67.五人目










「まったく上の奴らの当てにならん事といったらないね。この日に合わせてたった五人の人柱も用意できんとは……」

 はあ、と男はため息をついた。

「ま、不老不死とかそんな小さいエサに食い付いて来た輩ばかり揃えたのだから、仕事が出来なくて当たり前か」

 大総統候補たちが再び攻撃を仕掛けてくる。
 ホークアイの銃が弾切れし、男に床に叩きつけられた。援護しようとするロイは、手袋を剣で斬り裂かれ、同じく床に叩きつけられる。スカーも同じく。そして、もまた、襲って来た複数の男達を捌ききれず、足を掛けられ、その勢いで床へと叩きつけられた。両腕を二人で背後から固定される。

「よーし、いいぞ。そのまま」

 眼鏡の男がパチパチと手を叩いた。

君、妙な真似はしないでおくれよ。どうなるかわかっているね」

 は舌打ちした。は両腕を固定されていようが、両手の錬成陣が壊されていないため攻撃可能だ。だが、今は以外の全員が剣を持った男達に取り囲まれている。は身動きできなかった。

「ラジオ局にいるものかと思っていたが、わざわざ出向いてくれるとはね。時間が無いので助かるよマスタング君。ついでに君まで連れて来てくれた」

 にやにやと男が笑う。

「君たちどちらか、ちょっと人体錬成をして扉を開けてくれないかね」

 男はまるで散歩してこいと言うように、気軽に言った。

「なんだと?」

 思わずとロイは目を合わせる。

「だれでもいいよ。亡くなった親、恋人、友人。君たちと仲が良かった……なんと言ったっけ。ヒューズ君? とか? あれでもいいよ。段取りはこちらでしてあげるから」

 眉を顰める。

「人柱……というやつか」
「そう」

 ロイの問いかけに、男は頷いた。

「人体錬成は成功しないとエルリック兄弟に聞いた。失敗するとわかっていてやるバカがいるか」
「うん、そうだね。扉さえ開けて戻って来てくれればそれでいいんだよ」

 男は言う。

「断る!! 人体錬成はせん!! 扉も開けん!!」

 ロイが断言した。ふう、と男は息を吐く。

「言ったよね。時間がないって」

 ホークアイを押さえつけていた男が動いた。それが視界の端に見えた時、血が舞っていた。

「「中尉!!」」

 反射的に叫んだ声は、ロイと重なった。

「さあ、扉を開けてみようか、マスタング君? 君?」
「中尉!! しっかりしろ!! 私の声が聞こえるか!?」
「中尉! 中尉ッ!!」

 ロイとが叫ぶ。ホークアイの返事はない。首筋から血を流し、倒れている。

「そういえば、君達二人は仲が良かったのだっけ?」

 男が首を傾げた。
 ズ、との耳元で音が聞こえた。首筋に痛みが走った。

「え、」

 視界に血が落ちる。男の拘束が無くなり、の体は重力に従ってぐらりと傾いた。

!!」

 ああ、自分も斬られたのか。と、はロイの声を聞いて思った。頭からがつんと床に落ちる。

「さあ、マスタング君。君が死んだら、君は人体錬成するかね?」

 急激に血が無くなっていく感覚は貧血に似ていた。視界が白くちらつく。頭が重く、起き上がれなかった。

「返事を!! 二人とも!!」

 もホークアイも返事を返す余裕は無かった。血溜まりが広がっていくのが見える。赤い血。これは自分の血だ。

「どちらでもいいよ。決めてくれたかね、マスタング君」
「貴様ああああ!!」

 怒りでロイが叫ぶ。
 ロイに人体錬成をさせるわけにはいかない。は血の流れる首筋を押さえ、奥歯を噛み締めた。

「く……こ、の……」

 バチィッ。錬成光が首元で走った。

「げほっ、げほっ」

 血の流れ出る感覚が止まった。

!」
「おや。そうか、君は賢者の石を持っているんだったね」

 心臓の賢者の石を使って首筋の傷を塞いだ。生体錬成など知らない。だからこれは雑な応急処置でしかない。出血が多く、すぐには動けそうになかった。

「捕まえておきなさい」
「う、ぐっ……!」

 再び男に拘束される。頭がくらくらした。
 ホークアイは引きずられ、眼鏡の男が立っていた錬成陣の上へと移動させられた。

「中尉、返事をするんだ! 中尉!!」

 ロイが叫ぶが、ホークアイの返事はない。

「さあ、さっさと人体錬成をやってみようか!」

 ぱんぱん、と男が手を叩く。

「誰を錬成する? 家族? 友達? 恋人? この女が死んだら錬成するかね? それでもいいよ。君が良ければ、すぐに死なせてあげるけど」

