怪我を元気すぎると言うのか、とエドワードは思わず真顔になった。
「そちらは?」
「ども」
エドワードが軽く頭を下げた。
「鋼の錬金術師のエドワード・エルリック」
「ああ、もしかしてイズミの弟子の?」
「師匠を知ってるんですか?」
エドワードが驚いて聞き返した。ワカバがくすりと笑う。
「お友達よ。さ、あがってあがって」
お邪魔しまーす、と二人はワカバの家にあがらせてもらう。
「タトゥー彫る道具とかあるかと思ったけど」
「作業部屋は別の部屋だよ」
「なるほど」
の説明にエドワードは頷いた。
お土産ですと言ってが持って来た包みをワカバに手渡していると、奥から少年がやってきていきなりこちらを指差した。
「あ、だ!」
「さんとお呼びクソガキ」
の切り返しは早かった。恐らく何度も行われたやり取りなのだろうとエドワードは予想する。十歳程の少年だった。
「息子さん?」
「ええ、ミツバっていうの」
エドワードが呟くと、ワカバが笑顔で紹介した。
「、久々に遊んでよ!」
ミツバがそう言いながらの左腕を引いた。は思いがけない力にたたらを踏む。
「こら、ミツバ。ちゃんは怪我してるみたいでしょ」
「大丈夫ですよ、少しくらいなら。おら、どれだけ強くなったか見せてみなさい」
やったー! と、ミツバはそのままの腕を引いて庭へと出て行った。
残されたのは初対面のエドワードである。まさか置いてきぼりにされるとは思わず、どうすればいいやらわからない。
「お茶でもいかがかしら?」
「あ、はい、いただきます」
ワカバの言葉に、エドワードは頷いた。
お茶の用意を座って待っていると、庭から明らかに遊んでいるわけではない掛け声が聞こえてくる。これはあれだ、遊ぶと言いながら組手か何かをしているに違いない。の怪我は治っていないというのに一体何をしているんだ。十歳程度の腕なら左手一本でも捌けるのだろうか。
「国家錬金術師なんですってね」
ティーカップをエドワードの前に置きながら、ワカバが言う。
「あ、はい」
「イズミに怒られたでしょう?」
「ええ……出会い頭に……」
ダブリスに来た日の事を思い出して、エドワードは思わず震える。イズミがドアを開けると同時に弾き飛ばされ怒鳴られたのである。何度思い返しても恐ろしい体験だった。
「ちゃんがタトゥーを彫って欲しいって来た時にちょうどイズミが遊びに来ててね。随分言い合いやり合いになったものよ」
ワカバも椅子を引いて座りながら、くすくすと笑った。
「はどうしてワカバさんのところへタトゥーを彫って欲しいって?」
「錬金術ができるタトゥー彫り師ってのもなかなかいないでしょう? どこかから噂を聞いて来たみたい」
「錬金術できるんですか」
「少しよ。イズミに比べたら足下にも及ばないくらい」
それはかなり出来るのではないか、とエドワードは思う。イズミの錬金術は未だに自分達では及ばないレベルである。その足下に及ばないというのであれば、自分達と同じくらいと考えても間違いではなさそうだ。
「懐かしいわ。昨日のことみたいに思い出せる。国家錬金術師になるためにタトゥーを入れたいって言うちゃんを、イズミが頭から怒鳴りつけたの。初対面なのにね」
カップを傾けながら、ワカバは当時の事をエドワードに聞かせる。
「国家錬金術師は軍の狗だ。命令次第で人をも殺す。そんな人間に錬成陣のタトゥーなんて彫らせてたまるか」
「私は殺しません」
僅か十四歳のは、初対面の人間に睨まれても怯まなかった。
「命令でもか」
「命令でもです」
「それじゃ、すぐにお払い箱だろうが」
所詮子供の言うことか、とイズミはため息をつく。だが、は真剣だった。
「そうならないように、地位を上げればいいんです。軍にとって有益な人間になればいい。国家資格をとって、上層部に喰らいつきます」
「簡単に言うね……」
「何事もやってみない事には始まりませんから」
そこではにっこりと食えない笑みを浮かべたのである。歳相応と言えばそうだが、腹に何かを持っているような、そんな笑みにも見えるそれを。
「命令を聞かない為に地位をあげる、ね……大層な野望だこと」
呆れながらイズミが言う。
「いつか主人を噛み殺そうと思う狗が、一匹くらい居たっていいじゃないですか」
はそう言って、イズミ、ワカバ共にタトゥーを彫る許可を得たのであった。
「主人を噛み殺す軍の狗……か」
がまさかそんな事を考えているとは思わなかった。確かに忠誠心はなさそうに見えはするが、あまりにも直接的すぎる。そんな考えを持って軍にいて、問題が起こったりはしないのだろうか、と思って、はそんな事を察知されないように時に馬鹿みたいにはしゃいで道化を演じ、その地位によって周囲を黙らせてきたのだと気が付く。
彼女は実は自分が考えているよりも、もっと大きな何か想いを抱いて軍にいるのではないだろうか。
「エドワード君も何か目的があって国家錬金術師になったんでしょう? それが茨の道だと知っても」
「はい」
エドワードははっきりと頷いた。
それが茨の道であることはわかっている。それでも、弟と二人、元の身体に戻ると決めたのだ。
「いい返事。イズミが弟子にするのもわかるわ」
くすりとワカバが笑う。
「いてて。エド、交代」
そんな事を言いながらが庭から戻ってきた。脇腹を抑えている。
「はあ?」
ミツバの相手をしろということだろうか?
一緒に戻ってきたミツバが、不満そうな顔でエドワードを見る。
「そのチビ、そんなできんのかよ」
「誰が豆粒ドチビかあああああああ!?!?」
ガタンッと音をさせてエドワードが勢いよく立ち上がった。久しぶりに見たな、とは思う。
「ふ、ははは、いいだろう! このエドワード・エルリック様が師匠直伝の体術をお見舞いしてやる!!」
「ははは! こっちだってイズミ先生の特訓受けてんだぜ! お前だけだと思うなよ!」
「なにをおおおおお!? この野郎、相手してやるから表出やがれ!」
うおおおおおおと二人揃って叫びながら外へと出て行った。椅子に座りながら、はため息をつく。
「精神年齢同レベル」
ミツバの相手をしなければならないだろうと思ってついでにエドワードを連れてきたのだが、案の定こうなったとは思う。エドワードが相手をしてくれていれば、はゆっくりとワカバとお茶ができるというわけだ。
「ミツバ、久しぶりにちゃんに会えて嬉しいのよ」
「まあ、多少は強くなってましたね、さすがに」
一番重傷である右腕を庇いながらであったため、左腕一本で相手をしていたが、それでも凌ぎきれるかどうかというくらいまでは成長していた。以前来た時よりは強くなっていたのは、イズミの特訓のおかげか。
「あの時の目的は達成できたの?」
ワカバがにお茶を入れながら問いかける。
「国軍少将。国家錬金術師、二つ名は“流水の錬金術師”」
ワカバの目をはっきりと見ながらは言う。
「誰かを殺したことは未だありません」
あの時誓ったことは、違えていない。
「そう。良かったわ」
ワカバは嬉しそうに笑った。
「どりゃああああ!!」
「でやあああああ!!」
庭ではほとんど同レベルの取っ組み合いが行われていた。