 の首元にまた剣が突き付けられる。は舌打ちした。

「死なないわ……」

 ホークアイのか細い声が聞こえた。

「私はね……命令で死ねない事になってるのよ」
「そんなので死なない身体が手に入るなら人間苦労しないよ」

 ふう、と男が呆れたように息を吐いた。

「どうする? マスタング君。君の大事な女が死にかけている。放っておけばすぐ失血死」

 男が懐から小さな瓶を取り出した。中には赤い液体が入っている。賢者の石だった。

「だが……私は錬金術の使える医者で、なんと賢者の石まで持っている。さぁ、君のとるべき選択は?」

 にやにやと男が笑う。

「おや? 大人しくなったね。死んでしまったかな?」

 足下のホークアイを足で突きながら男が言った。が動こうとしたが、男の剣が再び首に食い込むだけだった。

「……大佐……」

 ホークアイが声をあげる。

「人体錬成なんてする必要ありません」

 出血の止まらない首を押さえながら、ホークアイが言う。

「するでしょ? マスタング君」

 男が問う。
 しばらくの沈黙があった。

「……わかった」

 そして、ロイはそう短い息と共に吐き出した。

「おお! やってくれるかね!」

 男が喜ぶ。

「わかったよ中尉。人体錬成はしない」

 ロイが断言した。男は唖然とした表情をする。

「見捨てるのか? 冷たいね君」
「見捨てる?」

 ロイが問い返す。

「この大総統候補達を捨て駒のようにあつかう貴様に言われたくないな」

 男はわけがわからないという顔をした。

「親に捨てられそのままでは死んでいたであろう者達に食事を与えた、一流の教育を与えた、そして存在意義を与えた。この者らは私に感謝しているだろうよ」

 ロイが男を睨みつけた。

「そんなだから貴様は足元をすくわれるのだ」
「なに、を」

 男がヒュンと姿を消した。

「消え……!?」

 が言葉にして、すぐに違うと気付いた。天井を見上げる。天井に開いた穴に、男は消えて行った。

「なああああああ!?」

 男の悲鳴が聞こえる。
 そして、その穴から、ジュデッカ、メイ、そして合成獣の姿をした男が降りて来た。はすぐさま氷の刃を錬成し、後ろの男に叩きこんだ。続いて飛んできた銃弾が男の眉間に刺さる。拳銃を持ったジュデッカが駆け寄って来て、ふらつくの体を支えた。

「馬鹿野郎が!! また石を使ったな!?」
「げほっ……うるさいな……それより中尉を」

 もう一人の大柄な男が穴から下りて来た。
 ロイがようやくホークアイのもとへと辿り着いた。

「しっかりしろ中尉!! 目を開けろ!!」

 ロイがホークアイを抱きかかえて叫ぶ。ホークアイの返事はない。

「ジュデッカ、あそこに賢者の石がある。早く中尉を!」

 が床に転がっている賢者の石を指差す。駆けだそうとしたジュデッカの元に、男が襲って来て足止めする。

「くそッ、退け!!」

 振り下ろされる剣を、銃のグリップで受け止める。そのまま足を高く上げて、男の横面につま先を叩きこんだ。
 その脇をぬってが駆けだす。

「賢者の石……!」

 手を伸ばすが、剣が降って来て慌てて手を引いた。男がに剣を向ける。は受け身を取って床を転がり、体勢を立て直すと、氷の剣を錬成した。頭はくらくらするが、それどころではない。ホークアイの命がかかっているのだ。

「ここは任せテ!」

 メイの声が聞こえた。錬成陣を描いて、そこにホークアイを寝かせた。錬成光が走る。
 ロイがホークアイを抱きかかえたのが見える。ひとまず、メイがなんとかしてくれたようだった。

「……良かった」

 ほっと息をついたのも束の間。突き刺してくる剣を避け、低く体勢を取りながら男の背後へと回る。そのまま両足首を狙って剣を薙ぐ。男は足首を斬られ、膝から崩れ落ちた。よし、とは吐き出した。殺さず、動きを封じる。が出来るのはこういう手だけだった。
 喧噪の音が消えた。大総統候補の男達は、全員動けなくなったかあるいは死んでいた。全員が床に伏していた。
 カツン、と足音が聞こえ、は再び構える。そこに立っていたのは見慣れた姿だった。

「ブラッドレイ!!」

 ブラッドレイは足下に転がっていた賢者の石を拾い上げた。ブラッドレイの服は血まみれだった。腕から血が滴っており、傷が塞がっていない事には気が付いた。ホムンクルスの傷は再生するはずだ。

「君なら目の前で大切な者が倒れたら、迷い無く人体錬成に走ると思ったのだがね」

 ブラッドレイがロイの方を向いて言った。

「少し前の私ならそうだったかもしれません」

 ロイが言う。

「今の私には、止めてくれる者や、正しい道を示してくれる者がいます」

 ロイの目にはもう復讐の炎はない。それを消してくれる仲間たちがいたからだ。

「……ふっふ……」

 ブラッドレイは笑う。

「いつまでも学ぶ事を知らん哀れな生き物かと思えば、君達のように短期間で学び変化をする者もいる。まったく人間というやつは……」

 ぽたりと血が落ちる。

「思い通りにならなくて腹が立つ」

 ブラッドレイは口元に笑みを浮かべてそう言った。

「どうした?」

 スカーの声が聞こえ、目を向ける。メイが足下の錬成陣を見つめていた。

「この下……真下にいまス!」

 直後。天井からボタボタと大量の血が降って来て、その後、合成獣の人間と眼鏡の男が落下してきた。眼鏡の男はこの合成獣の男に捕まっていたのだと知る。

「ジェルソ!!」

 先に降りて来ていた合成獣の男が叫んだ。

「この感じは……ヤバイ」

 天井を見上げ、大柄な男が言った。

「マジで逃げだ! ザンパノ! ジェルソを!!」

 ザンパノと呼ばれた男が、ジェルソを引きずって来る。
 天井から黒い目玉が降りて来た。黒い影に乗って、子供が降りてくる。

「プライド……!」

 ずるずると下りて来たプライドは、床に降り立ち、こちらを睨みつけて来た。
 ブラッドレイが動いた。倒れている大総統候補から剣を二本奪い取り、両手に構えた。

「中尉をたのむ!」

 ロイが迎撃に出る。指を弾くが、それは速度を上げたブラッドレイを捕えることは出来なかった。そして、ロイを踏みつけるようにして押し倒し、その両手のひらに剣を突き刺した。

「ロイ!! ……ッ!!」

 が駆け出そうとしたが、プライドが行く手を阻んだ。プライドは行く手を阻んだだけで襲っては来ず、影を足下へと収束させた。

「よ、よくやったブラッドレイ! さすがは私が育てた……」

 男の言葉は最後まで続かなかった。プライドが背後から男の胸を突き刺していた。男はそのまま黒い影に捕われ、黒い影に覆われていく。
 ロイが剣で固定されたのは、錬成陣の中央。眼鏡の男はその上部に、プライドによって持ち上げられていた。

「これで五人目」

 プライドが言う。

「最後のひとりだ」

 そして、ブラッドレイが言った。
 ドン、と錬成光が走った。

「この手はあまり使いたくなかったのですが、仕方がありません。もう時間が無い」
「強制的に扉を開けさせてもらうよ、マスタング大佐」
「人体錬成など……」
「君にその気が無くてもかまわん。その知識を持った錬金術師が、プライドと同化済みだ。人体錬成の構築式は彼が持っている」
「固定しました。退いていなさい、ラース」

 ブラッドレイがロイの両手から剣を引き抜き、離れて行った。ロイは床に縫い付けられたように動けないでいる。プライドがその周囲を覆っていた。

「さて。君はどこを持って行かれるかな」

 大きな錬成光がバチバチと光り出した。ロイの腕が分解される。

「ロイ!!」
「馬鹿野郎! 近付くな! 巻き込まれるぞ!!」

 駆け出そうとしたの前に腕を出しジュデッカが止めた。
 カッと眩い光が辺りを包んだ。そして、もう一度錬成光が光った。
 光が収まった時、丸い肉の塊がそこに転がっていた。

「大、佐じゃないよな。さっきのメガネじじい?」

 口から血を吐き、体中に誰かの顔をつけた肉の塊は、確かに眼鏡のあの男だった。ロイの姿はどこにもない。同時にプライドも姿を消した。

「安心したまえ。今ごろマスタング大佐は、父上の所だ。五体満足かどうかは保証せんがね」

 ブラッドレイが言った。

「さて、私はごらんの通りの有様だ」

 両手の剣を引きずりながら、ブラッドレイが歩き出す。

「討ちとって名をあげるのは誰だ?」

 ブラッドレイが剣を構えた。

「合成獣か? よそ者か? マスタングの犬か? 将軍、君か?」
「……」
「それとも……全員でかかってくるか?」

 ブラッドレイは見た目は満身創痍のように見えた。だが、その眼光に衰えは無い。

「真下……あの穴の下……」

 ジェルソが唐突に呟いた。

「何?」

 スカーが問い返す。

「メイが『この真下にいる』って言ったとたん、メガンのじじいがうろたえだしたんだ。『あのお方の邪魔はさせん』ってよ。どうやらこの下には行ってほしくないみたいだぜ」
「ほう……」

 スカーが納得したように言った。

「あれが中心で。この下にいる、か」

 ゴキンと右手の指を鳴らすと、スカーは床を叩いた。
 大きな錬成光と共に、床が崩れ去る音がした。